『正本堂について』浅井会長のおかしさを考察

顕正会浅井会長は、正本堂について難癖をつけているが、その思想は独善的なものだといえる。
正本堂が不浄の地にあるのなら、現在の奉安堂も同じ事になる。
また御宝蔵についても、「大日蓮」掲載の記事を読む限り、謗法の徒を招き入れてるのだから、不浄の場所となる。
御遺命守護完結としたところで、浅井会長の主張で言うならば、どちらに大御本尊様が、納められても不浄となってしまう矛盾が生じるのである。



『しかるに、いま事の戒壇とて、大石寺御堂裏地が堀り返えされている。
この地は曽って一般信徒の広大なる墓地である。「霊山浄土に似たらん最勝の地に」と御遺命遊ばした戒壇か、何故に不浄の墓所を堀り返してまで無理に立てられねばならぬのか。
凡夫の臭骨に壕れた土地が何故恐れ多くも大御本尊の御座所に選ばれねばならぬのか。道理を無視した強引の通る筈はない。
だがこれよりも百千万億倍許されざる暴挙がある。即ち御歴代上人の御正基御遷座である。
大聖人のもぬけられたる大導師として、先師上人その一生を法に捧げ拾い、いまその化を止めて静かに休み拾う処を、何の必要あって発き奉るのか。
しかも御歴代中多数の上人は御土葬とも洩れ承る。嗚呼先師すでに土に成り給う。
その霊土を誰大が荒し奉る権利を有する。況や謂れ無き工事に於ておや。殊に近代御高徳の某上人の御遺体に於ける恐れ多さ、伝え聞くに背筋の凍るを憶え、暗涙思わず頬を伝うのみ。
先師上人に対し奉る辱め、これに勝るは断じてあるべからずと繰り返えし憤りを新たにするものである。
 ここに歴代先師の定め伝うるが如く、事の戒壇は天母山に立たざるべからすと堅く信じ奉るものである。』

浅井会長は、正本堂建立地に言及するなかで、一般信徒墓地を「凡夫の臭骨に壕れた土地」と言い、大石寺歴代御法主上人の墓所について「霊土」と言ってる。
浅井会長の言う
「正系門家たる大石寺」の過去の信徒に対する冒涜でしかない。
仮に、いかに信心が決定した信徒であっても、遺骨が穢れているとするならば、たとえ歴代上人であっても同じ道理であろう。
遺骨を臭骨と言い、穢れとする考えは、顕正会浅井会長が言ってる謗法の日本古来の土着信仰思想に由来するのであるから、このような表現は、謗法与同どころか、謗法そのものと言えよう。
ここでも仏法ゴッコの現象が見て取れるのである。



「あろうことか、彼は正本堂の落慶式に先立って行なわれた完工式に、ローマ法王庁か
ら二人、米国から二人、都合四人のキリスト教神父を正式に招いていたのであった」
「なんたる腐敗堕落であろうか。池田には信心のかけらもない、あるのは、ただ政治野
心と名聞名利だけだった。しかし妙信講がこの悪事を知ったのは二年後の四十九年夏であっ
た」(なぜ学会員は功徳を失ったか)

「来賓の件については、落成式には招かず、建物が完成した時点の御遷座以前に、建設
に寄与した工事関係人、銀行等を集めて『完工式』を行うことと決定された。ここに戒壇
の大御本尊に対し奉る不敬は辛うじて防がれた。誑惑の『完結』はギリギリのところで砕
かれたのである。時に昭和四十七年九月二十八日であった。もしこの一事が通らなかった
ら――。私は十月十二日以後の自分の存在を全く考えていなかった。―――私はこの決意
を告げた。会場は名状しがたい空気に包まれ、全員が泣いた」
「事きわまって大聖人の御裁断は此処に下り給うた。―――また不信・謗法の来賓数千
も大御本尊の御座所をついに踏み給わず。御遺命の正義・本宗七百年の伝統は、辛うじて
此処に死守せられた。これに至る経過、まさしく御本仏大聖人の御守護なくしては、と両
眼滝のごとし」(「富士」二百五十号)

「ある時姉崎博士それから国柱会の山川、長瀧等の諸先生が登山されたことがあった。
上人の御導師で戒壇の御本尊の御開扉、終わりて徐に参詣者に向直られたる上人は、『各々
ヨウコソの御登山、仏祖三宝も御満悦のことと存ずる。――各々が無始以来の罪障消滅現
当二世の所願満足と厚く御祈念申し上げました。南無妙法蓮華経――』と一拶された」
(「大日蓮」昭和十年三月号)
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