大日連 昭和四十九年八月号掲載
「国立戒壇について」 阿部教学部長

 突然でございますが、宗門の情勢に鑑みまして、学林研究科という機会を通じて、国立戒壇ということについて、もう少し御僧侶の皆様方にはっきりと、申し上げておいた方がよかろうというような御下命を受けまして、少々申し上げたいと存じます。突然でございまして、話が自分自身まとまってないような気がしますが、その点は宜しく御了承をお願いいたします。
 
 国立戒壇という言葉を、皆様方最近では色々な所から、聞かれておることと思います。この用語は、そう古いことではありません、先般も実は宗門関係の文献を、一応調べたことがございますが、驚くほど宗門関係の文献には、国立戒壇という言葉が出てこないのであります。 大体その始りは、明治三十五年に国柱会の田中智学という人かおりまして、三保の最勝閣という所に教陣をはって、盛んに日蓮主義講座を開いたことがございますが、その中の戒壇論において初めて国立戒壇ということを言い出したという事が、誤りないところでござまして、それより前に、用語としての国立戒壇という四字の言蔡はなかったわけです。

 これにつきましても、いわゆる二つの立場があると思います。先づ初めに国立戒壇という言葉があると考え、その言葉の上から御書の三大秘法抄の戒壇の文を解釈する、あるいは一期弘法抄の文を拝するという立場、つまり国立戒壇という言葉があって、それをはっきり正しいと考えて決めた上で、そういう重大な御書について解釈するという立場。これは恐らくいいか、悪いかという点から考えれば、余程考えなきゃならんと思うんです。
 第二にはむしろ我々の根本の御書すなわち一期弘法抄あるいは三大秘法抄という御文を根本として、そこからある時期には国立戒壇ということが、布教の為にも、その他の面からも、ある程度都合がいい為に言った事もあった。然し本来は、その御書自体の中に、国立戒壇という用語がないのであるから、従ってそれは場合によっては、何もとらわれる必要はないんだという見方も、当然あっていいと思でございます。
ですから、御法主上人猊下が昭和四十五年五月三日日大講堂における、創価学会の総会の席上において、はっきりとこれについて仰せになっております。少し読んでみますと

 吾日連正宗においては、広言流布の暁に完成する戒壇に対して、かって国立戒壇という名称を使っていたこともありました。
しかし日連大聖人は世界の人々を、救済する為に
 「一間浮提第一の本尊、この国に立つべし」ということを仰せになっておられるのであって、決して大聖人の仏法を日本の国教にするなどとおおせられてはおりません、日本の国教でない仏法に、国立戒壇ということは有り得ない し、そういう名称も不適当であったのであります。明治時代には国立戒壇という名称が一般的には理解しやすかったので、その名称を使用したにすぎません。
明治より前には、そういう名称はなかったのであります。
今日では国立戒壇という名称は、世間の疑惑を紹くし、かえって布教の邪魔にもなる為、今後本宗では、そういう名称を使用しないことにいたします。というふうに仰せになりまして、大体主としては名称を使わないと仰せになっております、前にはそういう名称を使っていたとこもあったという点から、むしろその元にある本宗の戒壇の意義ということが大事だということを、言外に仰せになっておると拝するのでございます。
 こういう事を申し上げますのは、ここにおられる方は、お年寄りの方はいませんけれども、宗門の中年層から若い方に至るまでの、非常に宗門として重要な方々でございますので、やはりこの戒壇ということについて、御法主上人民下の御指南を基本とされまして、ピシッとした一つの領解と信念、確信を持っていただく事が、大事だと思うんですね。
何か今まで感ずる所、戒壇問題に関し、猊下よりずいぶん前から、御指導いただいておりますけれども、なにかそこにもう一つふっ切れないものがおり、なるべくそういうものに触れない方がいいんじゃないか、という事でその様な逃腰のような感じの人が、それはいないかもしれません、私の考えすぎかもしれませんけれども、もしそういう事があるとすれば、それは猊下の弟子とし、また第一線にあって、やはり分々に法を受持し、御信者にこれを弘めていくものとして、やはりこれは申し分けない事だと思うのであります、やはりしっかりとした示(しめし)を立て、戒壇に関する義をつかんでですね、それは決してある方面の人達と論争するということを奨励するのではございません。
つい行き足のいい或る人達は、すぐ論争しようということを言うかもしれませんが、僧侶として、何も他宗の謗法とならいざしらず、本宗の同じ僧侶や信者さんで、あえて論争をする必要はちっともないと思います。
また、御法主上人猊下も、宗務院も、そういう御注意がございますし、やはり腹に、根底にそういうことを掴んでおくということが大事だと思うのでございます。

 前に少し、色々な面から「国立戒壇論の誤りについて」という事を、私の名前で出した事がございます。読んだ方もあると思いますが、これは国立戒壇という名称を使わない理由もありますが、その他に現在なぜ国立戒壇という名称を使わないか、使っては不適当であるか、それは誤解があるからであるとして、その誤解の内容、またさらに国立戒壇ということから見通していく所の大聖人の仏法なり、展望というものは、むしろ将来においては誤解と言っていいというふうな考え方のもとに書いたわけでありますが、これを全部読んでいますとなんですので、要点を少々申し上げてみたいと思います。

 一つは仏教という教えの中で、大聖人様は御書の中でもその時代の接点という立場において、直接色んなその時代の背景を相手としておっしゃった部分と、それから大聖人様の戒定慧の三学、即ち三大秘法という、これはもう末法万年尽未来際まで変わらない仏法の本体の部分と、二つの面があるという事を考えなきやならない、そういう立分けがやはり必要ではないか。
 これについては後者といいますか、御本尊様が変わったら大変なことです。しかし大聖人様の時代と時代に対する接点として色々なお言葉があるとき、そういう面は時代によって変わってくるのが、あたりまえだと思う、それを大聖人の御言葉だから、金科玉条で動かしちゃならんのだというふうに、もし思ってしまうとこれははっきり言って、教条主義という言葉に当ります、要するにある教条は時代が絶対にどう変わ
っても、これだけは変わらないという風な考え方、解釈になるわけで、こそがはたして末法万年を通じて、ありとあらゆる時代のあらゆる風俗習慣の異なる民衆に広く宣布して、その人達を救ってゆくという立場において、こういったコチコチな、絶対変わっちやいかんということで通用するかという事、やっぱりこれは大事な問題だと思います、 そこで一線を引かなきやならん、例えて言いますと現在において、大聖人様が御遺命の国家諌暁を為すにあたって、では何故今は国家諌暁をしないんだといえば、これは常に、猊下始め色々と御指南をうかがうところですけれども、結局今そである。

 今天ういうことをする事が、はたしてどうかというとむしろ無駄皇陛下を相手にして、一生懸命何をしたからと言って、それによって一国全部が広言流布になることは無論ありませんし、唯天皇が個人的に法をお持ちになるとか、ならないと言う事だけにすぎない、それによって国が少しでも、一人でも世間一般が変わるかと言えば、ちっとも変わりゃしないです。
 そういう点からいきますと、結局皇室や執権というものを相手にして国家諌暁を行うという事は今は実際ナンセンスである。執権というものは今現在無い、どこにも。またそういう人達が権力の立場にあり、その権力を利用して邪宗を保護し、邪宗を信仰しているという事も一応ないわけなんです。立場においてやっているという事はないわけたんです。

 今現在はですね。そういった意味において時代が変っておるりです。皇室も現在の憲法におきましては、主権者という立場はございません。従って正しく解釈をするならば、大聖人の御正意は時の権力者に対して諌暁せよとおっしゃっておる、しかしモの権力者が天皇陛下でなければならない、執権でなければならないという事になれば、今広宣流布しようとするのには、六百年ぐらい昔に時代を返さなければならんこ
とになる。そういう事は始めからこれはナンセンスではないですか。そういった点で今日の最高権力者というのは、いわゆる国民の尊厳なる委託を受けて、政治をやっている首相でもなく、その根本の主権者であるところの国民であるということが言えると思います。
 従って国民一人一人への折伏が、現代における国家諌暁であるとこいうことが言えると思うのであります。ですから唯今申し上げましたように、鎌倉時代の封建体制、明治憲法の時代、これに今の時代を復活せよという主張は、これはおそらくできない相談でしょう。どう考えたって今は今の時代に即応した立場から、あくまで諌暁もし、弘通もしていかなければならないということでざいます。
 そこで大聖人の仏法の教義において、それ以外のそとの国家の状態とか、政治形態とかいう要素を持ちこんで、あくまで大聖人の教義を拡大して、解釈するという事は、むしろ大変な誤りになると思うわけでありまだす。

 ところが国立戒壇ということを主張する立場からいきますと、その主張する所は、この日連大聖人の戒壇は、日本の国を単位として、国家的な立場で、全部が正法に帰依された後で、国家的な公事として、建立されなければならない、それまでは戒壇は建てちゃいかんと、いうのであります。戒壇建立は国家的意志の表明として、天皇の勅、それから国会の議決、これは勅宣御教書という言葉がありますが、それをそういうふうに言うんだと思うのですが、天皇の詔勅と国会の議決に基いて、国家の手によって行わなければならないと言う事であります。
 その根拠とするところは、やはり三大秘法抄の
「戒壇とは、王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて云云」
という戒壇の御言葉ですね。この王法という言葉も、これも考えようによっていろいろであります。

 これも国立戒壇を主張する側からいきますと、国家の統治主権というふうに解釈しているようでございます。
そしてこの統治主権を、もし人に約すならばと言って、いきなり人間的、人格的存在をイコールとして持ってまいりまして、それは即ち国王である、現時においてもなお天皇であって、主権在民といっても、その主権在民は決して国民が統治しているのではなくして、国家そのものに統治権が備わっておる、だからこの主権に、民意を反映せしめようとするところの指向性をさして、主権在民と言うんだと言っておるのです。

 少し難しくなるのですけれど、王法という言葉は、いろんな御書にたくさん説かれてあるようでございます。皆様方お知りでございますが唯三大秘法抄のみでなく、あらゆる御書の中に、「王法」という言葉はたくさん使われてあります。
そんな中から色々考えてみますと、大体総括して、王の行う所の政治、その内容姿勢というような意味で、説かれておるところ、もう一つは王そのもので国家の最高権力者、あるいは皇室、当時はもちろん皇室ですね。皇室という立場で、これをお示しになっておると思われる所もある。そこで三大秘法抄における「王法仏法に冥じ」という王法とはなんであるかといいますと、これは仏法という言葉と、対比してあるわけですね。仏法という言葉は、言葉自体が、仏という人格ではなくて、法です。仏法というその法に対して、王法という言葉があるわけですから、そしてまた王法と仏法が冥ずるという意味から言っても、仏法の法と、それから王法という国家の政治等におけるところの法との関係において、言われておることである。従って人格的なものを、ただちに王法と言っておるのではないと思われるのです。
 
 その点、王法はただちに人に約すれば、天皇であるということは、ちょっと理論的に正しくないような感じがあると思われます。それから統治主権という事も言うわけですが、主権という事にやはりいろんな意味があるという事が一般的に言われておりまして、国家に統治主権があるという場合、今言ったのと同じことですが、それを人に約す、天皇だという事は、王法という上の解釈の誤りであると思われます。
 むしろ最近の学説からいきますと、統治権はいずれの国にも、それは人にあるのではなくて、国家に備わっておるという意味がある。しかし主権在民とか、あるいはまた主権在君というような事は、それはその統治権の発動するところの、最高の意志というものが国民にある、あるいは君主主権という場合には君主にある。だから権利の主体は、国家にあるけれども、その最高の意志が、人民というものにある、という事になるわけで、従って王法という解釈を、そのまま国家統治主権だとして、さらにこれを天皇だと解釈するのは、誤りであるというふうに思われるわけであります。

 次に王法仏法と言う事に関しての、内容にちょっと触れてみたいと思いますが「王法仏法に冥ずる」という事は、王法といういわゆる政治なり、政治を含めての広い意味におけるところの政治理念、つまり国家における政治の内容ですね。
民衆に福祉を与えるという、理想としての、王法というものがあるおりで、その王法が、仏法の慈悲の精神の内に、冥冥のうちに基いていくというふうに考えられると思うのであります。
 それから第二に仏法が王法に合するというのは、仏法の慈悲心精神ないし原理が、仏法を持った人々の社会での活躍を通じて、現実に現われてゆく、つまり「仏法王法に合する」ということは、仏法側の立場であり、「王法仏法に冥ずる」というのは、世開法を中心として、その中に静かに、冥冥に仏法が精神的に、浸透していることではなかろうかと思われます。
 この場合、どちらが先で、どちらが後かという事も出てくると思うんですが、先に「王法仏法に冥じ」とあるから、それが先でなきやならん、仏法王法に合するのは後なんだと、いう解釈も一応なり立つかもしれませんが、やはり言葉としては、前と後になってますけれど、だから必ず三十年なり百年こっち側にあって、次の百年はそっちだと、そういうものじゃ無論なかろうと思うんです。やはりこれは同時であって、その前後因果の差異は、むしろなく、冥に即して合、一分の冥あれば一分の合あり、百分の冥あれば百分の合があらわれる。というところに広宣流布戒壇建立の原理をお示しになったものと、拝されるのでございます。
ですから要するに、仏法が仏法としての使命を旨にしていき、王法がまた仏決り理想爽風に現われてくる時に、自然に王と仏が一緒になってくると言う事でございますから、結局現時における政教分離という有名な憲法第二十条、こういうものに決して、抵触するものではないと同時に、この言葉から国立でなければならないという趣意はまず考えられないと思います。

 この王法仏法、仏法王法は法というものが中心に考えられますけれど、それを推進していく為に、やはり人格的立場、人というものが大切になってまいります。それが次に「王臣一同に本門の三秘密を持ちて」と仰せられたと拝せられます。
それで、この王臣一同という、この王は何であるかといえば、御法主上人猊下は、先般の御指南において、世間儀典的な立場において、世間法から言えば、転輪聖王の出現と申されておいでになります。輪輪(ママ)聖王というのは、武力によらないで、いわゆる智恵と慈悲の力、徳の力を以って世界を平定するところの王であると、こういう人格が将来必ず出現するという趣意であると拝されます。
 また信心内鑑的、即ち出世間の信心の上からいくならば、この仏法を受持するところの民衆が、そのまま王の意味がある。ですから結局王というのは、むしろ武力ではなく、哲学の力、あるいは慈悲の力、智恵の力において、仏法の力において民衆を、時代を指導していくところの、人々の力ではないかと考えられます。

 王臣り臣は、王に付随して一体ということでありますが、結局この王臣一同ということは、多くのこの仏法を受持する人々が現われてきて、これが一国の大きな潮流をなし、大きな力を持った時において、こういう事が考えなければならないという事と思われるのでございます。
 また一同とあってもそれは一人残らずという事ではないと思うんです「複数権門の輩を一人もなく、せめ落して」という御文がありますが、だから一人も邪宗でなくならねば広宣流布でないという事は、それはあまり付文の解釈であると思われます。
 そこで次に「有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時」という事は、涅槃経金剛身品にある仏教守護の因縁でございまして、正法を立てる時には、迫害、反対があって、非常な難事であるという事を言われておるものと思われます。

 結局この有徳王、覚徳比丘ということを、お示しになったという事は、涅槃経に「内に智恵の弟子あって、甚深の義を解り、外に清浄の檀越あって、仏法久住せん」という経文の如く、僧俗が一致して、異体同心に広宣流布に進んでゆくことと思われるのでありまして、さらに「末法濁悪の未来に移さん時」とありますのは、これはよく広宣流布という時になりますと、如説修行抄に「吹く風枝をならさず、雨土くれをくだかず。代はぎのう(義農)の世となり、今生には不祥の災難を払て長生の術を得云云」(新定九八九)という、結局雨土くれをくだかざる世の中、だからその時代になって、始めて広宣流布であると、いうふうにも解釈している方も、あったようですね。今まで、けれどもこの文をよく拝すると「有徳王・覚徳比丘の乃往を末法濁悪の未来にうつさん時」という事からいきますと、戒壇は本当に世の中が、安穏になりきり、平和になりきってしまってから、後に造られるという事は、この御文からは拝せられないのではないでしょうか。むしろ濁悪の中で、その世の中の苦悩の民衆を救う為に、この仏法を根底とする僧俗の力強き人々によって、建立されてゆくということが、大事ではないかと思われます。

 そこで今の御文は、戒壇建立の世相の必ずしも全部安穏になりきった時代ではないと共に、むしろそれは現代としての、我々の立場であり、その実践を示されておると拝してもいいのではなかろうか。従いまして、戒壇の建物というものが、広宣流布が一切完結した後に、建てられるという見解にとらわれて、いいかどうかという問題なんです。
 今申し上げておりますのは、先般の御法主上人猊下より、下し給わった御訓喩ですね、訓喩は皆様方ぜひ、よく読んでいただきたいと思いますし、この戒壇問題に関して、もし誰かが質問してきたなら、猊下の御訓喩が、このようにはっきりとある以上は、私共は唯これを仰いで、信ずるのであると、こう確信もって言いきっていけば、あえて論争する必要もなければ、それでいいと思うんですけれども、やはりそういった意味からしますと、その訓喩の意味というものの、あり方はやはり戒壇の建物が、広宣流布が全部完結した後で、建てられなければならないと言う事ではないと思うのであります。
 そういう点で、この文を拝してみたわけであります。
 次に「勅宣並びに御教書を申し下して」とある、これが国立戒壇と主張する人々の、論拠でありまして、勅宣とあり、御教書とあると、この文をどう拝するか、これをうかうかするならば、これはまことに大聖人様の御金言に対する反逆ではないか、という事を言っておるような感じもありますけれども、よくこれを考えてみますと、勅宣御教書は、当時の戒壇建立の手続きという事であると思います。
 これにつきましても、実は国家が戒壇を、お金を出して建てるのか、つまり国家がお金を出して、戒壇を建てることを許可したところの勅宣御教書というものが出るのか、それとも宗門でお金を出して建てる、それを建てることについて、本門戒壇を建ててもよいという許可を勅宣御教書という形で出すのか、二つ解釈があると思うんですね。どっちだと思われますか?つまり国家でお金を出して、建てることに国家がそれを許可するのか、宗門として、資力資金を出して、建てることについて、国家が勅宣御教書というものを出して許可をするのか。

 奈良時代には、聖武天皇の東大寺の戒壇は、一応聖武天皇が出されておりますが、これは国王が出されておりますが、国王の個人的な寄附であり、国立ということは必ずしも言えないと思うのであります。
 さらにその叡山の戒壇、義真が建立した戒壇は天長四年ですか、これは叡山で建立してるんですね。勅許がおりたのが国主ですね、ですが当時は御教書というのはなく、勅宣だけで叡山の戒壇が建立された。鎌倉時代にたると、それに御教書というような将軍の文書が出るような習慣ができておりましたから、大聖人様が勅宣御教書とおっしゃっておるけれども、これは唯時代の慣習を上げられておるということですね、ですからこれはおそらく後者だと思うんです。ですから宗門で建てるについて許可を得るという意味は、昔は建てられなかったでしょう、勝手には。特に伝教大師が叡山の戒壇を建てることは、南都の抗争が非常に激しくて、どうにも建てることができないで、ついに生前中には建てることはできなかった。

 そして亡くなった後は、義真の時に初めて勅許がおりたということですね。ところが今はどうかと言いますると、今はもう信教の自由という立場になっておりますので、国民自体が憲法において建てることを許可しておると言えるわけなんです。当時は建てたいと思っても建てることができなかった、今は信教の自由ですから、建てたいものは建てれるんですね、特別な許可を要しないという事になるわけでございます。ですから今日においては、大聖人様の時代のような勅宣というものもございませんし、御教書というものもないんです。
 大聖人が勅宣御教書と御書におっしゃっておられるから、どうしても国立戒壇を建てる為には、六百年の前に時代をひっくり返して、将軍を作って、そして天皇陛下から勅宣をもらい、将軍から御教書を出させると、そして初めて三大秘法抄の文が完結するんだ、という事でなけりゃ戒壇が建だない恚いう事はないでしょう。そういうふうに考えたら、それは非常に大きな誤りと思われます。
もしあくまで、これに固執するなら、憲法を改正しなければならない。
御承知と思いますけれども、憲法第二十条には「信教の自由は何人に対しても、これを保証する、いかなる宗数団体も国から特権を受け、また政治上の権力を行使してはならない」その三に「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動をしてはならない」、つまり国では、宗教活動をしてはいけないというわけですから、国として戒壇を建てる、いわゆる国立戒壇という事は、今の憲法ではできないんです
ね、絶対に、つまりそれをする為には、憲法改正ということが当然必要になってまいります。
 次にその勅宣ですね、勅宣という事は、天皇陛下がするわけです。
 天皇陛下がなさる事は、やはりこれは憲法に規定されております。
今の憲法では、国事という事において、天皇陛下がなさる国事という事は十あるんです、これは憲法第七条に「天皇は、内閣の助言と承認により、国民の為に左の国事に関する行為を行う、一、憲法改正、法律政令及び条約を公布すること、二、国会を招集する事、三、衆議院を解散すること」こういうふうに決まっているわけですね、十の事が。この中にもちろん、その他不特定な事を行うという事は、全々ございませんし、まして国立戒壇を許可するとか勅宣を出すという事は、全々そういうものはない、ですから今の天皇陛下の勅宣と言ってみた所で、根本においての、天皇の行う範囲において、宗教に関する事は絶対にないんです、つまりできない相談なんです。

 もしする為には、天皇が宗教上のそういった問題を何でも処理できるように、憲法を改正しなければならなくなります。
結局そうすると、政教分離の規定を廃止するという事になりますが、むしろ政教分離という事の意味が、やはり我々よく考えてみますと、これによってこそ今日の宗門が非常にこのように発展して、折伏ができたと思うんですね、もしこれが宗教に政治の関与があったならば、戦争中のように、あるいは韓国とか、あるいはその他の国のように、いろいろ宗教に対する干渉があるならば、折伏してごらんなさい、忽ちひっくくられてしまいますよ、それではとってもじゃないけど、日本国中大勢の人が、御題目を唱えるなんてことができっこない。信教自由の時代になったからこそ、このように充分に折伏もでき、このように広宣流布の姿が現われてきたんです。
 その点をやはり考えなきやならないと思うんですね。それをはき違えて、どうしても昔の憲法とか、昔の状態でなければ、広宣流布ができないというふうに考えることは、大きな誤解であると思います。もし政治体制を、昔へ戻せというような教条主義をつらねていくならば、広宣流布の時には、鎌倉時代の政治体制に戻さねばならないという主張をしなければならないわけです。本当に徹底するならば。
 ところが今現在国立戒壇を主張するという立場においても、勅宣という事は、天皇陛下の国事における勅宣だと云い、御教書というのが、今の解釈として国会の議決だと言うんですね。
 皆様方の中にも、そういう考えを持った方があったんじゃないでしょうか。御教書を解釈すれば、今の時代に約すれば、国会の承認であり、議決であるというふうな事ですね、けれどもすでにこういう解釈自体が、これは本当の教条主義ではないですね。
大聖人様の御言葉自体の、六百年前の時代における時点から、今の時代というものにまで下がってきて、その現在の時代というものに一応あてはめて、ある程度そこに応用的な解釈をしておるわけなんです、ですからそれであるとするならば、もっとこれは現代への適応の第一歩をふみ出しておるという事が言えるわけなんですから、それをさらに現憲法に定めるところの有り方まで出てきても、決して悪いことはちっともない、という事ではないでしょうかね。

 それを現時において、実現不可能な事の解釈をしたのでは、いくらそれが近代的解釈をしたからと言って、五十歩百歩ということになりまして、それが何の為の現代的解釈かと言うことにもなるわけであります。
 結局仏法上の目的が一定の政治体制のもとでしか、実現できないという事は真の仏法ではありえません。
いわゆる仏法が政治に支配され、従属されられると、遂に仏法が政治に従わなければならないという事になる。
そういう考え方ではならない。むしろいかなる時代をも、仏法は指導するのです。
 民主主義の時代になったら、民主主義の時代の憲法下において、十分にこの時代の民衆を導いてゆくところに、大聖人様の仏法の意義がなきゃならないという事が、正しいのではないかと思われます、ですから国立戒壇論は、どうしても、そこに中世国家と近代国家の間に、いろいろと違いがあることを無視して、時代錯誤というものが存在することになってくると思われます、つまり中世国家におきましては、国王が宗教に対して支配権を持っておりました。
 近代の国家、日本の最近の憲法では、国家権力は宗教に一切関与いたしません、従って戒壇建立という事は、さきほど申しましたが、特別に勅許であるとか、政府の許可という事がなければ建てられないという事はないわけなんです。
 昔はそれが必要だった時代がある、そこで信教の自由の定め自体が、その勅宣や御教書に代わるところの、国民の許可である、国主の許可である、という事が言えると思うのでございます。
 勅宣御教書という事は、そういうふうな意味におきまして、とらわれる必要はない、むしろその勅宣御教書は、これから我々が戒壇建立していく上において、多くの人々をやはりこの中にひきいれて、この思想の中に同化していくという意義を示されておるものと拝していいと思うのであります。

 次に「霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か」これは富士山であるという事は、当然であります。
 天母山の問題がありますけれども、かえって天母山でなく、この大石寺でいいんだと、大石寺においてこそ、ここに戒壇を建立すべきであると、いう事が現在、御法主上人猊下の御指南であったわけでございます。
 次の「時を待つ可きのみ、事の戒法と申すは是なり」ということですが、これは時という事は、王法仏法に冥じ仏法王法に合して、乃至末法濁悪の未来に移さん時という戒壇建立の時である。
 しかしこの時がいつかという事、例えば、国会の議決がいるとか、どうだとか、こうだとかという意味においての時だということでございますが、やはりこれはもっと幅の広い解釈という事が、当然今までの考え方からいっても必要だと思うんです。
 つまり広宣流布の段階というものは、その、猊下の御指南にもありましたように、どこが結果であるかという事です。
三人の時、五人の時、十人の時、百人の時、千人、万人、百万人になったって、まだ因とみれば、将来まだたくさん教化すべき人があるわけでございますから、やはりこれは世の中に、仏法が非常に広まって来たところの時代、そして戒壇建立をなすべき時期があるという事を、御決定されるところの、猊下の御指南によるべきであると思うのであります。そこでさき程申しました訓喩でありますが、
 
 『正本堂は、一期弘法付属書並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇なり即ち正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり。 但し、現時にあっては未だ謗法の徒多きが故に、安置の本門戒壇の大御本尊はこれを公開せず、須弥壇は蔵の形式をもって荘厳し奉るなり。』 というのが訓喩の御文であります。
 
この中の一期弘法抄、三大秘法抄の意義を含むという事が、非常に重大であると思いますけれども、これはそのまま、やはり建立された所の正本堂が、広宣流布の暁が来た時には、本門寺の事の戒壇となるべき所の、大殿堂であるとの願いをもつ意味と拝されるし、またこういう御文を示されておるわけでございます。
 従って現在正本堂はただちに、一期弘法抄、三太秘法抄に仰せの戒壇ではない、従ってその謗法の徒が多いから、安置の本門戒壇の大御本尊は公開しない、須弥壇は蔵の形式をもって荘厳し奉るという事ですけれども、未来にそれですから、そのものがさらに徹去されると申しますか、さらにまた未来において広宣流布の時期の、大きなポイントというものが、そこにあるものと拝されるわけでございますが、これを
三大秘法抄の文に拝しますると、結局一期弘法抄、三大秘法抄の意義が完全に現われるというのは、もちろん未来である、未来であるけれども、すでにその用意として、この戒壇の建物を建てるべき時が来ておる、それが正本堂であるべく願うのだと言う事をはっきりと、我々はここに信じてまたこれを確信していいと信ずるものであります。
 さきほどに戻りますけれど、王仏冥合という事、この冥合の二字において、非常に時の経過がありますが、その顕著な状態から、達成に至るまでの道程が、全てあるわけでありまして、換言すれば、流行の広布の非常に盛んな時代から、流溢の広布への、道程の全体が、王仏冥合の時と拝せられる、その内のある時期において、戒壇建立の建物を建てるという事は、これは一にかかって、御法主猊下の血脈の上の御判断御決定を拝すればいいと思うのでございます。
最後の「事の式法」という事でございますが、これは常に、猊下の御指南に、本門戒壇の御本尊様のおわします所、事の戒壇。本門戒壇の御本尊様が事であり、法体が事である故にその御本尊様の御当体において、そのまま題目が備わり、戒壇が備わっておるのであるから、そのまま事の戒壇であるというように、拝しております。またこれはその通りであります。この点にですね、日寛上人が三大秘法を、六大秘
法として開合されまして、本尊に人法あり、題目に信行あり、戒壇に理事ありというふうに示されておる,その所の立て方でもって、事の戒壇とは、つまり三大秘法抄の戒壇である、という事は、広宣流布の時にならなければ、事の戒壇は出てこないんだと考へ、その前は理の戒壇なんだというような事が、皆んな頭にあって、猊下の御指南との聞かピシャッといかない、両方信じたいんだけど、どうもピシャッとこないという感じがあるんですね。
 
要するに、猊下の御指南と日寛上人の教学が、些かも違っていないと、払は確信しておるのでございます。と申しますのは、戒壇に事理を分けられておるところの中で、理の戒壇乃至義の戒壇という所は、本尊処住の所即義理の戒壇といわれておるけれども、本門戒壇の本尊と上げてですね、本門戒壇の本尊処住の所が、理の戒壇とか義の戒壇とおっしゃってる所は一ケ所もないと思うんです。
 寛師のあの尨大な著書の中で、おそらく一ヶ所でもあったら教えていただきたい。まず絶対ないと私は思うんです。
 これはいわゆる猊下も、おっしゃる通り一般論としての事と理の立て分けをおっしゃったのである。三大秘法の戒壇の相貌が、事の戒壇ということは、ああいう事の戒壇が現われる為には、根本の本門戒壇の御本厚様がおはしまするが故に、結局それが未来に現われるわけですね。ですから、その根本は日寛上人は根源とおっしゃっておられますけれども、その根源を時によって、今御法主上人民下は事の戒壇とはっきり仰せになっておるものである。 
 むしろ日寛上人がやはり「広宣流布の時に至れば、各山寺等それぞれの嫡々の歴代書写の本尊を安置する処、これ即ち義理の戒壇なり」とおっしゃっておるところと、ちょうど対等するわけですね。ですからこれはむしろ、戒壇の本尊の分身散影である、他の御本尊のおわします所は、その所に題目を唱えて、即身成仏の功徳は当然ありますが、それが根本の本門戒壇の御本尊の功徳を引くわけでありますから、義において事の戒壇にあたる、故にこれ義の戒壇であるという事を拝するわけでございます。
 大体そういうふうな事から考えてまいりますると、そこに現在はやはり、事の戒壇である、現時における事の戒壇であるという訓喩を、その通り正しく拝して、そして確信を持って、我々は決して論争を的とはせずに、色々な国立戒壇の言葉にとらわれずに、確信を持って、お互いの立場をはっきりして、人々に接していく必要がある、戒壇の事も、合わして説いていく必要があるという事を申し上げた次第でございました。
                         以上

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