女子部幹部大会・平成21年5月6日
【 仏法は人生・国家の根本問題を解決 日妙殿の大信心を亀鑑(かがみ)として 早く「日本第一の女子部」を築け】

 
 本日の女子部幹部大会、まことに素晴らしいですね。
 これほど広い大会場が埋め尽くされ、立っている人も大勢いる。そして、みなが大聖人様を見つめ、広宣流布を見つめて熱烈。こんな立派な女子部の集会は日本国中どこにもない。大感動をおぼえております。
 そして皆さんには、よくぞ全国からはるばると、この宮城の地に馳せ参じてくれました。この信心の熱誠、私は心から有難く思っております。

 【日目上人死身弘法の地】

 この宮城・奥州の地は申すまでもなく、第三祖日目上人が死身弘法あそばした地であります。
 大聖人様の御入滅後、日目上人はただちに大法弘通を開始された。その最初の地が、父祖ゆかりのこの奥州だったのであります。
 当時、身延からこの奥州までは、山を越え河を渡り、何日かかったことか。この苦難の死身弘法を幾度も繰り返し、ついに日目上人は三大秘法広宣流布の大潮流を、この奥州の地に巻き起こされたのであります。
 そしてこの地に本日、顕正会女子部を代表する幹部一万一千名が結集いたしました。
 本日こそ、広布のゴールを見据えた女子部が、いよいよ日本第一の女子部を築くその出陣の日。今日から、いよいよ女子部による新しい広布の大行進が始まる。こう私は確信しているが、皆さん、どうか。(大拍手)

  【「地涌の菩薩」】

 大聖人様は諸法実相抄に
  「末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は、男女(なんにょ)はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり」と仰せあそばす。
 広宣流布以前に日蓮大聖人のお味方をして御本尊を弘める者は、男女の区別はない、みな地涌の菩薩である。地涌の菩薩でなくて、どうしてこのお題目が唱えられるであろうか―と仰せられる。
 ことに「男女はきらふべからず」の仰せ、有難いでしょう。
 当時の鎌倉時代は武家社会、男子中心の社会ですよ。その中で大聖人様は、男女の別なく全く平等にごらん下さり、「皆地涌の菩薩」であると仰せ下されている。
 なんと有難いことか。
 地涌の菩薩ならば、使命のない人は一人もない。たとえ今は病弱であろうと、貧しかろうと、さまざまな悩みを抱えていようとも、その境界から御本尊様の功徳を実証していくのです。
そして同じような悩みの人々を救っていく使命がある。
 だから、さまざまな境界で広宣流布前夜に生まれ出て、その境界のまま、広宣流布のお手伝いをする。それが地涌の菩薩なのであります。


【仏法は人生・国家の根本問題を解決】
 
 そして大聖人様は「日蓮を杖(つえ)・柱(はしら)ともたのみ給うべし」と仰せられている。
どうです。世間の人々を見て、人生の杖・柱を持っている人はいないでしょ。だからみな浮わついていて、確信がない。自分の人生に確信がないのです。
 いいですか。日蓮大聖人の仏法は何のためにあるのかといえば――
 それは、人生と国家の根本問題を解決して、真の幸福を得るためです。
 大聖人様はまだ十二歳の御幼少のころから、人生と国家の根本問題について、深く見つめておられたのです。
 
【臨終の大事】

 まず人生のことですが――
 人生の目的は幸福にある。その幸福も、すぐ崩れてしまうような小さな幸福ではなく、現世から未来にわたって永遠に崩れぬ真の幸福でなければいけない。
この真の幸福、無上の幸福を「成仏」という。これを得ることが人生の目的なのであります。
 では、仏法を行じて「成仏した」という証拠は何によってわかるのか。仏法はキリスト教のように「天国に行った」などという空虚なことは言わない。すべて証拠を以て論ずるのです。
 仏法を行じて成仏できたという証拠は、まさしく臨終の相によって分かるのであります。
 すなわち成仏を遂げた人は、生前どんなに色の黒い人であっても、臨終の後、色が白くなり、遺体は軽く、かつ柔かである。
 しかし地獄に堕ちた者は死後、遺体が黒くなる、チョコレートのような色になってくる。そして重くなり、顔も怖い相になる。

 大聖人様は神国王御書に
 「人死して後(のち)、色の黒きは地獄に堕(お)つ」と定義しておられる。
 臨終だけは人の意志ではどうにもならない。その臨終を、かくすればかくなると法則性を言い切ったところに、仏法の偉大さがあるのです。
 あらゆる思想、哲学、宗教において、このような教えは一つもない。ただ仏法だけが、三世を貫く生命の上から、かくすればかくなると、その法則性を言い切っている。これを覚られたお方が、仏様なのであります。
 そして臨終は人生の総決算です。善悪を問わず、その人が生きているうちにやってきたことのすべてが臨終の相に現われる。
 同時に臨終の相が、その人が未来にどのような報(むく)いを受けるのかを示している。
 このように臨終は、現世と来世をつなぐ要(かなめ)に位置している。
 ゆえに臨終は人生の一大事であり、これを知ることが、人生の根本問題の解決に結びついているのであります。

  【「先ず臨終の事を習う」】

 ゆえに大聖人様は妙法尼御前御返事に
 「日蓮幼少の時より仏法を学び候しが、念願すらく、人の寿命(いのち)は無常なり。(乃至)されば先(ま)ず臨終の事を習うて後(のち)に他事(たじ)を習うべし」と。

 ――大聖人は幼少の時から仏法を学ばれた。そして念願されていたことは、人はいつ死を迎えるかわからない。さればまず臨終のことを習って、後に他のことを習うべきである――と。
 すなわち臨終の解決を、人生の最優先課題とされたのであります。
 仏様は御幼少のときから、凡夫とは目の付けどころが違うのです。
 仏法を知らない世間の人々は臨終のことを知らない、深く考えることもない。こういう人生は、終点のわからぬバスに乗っているのと同じでしょ。これで確信ある人生が送れるわけがない。
 過去も知らなければ未来もわからない。これを「冥(くら)きより冥(くら)きに入る」というのです。

【念仏者の悪臨終に 大疑を懐かる】

 で、大聖人様は、御幼少のころから安房(あわ)の国の周辺で、念仏を唱える僧侶たちの臨終の姿を見聞しておられた。そして大(おお)いなる疑問を懐(いだ)かれたのであります。
 それは、念仏宗では「念仏を唱えれば極楽往生(おうじょう)する」などと言っているが、眼前に見る念仏者たちの臨終はあまりにも悲惨であった。
ある者は死するとき狂乱し、あるいは七転八倒(しちてんはっとう)して苦しみ、そして死後の相はみな黒くなるという悪相を現じていたのです。
 これは一体どうしたことか。
念仏宗が間違っているのではないか――。これが御幼少のときの大聖人様の大疑であった。

【「承久の乱」についての大疑】

 さらにもう一つの大疑があられた。それは、国家の興亡盛衰(こうぼうせいすい)と仏法との関係であります。
 大聖人様がお生まれになる前年に、「承久(じょうきゅう)の乱」があった。
 これはどういう事件かというと――鎌倉幕府の横暴(おうぼう)を見かねた後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)が、幕府を討(う)とうとしてかえって敗(やぶ)れ、後鳥羽上皇のみならず順徳・土御門(つちみかど)の三上皇もともに島流しになってしまったのです。
これは日本国始まって以来の重大事件です。これによって皇室は全く衰微(すいび)してしまった。まさに王法が亡んだのです。
ちなみに「上皇」というのは、位を譲(ゆず)った天皇の尊称です。
 この承久の乱と仏法との関係でありますが、このとき後鳥羽上皇は幕府調伏(ちょうぶく)のために、天台宗と真言宗の座主(ざす)らを動員して、天台・真言の秘法を尽くしての大規模な祈祷を何度も行なったのです。
 いいですか。当時の天皇の威光というのは今日の皇室とは全く違う。
武士は朝敵となることを最も恐れた。
天皇の権威に歯向かう武士などはいなかったのです。
 だから天子が臣下を討つということは、あたかも鷹(たか)が雉(きじ)をとり、猫がねずみを食うようなものだった。
 その天皇の威光勢力に加えて、天台・真言の秘法を尽くしての祈祷をしたのだから勝って当然、負けるはずないのです。ところが、一年二年の戦いではない、わずか数日で天皇方(がた)の軍勢は総崩(くず)れになり敗れてしまった。
 天台宗は当時日本仏教界の最高権威、また真言宗は「護国(ごこく)」を謳(うた)い国を護る力ありと信じられていた。どうしてこのように三上皇が島流しになり、王法が亡んでしまったのか――。
 このことが、御幼少の大聖人様の、もう一つの大いなる疑問であられた。

【「日本第一の智者となし給へ」】

 この、人生と国家についての重大な疑問を解決するには、一切経を学び尽くし、諸宗の邪正を弁え、さらに末法の一切衆生の成仏の大法を知らなければならない。
 ここに大聖人様は、十二の歳より願(がん)を立てられたのです。
破良観等御書(はりょうかんごしょ)に「日本第一の智者となし給へ、十二のとしより此の願(がん)を立つ。其の所願に子細あり」と仰せられているのは、このことです。
 凡夫ではこういうことはないですねー。十二の歳など、まだ子供ですよ。
 しかし仏様はそのような御歳で、すでに人生と国家の根本問題について、大疑を懐き、それを解決されんとしたのです。
 「蛇(じゃ)は寸にして牛を呑(の)むの気あり」というが、御本仏は幼時より目の付けどころが違っておられたのです。
 そして御年十二歳より三十二歳までの二十年間、血のにじむような御研鑽をされた。
 かくて大聖人様は、釈尊の一代聖教の奥底を究(きわ)め尽くされ、また諸宗の謬(あやま)りをすべて見極められた。

 【全ては仏法の邪正による】

 念仏僧たちの悪臨終も、承久の乱で天皇方が負けたのも、すべては邪法の罰であったのです。
 臨終のことについては、こう仰せられている。
 「一代聖教(しょうきょう)の論師(ろんし)・人師(にんし)の書釈(しょしゃく)あらあら勘(かんが)へあつめて、此(これ)を明鏡(めいきょう)として、一切の諸人(しょにん)の死する時と並(ならび)に臨終の後(のち)とに引き向(むか)へてみ候へば、すこしもくもりなし」と。
 正しい仏法の鏡に照らして見れば、臨終の法則性はまことに明々白々である――ということです。
 また国家の興亡盛衰については「我が面(おもて)を見る事は明鏡によるべし。国土の盛衰を計(はか)ることは仏鏡にはすぐべからず」と。
 自分の顔を見るにはよく磨(みが)かれた鏡を見ればよい。しかし国家の興亡盛衰を知るには、仏法の鏡を用いなければいけない――と仰せられる。
 まさしく臨終の善悪も、国家の興亡盛衰も、その根本原因は仏法の邪正にあったのです。

 【末法の一切衆生の成仏の大法】

 その上で、大聖人様は御年三十二歳のとき、「末法の全人類はいかなる大法によって成仏が叶うのか」という、もっとも重大なことを深く深く知り給うた。
 その大法とは何か。
 それは、釈尊が法華経本門寿量品の文底に秘し沈められた、久遠元初の御本仏がお覚りになったところの「南無妙法蓮華経」の一大秘法であります。
 まさしくこの大法を知り給うた日蓮大聖人こそ、実に久遠元初の自受用身の再誕であられたのであります。
 かくて大聖人様は建長五年四月二十八日、房州の清澄山(きよみずやま)の頂にお立ちになり、昇る旭(あさひ)に向い、始めて「南無妙法蓮華経」と唱え出(い)だし給うた。
 以来、日本国の人々に「一切の邪法を捨てて、ただ南無妙法蓮華経と唱えよ」と大慈悲をもってお勧め下された。
 この大慈悲、本来ならば日本国中が感謝して当然であります。そうでしょう、成仏の叶う大法を教えて下さるのだから、感謝して当り前です。

 【国中の怨嫉】

 ところが念仏・真言・禅・律等の諸宗の坊主たちは、大聖人の破折によって自宗が邪法であることが露見(ろけん)し、地位を失うことだけを恐れた。ゆえに大聖人を憎み、民衆を煽動(せんどう)し国主に訴え、大聖人の御命(おんいのち)を奪わんとしたのです。
ここに命にかかわる大難が、波のごとく大聖人様に押し寄せたのであります。

 【竜の口の大現証】

 ことに竜の□の大難は国家による死刑罪です。これを脱(のが)れることは誰人もできない。
 この日の深夜、大聖人様は竜の口の「頸(くび)の座」に引き据(す)えられた。そしてまさに御頸刎(おんくびは)ねられんとしたその刹那(せつな)、月のごとくなる光り物が突如出現した。
その光がどれほど強烈であったか。太刀(たち)取りは眼(まなこ)くらんでその場に倒れ伏し、周囲を警護していた数百人の兵士たちも、恐怖のあまりみな一斉に逃げ出し、砂浜にひれ伏してしまった。
 頸(くび)の座にましますは大聖人ただ御一人。大聖人は大音声で叫ばれた。
 「頸(くび)切るべくわ急ぎ切るべし、夜明けなば見苦しかりなん」――頸を切るならば早く切るがよい。夜が明けたならば見苦しいであろう――と。死刑を催促あそばしたのです。
 だが、誰ひとりとして近寄る者もない。みな腰が抜け、大地にへたり込んでしまったのです。
 まさに国家権力が、唯一人(ただいちにん)の大聖人の御頸(おんくび)を切らんとして切れず、かえってひれ伏してしまった。
このような不思議そして荘厳な光景が、この地球上で人類史上、曽(かつ)てあったであろうか。
 これこそ、日蓮大聖人が久遠元初の自受用身として成道を遂げ給うた、その厳粛なるお姿だったのであります。

 【退転者続出】

 しかし、この大法難を見て、門下の信心の薄き者たちは、続々と退転したのです。
 ということは、竜の口の刑場における大現証を目の当りに拝見したのは、お傍(そば)に侍(はべ)っていた日興上人と四条金吾殿だけです。
他の弟子たちはただ"恐ろしい死刑が行われ、かろうじて大聖人は死を脱れたが、今後まだ切られるかもしれない"と恐れていた。
 また幕府の弾圧は門下の弟子・檀那(だんな)にも及んだ。良観らはこのとき、鎌倉の各所に放火して「日蓮房の門下が、幕府を恨(うら)んで火を放った」と訴えた。
これにより門下の弟子・檀那が次々と逮捕され、追放されたのです。
 しかも頼みとする大聖人は佐渡に流罪になり、生きては帰れないと思われていた。
 ここに信心うすき者たちは、大聖人を疑い、批判し、次々と信心を破って退転していったのであります。

【日妙殿の大信心を見よ】

 この嵐の中に、みなさんのよく知っている、あの日妙殿がおられたのです。
 日妙殿は恐らく武士の妻だったと思われるが、夫と離別してすでに久しく、乙御前(おとごぜん)という名の幼子を女手ひとつで育てていた、けなげな女性であります。
 日妙殿の耳にも、退転した者たちの大聖人への小賢(こざか)しい批判や、世間の者たちの「佐渡では必ず切られる」という恐ろしい言葉が、聞こえていたに違いない。

 【命で仏様を感ず】

 しかし日妙殿の信心は徹動だにしなかった。
日妙殿はご法門の難しいことはわからなかった。しかし命で、大聖人を仏様と感じていたのです。
 これが信心の力ですね。知りたげの法門ではない、透徹の信心で、自然と大聖人様を仏様と感ずることができたのです。
 ですから文永十年十一月の乙御前母御書(おとごぜははごしょ)には「いまは法華経を知らせ給いて仏にならせ給う女人(にょにん)なり」と仰せられている。
その前文には「今御身(おんみ)は女人なり、権実(ごんじつ)は知りがたし」と仰せられながら、「法華経を知らせ給う」―法華経を会得(えとく)している―とはどういうことか。
 これ信心の力で、法華経本門寿量品の文底の御本仏を知り奉ったゆえです。これを「以信得入」(信を以て入ることを得る)というのです。
 門下が続々と退転する中に、日妙殿の心境はどのようなものだったか。推(お)し量(はか)るに「もし大聖人様が虚(むな)しくなるならば、この世で信ずる何かある。
大聖人様は絶対の仏様である」――こう強く信じまいらせていたに違いない。

 【命かけて佐渡へ参詣】

 ここに、佐渡にまします大聖人様を見奉らんと、命かけての求道心を起こしたのです。
 鎌倉から佐渡までは一手余里、山は嶮(けわ)しく海は荒れ、山賊・海賊もいる。しかも当時は内戦の直後で治安はきわめて乱れていた。その中を女性が、しかも幼子を連れての長旅です。これがいかに危険で、いかに苦難なことか。想像を絶する。
 伝教大師が二千里の海を渡って中国に渡ったのも、玄奘(げんじょう)三蔵が十万里を旅してインドに仏法を求めたのも、これらはみな男子であり、上代の賢人ですよ。
未だ曽て女性が仏法を求めて、このような危険な旅をしたという例はない。
 大聖人様は日妙殿のこの求道心を絶讃あそばされた。
 「いまだ聞かず、女人の仏法をもとめて千里の路(みち)をわけし事(こと)を。……当(まさ)に知るべし、須弥山(しゅみせん)をいたゞきて大海をわたる人をば見るとも、此の女人をば見るべからず。砂をむして飯(いい)となす人をば見るとも、此の女人をば見るべからず」と。
 そしてさらに
 「日本第一の法華経の行者の女人」と賞嘆あそばされた。まさしく日妙殿は、日本の女性を代表して、竜の口で成道あそばした大聖人、すなわち久遠元初の御本仏を、命かけて見奉ったのであります。
  「一心に仏を見奉らんと欲して自ら身命を惜しまず」とは、まさにこのことであります。

 【日妙殿の跡を継げ】

 私は思う――。
 広宣流布の時には、日妙殿のような強き信心の女性が続々と出てくるに違いないと。
 顕正会の女子部は、日妙殿の跡を継ぎなさい。そして皆で力を合わせて、「日本第一の女子部」を築くのです。
 「法妙(みょう)なるが故(ゆえ)に人貴(たっと)し」という。三夫秘法を持つ女性は世間のいかなる女性よりも勝れて第一である。この第一の女性が団結して、日本最大の組織になったとき、これを「日本第一の女子部」というのであります。
 広宣流布は大聖人様のお力によって必ず成る。ならば、これをお手伝い申し上げる顕正会女子部も、「日本第一」と成ることは疑いない。
 さあ、本日を出陣として、十有余年のち、必ずや「日本第一の女子部」を築き上げてほしい。
 こう私は強く念願しているが、みなさん、どうでしょうか。(大拍手)


【他国侵逼は刻々と迫る】

 さて、広布前夜の他国侵逼の歯車は、一時の休みもなく回わり続けております。
 それは中国の軍事予算が、過去二十一年間連続してニケタの伸びを示していることを見ても、よくわかりますね。このような急速な軍備増強を長期にわたって継続している国というのは、近年の世界史を見ても、どこにもないのです。
 中国は台湾併合を悲願として来た。しかし今の軍備拡大は、もう台湾攻略に必要な軍事力を遥かに上回わっている――。
 それは、全アジアに覇(は)を唱えるため、いや、アメリカをも凌いで世界制覇を狙(ねら)っているごとくであります。
 この中国の軍事拡大をみて、オーストラリアのラッド政権すら、強い危機感を懐いている。ラッド首相は親中派の政治家として、世界でも有名ですよ。
 この首相が今月二日、「オーストラリアは、第二次世界大戦後における最大規模の軍事増強をする」と演説し、国防白書を発表した。これは、中国がアジア太平洋地域最大の軍事大国として台頭して来たことへの、警戒心からです。
 その国防白書では「潜水艦を倍増する。F35戦闘機も一〇〇機導入する」などとしているが、遠く離れたオーストラリアさえ、このように中国の異常な軍事拡大を脅威と感じているのであります。
 また最近「G2」という言葉を聞きますね。G8やG20はよく耳にしていたが、「G2」という言葉が出てきた。いつのまにか中国が、経済力も軍事力も、アメリカと肩を並べるほどの存在感を示すほどになって来たということであります。
 中国のこの急速な台頭を見るとき、私はいつも、七百年前の大蒙古国を胸に思い浮べる。
 大蒙古国と中国は、まことによく似ているでしょう。国の位置も共に日本の西隣りの大陸にある。

【大蒙古の不思議な膨張エネルギー】

 そして大蒙古は、草原の一部族を率いたジンギスカンが、あっというまにアジア全域に勢力を広げてより、孫のフビライが日本に襲来するまでが、わずか六十八年ですよ。
このエネルギー、どこから発するのか。私は不思議に思っております。歴史家で解明できる者もいない。
 その間に侵略した地域は、東はロシアの極東地域から、西は地中海沿岸まで、ユーラシア大陸のほとんどを征服している。
これほどの大帝国は文字どおり史上空前です。アレキサンダー大王も、ナポレオンも、ヒットラーも、足もとにも及ばない。
 七百年前に、どうしてこのような大帝国ができたのか。当時は通信手段も交通手段もない。馬しかないのです。それがどうして、ユーラシア大陸を統一支配することができたのか。このエネルギー、まことに不思議です。
 大聖人様は、この大蒙古の侵略を受けた北条時宗を指して「守殿(こうどの)は日本国の主にてをはするが、一閻浮提(いちえんぶだい)のごとくなる敵(かたき)を得させ給へり」と仰せられている。
まさに蒙古は世界帝国だったのであります。

 【中国も急膨張】

 一方中国は、毛沢東が中華人民共和国を建国したのが一九四九年ですが、以来今日(こんにち)まで六十年。
あの貧しかった中国が、あっというまに全世界に脅威を与える軍事超大国になった。「一皿のスープをすすり合っても、ズボンを履(は)かなくても、核大国になるんだ」と、この鉄の意志で遮二無二(しゃにむに)突き進んで来たのです。
 その間、人民公社・大躍進運動が大失敗して数千万人が餓死しても、また文化大革命でこれまた数千万人の犠牲者が出ても、一顧(いっこ)だにせず「核大国になる」という国家意志を貫き通している。
そして今日、ついにアメリカすら対決を恐れるほどの核大国となったのであります。

 【中国の核は世界を制する】

 中国が現在保有している核弾頭はすでに数千発ですよ。したがって、それを運搬する核ミサイルも数千基といわれている。
 これらの核ミサイルは、アメリカ本土に届く大陸間弾道ミサイルを始めとして、日本に照準を合わせている中距離弾道ミサイルの「東風21」、また台湾を狙っている短距離ミサイルなど、計数千基です。
 核弾頭の性能も月々に小型・軽量化へと進化し、単弾頭から多弾頭システムに移行しつつある。
 この多弾頭システムというのは、一基の弾道ミサイルに数個の核弾頭を載せたもので、それが空中で分離して、複数の目標を同時に破壊することができる。
この多弾頭核ミサイルは、たった一基で、数千万人を一時に殺害する能力を持つという恐るべき兵器です。
 中国はこの多弾頭核ミサイルを十年も前から、毎年大量に増産しているのです。
 やがて中国の核は、必ず世界を制するようになる。そしてこの核戦力を背景に、太平洋を威圧する航空母艦の建造もいま進められているのです。

【大蒙古と中国の仏法上の役割】

 どうです。大蒙古とこの中国と、まことによく似ているでしう。共にわずか六十数年で急速に膨張したことといい、修羅のごとき飽くなき侵略性といい、そして共に日本に対して侵略の意志を懐くなど、不思議なほど似かよっている。
 私はこの二つの国に、仏法上の役割を感じております。すなわち、御本仏日蓮大聖人に怨(あだ)をなす国、また背き続けている日本に、治罰(じばつ)を加えるという役割があるのです。
 そしてこの役割をなさしめているのが、大聖人様の御化導を助けまいらせる、梵天(ぼんてん)・帝釈(たいしゃく)・日月(にちげつ)・四天(してん)等の、諸天の力用(りきゆう)なのであります。

 【大蒙古の責め】

 いいですか。
 御在世の大蒙古の責めは、日蓮大聖人を流罪・死罪に処し奉った日本国を罰して、大聖人こそ久遠元初の御本仏であられることを証明したものです。
 ゆえに聖人知三世事には「日蓮は一閻浮提第一の聖人なり。上一人(かみいちにん)より下万民(しもばんみん)に至るまで、之(これ)を軽毀(きょうき)して刀杖(とうじょう)を加ヘ流罪に処するが故に、梵と釈と日月・四天、隣国に仰せ付けて之(これ)を逼責(ひっせき)するなり」と。
 「一閻浮提第一の聖人」とは、釈尊にも勝れた久遠元初の御本仏ということ。この大慈大悲の御本仏を、日本国の上下万民は怨(あだ)み、頸(くび)を切らんとし、流罪に処した。ゆえに梵天・帝釈等の諸天は隣国に命じて、この日本国を責めしめたのであります。

 【中国の責め】

 では、広布前夜の他国侵逼はどうなのかといえば――
 これは、いつまでも日蓮大聖人に背き続ける日本、ことに正系門下まで国立戒壇建立の御遺命を抛(なげう)ち大聖人に背き奉っている。
ゆえに諸天は怒り、隣国に命じてこの国を罰するのです。
そしてこのとき、日本一同、始めて目ざめるのであります。
 ゆえに上野抄には
 「ただをかせ給へ、梵天・帝釈等の御計(みはから)いとして、日本国一時に信ずる事あるべし」と。
 梵天・帝釈等の諸天は隣国に命じて、御本仏に背き続ける日本を責めしめる。このとき日本の人々は、国亡び、我が命を失う恐怖心から、始めてこの国にまします日蓮大聖人の重き重き御存在に気づき、日本国一時に南無妙法蓮華経と唱え奉る時が必ず来る――という御断言であります。

 【日本は保たない】

 どうです――。中国が世界をも制する強大な核戦力を背景に、空母機動部隊をもって日本を威圧するとき、日本は果して太刀(たち)打ちできるでしょうか。
 アメリカの「核の傘」はもう頼りにならない。政治家たちは国を守る気概もない。国民は迫る危機も知らずに遊びほうけている。このような日本が保(も)つはずがない。
 思い出しますが、今から十六年前の一九九三年、中国の首相・李鵬(りほう)は、訪中したオーストラリアのポール・キーーティング首相に対し、「日本などは、三十年後には無くなっている」と言い放った。
これを開いたキーティング首相は驚いたという。
 しかし、鉄の意志で核大国への道を歩みつつある中国から、危機感のない弛(たる)み切った日本を見れば、この発言が出ても当然であると私は思う。
 李鵬の言った「三十年後」まで、あと十四年しかない。
 中国が日本への侵略を開始するとき、もし日本が戦えば残虐な大殺戮(さつりく)が待っている。もし戦わずして併合されれば、そこには民族浄化が待っている。
 民族浄化というのは、すでにチベットでも行われているが中国の異民族支配の常套(じょうとう)手段ですよ。当時チベットには二四三万人のチベット人が住んでいた。
中国はその約八倍に当る二千万人の漢民族移住の大計画を立て、次々と漢民族を送り込んだ。つまりチベット族を漢民族化してしまう。これが中国の異民族支配の常套手段なのです。
 日本も同じようになる。反抗する者はことごとく虐殺され、中国人男子が大量に日本に送り込まれてくる。そしていつのまにか日本民族が漢民族化してしまう。このとき日本は完全に滅亡してしまうのであります。

 【御本仏の大誓願】

 だが、大慈大悲の大聖人様が、この日本の悲惨を、そのまま見過(す)ごされましょうか。
 大聖人様は佐渡の雪中で、大誓願を述べ給うておられる。
 「我日本の柱とならむ、我日本の眼目(がんもく)とならむ、我日本の大船とならむ等と誓いし願(がん)やぶるべからず」と。
 御本仏が「我日本の柱とならむ」と御誓願あそばしたこの日本が、どうして亡びましょうか。
 ゆえに大聖人様は、この他国侵逼の大難のとき、日本国を一時に信ぜしめ給うのです。

【日本第一の女子部を築け】

 このとき、日蓮大聖人の大恩徳を、声を大にして全日本人に告げ知らしめる、身命も惜しまぬ仏弟子の大集団がなくてはならない。
 その大集団こそ、男子十万を先陣とする三百万の顕正会であります。
 そしてこの三百万の中核こそ、女子部であります。先の三・四月法蔵を見ても、全顕正会の弘通一万五千五〇〇のうち、六千六〇〇は女子部の弘通による。
 広宣流布に、女子部はなくてはならない。ゆえに私は、女子部を大事に思っている。
 さあ、異体同心の麗しい団結を以て、日本第一の女子部を早く築いてほしい。
 そして御遺命成就の日、全員で、天生原(あもうはら)まで戒壇の大御本尊の御供を申し上げ、このとき、晴れて大聖人様より清酒(すみざけ)をも賜り、紅涙の中に、全員でこれを頂戴しようではありませんか。
       以上。(大拍手)


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