切り文だ!と、威勢が良かったものの、反論されて木っ端微塵。

一月二十二日、突如自ブログにおいて「顕正会をガツンと破す」に宣戦布告したブリトー石橋(現ジェファーソン石橋)。
第一回目と二回目に分けて書かれた批判の総括の言葉は以下の様であった。


◎編集者は相変わらず幼稚ですね。こんなこと書いてるようではガツンと破すことはできませんよ(一月二十二日・ブリトー自ブログ発言)
◎「ガツンと破す」をガツンと破すの2回目の、前半と後半を書き終えて振り返りますと、結局切り文だらけじゃないですか!(一月三十日・ブリトー自ブログ発言)
◎これではまるで、「我々法華講員は、まともに戦ったら顕正会には勝てないのです。だから切り文などという汚い手段使うしかうないのです」と自ら認めているのと同じでしょ。(一月三十日・ブリトー自ブログ発言)


面識もないのに、いきなりの「編集者は相変わらず幼稚ですね」と発言。相変わらずって、何時お会いました??
しかし、この言葉通りに我々が幼稚であったか、切り文だったのか、その証明と論証を我々は二月五日に返した。

◎細井日達のこの発言は、浅井先生に諫(いさ)められたから言えた“正論”です。先生が諫めている部分は隠し、細井日達の述べた“正論”だけ見せるというのは、切り文による文意の歪曲です。(一月三十一日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎昭和四十五年四月六日の御虫払法要における(中略)やはり浅井先生に諫められた結果細井日達が述べた“正論”です。もし浅井先生の諫めがなければ、細井日達には、この“正論”は言えなかったでしょう。(一月三十一日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎達師が『正本堂は未だ御遺命の戒壇ではない。……どうか学会は訂正してください』」と書いてあります。これは昭和四十五年五月二十九日、対面所で、浅井先生と学会首脳が法論を行い、学会首脳の負けが決定的になった時の細井日達の発言です。(一月三十一日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎この発言は、法論で、学会側が負けたから言えた“正論”なのです。恐れ多い言い方ですが、仮に先生が法論に負けていたら、細井日達はこの“正論”は言えなかったでしょう。いや、言えないどころか、逆に学会の意見に賛同して「正本堂は御遺命の戒壇です」と言ったかもしれません。浅井先生と学会の法論の部分には一切触れず、細井日達の“正論”だけを見せるというやり方は、やはり一種の切り文・文意の歪曲といえるでしょう。(一月三十一日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

この一月三十一日のブリトー石橋氏の「ガツンと破す」への疑難に対し、我々は「浅井氏の諌め」の依るものかどうかを当時に残された資料と報告書を元に二月五日に反証した。 この件に関しその後、具体的な反論はない。しかし、反論もせずに彼は三月二十三日の自ブログでもまたこの件を取り上げている。

◎「“妙信講の必死の諫訴”とは、正本堂落成直前の昭和四十七年九月十三日から同二十八日まで間、七回にわたって行われた浅井先生と学会代表との法論のことですね。 この法論に負けた学会代表は、聖教新聞紙上に正本堂の意義についての訂正文を掲載する約束をし、そして約束どおり十月三日の聖教新聞に訂正文は掲載されたのです。(三月二十三日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)」

こうして、何度もウソを並べる事でコチラが何度も反論しなければ、ホント化したいのであろう。いみじくも彼自身の言葉が彼のブログに残されている。

◎あ、そういえば、「ガツン」の編集者には学会員も混じってるんだっけ。(三月二十三日デレク石橋氏:自ブログ発言)

◎もしかして彼らは、日蓮正宗からお給料を貰ってる人なのかな?私の破折を食い止めると、特別ボーナスが出るとか(笑)「顕正会をガツンと破す」が宗門の職員によって作られたのなら、そのメンツにかけても破折は阻止したいところですね。(三月十五日デレク石橋氏:自ブログ発言)


当方には学会員は関係していないし、宗門職員も居ない。こういうブラフのような垂れ流しを彼は執拗に繰り返しブログに書く。考えても宗門関係者と学会員が併存する事など有り得ない。しかしこういう仕掛けを、その効果を彼は一番理解しているのだろう。といえど邪義は邪義である。百回繰り返しても、正義になる事はない。彼のこうしたウソ疑難に対し、当方から二月五日に彼に問い返した条項は以下である。

◎二月六日にブリトー石橋氏の切り文疑難に反証、山門入り口氏のブログに掲出して、当方から逆質問を投げかける。

★国立戒壇について(一月二十二日・二月一日分のブリトー石橋氏の切り文疑難に反証する)

◎ブリトー君の疑難:「国立戒壇」の名称をお使いになった本宗の歴代先師上人、云々

国立戒壇なる個別名称は、柱師を含む以前に溯る御歴代にも言葉は見あたりません。国立戒壇の往古に於ける文証提示を当方から請求されるも、沈黙。

◎ブリトー君の疑難:国立戒壇を模倣したものの、「戒壇の大御本尊」はない。そこで「佐渡始顕の本尊」なる偽本尊を立てたのである。

他人のことをいいながら、自団体のことを言っていることに気がつかない自虐を披瀝して、沈黙。

◎ブリトー君の疑難:また日淳上人も仰せられる。このように、日淳上人がハッキリと、の二箇条

当方から事相戒壇・事の戒壇が当宗古来の三大秘法の法義を提示。
浅井の言う宗門古来の国立戒壇が宗祖開山に認められるかの証拠を求めるも、解答せず、沈黙

◎ブリトー君の疑難:戸田氏、池田氏が言い出した「国立戒壇」とは

浅井氏のいう国立戒壇義というか思想はほぼ、田中智学氏の言うところと同じを証明するも、無回答、沈黙

◎ブリトー君の疑難:浅井先生が指導くださった(中略)国立戒壇の区別ができないようです。

六千万人のボーダーの根拠は仏典なのか、思いつきなのか、証拠を求めるも沈黙

◎ブリトー君の疑難:1番目の、「委員会が開かれるにあたって…」という文章は、昭和四十年二月十六日の第一回正本堂建設委員会における、細井日達の説法です。

当方の切り文ではなかった証明の前にブリトー石橋氏、沈黙。

◎ブリトー君の疑難:2番目の、「昭和四十四年十二月二十二日(於妙縁寺)において『猊下は一度も正本堂を御遺命の事の戒壇と……』(妙信講と宗務員が面談:阿部教学部長・発言)」という文章は、出典が不明です。

当方の切り文ではなかった証明の前にブリトー石橋氏、沈黙。

◎ブリトー君の疑難:3番目の、「正本堂は最終の戒壇ではありません。・・だから“須弥檀(しゅみだん)は蔵の形にする”と説法した」という文章

事実にそぐわない客観性のない浅井の自己申告を指摘、当方の達師の類似発言を元に切り文ではない事を証明されて沈黙。

◎ブリトー君の疑難:4番目は、昭和四十五年四月六日の御虫払法要

前後の時間軸を立証して、浅井の諌めによって「この”正論”は言えなかったでしょう。」というブリトー石橋氏のこの論拠、成立せず。

◎ブリトー君の疑難:5番目には、「達師が『正本堂は未だ御遺命の戒壇ではない。……どうか学会は訂正してください』」と云々

当方の四番目と同じ証明方法で成立せずを証明。沈黙中

◎ブリトー君の疑難:6番目には有名な「訓諭」が登場します。

当方の達師の未来形の言辞にかかる証明と、待ちきれずに建ててしまったと言う疑難は、逆にブリトーにブーメランで自滅。

◎ブリトー君の疑難:7番目の、「管長猊下は一言も正本堂を御遺命の『事の戒壇』などとは云われず

浅井の過去の言辞を以て証明され、達師が云われてなかった事が明白に、沈黙。

◎ブリトー君の疑難:後半一番目、「正本堂について『須弥檀の形にする』」と述べた、例の曖昧な説法のことです。

自分が達師の文章縮めして、大恥。沈黙中

◎ブリトー君の疑難:後半2番目も、やっぱり富士140号から引用した文章

自身が理解していない会通を披瀝して大恥、沈黙

◎ブリトー君の疑難:後半3番目、「正本堂に就き池田会長に糺し訴う」の一部分です。

所性と所住の意味を理解せずこちらを指弾して、大恥。以下の文言すべてに渡って意味が通らず、沈黙。

◎ブリトー君の疑難:いずれの先師上人も・・・。

貴殿が上げた真逆の先師上人の御指南、会通と解答を待つも、返答なし。

◎ブリトー君への当方からの質問:君の脳みそがどういう構造なのか一度中身を見せてくれ。

にお答えして一部脳みそを開示、種々疑難に対する関連、在家が供養を受ける謗法を経典を元に質問するも、沈黙。

◎二月六日にブリトー石橋氏の(一月二十二日・二月一日分)切り文疑難に反証、山門入り口氏のブログで当方から逆質問を投げかける。(反証の詳細は、「ガツンと破す、を破す。それを破す」へ。コチラをクリック
そして二月十八日にも山門入り口氏のブログにて中間報告(それ以降の反証)と再質問をしたが、彼は一切反論せずに、ほおかむりしたまま、ガツンと破すを切り文だと叫ぶだけであった。

これらはまだ一部である。しかし未だに正当な返答や反論はない。こちらの反証に対し彼は言い訳とも、愚痴とも言えない弁明を繰り返しブログで述べ、逆恨みのような言い逃れを繰り返した。それらの一部を次に列記しました。

反証されてソレが事実でも、対抗策は全面シカト。

◎それに切り文だらけの“破折資料もどき”を公表することは、「宗門・法華講はインチキだ」というイメージを顕正会員に植えつけることになり、また、自ら宗門・法華講の評価を下げる結果になります。さらに言うならば、猊下の顔に泥を塗る行為ともいえましょう。そのへんよく考えて行動すべきではありませんか。まあ、私は現在の猊下の顔に泥を塗っても構わないですが。(二月六日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎ 反論の中に私に対する質問がありましたが、私は今のところ“「顕正会をガツンと破す」をガツンと破す”を書くのが精一杯で答える余裕はありません。書き終えて時間的ゆとりができたら答えるかもしれませんし、面倒くさくなったら無視するかもしれません。あしからず。(二月六日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎現時点で答えようとしない理由はすでに述べたとおり、時間的ゆとりがないこと。私は今、“「顕正会をガツンと破す」をガツンと破す”の執筆に全精力を傾けているのです。特殊能力の持ち主ではないので、同時にあっちもこっちもできません。

それから理由としてもうひとつ。仮に、私が時間と労力を費やして、全力で質問に答えたとします。しかし、必ずその答えに難癖つけて、また新たな質問を返してくるでしょう。どんだけキッチリ答えても絶対に難癖つけてきますよね。答えては質問、また答えては質問…おそらくこの繰り返しになって、将棋でいう「千日手」のような状態になるのは目に見えてます。これは時間の無駄。 こんな馬鹿げたことに時間を浪費するぐらなら、いっそ開き直って「ブリトーは解答不能に陥った」と言ってもらったほうが楽なのです。そうすれば余計な時間を使わずに済みます。それに、私を解答不能扱いしても、“「ガツン」が切り文だらけのインチキ破折資料である”という事実は覆(くつがえ)らないのです。質問の内容をざっと見ましたが、解答できなかったところで切り文の否定につながるものは一つもありません。余計な時間を使わない上に「ガツン」の破折に影響しないのなら、私は積極的に“解答不能扱い”される方を選択します。(二月十一日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎この質問、私が答えようと答えまいと、“「ガツン」が切り文だらけのインチキ破折資料である”という事実には全く影響しません。逆に答えたことで、さらに切り文の「証明」に念を押してしまった感じです。他の質問においても然り。私が解答できなかったとしても“「ガツン」が切り文だらけのインチキ破折資料である”ことは否定できないのです。(二月十一日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

いままでの経緯から云うと、君がまずこの「ガツンと破す」は、切り文でインチキだと、一月二十二日にコチラにボールを投げた、それに対しインチキではないと、こちらが二月一日分も含めて、キミの論理の矛盾を突いて二月七日に反証した。
その反論に君が回答不能と言うことは、投げかけた主張に対して答えられない、つまり反証(この場合は切り文疑惑)できなかった事になる。=証明できない物が何故にインチキだと再証明されるのか?(二月十一日・山門入り口ブログ)この指摘に未だに彼は明確な反論はない、つまり異論は無いのだろう。


◎ 彼らは、歴代上人の御文を切り文にするいう、普通の神経では考えられない行為を平気でやってのけるのです。こんな連中の作った「顕正会をガツンと破す」が、はたして正しいと思えますか?(二月十一日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎彼らはこうやって、顕正会員の知らない御文をズラリと並べて、ただ威嚇しているだけなのです。ここでひるんではいけません。「ガツン」の戦略は基本的に切り文なのだから。(二月十一日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

一月二十二日からの当方への切り文攻撃の中で、彼が言い逃れできない当方からの反証があった。彼は結果的にその二つで行き詰まった。その一つは、阿部教学部長の発言に関して彼はその文章を切り文だと指摘していた。
もうひとつは、宗門との論争の中で戒壇論に関する事である。浅井氏の書籍にも認められる事と義の戒壇を分ける重要なキーワードである「所住」という言葉で大失態を犯した。コレを彼は「所性」と書いて、得意満面の論を張ったのである。もちろん文章の意味は通じない、検証する事もなく彼はその文を披露して、当方からの指摘・浅井氏の書籍の文面にも「所住」とあった事で、彼の当方への切り文指摘は破綻した。
この二つは宗門と妙信講との教義論争の重要な箇所である。それを彼は間違ったのである、以下は当方から指摘されたその時のブログ文言である。


◎「2番目の、「昭和四十四年十二月二十二日(於妙縁寺)…『猊下は一度も正本堂を御遺命の事の戒壇と仰せられず』(妙信講と宗務員が面談:阿部教学部長・発言)」という文章は、出典が不明です。もしかしたら顕正会の書籍のどこかにあるのかな?私の読みが浅いのか?」(一月三十日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎猊下は一度も正本堂を御遺命の戒壇とは仰せられていないにもかかわらず、2年前には、自ら「御遺命である正法広布・事の戒壇建立は、……その実現の大光明を顕わさんとしている」と述べていたわけですから、教学部長は、猊下の仰せに従わない不届き者ですな。(一月三十一日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎「猊下は一度も……仰せられず」は、文章の終わり方が不自然です。どうせ切り文でしょう。(一月三十一日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎当方の反論に、切り文ではなかった、とブリトー石橋(当時)が認めた二月六日のブログ記事

ここで見苦しい言い訳を二つ書きます――
言い訳…その1
私が出典不明と思っていた「猊下は一度も正本堂を御遺命の事の戒壇と仰せられず」の文章は、「正本堂に就き宗務御当局に糺し訴う」からの引用で、切り文ではないそうです。

皆さんは、イソップ童話の「狼と少年の話」をご存知だと思います。
少年は何度も「狼が来たー!」とウソ言い、結局まわりの大人達から信用されなくなります。
これと同じで、何度も切り文を出されると、“怪しい文章はみんな切り文”という扱いになるのです。
信頼される破折資料を作りたいのでしたら、切り文を使わないことです。(二月六日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)


彼が寄せた切り文断定は、浅井氏が正本堂の意義について述べた「猊下は一度も正本堂を御遺命の事の戒壇と仰せられず」(ガツンと破すで掲示)の箇所である。
コレは昭和四十四年・十二月二十二日(於妙縁寺)に正本堂の意義について、妙信講と宗務当局が面談した際にのべた浅井の弁である。コレを彼は知らなかったのだ。

「御尊師「寡聞の故か」とは断るも「未だ曾って猊下一言も正本堂を事の戒壇と仰せられず」
と、三度に亘って言明し給う。これ猊座を守る御道念より出る勇気の御発言と肝に銘じて忘れず。(浅井著:正本堂に就き宗務御当局に糾し訴う)


とあり、自称顕正会員のブリトー石橋は自分が所属する会の出版物、とりわけ浅井氏の発言を読みもせず、検証もせずに、当方の分を切り文だと、叫んでいたのである。彼の疑難は殆どこの調子である。

◎私が出典不明と思っていた「猊下は一度も正本堂を御遺命の事の戒壇と仰せられず」の文章は、「正本堂に就き宗務御当局に糺し訴う」からの引用で、切り文ではないそうです。(二月六日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

と二月六日に開き直りのような弁明「切り文ではないそうです」と表明していながら、二月十七日には以下の発言が出てくるのである

◎私が「切り文である」と指摘した部分を、「切り文ではない」と証明してみせればいいだけなのです。(二月十七日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

彼は事実がどうであれ、当方が切り文しているという印象付けをしたいだけの、なんちゃって疑難で、コチラが切り文ではない証明をしても彼のアタマは結論ありきで、認めないのである。その心象を次に列記する。

言い訳…その2
“所性”の件。
これは私も悩みましたよ。私は富士140号の原本をもっておらず、どうやっても入手できなかったので、危険とは思いつつネットにアップされているものを使いました。 明らかに誤字と思われるものや、改行がおかしい部分は修正しました。
問題は“所性”という言葉。 “所性”なんて、私も聞いたことありません。
トチロ~君の破折の際、彼が出してきた「正本堂に就き池田会長に糺し訴う」では“所住”と書いてありました。 “所性”と“所住”のどっちを採用するべきか最後まで悩みました。 “所性”というのは聞いたことないし間違っているような気がする。トチロ~君には申し訳ないが、彼は信頼できないので“所住”も怪しい。
それで、この二つの言葉を天秤にかけて、結局“所性”を採用しました。
これが間違っていたわけで・・・。(二月六日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)


彼は一月二十二日こう書いた「こういう破折資料は、完璧であってこそ、その威力を初めて発揮します。どこか一箇所でも欠陥が見つかれば、それは資料全体の信頼性にかかわる致命傷となり、ついにはガラガラと音をたてて崩れます。(一月二十二日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

この彼の論に依れば、彼は彼自身の杜撰な論によって、当方に二つも謝罪しなければならないほど欠陥だったという事です。資料を持っていなければ探すか、とりあえず確実なことがわかるまで公開しなければいい、彼はそういう思慮と判断をせずに公開したようである。 しかも

「“所性”なんて、私も聞いたことありません」「私は富士140号の原本をもっておらず」と、告白しているように資料も持たず、知らない事を知ったかぶりして、当方を切り文だと、書いていたのである。であるに関わらず

「何度も切り文を出されると、“怪しい文章はみんな切り文”という扱いになるのです。(二月六日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)」

と、同じ日の反省はどこにやら、またこの時点でも当方の反証に大半沈黙したままであるのに、まだ切り文だと、開き直って逆ギレ言葉を当方に投げている。しかも言い訳文中には「トチロ~君には申し訳ないが、彼は信頼できないので“所住”も怪しい。」と、自分の思慮不足は棚上げして、まるでトチロー氏に責任があるかのような、書きぶりである。まぁ、見苦しい言い訳と書いてあるから、ホントに見苦しい言い訳だ。こうして誠実に事を進めるのかと思いきや、二月十七日にはこんな文言をブログに残している。

◎ 私が「切り文である」と指摘した部分を、「切り文ではない」と証明してみせればいいだけなのです。(二月十七日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

切り文は、ヒトは認めず、自分はトーゼン。鳥アタマ論法

◎浅井先生と学会の法論の部分には一切触れず、細井日達の“正論”だけを見せるというやり方は、やはり一種の切り文・文意の歪曲といえるでしょう。(一月三十一日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎これは文章の前後を切って、正しい意味をわからなくする切り文の典型的パターンです。(一月三十一日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎皆さんは、イソップ童話の「狼と少年の話」をご存知だと思います。少年は何度も「狼が来たー!」とウソ言い、結局まわりの大人達から信用されなくなります。これと同じで、何度も切り文を出されると、“怪しい文章はみんな切り文”という扱いになるのです。信頼される破折資料を作りたいのでしたら、切り文を使わないことです。(二月六日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎私が聞きたいのはトチロ~君の感想ではなく、「顕正会をガツンと破す」には、なぜあんなにたくさんの切り文が使われているのかということだ。宗門・法華講の主張が正しいと言い切れるのなら、切り文などという姑息な手段に頼らずに顕正会の破折ができるはずではないか?この件について、ぜひ明確な答えが欲しい。(二月一日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎トチロ~君に助言。反論を書くなら、文証を挙げたほうがいいですよ。今の反論のやり方では、我見を並べているだけと思われるでしょう。(二月三日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎私も万能というワケではありませんので、100パーセント破折とはいかないかもしれません。しかし、部分的にでも切り崩して、作成にかかわった法華講員に恥を掻かせ、この「ガツンと破す資料」がいかにいい加減な代物であるかを示していきたいと思います。(二月二十二日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

彼は二月六日に自ブログで、当方への切り文疑難について、その意図をこう書いている。

◎それに切り文だらけの“破折資料もどき”を公表することは、「宗門・法華講はインチキだ」というイメージを顕正会員に植えつけることになり、また、自ら宗門・法華講の評価を下げる結果になります。さらに言うならば、猊下の顔に泥を塗る行為ともいえましょう。そのへんよく考えて行動すべきではありませんか。まあ、私は現在の猊下の顔に泥を塗っても構わないですが。(二月六日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎当初「ガツン」は、真面目に作られた破折資料だろうと思い、こちらも真面目に破折に挑みました。しかし始めてみたら、切り文だらけのインチキ資料だということが判明したので、結局インチキをあばくことを目的にし、法華講員のズルさを白日の下にさらしていこう思っております。(二月十一日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)


同じ日に、切り文ではなかった箇所について、言い訳しているにかかわらず、それ以外の当方の反証箇所には反論せずに「顕正会をガツンと破す」が、切り文だらけの破折資料もどきだと叫んでいます。また二月の十一日には、また切り文断定をして「切り文だらけのインチキ資料だということが判明」となんら反証せずに、コチラの質問も彼にとってはどうでもいい事らしく、繰り返し切り文だと、叫ぶ事と恥をかかせる事に執念を燃やしているようであります。

さて、それほどに彼が忌み嫌う「切り文」ですが、彼(バーズ博士時代)と法華講員であるトチロー氏と云う方の昨年のブログで於いて、こんなやり取りが有った事を発見しました(以下150万顕正会員を救いたい、と元バーズ博士のブログから抜粋)以下に引用してみます。

◎ところで、例のヲタク金吾君のお友達に、ドジロ~君という法華講員がおります。
このドジロ~君、浅井先生が破折のために引用された「大日蓮45年9月号」の文章を指して「切り文だ!改ざんだ!」と激しくお怒りだが、とんでもない話である。
確かに引用された文章は原文のままではありませんが、これは、要点だけを簡略化して書いてあるというだけのことで、改ざんなどというものでは決してありません。(2011年12月10日バーズ博士(現ジェファーソン石橋):自ブログ発言)

と、コチラに投げかける指弾の論調とは段違いの、調子のいい事を書いています。彼の言い分を箇条書きにすると

◎引用された文章は原文のままではありません
◎要点だけを簡略化して書いてある
◎改ざんなどというものでは決してありません

というのであるが、元は浅井会長の著書「正本堂の誑惑を破し懺悔精算を求む」167~168頁の天生原について、浅井氏が引用した達師の説法箇所が明らかに原文を削除したり、改竄していると昨年の十二月十二日にトチロー氏が指摘した事を彼が浅井氏に代わって弁明したことから始まった。その達師の説法が以下の文章であります。

「天生原“は”【を考えてみるときに、】無限の生命の源を表わして“いる”【おるところである】[これは詮じつめれば、十界本有常住事の一念三千人法一箇独一本門の戒壇の大御本尊を意味することであると拝することができるのであります。なんとなれば、天は無上無限最高であり、生は蘇生の義であり、原は根源である。また、妙とは蘇生の義であれば、生とは妙なり。]よって天生原とは最高独一の妙法の原、即ち本門戒壇の御本尊であります。……[寛師の「本門戒壇の本尊即ち是れ不死の薬なり」と言われるとおりであります。ゆえに、百六箇抄に「三箇の秘法建立の勝地は」と申され、「富士山本門寺の本堂なり」と明示されておるのであります。

今日、創価学会会長の申し出による大構想は、北は一の竹から南は妙蓮寺、下之坊に至る南北六キロ乃至八キロメートルに亘る大天生原の勝地で構成せんとしておるのであります。その中心をこの正本堂においてある。この正本堂を、事の戒壇、現時の民衆、衆生の懺悔滅罪即身成仏の大戒壇と拝して、少しも私は疑いないと思うのであります。

いま、堀猊下が四神相応の地として、南は朱雀、汚地としております。今考えるとそれよりも南、下之坊の下の田尻の湿地帯があります。北は一の竹よりももっと北の朝霧から、あるいは毛無山、あれらの高原地帯を指してもよいのであります。

この広大なる地辺こそ、すなわち四神相応の大石ケ原の大構想であると考える]
天生原こそここにありと信じてこそ、真実の我々の心である」(大日蓮45年9月号)
【 】で括ったところは改ざん箇所である。また、[ ]で括ったところは意図的な削除箇所である。これらの小細工をしたうえで、(大日蓮45年9月号)と表記して、顕正会は引用表示をしている

トチロー氏は自ブログで、「ありの金吾君のコメント覧でしたとおりです。再掲致します。」とありますのでトチロー氏のブログ上の出来事ではなかったようですが、この指摘は誰が見ても改竄と意図的な削除である。また通常コレを切り文というのである。しかし、彼は自会のこういう行為について、

「引用された文章は原文のままではありませんが、これは、要点だけを簡略化して書いてある」また「改ざんなどというものでは決してありません。」

とも発言している。こんないい加減なご都合基準で、当方を「切り文だ!」と、叫んでいるのである。要するに切り文という言葉を武器手段として、言いがかりを付け脅しているようなモンだと言わざるを得ない。こういうテクを彼はコチラを指弾する際にこう述べている。

「これは文章の前後を切って、正しい意味をわからなくする切り文の典型的パターンです。(一月三十日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)」

この論はそのまま、彼の発言に当てはまる。これでは自分は切り文はやるし、自会の会長がソレをやっても徹底的に擁護の弁論を発するが、自会を批判する輩には、切り文疑惑を投げかけて、口を閉じさせようとするようである。要するに彼は、批判文が正しかろうが、自分たちが切り文しようが、言いたい放題やりたい放題なのである。しかも当方には二月十一日にこんな罵声を浴びせてくれた。

◎ 彼らは、歴代上人の御文を切り文にするいう、普通の神経では考えられない行為を平気でやってのけるのです。こんな連中の作った「顕正会をガツンと破す」が、はたして正しいと思えますか?(二月十一日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

当方に歴代上人の御文証を切り刻んで、等と言われるような事実はないが、普通じゃ考えられない事をやっているのがキミの本質なのです。次に当方の毎回の反論に対して、怯えて言い訳する姑息な彼の発言を紹介いたしましょう。

★コチラ(当方)には答えないというブリトー石橋氏の言い訳主張文。

◎私は浅井先生の著書だけを頼りに破折を書いています。質問の答えは自分で探してください(笑)(二月六日の発言)
◎もっとも質問されたからといって、必ず答えるとはかぎりませんよ。私は山門入り口君のように暇人ではありません。顕正会の活動もあるし、家庭もあるし、うさぎのお世話もあるし。(二月六日の発言)
◎書き終えて時間的ゆとりができたら答えるかもしれませんし、面倒くさくなったら無視するかもしれません。あしからず。(二月六日の発言)
◎現時点で答えようとしない理由はすでに述べたとおり、時間的ゆとりがないこと。(二月十一日の発言)
◎余計な時間を使わない上に「ガツン」の破折に影響しないのなら、私は積極的に“解答不能扱い”される方を選択します。(二月十一日の発言)

★答えるかどうか、分からないけど、気分で答えるというブリトー石橋君の主張文章。

◎例えば、“「ガツンと破す」をガツンと破す”を書く時、前置きとして、「私も万能というワケではありませんので、100パーセント破折とはいかないかもしれません」と先回りして逃げ道を作ってますから。(二月七日の発言)
◎全部書き終えた段階で、私の書いたことが正しいのか、法華講側の主張が正しいのか、これは読者の判断に任せたいと思います。(二月六日の発言)
◎次の簡単な二つの質問には答えましょう。(二月十一日の発言)

まあ仕方ないね。実は「ガツン」の破折以外の部分は、ほとんど行き当たりばったりで書いてるんだよ(二月十七日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎●入り口君、さらに云く――
◎ブリトー石橋氏:私が答えようと答えまいと ←ここで彼はもう逃げ道です。
そうだよ。場合によっては勇気ある撤退も必要だ。だから先に逃げ道を作ったのだよ。それがなにか?(二月十七日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎ 反論の中に私に対する質問がありましたが、私は今のところ“「顕正会をガツンと破す」をガツンと破す”を書くのが精一杯で答える余裕はありません。書き終えて時間的ゆとりができたら答えるかもしれませんし、面倒くさくなったら無視するかもしれません。あしからず。(二月六日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎現時点で答えようとしない理由はすでに述べたとおり、時間的ゆとりがないこと。私は今、“「顕正会をガツンと破す」をガツンと破す”の執筆に全精力を傾けているのです。特殊能力の持ち主ではないので、同時にあっちもこっちもできません。

それから理由としてもうひとつ。仮に、私が時間と労力を費やして、全力で質問に答えたとします。しかし、必ずその答えに難癖つけて、また新たな質問を返してくるでしょう。どんだけキッチリ答えても絶対に難癖つけてきますよね。答えては質問、また答えては質問…おそらくこの繰り返しになって、将棋でいう「千日手」のような状態になるのは目に見えてます。これは時間の無駄。

こんな馬鹿げたことに時間を浪費するぐらなら、いっそ開き直って「ブリトーは解答不能に陥った」と言ってもらったほうが楽なのです。そうすれば余計な時間を使わずに済みます。それに、私を解答不能扱いしても、“「ガツン」が切り文だらけのインチキ破折資料である”という事実は覆(くつがえ)らないのです。質問の内容をざっと見ましたが、解答できなかったところで切り文の否定につながるものは一つもありません。余計な時間を使わない上に「ガツン」の破折に影響しないのなら、私は積極的に“解答不能扱い”される方を選択します。(二月十一日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

論評するに値しない人間性だと言うことがおわかり戴けたと思う。自分から切り文だと、当方に押しかけてきて、反証されるや半身逃げ腰で反論もせずにブツブツつぶやいているだけであります。以下は毎回ごとの当方の反証質問に、精神的に追い詰められて、ほとんど半狂乱の発言を紹介しましょう。

◎私はノータリンのバカ野郎なので、「所住」のような難しい仏法用語はよくわかりません。しかし日常使う日本語程度ならわかります。「所住」の意味もわからないようなノータリンに「ガツン」をいじられ右往左往する人のことは、いったい何と形容するのがふさわしいのでしょうか。(二月十一日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎君達は相変わらず、私の破折の打ち消しに必死なんだね。別にこちらは「回答不能」という扱いでも構わない。大事なことは、読者が私の破折を信じるか、それとも君達のヘリクツを信じるかなのだ。(三月八日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎「顕正会をガツンと破す」をガツンと破すに反論”は、それなりに資料に基づき、もっともらしい言葉を連ねていますが、それだけのことを書く能力があるのなら、何故、最初からまともな破折資料を作らなかったでしょうか?切り文だらけの“破折資料もどき”など、作る必要はなかったのではないか、と私は思うのです。(二月六日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎この質問、私が答えようと答えまいと、“「ガツン」が切り文だらけのインチキ破折資料である”という事実には全く影響しません。逆に答えたことで、さらに切り文の「証明」に念を押してしまった感じです。他の質問においても然り。私が解答できなかったとしても“「ガツン」が切り文だらけのインチキ破折資料である”ことは否定できないのです。(二月十一日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎当初「ガツン」は、真面目に作られた破折資料だろうと思い、こちらも真面目に破折に挑みました。しかし始めてみたら、切り文だらけのインチキ資料だということが判明したので、結局インチキをあばくことを目的にし、法華講員のズルさを白日の下にさらしていこう思っております。(二月十一日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎とくに、私が“「ガツンと破す」を破す”の2回目の前半・後半をまとめて公開した時の、「ガツン」編集者達の慌て様は笑えましたからね(三月二十三日デレク石橋氏:自ブログ発言)

◎「ガツン」の破折には最初から“勝ち負け”は関係ないので、誰かみたいに一方的に勝利を宣言するようなことはしませんが、私としては、それなりの満足感・達成感はあります。(三月二十三日デレク石橋氏:自ブログ発言)

それでは彼が当方の文章を指して「御文を切り文にするいう、普通の神経では考えられない行為(二月十一日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)」となじった言葉が、そのままブーメランとして彼に帰って行く事実をご覧に入れましょう。

浅井氏の足を引っ張る、事と義の戒壇迷解釈

◎「ガツンと破す」の編集者が出してきた文章は、前後の文をつなげて、さらに当時の先生のご心境なども含めると、以下のように解釈できます。

当時、猊下(細井日達)の本心をご存知でいらっしゃった浅井先生は、猊下の御遺命違背は学会(池田)の圧力によるものと判断されました。そして元凶である学会だけを諫めるため、学会に対して、“猊下が仰せの「事の戒壇」と、学会が言う「事の戒壇」は意味が違う”ということを指摘されました。どう違うかというと、まず「猊下がたまたま仰せになられた『事の戒壇』」は、「『事の一念三千の御本尊在す』戒壇」であると。この会通ならば、御宝蔵も、奉安殿も、正本堂も、一応「事の戒壇」ということが言えます。次に学会が言う「事の戒壇」は、「宗門古来の『事相の戒壇』の意味」であると。そしてこの定義を用いて“正本堂”を「事の戒壇」というから御遺命違背なのだと。(一月三十日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎現在の宗門は、この紛らわしいところを利用し、戒壇の「事」・「義」と、法体の「事」・「理」の立て分けを、意図的に、わざとゴチャ混ぜにし、「戒壇の大御本尊まします所はいつでもどこでも『事の戒壇』であるという己義」を構えています。(一月三十一日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)


ブリトー石橋時代のこの論は、最初は書き間違いだろうと思っていた。一月三十一日にアップされて、ほぼ二ヶ月たったが文章はそのままである(三月三十日現在)、でこれは彼の本意とする文章だと判断して、ようやくその妄論を指摘する事にしました。(ちなみに後で修正しないように、ブログの魚拓は取ってあります)

当方の浅井氏の論理矛盾の指摘に対して、彼は自語相違ではないと、抗弁し、浅井氏が猊下の心中察せられてとか、勝手な事言ってますが彼の解釈は「トチロ~君に助言。反論を書くなら、文証を挙げたほうがいいですよ。今の反論のやり方では、我見を並べているだけと思われるでしょう。(二月三日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)」という彼の説のまま、ただの我見披露である。
しかも自分が説いた解釈がトンでもない論旨破綻、支離滅裂に気がつかない。この一月三十一日に書かれた上の文章と下の文章、浅井氏を擁護し、浅井氏の主張を補佐するものだと思っているだろうが、思いっきり師匠の脚を引っ張っている。彼の解釈した御遺命違背の各者の要点を以下に箇条書きにしました。

一番目:「猊下がたまたま仰せになられた『事の戒壇』」は、「『事の一念三千の御本尊在す』戒壇」であると。この会通ならば、御宝蔵も、奉安殿も、正本堂も、一応「事の戒壇」ということが言えます。

二番目:学会が言う「事の戒壇」は、「宗門古来の『事相の戒壇』の意味」であると。そしてこの定義を用いて“正本堂”を「事の戒壇」というから御遺命違背なのだと。

三番目:現在の宗門は(中略)「戒壇の大御本尊まします所はいつでもどこでも『事の戒壇』であるという己義」を構えています


こうして並べると分かりやすいですね。彼はこの件に関して些かも理解していない事がよく分かる。どういう事かというと「御宝蔵も、奉安殿も、正本堂も、一応「事の戒壇」ということが言えます。」と解釈するなら、三番目も同じ事である。己義でも何でもない。なぜかならば「戒壇の大御本尊まします所はいつでもどこでも『事の戒壇』である」=「『事の一念三千の御本尊在す』戒壇」だからである。コレを彼は己義だと、書いている。ならばその己義を肯定して達師の「この会通ならば」と肯定した浅井氏も己義容認者になってしまう。なぜかならばその義を以て学会を諌めたからだ。

そして二番目の学会の説を、学会が言う「事の戒壇」は、「宗門古来の『事相の戒壇』の意味」であると断定している。それが御遺命違背だと言うのだ。宗門古来の事相の戒壇=事の戒壇が学会説なら古来の定義のままではないか。「この定義を用いて“正本堂”を「事の戒壇」というから御遺命違背」なら宗門古来の定義が間違っている事になる。

ソレでいながら「浅井先生は、猊下の御遺命違背は学会(池田)の圧力によるものと判断されました」と始めに書いている。
これでは浅井氏の達師擁護は初めから達師は既に御遺命違背であり、本心を知るもナニも、浅井氏は御遺命違背している人に同心すると言うことは、先の己義容認と、既に達師が御遺命違背していたのに、浅井氏はそれも黙認で二重に謗法与同してたことになってしまいます。まったくおバカである。

さらに、浅井氏は学会の宗門古来の定義(学会が言う「事の戒壇」は、「宗門古来の『事相の戒壇』の意味」)を、「元凶である学会だけを諫めるため、学会に対して、“猊下が仰せの「事の戒壇」と、学会が言う「事の戒壇」は意味が違う”ということを指摘されました」と言うのであるが、御遺命違背している達師を擁護して、御遺命違背している学会を諌める浅井氏も初手から御遺命違背している達師に同心して己義容認者でいる訳だから、両者どころか三者同じ穴のムジナじゃないですか。ホント鳥アタマ君、真性のバカだね。

さらに矛盾は続く、キミの解釈なら学会は宗門古来の定義の事の戒壇説である。宗門も『事の一念三千の御本尊在す』戒壇」説である。コレを諌めて御遺命違背というのなら、浅井氏は己義容認者で有りながら、御遺命違背の達師を擁護し、更に宗門古来の定義を諌め、「戒壇の大御本尊まします所はいつでもどこでも『事の戒壇』であるという己義」を己義信奉者で有りながら、御遺命違背者と与同し、学会を指弾するという、黒色に黒色を塗る行為で全員真っ黒になる解釈論である。これが漫才の脚本家なら秀逸だが、信仰者ならサイテーだね。二月六日の自ブログで彼はこう書いた。

◎私は浅井先生の著書だけを頼りに破折を書いています。質問の答えは自分で探してください(笑)(二月六日の発言)

と、浅井氏の著書だけを頼りに書いていきます、と述べているが、その浅井氏の著書の文書を端折って解釈したのである。まさに重症の悩乱であります。彼はこのブログ記事で一番大事な浅井氏のキモのところを端折って、自分の解釈を書いて自爆・自滅したのだ。その箇所は自分で探したまえ。こんな事を知ったか、で論じているブリトー石橋氏(現ジェファーソン石橋)こと鳥アタマ君は論理とか法義とか無理である。
これで事の戒壇だ、義の戒壇だと一丁前にほざくのであるから、自分でもナニが破綻している事がわからんであろう。浅井氏の論を擁護しているようで、師匠の浅井氏の文章を端折るって、メガトン級の見事な脚の引っ張り方だ。自称顕正会員よ、しかと顕正会幹部の指導を心肝に染めなさい。

◎昭和三十八年十一月、教学部を研修部と改称したときに「余計なものを付け加えず大事なことを切り取らず、御書のままに学んで将来真に御奉公できる講中になっていこう」と御指導される。

◎「折伏理論書は、我々が読んで深意を理解などできるわけがない」(小峰理事)

◎「諫暁書も相手に向けてただ読むだけにし、一切の解釈を加えてはいけない」(同理事)




笑えるところがあると指摘して、大笑いされる鳥アタマ。

◎「六巻抄において、本門戒壇の大御本尊の在所が、理の戒壇、義の戒壇と明確におっしゃってる所があるのなら、探して見せなさい。紙の裏まで探してもそんなモノはない」私が以前、「笑えるところがある」と言ったのは、実はこの項目だったのです。(二月二十二日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎六巻抄において、「本門戒壇の大御本尊の在所が義の戒壇」と仰せられているところはバッチリございます。紙の裏まで探すなんていう器用なマネしなくても見つかります。(二月二十二日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎実は複数見つけたのですが、私は六巻抄の講義を受けていませんので、我見でアレコレ言うのは避けたいと思います。なのでここでは、浅井先生の解説がある一つだけに絞ります。(二月二十二日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎浅井先生が正しいことの証明ができたと同時に、「ガツン」側の反論の間違いも証明できました。結局「ガツン」側の反論というのはデタラメなのです。ハイ、というわけで、「六巻抄」の中には、「本門戒壇の大御本尊の在所が、理の戒壇、義の戒壇と明確におっしゃってる所」がちゃんとありました。(二月二十二日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

ブリトー石橋氏は二月二十二日のブログで、当方「ガツンと破す」の「六巻抄において、本門戒壇の大御本尊の在所が、理の戒壇、義の戒壇と明確におっしゃってる所があるのなら、探して見せなさい。紙の裏まで探してもそんなモノはない」に噛み付いてきた。

「私が以前、「笑えるところがある」と言ったのは、実はこの項目だったのです。(二月二十二日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)」と勢い込んで書いてきたが、全く笑えない反論となり、逆に浅井氏の詐欺論法を暴露される始末であった。この経過は山門入り口氏のブログにも途中経過として現在質問中として開示報告した。

◎ブリトー君の疑難:依義判文抄を騙る浅井氏の妄想論を引用して戒壇本尊当処が義の戒壇と論難。

詳細を以て戒壇の大御本尊当処=事の戒壇、日蓮が肉団の胸中、本尊所住の処=義の戒壇。を証明するも、あまりに高度で理解できないのか、沈黙中。(山門入り口・星界の道)

その後に二十二日、浅井氏の引証とした土俵の依義判文抄を無視、違う御抄から引文し、邪義破折班の正信会への破折分を引用するというなりふり構わぬルール無視の素人論法。これもあっさり寛尊の御抄の大意無視と、破折班の意図である破折背景・大意を無視した引用で、軽く切り文だと論破され逆ギレ、次に三月八日にも同じ手口で大白法からの引用をするも、根本的に引証と論証の立て方を知らない無知をさらけ出す有様。浅井氏擁護のつもりがドンドン浅井氏の詐欺論法を証明して木っ端微塵。以下はその屁理屈の文言であります

◎この文証の解釈は、あえて“青年僧侶邪義破折班”のサイトから引用します。これなら反論できないでしょ。

「血脈相承の証拠」(二月二十二日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎「日蓮大聖人の御当体は即本門戒壇の大御本尊」」の件だが、“邪義破折班”のサイトの論旨がどうであろうと、「当流行事抄」の御文の“意”は変わらない、つまり「ガツン」側の反論は、全く反論になっていないのだ。今度も行き詰ってヘリクツこねてるだけね。

大白法・平成9年5月16日刊(第478号より転載)教学用語解説(27)」から引用。
また『御義口伝』に、 「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」(三月八日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

キミは殊勝にも「私は六巻抄の講義を受けていませんので、我見でアレコレ言うのは避けたいと思います。なのでここでは、浅井先生の解説がある一つだけに絞ります。(二月二十二日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)なんて書いてたが、最終的に師匠の論証しようとした土俵も越えて、我見披露のオンパレードになっているね。

御遺命破壊に長広舌で、アタマが破壊。

◎猊下は一度も正本堂を御遺命の戒壇とは仰せられていないにもかかわらず、2年前には、自ら「御遺命である正法広布・事の戒壇建立は、……その実現の大光明を顕わさんとしている」と述べていたわけですから、教学部長は、猊下の仰せに従わない不届き者ですな。(一月三十一日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎「委員会が開かれるにあたって…」という文章は、昭和四十年二月十六日の第一回正本堂建設委員会における、細井日達の説法です。学会はこの曖昧な説法を悪用して、本格的に正本堂の誑惑を始めたのです。法華講員は、いまだにこんな曖昧な説法を有り難がっているんですね。(一月三十一日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎「正本堂は、一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含む…」ということですから、細井日達は学会の圧力に屈し、正本堂は御遺命の戒壇だとほとんど認めてしまったようなものです。(一月三十日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎正本堂について『須弥檀の形にする』」と述べた、例の曖昧な説法のことです。この説法が、本格的な正本堂の誑惑スタートのきっかけなのです。(一月三十一日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎当時、猊下(細井日達)の本心をご存知でいらっしゃった浅井先生は、猊下の御遺命違背は学会(池田)の圧力によるものと判断されました。そして元凶である学会だけを諫めるため、学会に対して、“猊下が仰せの「事の戒壇」と、学会が言う「事の戒壇」は意味が違う”ということを指摘されました。どう違うかというと、まず「猊下がたまたま仰せになられた『事の戒壇』」は、「『事の一念三千の御本尊在す』戒壇」であると。この会通ならば、御宝蔵も、奉安殿も、正本堂も、一応「事の戒壇」ということが言えます。次に学会が言う「事の戒壇」は、「宗門古来の『事相の戒壇』の意味」であると。そしてこの定義を用いて“正本堂”を「事の戒壇」というから御遺命違背なのだと。(一月三十一日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

上記は全て一月三十一日の1回分のブログ記事の内容です。ブリトー石橋氏って相変わらず、グダグダですけど、コレによりますと正本堂の誑惑ってどう始まったんでしょうね。すこし、箇条書きにしてみましょう。

◎学会はこの曖昧な説法を悪用して、本格的に正本堂の誑惑を始めたのです。
◎この説法が、本格的な正本堂の誑惑スタートのきっかけなのです。
◎細井日達は学会の圧力に屈し、正本堂は御遺命の戒壇だとほとんど認めてしまったようなものです。
◎浅井先生は、猊下の御遺命違背は学会(池田)の圧力によるものと判断されました

正本堂の誑惑というのは、学会が始めた事になっていたり、説法からスタートになっていたり、猊下の違背は圧力になっていたり、御遺命の戒壇だと殆ど認めた事になっていたり、殆どってなんですかね。90%くらいなんでしょうか?それでいながら一月三十一日の同日の文章ではこんな事書いてます。

◎“妙信講が正本堂の供養に参加した当時は、細井日達は一言も正本堂を御遺命の『事の戒壇』などとは言わず、もっぱら戒壇の大御本尊を安置し奉る建物であることだけを強調”していたことがわかります。(一月三十一日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎妙信講員(いや、正宗僧俗)にとって、御遺命の戒壇とは“広宣流布の暁”に建立されることは常識なのですから、当時この猊下の説法を聞いても、誰も正本堂を“御遺命の事の戒壇”とは思わなかったでしょう。(三月十五日デレク石橋氏:自ブログ発言)


三月十五日にも正本堂が御遺命の事の戒壇を否定する発言したり、ブリトー君って文章構成力は全く無いですが、文章検証能力もない事がまるわかりですね。


◎「ガツン」の編集者は、どうしても“本門戒壇の大御本尊まします所は常に事の戒壇”と言いたいようですが、そもそもこれは、正本堂を無理矢理“事の戒壇”と偽るために始まった説です。一体いつまで引きずってるつもりでしょうか?(二月十七日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎「正本堂建設御供養趣意書」は、当然、浅井先生は御覧になっていたでしょう。(中略) この『正本堂建立は実質的な戒壇建立であり、広宣流布の達成である』という文章は、「正本堂建設御供養趣意書」と同じですね。つまり先生は「正本堂建設御供養趣意書」を御覧になっていたことは間違いないでしょう。(三月十五日デレク石橋氏:自ブログ発言)

◎正本堂が、“御遺命の事の戒壇”でないのなら、それは“戒壇の大御本尊を厳護し奉る大御宝蔵としての堂宇”以外の何物でもありません。当然、「妙信講も御供養に参加しましょう」ということになります。(三月十五日デレク石橋氏:自ブログ発言)

◎終わったのは「学会と宗門がグルになって推進した正本堂の誑惑」。御遺命破壊は、正本堂を御遺命の戒壇と偽ったことから始まったわけで、誑惑の正本堂が崩壊すれば一件落着。終わってないのは「宗門が未だに御遺命違背のなごりをズルズル引きずり正義に目覚めていないこと」。(三月十五日デレク石橋氏:自ブログ発言)

しかし、ココでも論理破綻ですね。御遺命完結したのが平成十年四月十日なら、それから十余年立っているに、キミ一体ナニしているの?今は平成二十四年だよ、ずっと御遺命違背って書き続けて、君自身が完結したって言っているのに、御遺命違背完結の違背をしているわけだ。「先生は「正本堂建設御供養趣意書」を御覧になっていたことは間違いないでしょう。(三月十五日デレク石橋氏:自ブログ発言)」って大胆な発言しているけど、知っていてやったならやはり、謗施確定だね。ここでも、正本堂の彼の定義は迷走状態。

◎そもそもこれは、正本堂を無理矢理“事の戒壇”と偽るために始まった説です。(二月十七日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎『正本堂建立は実質的な戒壇建立であり、広宣流布の達成である』という文章は、「正本堂建設御供養趣意書」と同じですね。(三月十五日デレク石橋氏:自ブログ発言)

◎御遺命破壊は、正本堂を御遺命の戒壇と偽ったことから始まったわけ(三月十五日デレク石橋氏:自ブログ発言)

要するに謗施確定した正本堂に浅井氏はじめ妙信講は御供養をして、それが偽りの御遺命違背の事の戒壇だったわけだ。それが平成十年に終わったんだ。なんだ自分たちで始めて、終了って訳分からんね。さすが鳥アタマ君、迷走論文だねぇ。

正本堂定義について、キレる頭で、回線キレる

◎一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含んでいるのなら、当然「時を待つべきのみ」を守らなければいけないと思うのですが、待ちきれずに建ててしまったのですね。子供みたいですね。(一月三十一日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎正本堂が“猶(なお)未だ三大秘法抄・一期弘法抄の戒壇の完結ではない”のであれば、その意義は、国立戒壇建立まで戒壇の大御本尊を秘蔵厳護し奉る堂宇ということになります。ですから浅井先生は、上記のように「正本堂は立派に完成いたしました……」という講演をされたわけです。何もおかしな点はありません。

◎“妙信講が正本堂の供養に参加した当時は、細井日達は一言も正本堂を御遺命の『事の戒壇』などとは言わず、もっぱら戒壇の大御本尊を安置し奉る建物であることだけを強調”していたことがわかります。(一月三十一日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎正本堂について『須弥檀の形にする』」と述べた、例の曖昧な説法のことです。この説法が、本格的な正本堂の誑惑スタートのきっかけなのです。(一月三十一日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎学会の意見に賛同して「正本堂は御遺命の戒壇です」と言ったかもしれません。(一月三十一日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎妙信講員(いや、正宗僧俗)にとって、御遺命の戒壇とは“広宣流布の暁”に建立されることは常識なのですから、当時この猊下の説法を聞いても、誰も正本堂を“御遺命の事の戒壇”とは思わなかったでしょう。(三月十五日デレク石橋氏:自ブログ発言)

◎正本堂が、“御遺命の事の戒壇”でないのなら、それは“戒壇の大御本尊を厳護し奉る大御宝蔵としての堂宇”以外の何物でもありません。当然、「妙信講も御供養に参加しましょう」ということになります。(三月十五日デレク石橋氏:自ブログ発言)

この正本堂定義のブロックの彼の迷走はちょっと芸術的ですよ。これも横一列の文章で書くと彼のダイナミズムが損なわれてしまいますので、箇条書きにしてその迷走ぶりをたっぷりと堪能しましょう。まず、一月三十一日のこれまた一日の発言でコレだけ真逆文章はフツーのヒトじゃ書けませんよ。

◎「時を待つべきのみ」を守らなければいけないと思うのですが、待ちきれずに建ててしまったのですね。(一月三十一日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎その意義は、国立戒壇建立まで戒壇の大御本尊を秘蔵厳護し奉る堂宇(同日)

◎細井日達は一言も正本堂を御遺命の『事の戒壇』などとは言わず、もっぱら戒壇の大御本尊を安置し奉る建物(同日)

◎例の曖昧な説法のことです。この説法が、本格的な正本堂の誑惑スタート(同日)

◎学会の意見に賛同して「正本堂は御遺命の戒壇です」と言ったかもしれません。(同日)


ココで一旦、切りましょう。ご覧下さい。この人はこの一連文章で、なにが言いたかったのでしょうか?拙速な戒壇建立を笑うかと思えば、ソレは唯の建物といい、達師は一言も事の戒壇と言わず、と言いながら曖昧な説法で誑惑がスタートし、学会に賛同して御遺命の戒壇だと言ったかも知れない。と見解を披露してます。一日でコレだけの迷走ですから、一ヶ月以上経過すると振幅はもっと大きくなるのは当然ですね。

◎当時この猊下の説法を聞いても、誰も正本堂を“御遺命の事の戒壇”とは思わなかったでしょう。(三月十五日)

◎正本堂が、“御遺命の事の戒壇”でないのなら、それは“戒壇の大御本尊を厳護し奉る大御宝蔵としての堂宇”以外の何物でもありません(三月十五日)

◎当然、「妙信講も御供養に参加しましょう」ということになります。(三月十五日)

誰も正本堂を“御遺命の事の戒壇”とは思わなかったのなら、いったい妙信講の御遺命破壊指弾の騒動はなんだったんですか。成立しなくなりますね。アチラを擁護すればコチラの自論が破綻する、就中、鳥アタマ君はガツンの各文章を切り文だと言ってるんですが、こういう根底から自説をひっくり返す文章を書けるとは、なかなかの逸材ですね。しかも、下の文章をご覧下さい

◎それにしても、せっかく事の戒壇の定義を変更して建てた「広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂」の正本堂は、なぜ破壊されたのでしょうか?ナゾですね。ぜひ納得できる説明をお願いしたい。(二月十七日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎私が一番理解できないことは、「広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂」という大事な建物を壊してしまったことです。(一月三十日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

二月十七日では「事の戒壇の定義を変更して建てた」と書き、三月十五日では「御遺命の事の戒壇とは思わなかった」と書く。
しかも一月の三十一日では「広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂」と宗門見解を認めているのですから、鳥アタマ君はガツンの各文章を切り文だ、切り文だと言う前に、ご自分の頭の中の統合回線が、キれてしまっている事を知りましょうね。

鳥アタマ君、正本堂の建立意義だの、破壊の事なんて自分が御供養に参加もしていなかったし、入信もしてないのに、権利者のような大きな誤解しないで、キミに何の関係もない事なんだから、十分に静養して一年後くらいにご自分の文章見直してみて下さい。フツーのヒトじゃ書けないですよぉ。一連のハチャメチャ論は。

切り文だらけだ!が自爆例

◎それに切り文だらけの“破折資料もどき”を公表することは、「宗門・法華講はインチキだ」というイメージを顕正会員に植えつけることになり、また、自ら宗門・法華講の評価を下げる結果になります。さらに言うならば、猊下の顔に泥を塗る行為ともいえましょう。そのへんよく考えて行動すべきではありませんか。
まあ、私は現在の猊下の顔に泥を塗っても構わないですが。(二月六日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎「顕正会をガツンと破す」には、なぜあんなにたくさんの切り文が使われているのかということだ。
宗門・法華講の主張が正しいと言い切れるのなら、切り文などという姑息な手段に頼らずに顕正会の破折ができるはずではないか?この件について、ぜひ明確な答えが欲しい。(二月一日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎彼らはこうやって、顕正会員の知らない御文をズラリと並べて、ただ威嚇しているだけなのです。
ここでひるんではいけません。「ガツン」の戦略は基本的に切り文なのだから。(二月十一日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎わざわざ論点をぼかし、遠まわしで長ったらしい破折文をクドクドと書き連ね、話を切り文から遠ざけようとしています。
結局切り文の否定はできないんでしょ?言い訳はやめて、素直に切り文を認めたらいかがですか。二月十七日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎この質問、私が答えようと答えまいと、“「ガツン」が切り文だらけのインチキ破折資料である”という事実には全く影響しません。
逆に答えたことで、さらに切り文の「証明」に念を押してしまった感じです。他の質問においても然り。
私が解答できなかったとしても“「ガツン」が切り文だらけのインチキ破折資料である”ことは否定できないのです。
(二月十一日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

鳥アタマ君、こんだけ切り文だと、豪語しているのでこの間ガツンをどれ位精査してくれたか調べたら、なんとまだ三分の一も検証してないみたい。
国立戒壇義の「ちょっと哀しい裏事情」とかは触っていないし、正本堂定義問題の、建立御供養など、つまみ食い程度。
正本堂定義問題の破折−2の所など、不敬の御開扉や顛末記などノータッチ。
更には都合の悪いウソ、資料お笑い編ー妄言記録、伏せ字だらけの機関誌、霊言集。迷走編の講中解散のウソホント、血脈相承のウソホントや破門までのデータ、手に余るとみたのか、自分の手持ちの資料が及ばないのか。全部無視。
これで当方を切り文だと決めつけるから、タチ悪いと言うよりもチンピラの言いがかりみたいなモン。で、ありながら下記の様な事言いますから、今日はこれくらいにしといやる、のホント池野メダカですね。

◎「私に初代「ガツン」のインチキっぷりを暴露されて「Ver.2」を作る必要に迫られたのなら、私は“やるべきことをキッチリやった”ってことですな。
エッヘン♪こう書くと「ガツン」編集者は当然「んなわけねーだろ」と否定するでしょうが、もし私が「ガツン」の破折を書かなかったら「Ver.2」が登場したかどうか、はなはだ疑問ですよ。(三月二十三日デレク石橋氏:自ブログ発言)

鳥アタマ君の切り文疑難、当方からの反論に、何にも反証できず、当方はずっとお待ちしているのですが、シカトして蒸し返しばかり。それでやるべき事はキッチリやった、ってどんだけポジティブなんだ。

◎「顕正会をガツンと破す」をガツンと破すに反論”は、それなりに資料に基づき、もっともらしい言葉を連ねていますが、それだけのことを書く能力があるのなら、何故、最初からまともな破折資料を作らなかったでしょうか?
切り文だらけの“破折資料もどき”など、作る必要はなかったのではないか、と私は思うのです。(二月六日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

と、いいながら二月六日には当方の文証が切り文では無かった事が、二件確認でき、しかも鳥アタマ君はしぶしぶ言い訳したのでした。にも関わらずに往生際の悪い、切り文資料だと再宣言。まぁ、それしか涙目で言う他に言い返し出来なかったもんな。

◎当初「ガツン」は、真面目に作られた破折資料だろうと思い、こちらも真面目に破折に挑みました。
しかし始めてみたら、切り文だらけのインチキ資料だということが判明したので、結局インチキをあばくことを目的にし、法華講員のズルさを白日の下にさらしていこう思っております。(二月十一日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

えっ!真面目に破折に挑みましたって、初めの思い込み文章だけじゃん。あれ以降、グダグダで何一つ論証できなかったし、言えば云うほどブーメランで、三月三十一日には見事な撤退宣言。ドンだけ積み残ししていると思う。
なのに当方を悪口ばかりだと、非難してたね。相手の力量読み間違えて乱入して、フルボッコにされた鳥アタマ君。コチラのズルさを曝く事を目的に、って書いてるけど、キミがブログ記事をアップする度に、キミのズルさが目立つだけだったよ。

自発言についての自語相違

◎私が聞きたいのはトチロ~君の感想ではなく、「顕正会をガツンと破す」には、なぜあんなにたくさんの切り文が使われているのかということだ。宗門・法華講の主張が正しいと言い切れるのなら、切り文などという姑息な手段に頼らずに顕正会の破折ができるはずではないか?この件について、ぜひ明確な答えが欲しい。(二月一日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎このように、書いた本人が、学会の正本堂の誑惑を助けるために「言い過ぎ」「はみ出し」ともいえることを書いたのだと認めています。こういう、いい加減な“書”を、いまだに金科玉条のごとく有り難がるトチロ~君の心理が理解できません。(二月三日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

しかし、ヒトに対してキミはかなり厳しい人間だね。自分の事は文章も著述態度もアレだけ乱脈なのによく言いますね。切り文疑惑の当方からの反証に一つとして答えられないのに
「切り文などという姑息な手段に頼らずに顕正会の破折ができるはずではないか?この件について、ぜひ明確な答えが欲しい。」なんて言ってるね。

明確な答えが欲しいのはこっちだよ。反論もせずに同じ事を蒸し返しばかりって、恥ずかしくない?さらに

「こういう、いい加減な“書”を、いまだに金科玉条のごとく有り難がる」ってまんま反論できない、しかも検証したとおりのグダグダ論旨でいい加減なキミのブログなのに、閉鎖もせずにハンドルネームとタイトル変え続けてるじゃない。

広宣流布についての自爆例

◎そして、国家が根本の指導原理として三大秘法を受持擁護するその具体的発動が、国立戒壇の建立である。ゆえに、国教だからこそ国立戒壇が必要なのである。現憲法に気兼ねして「国教」を禁句のごとく扱う必要はない(一月六日・バーズ博士:自ブログ発言)

◎大聖人様の御化導の目的は、仏国の実現です。
仏国を実現するために必要なのは、破邪・立正です。破邪と立正があって初めて安国、つまり仏国が実現されるのです。日本の三分の一が入信しただけで、破邪はなしえるでしょうか?邪教が充満する中で、正本堂のようなニセ戒壇を建てて、はたして国は安んずるでしょうか?

「国民投票による多数決」の場合、こういうやり方で多数決を採ればいいと思います。(断っておきますが、これはあくまでも私の予想です)(一月二十二日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

断らなくても、キミの我見と言うくらい分かるよ。破邪って書いてあるけど、コチラの論証に答えられないヤツが、破邪ってナニよ。

◎六千万が関所であることは「ガツン」編集者もわかっているはずです。わかっているから、「ガツン」の中では一切“関所”という言葉は出しません。いつものように都合の悪いことは隠すわけです。Ver.2になっても何もかわらない。相変わらずやることがせこいね。(三月二十三日デレク石橋氏:自ブログ発言)

◎「六千万」や「国民投票」にケチをつけています。また、顕正会の言う“六千万”は、“舎衛の三億”と同じだとも言いたいらしい。(三月二十三日デレク石橋氏:自ブログ発言)

だから、六千万の根拠はナニって?聞いているのにキミはシカトしてるんじゃない。

◎ “日本国中の全ての邪教を排除し、日蓮大聖人の仏法をこの国の国境とすることに賛成か、反対か?”

これが賛成多数で決まれば、国家を動かし憲法改正もできるでしょうし、そうなれば、勅宣・御教書に相当する形の国家意志の表明によって国立戒壇も実現します。今の宗門は、どうしても現憲法の下で御遺命の戒壇を建てようとしています。だから国主立戒壇などというおかしなこと言わざるを得ないのでしょう。(一月二十二日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

キミに言っておこう、世間は邪宗ってナニから始まるからね。それにキミ達、本家から破門されているのが分かったら、誰も賛成しないよ。夢みたいな事言ってるんじゃないよ。

どれがホント?場当たり理論炸裂

★御遺命違背の戒壇、正本堂と主張

◎「正本堂について『須弥檀の形にする』」と述べた、例の曖昧な説法のことです。 この説法が、本格的な正本堂の誑惑スタートのきっかけなのです。(一月三十一日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎「時を待つべきのみ」を守らなければいけないと思うのですが、待ちきれずに建ててしまったのですね。(一月三十一日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎「ガツン」の編集者は、どうしても“本門戒壇の大御本尊まします所は常に事の戒壇”と言いたいようですが、そもそもこれは、正本堂を無理矢理“事の戒壇”と偽るために始まった説です。一体いつまで引きずってるつもりでしょうか?(二月十七日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎「正本堂は、一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含む…」ということですから、細井日達は学会の圧力に屈し、正本堂は御遺命の戒壇だとほとんど認めてしまったようなものです。。(一月三十一日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎当時、猊下(細井日達)の本心をご存知でいらっしゃった浅井先生は、猊下の御遺命違背は学会(池田)の圧力によるものと判断されました。(一月三十日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎細井日達は、本門戒壇の大御本尊が「事の一念三千の法体」であるが故に、乱暴にも、その在(ましま)すところを全部「事の戒壇」と称したわけです。一見正しいように見える理屈ですが、実は伝統法義からはズレているのです。(一月三十一日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎この項目で「ガツン」側の言いたいことは、顕正会(当時・妙信講)は、この「正本堂建設御供養趣意書」を読んで納得した上で正本堂の供養に参加しておきながら、後になって「御遺命違背」などと言うのはおかしいではないか、ということのようです。(三月十五日デレク石橋氏:自ブログ発言)

◎この文章だけ見ると、“猊下(細井日達)は一言も正本堂を御遺命の「事の戒壇」とは言ってない”ように思えてしまいます。(一月三十一日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎それにしても、せっかく事の戒壇の定義を変更して建てた「広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂」の正本堂は、なぜ破壊されたのでしょうか?ナゾですね。ぜひ納得できる説明をお願いしたい。(二月十七日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎終わったのは「学会と宗門がグルになって推進した正本堂の誑惑」。御遺命破壊は、正本堂を御遺命の戒壇と偽ったことから始まったわけで、」(三月十五日デレク石橋氏:自ブログ発言)

★正本堂は、曖昧な定義の戒壇だったと主張

◎この説法は、“矛盾して支離滅裂”であるが故(ゆえ)に、正本堂が「御遺命の戒壇」であるともないともどっちとも受け取れてしまうという曖昧(あいまい)なものでした。 (一月三十一日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎「正本堂に就き池田会長に糺し訴う」という諫暁書は、猊下の立場を守りつつ、誑惑の元凶である学会(池田)を諫めるのが目的ですから、浅井先生は、ここではあえて、第一回正本堂建設委員会の曖昧な説法を、「正本堂は事の戒壇」とか「御遺命達成」とか、そういう意味ではありませんと会通されたのです。(一月三十一日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

★正本堂は戒壇の大御本尊を秘蔵厳護し奉る堂宇だったと主張(御遺命の戒壇では無かった)

◎妙信講員(いや、正宗僧俗)にとって、御遺命の戒壇とは“広宣流布の暁”に建立されることは常識なのですから、当時この猊下の説法を聞いても、誰も正本堂を“御遺命の事の戒壇”とは思わなかったでしょう。(三月十五日デレク石橋氏:自ブログ発言)

◎正本堂が“猶(なお)未だ三大秘法抄・一期弘法抄の戒壇の完結ではない”のであれば、その意義は、国立戒壇建立まで戒壇の大御本尊を秘蔵厳護し奉る堂宇ということになります。ですから浅井先生は、上記のように「正本堂は立派に完成いたしました……」という講演をされたわけです。何もおかしな点はありません。(三月二十三日デレク石橋氏:自ブログ発言)

◎改めて“第一回正本堂建設委員会”における猊下の曖昧な説法を分析してみましょう。(中略)この時点ではまだ、猊下は「戒壇の大御本尊まします処は、いつでもどこでも“事の戒壇”」などとは一言も仰せられていないのです。(三月十五日デレク石橋氏:自ブログ発言)

◎正本堂が、“御遺命の事の戒壇”でないのなら、それは“戒壇の大御本尊を厳護し奉る大御宝蔵としての堂宇”以外の何物でもありません。(三月十五日デレク石橋氏:自ブログ発言)

◎前後の文をつなげて読めば、“妙信講が正本堂の供養に参加した当時は、細井日達は一言も正本堂を御遺命の『事の戒壇』などとは言わず、もっぱら戒壇の大御本尊を安置し奉る建物であることだけを強調”していたことがわかります。(一月三十一日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎池田が何と云おうとも猊下を信じ、正本堂が戒壇の大御本尊を厳護し奉る大御宝蔵としての堂宇であるならば、御供養の誠を捧げねば申し訳ない。(三月十五日デレク石橋氏:自ブログ発言)

よくもまぁ、たった二ヶ月でコレだけ主張がコロコロ変えられるモンですね。コレで当方を切り文だとか言うんですから、始末に負えませんね。
ナニを食べたらこんな発想になるんでしょうか?浅井サンは主張を変更するのに、少なくとも何十年かを必要としましたが、キミは師匠を超えて二ヶ月で走り抜けたんだね。大したモンだ。

何様?高飛車の自爆例

◎「ガツン」の破折には最初から“勝ち負け”は関係ないので、誰かみたいに一方的に勝利を宣言するようなことはしませんが、私としては、それなりの満足感・達成感はあります。(三月二十三日デレク石橋氏:自ブログ発言)

◎もう一回、私の書いた破折の全文を掲載した上で、その内容ひとつひとつについてのキチンとした反論をやり直したまえ!(三月二十二日デレク石橋氏:自ブログ発言)

◎チームで作った「ガツン」より、個人的に書いたセロリさんの破折のほうが良く出来ていて難易度も高いのですから、「ガツン」編集者諸君は恥ずかしいと思いなさい!!!(三月二十三日デレク石橋氏:自ブログ発言)

◎トチロ~君に助言。反論を書くなら、文証を挙げたほうがいいですよ。今の反論のやり方では、我見を並べているだけと思われるでしょう。(二月三日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

さすがバーチャルの住人、前世は阿闍世王気分なんだ。上から目線でセロリさんの論文やコチラの論を評論裁定してますが、自分の駄文のレベルは除外なんだ。

得意技、責任転嫁の自爆例

◎この項目で「ガツン」側の言いたいことは、顕正会(当時・妙信講)は、この「正本堂建設御供養趣意書」を読んで納得した上で正本堂の供養に参加しておきながら、後になって「御遺命違背」などと言うのはおかしいではないか、ということのようです。しかし「ガツン」側は顕正会の書籍を読んでいるはずですから、なぜ供養に参加したかを当然知っているわけです。
知っていて、わざとこういう意地悪なこと言っているのです。(三月十五日デレク石橋氏:自ブログ発言)

次の自爆例は二月五日の当方の反証と質問に答えるように問うたものだが、かれはこの二問に対して責任転嫁のワザを発揮してくれた。★印は当方の質問文である。
★「もし浅井先生の諫めがなければ、細井日達には、この“正論”は言えなかったでしょう。(二月一日・貴ブログ発言)」この証明を求めます。
★同じく「「細井日達はこの“正論”は言えなかったでしょう。いや、言えないどころか、逆に学会の意見に賛同して「正本堂は御遺命の戒壇です」と言ったかもしれません。」という達師が発言されるという証明を求めます。


◎なぜこのように推測したかと申しますと、私は「正本堂の誑惑を破し懺悔精算を求む」の現物を持っていますから、「ガツン」で引用された文章の、“前後の文章”を知っています。
ですから、「ガツン」で引用された文章と、その“前後の文章”をつなげて、“文章全体を通して読んで得られた根拠”に基づいて、そのように推測したわけです。
わかりましたか?

細井日達の当時の状況を推測する上で必要十分な“根拠”が、「正本堂の誑惑を破し…」の中にあると私は確信しています。証明(証拠)を求めるといいますが、証明(証拠)は切り文の張本人である入り口君たちが一番よく知ってるはずでしょ。
「正本堂の誑惑を破し…」の中に証明(証拠)があることを知っていて、公表するのは都合が悪いと判断したから切り文にしたり隠したりしたわけでしょ。(二月十一日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

推測とか、確信とか。キミの感想じゃないか。キミはトチローさんや私には感想は無用って弾劾して、自分は使えるんだ。キミの推測と推理とかジョーカーカードみたいなモンだね。フツーは手に一枚とかだけど、キミの場合は無限使用権ついているんだね。
それによく知っているでしょ、ってコッチに答え求められても、質の悪い詐欺師みたいな手口だよ。さすが、浅井の弟子。責任回避は一流だ。

教訓しといて、見事な自爆例

◎学会と一緒に御遺命に背いた当時の“信徒をだましたウソの説法”などが記録としてたくさん残っている以上、いまさらアレは間違いでしたと言い出せないのが本音でしょう。簡単に言えば、宗門のえらいお坊さん方は、素直にゴメンナサイが言えないのですね。これは信心以前の、人間性の問題です。(一月三十日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

ココを書いてて、目が悪くなったなぁ。今更アレは間違いでしたって、とか素直にゴメンナサイが言えないのですね、とか信心以前の、人間性の問題です。とかって読めるなぁ。そんな事無いよなぁ。アレだけ切り文とかヨタ記事書いてて、反論もしないで、開き直っているヒトだもんな。違うよなぁ・・・。眼科行ってこよう。

◎これは彼が「戦略のひとつとして切り文を使った」と白状したと受けとれますよ。こりゃマズイでしょ(笑)、 実世界で有効なら切り文でも何でも利用するということですか?いくら有効でも、インチキはダメですよ、インチキは。(二月十一日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

まだ文字がおかしいなぁ?インチキはダメですよ、インチキは。って読めるなぁ。そんなこと言える論者じゃないのに、違うよな。気のせいだな、きっと。

◎しかし浅井先生は、決してごっちゃ混ぜにしていませんし、迷ってもいません。実は「ガツン」の編集者は、この項目でも切り文(一部分を隠す)を使って、教義がイマイチ理解できていない顕正会員を騙(だま)そうとしているのです。これも戦略ですか?(二月十一日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

そうだそうだ、迷っているのは鳥アタマ君だけだ。あんな世迷い言、なかなか書けないぞ。フツーは論旨一貫だが、キミの場合は一日の文章で初めと中間とお終いは、全部違う論旨で書けるヒトだから。いや貴重です。

◎この資料を編集した人物のアタマがいかに悪いかがわかるというものです。(一月二十二日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎「ふっふっふ、どうだ、まいったか。ザクとは違うのだよ、ザクとは!」(二月六日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎私は単に破折を書くのではなく、ユーモアも追求しているのだ。ブログのタイトルの下にもその旨が書いてあるだろ。しっかり読め!(二月二十七日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

アレだけヨタ記事書いてて頭がいいと思ってたんだ。しかもガンダムネタ触れたら格好いいみたいな・・・古っ。ユーモアとか・・書いてて、マジギレしてるよね。全然ユーモア解してないじゃん。

◎山門入り口、ダメ人間っぷりをさらけ出して云く(二月十七日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎問題はその下の「ウサギ云々」の記述だ。これが全く笑えないのだよ。
山門入り口よ、悪口が言いたいなら、私個人に対して言え。私と私の奥さんが大切に育てているペットに対し、卑猥(ひわい)な表現を用いて悪口を言うとはどういうことか?お前は完全に狂っているぞ。(二月十七日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎「知られて困ること堂々とブログに書くバカがいますか(笑)
うさぎちゃんの件は、知られて困ることじゃないのかな?・・・(笑)」

全く困らない。困る理由が見当たらない。(三月二十三日デレク石橋氏:自ブログ発言)

押尾語録って言うのが流行ったけど、この人小粒なソレですね。ウサギネタは我々の間では随分有名なネタで、疲れてきたらよくギャグにしてました。
しかし、どうしても理解できないのは、私と私の奥さんが大切に育てているペット=ウサギ=卑猥。う〜む、フツーの人は全然結びつかないですけど・・。

ひょっとして、ウサギプレイとか微妙なプレイがあるのかなぁ?知られて困る理由が見当たらないとか書いているから、きっとオープンなプレイなんだろな。まぁどちらにして普通の感覚じゃないんでしょうね。


◎さっきの障害者の件もそうだが、お前の悪口はどんどんエスカレートして完全に一線を超えてしまっている。
お前は人としてのマナーやモラルについて、基本から勉強し直す必要がある。(二月十七日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎外野から「救うとういう志がない」「子供のケンカ」等の批判をされますからね。お互いに成長しましょう(三月十五日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

時々この人、我々が共有する言語世界から、違う世界にイっちゃてるみたいな時ありますね。ウサギの件もそうですが、なんで障害者とかに結びつくんでしょうか?
それにアレだけ時間をかけて誤字脱字に注意して、記事書いてるって書いてたのに・・・・。

「救うとういう志がない」ってナンだろう?救うとういう、ってどこの言葉だろう?方言?あっちの言語?・・・理解不能ゾーン持っているヒトは強いわ。

勝負じゃない、言いながら自爆

◎例えば、“「ガツンと破す」をガツンと破す”を書く時、前置きとして、「私も万能というワケではありませんので、100パーセント破折とはいかないかもしれません」と先回りして逃げ道を作ってますから。(二月六日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎君達は相変わらず、私の破折の打ち消しに必死なんだね。別にこちらは「回答不能」という扱いでも構わない。大事なことは、読者が私の破折を信じるか、それとも君達のヘリクツを信じるかなのだ。(三月八日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎そうだよ。場合によっては勇気ある撤退も必要だ。だから先に逃げ道を作ったのだよ。それがなにか?(二月十七日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎「ガツン」の破折には最初から“勝ち負け”は関係ないので、誰かみたいに一方的に勝利を宣言するようなことはしませんが、私としては、それなりの満足感・達成感はあります。(三月二十三日デレク石橋氏:自ブログ発言)

なんだか鳥アタマ君、白旗上げながら殊勝な事書いて、ほとんど負け確定して言い訳して居るみたいな文章でしょ、でも違うんだな。ホント、コレでコッチが後ろ見せたらバッサリですからね。その例は以下です。

◎ここから先は気楽に読んでください。

「ガツン」側が、私の書いた「『広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂』の『正本堂』なぜ壊したのか」という疑問に答えてくれました。
これを楽しみに待っていたのだ。

正本堂破壊について当方が軽く答えた記事に彼は納得しなかったようである。こちらもそんなに真剣に書かなかったし、むしろ顕正会の平成十年の御遺命完結についてのコメントを期待していた。
気楽にという、彼の二月二十二日のこの件のコメント締めは以下の言葉だった。


なんだかぜんぜん納得できる答えではなかった。以上です。(二月二十二日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

この件、当方への御遺命完結の答えもないので、間に一週間うっちゃって置いたら突然、三月八日に以下のコメントである。

◎ちなみに正本堂が壊れた(を壊した)件についての反論は無いね。つまり異論は無いということだね。(三月八日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

おいおい、死んだふりして虎視眈々ナンだから、勝ちにドンだけこだわっているんだ、まったく油断も隙もありゃしない。しかし当方が書いた御遺命完結への返答はしっかり未だに無視し続けている。

石橋式自己チュー理論、全開。

◎トチロ~君に助言。反論を書くなら、文証を挙げたほうがいいですよ。今の反論のやり方では、我見を並べているだけと思われるでしょう。(二月三日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎具体的に列挙してみますと――
1…私の意見です。
2…見方でありましょう。
3…いなかったのでしょう。
4…とらえております。
5…だったようです。
6…だったのでしょう。
7…なのでしょう。
8…思います。(これは3回もある)

これらの表現は、紛れもなく“トチロ~君の感想”だね(笑)私は君の感想なんか聞いてないぞ!(二月三日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎切り文だらけの“破折資料もどき”など、作る必要はなかったのではないか、と私は思うのです。(二月六日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

サイコーですね。ヒトには「思います・・」私はキミの感想なんて聞いてないぞ!ってダメ出しして、自分は「私は思うのです」ってナニよ。チョ〜いいかげん。トチローさん、きっとこの記事読んで、椅子からズッコけたんだろな。ま、一事が万事この調子ですから、しょうがないね、自己チューですから。

◎「言えなかったでしょう」も「言ったかもしれません」も、あくまでも私の推測です。「推測」という言葉の意味は理解できますよね?大丈夫ですよね?「推測」が理解できましたら、以下の文章を頭の中でよく整理しながら読んでください。(二月十一日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎前回は“推量”だったのに、今回はなぜ“推測”を使ったのかというご質問。 答えは簡単。前回は、浅井先生の「ずさん極まる“推量”」という言葉を引用したので、それに準じただけ。これも文章全体を読めば簡単にわかることだ。今回なぜ推測を採用したのかというと、今回の場合は推測の方が適切だと判断したからだ。入り口君は「どちらも同じ意図です」と言うが、私が調べた範囲では、推量と推測はわずかにニュアンスが違う。もっとも国語辞典によって言葉の解釈は多少変わるので、この辺は微妙なところだが。(二月十七日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

ナンなんでしょうね、この押しつけがましい文章。
推量についての自己チュ〜講義も凄いですねぇ。

「私が調べた範囲では、推量と推測はわずかにニュアンスが違う。もっとも国語辞典によって言葉の解釈は多少変わるので、この辺は微妙なところだが」

なんて、そのニュアンスについて、結局何が言いたいのか理解不明なのは、聞いちゃダメなんですよ。なにせ大統領みたいなもんですから、早く自宅前にお召し車両、お迎えに来たらいいのに。

妄想、自爆例

◎私は子供用文具のデザインや絵本の挿絵を描くという仕事柄、時々ボランティアで、障害者の人達に絵画や工作を教えている。(二月十七日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎クリエイターの私にとって、ブログの記事は全て“作品”だから、完璧に仕上げたい。私は自分でデザイン事務所をやっている人だからある程度の時間の融通は利くが、だからといって、公私混同して仕事中にブログを書くようなバカなことはしない。アシスタント達への示しがつかないからね。(三月二十三日デレク石橋氏:自ブログ発言)

ま、バーチャル職業ね。脳内の事はナンでも成立するから。言いたい放題だね。キミの法門と一緒で客観性ナンにもないから。あんなセンスの無い文字と色使い、久しぶりに見たね。明治の頃の田舎のチラシの色使いね。

◎ちなみに正本堂が壊れた(を壊した)件についての反論は無いね。つまり異論は無いということだね。(三月八日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

この文言がキミの一連の言論の幕引き、命取りになったね。自分で自分の首を絞める石橋式ブーメラン、爆発だね。

◎こうまでして強力に反論するということは、ようするに「ガツン」側の人達には、“自分達は破折されてしまっている”という自覚があるのでしょうね。もし私の書く破折が取るに足りないモノならば、ここまでムキになって反論する必要は全くないはずです。(二月二十二日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

◎あ、そういえば、「ガツン」の編集者には学会員も混じってるんだっけ。(三月二十三日デレク石橋氏:自ブログ発言)

◎ふつうの法華講員じゃこういうことできませんね。もしかして彼らは、日蓮正宗からお給料を貰ってる人なのかな?私の破折を食い止めると、特別ボーナスが出るとか(笑)「顕正会をガツンと破す」が宗門の職員によって作られたのなら、そのメンツにかけても破折は阻止したいところですね。(三月十五日デレク石橋氏:自ブログ発言)

現実を見ない人だね。バーチャル法門、バーチャル職業、バーチャル顕正会員、コチラも一緒だと思わないでね。コチラはリアルの世界に居るから。

さらに意味不明、妄想自爆例

◎しかし「ガツン」側は顕正会の書籍を読んでいるはずですから、なぜ供養に参加したかを当然知っているわけです。知っていて、わざとこういう意地悪なこと言っているのです。(三月十五日デレク石橋氏:自ブログ発言)

◎六千万が関所であることは「ガツン」編集者もわかっているはずです。わかっているから、「ガツン」の中では一切“関所”という言葉は出しません。いつものように都合の悪いことは隠すわけです。Ver.2になっても何もかわらない。相変わらずやることがせこいね。(三月二十三日デレク石橋氏:自ブログ発言)

◎「ガツン」編集者は、「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」(207~208ページ)に書かれた内容と、昭和四十七年十月二十五日の妙信講総会における浅井先生の講演内容は、真逆(中略)なぜ真逆とも思える内容になったのか、ここでも「ガツン」編集者は知っているはずです。(三月二十三日デレク石橋氏:自ブログ発言)

◎「私に初代「ガツン」のインチキっぷりを暴露されて「Ver.2」を作る必要に迫られたのなら、私は“やるべきことをキッチリやった”ってことですな。エッヘン♪こう書くと「ガツン」編集者は当然「んなわけねーだろ」と否定するでしょうが、もし私が「ガツン」の破折を書かなかったら「Ver.2」が登場したかどうか、はなはだ疑問ですよ。(三月二十三日デレク石橋氏:自ブログ発言)

◎あ、そういえば、「ガツン」の編集者には学会員も混じってるんだっけ。(三月二十三日デレク石橋氏:自ブログ発言)

コレ全部、妄想の世界ですね。自分を批判している相手に同意を求めるって、そうとうキてますね。

更に下の二つの記事は何を言いたいのかサッパリ不明。誤字脱字のチェックって、今まで見てきたとおり、全然やってないですよね。第一いままで取り上げたように、文章がコレだけあっちへフラフラのヨタ記事文章は珍しいですよ。しかも、こんな個人的な言い訳と事情を書いて、一番下の記事では、コチラに命令してますよ。

でもね、ココで怒っちゃダメなんです。ハイハイって言ってやり過ごさないと、ココはウェブの世界ですから、コチラに直接危害は及ぼせませんが、ホラいるでしょ、いきなり町中で切りつけたりする人。ムシャクシャしてたとか、動機の知れないヒト。世の中に危険を及ぼさせないためにも、ハイハイって聞くのが一番なんですよ。

◎御覧のとおり、私のブログの一回の記事はひじょーに長い。これだけ長いと、更新直前には入念な誤字脱字等のチェックが必要だ。だから更新は、ゆっくり落ち着いて時間が使える夜しかできないというわけだ。(三月二十二日デレク石橋氏:自ブログ発言)

と、格好つけても、ブーメランです。「日蓮大聖人の仏法をこの国の国境とすることに賛成か、反対か?”(一月二十二日:自ブログ発言)」大聖人の仏法を国の境にするの?「救うとういう志がない(三月十五日:自ブログ発言)」とか浅井氏の論を弟子が端折って、それでいて自覚が無いなんて、重症です。

◎もう一回、私の書いた破折の全文を掲載した上で、その内容ひとつひとつについてのキチンとした反論をやり直したまえ!(三月二十二日デレク石橋氏:自ブログ発言)

その昔に葦原将軍っていたなぁ。某収容施設では将軍と呼ばれて、普段は大礼服を着用してビールの王冠を勲章代わりにしてたらしい。

自称、将軍から内大臣の位へそして太政大臣 の位へと自分で出世し、ついには蘆原国元首にまで位を極めたお方である。自称将軍ってナンか似てますね。
そんなもんだからお付きの人に詔勅とか発行してたらしいです。東条元帥も来てたらしくって、拝謁料貰ってたそうです。
鳥アタマ君も一月二十二日くらいはまだ可愛かったけど、三月頃の上の記事では、だんだん将軍みたいになってきたなぁ。「やり直したまえ!」ですからねぇ。

鳥アタマ君、このコラムの上の方で取り上げたけど
「賛成多数で決まれば、国家を動かし憲法改正もできるでしょうし、そうなれば、勅宣・御教書に相当する形の国家意志の表明によって国立戒壇も実現します」なんて、いよいよ紙一重ですねぇ。

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