冨士大石寺顕正会とは――

 日蓮大聖人は御入滅に際し、あまたの御弟子の中から日興上人を選び、滅後の「大導師」として仏法のすべてを付属(ふぞく)されると共に、日本と世界の真の安泰・平和のため、将来、日本国一同が帰依するとき、一国の総意を以て「本門戒壇」を建立すべき旨を、御遺命(ごゆいめい)された。
 日興上人はこの国立戒壇建立の御遺命を泰じて、広宣流布の礎たるべき寺を正応三年(一二九○)、富士山麓の大石ケ原に建立された。
これが仏法の唯一の正系「富士大石寺」である。
 そしてこの冨士大石寺を総本山として、六百余の末寺を包括する宗教法人が「日蓮正宗」である。
顕正会はこの日蓮正宗の信徒団体であり、創価学会も同じく日蓮正宗の一信徒団体であった。
 ちなみに、日蓮正宗の唯一の使命・目的は、冨士大石寺を総本山としている以上、当然国立戒壇の建立にあった。
ところが、創価学会が政治野心を懐いてから、日蓮正宗からこの「国立戒壇」の大目的が消滅した。
創価学会が「国立戒壇は選挙に不利」として、日蓮正宗にこれを放棄せしめたからである。
さらに学会は俄に「正本堂」という建物を造り、これを「御遺命の戒壇」と偽った。
これは日蓮大聖大の御遺命に対する重大な違背である。
しかるに、これを制止すべき日蓮正宗の高僧等は創価学会に諂い(へつら)い、この仏法破壊に同調してしまった。
 これを見て顕正会は、連々と創価学会を諌め続けた。
学会はついに日蓮正宗を動かし、顕正会を解散処分に付せしめた。
だが、顕正会はこの理不尽の弾圧に屈せず、日蓮大聖人の御遺命を高く掲げて正法弘通に立ち、その死身弘法は本年六月を以て、ついに五十万に達した。
 一方、癒着した日蓮正宗と創価学会はその後自然と争いを生じ、その醜い抗争の姿を一国に晒している。
これ御遺命に背いた罰である。
仏法の世界がこのように濁乱(じょくらん)すれば、国もまた濁乱する。
日本はいままさに亡国の危機を迎えている。
 ここにいま、顕正会は正系門家の中で御遺命を守り抜いた唯一の団体として、二祖日興上人・三祖日目上人の冨士大石寺の清らかな源流に立ち還り、日蓮大聖人の遺命実現をめざし、死力を尽くしているのである――。
  
    冨士大石寺顕正会    会長 浅井昭衛

『日蓮大聖人に帰依しなければ日本は必ず亡ぶ』

   ・目 次・
【序正】 日本国いま亡びんとす 3

 火宅に遊ぶ子 3
 「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」 6
一国の捨離・門下の違背 9

【第一章】 亡国の根本原因 13

 国家の興亡と仏法 13
 仏法の正邪は五綱で判ずる 14
 正像二千年間の実例 17

二 末法下種の本仏・日蓮大聖人 18
   種・熟・脱の三益 19
   末法に御本仏出現 21
   釈尊の預言証明 22

三 日蓮大聖人の大恩徳 25
   最大深秘の大法 26
   現当二世の大利益 28
   全人類を救済 31
   忍難の大慈悲 32

四 御頸を刎ね奉る 37
   竜の口の刑場 37
   大罰は在世・滅後にわたる 39
   滅後の大罰 41

【第二章】 「日蓮によりて日杢国の有無はあるべし」 43
   なぜ自叛・他逼が起きるのか 44


一 諸天善神について 45
  太陽・月にも色心の二法 46
 太陽・月の影響力 48
 三災七難 50
 諸天が守護する理由 52

二 諸天守護の現証 55
   正嘉の大地震 56
   文永の大彗星 57
   蒙古の国書 58
   平左衛門を叱咤 60
   八幡大菩薩を諌暁 60
   月のごとき光り物 62
   依智の星下り 63
   三光天子の働き 64
   日天子の守護 65
   忽ちの自界叛逆 66
   「よも今年は過ぎず」 67
   透徹の大慈悲 69

【第三章】 亡国の予兆  72

  「自他の叛逆歳を逐うて」 72
   悪に悪を重ねる 67
   孤立する日本 69
   軍事超大国の出現 79
   亡国の政治家・亡国の民 82
   大彗星出現 84
   大地震も遠からず 86

【第四章】 立正安国 91
     
   「他国来難の刻」 92
    国立戒壇と憲法 93
    本門戒壇建立の御遺命 98
    結び 103


『序章 日本国いま亡びんとす』

一切の大事の中に、国の亡ぶるが第一の大事にて候なり」とは、亡国必至となった再度の蒙古襲来を前にしての、日蓮大聖人のお言葉である。――いま日本国に、この「第一の大事」が起こらんとしている。

   【火宅に遊ぶ子】
 しかし人々はこの危機を知らない。そして貪欲(とんよく)・瞋恚(しんに)・愚癡(ぐち)の三毒にまみれ、目先の安逸にのみ溺れている。そのさまは、あたかも「タイタニック号」の乗客のごとく、「火宅に遊ぶ子」のごとくである。
 タイタニック号は四万六千余総トンの豪華客船。当時としては画期的な二重底と防水区画を採用して「不沈船」と謳われていた。
その処女航海に招かれた紳士・淑女は二千二百余人。
華やかな船上の宴に、こころ陶然としていたに違いない。
しかしその行く手に待っていたのは、思いもかけぬ氷山との衝突、そして沈没であった。
 また法華経の譬喩品(ひゆほん)には「三車火宅の譬」(さんしゃかたくのたとえ)が説かれている。
猛火に包まれた宅(いえ)の中で子供たちがオモチャに戯(たわむ)れて夢中になっている。
子供たちは火の怖さを知らない。「覚(さと)らず、知らず、驚かず、怖(お)じず……出(い)でんと求むる意(こころ)無し」とある。この子供を、父の長者が方便(ほうべん)を用いて火宅より救い出す――という譬えである。
 いまの日本は、政治家も官僚も企業トップもマスコミも大衆も、ことごとく"火宅に遊ぶ子"となっている。
国まさに亡びんとしているのに「覚らず、知らず、驚かず、怖じず」で、オモチャに夢中になっている。
 国の命運を担うべき政治家はポストと利権漁りに明け暮れ、官僚は賂(まいない)にまみれ、企業トップは闇の世界と癒着し、マスコミは視聴率を至上として軽佻浮薄、そして大衆は自己中心・欲望肥大に浸り切っている。
まさに"一億総火宅の子"ではないか。
 とりわけ政権に在る政治家の無責任は、直接国家の安危に関わるから垂大だ。
彼等は国の防衛は他人に任せ、国家財政が破綻に瀕しても、少しも「驚かず、怖じず」の体(てい)である。
最大の関心事は、己れの面子と政権の維持だけのごとくに見える。
これは、ペルーの日本大使公邸がテロリストに占拠された析の右往左往ぶり、そして解決した時のはしゃぎぶりを見てもわかる。
 「選択」誌の伝えるところによれば、五月十四日、橋本龍太郎首相以下官邸のメンバーは「ペルー打ち上げ」とて、都内の超高級料亭の一室に生バンドを入れ、歌合戦をしたという。
首相は「もしもピアノが弾けたなら」を皮切りに八曲、官邸のメンバーも次々と歌を披露。
酔いも手伝って、橋本首相は官房長官と肩を組んで軍歌を歌いまくったという。
これにはさすがの自民党幹部からさえ「はしゃぎすぎだ、官邸が泥酔状態になって危機管理はどうなるのか」とクレーム。
ある首相経験者は「マイク握る時間があったら勉強しろ」と不快感を表明したという。
 これが事実とすれば、呆れるほどの軽薄さと云わねばならぬ。
日本人人質の「全員無事救出」で政権は安泰と見てのはしゃぎなのであろうが、この解決は日本政府の力ではない。
フジモリ大統領の背水の陣の決断による。しかも三人のペルー人の犠牲が出ている。一人は当日招かれ人質となった賓客、残る二人は日本人人質を救出するために、我が身を楯としたペルー軍人の将校である。
この三人の責い犠牲のうえで、この事件は解決を見ているのだ。
殉職したラウル・ヒメネス大尉には婚約者がいた。今年十一月に挙式予定だった。婚約者は悲嘆にくれ、日本人記者に「私の心はからっぽ」「大尉のことを日本の皆さんは忘れないで……」と語っている。
この悲痛な犠牲を少しでも思ったら、どうして生バンドを入れての歌合戦などができようか。
 沖縄の「特措法」が通ったといっては祝宴を張り、「ペルー打ち上げ」といっては歌合戦。
この軽薄さと無責任はどうしたものか。自民党幹部すら指摘している、「官邸が泥酔状態になって危機管理はどうなるのか」と。
 阪神大震災の教訓はどうなったのか。大地震はいつ起こるか知れない。
北朝鮮はいつ暴発するか知れないではないか。工作員の出入は自由、まさにスパイ天国だ。無防備・油断だらけのこの日本ほど、侵略し易い国は世界のどこにもないであろう。
ペルーの日本大使公邸ではない、日本列島がいつ占拠されるかわからないのである。
 にもかかわらず、政治家はポストと利権と選挙のことしか頭にない。これが"火宅に遊ぶ子"でなくて、何であろうか。
この弛み切った日本の現状こそ、亡国の予兆なのである。では、いかなる災厄が起こるとき、国は亡ぶのであろうか――。
 それは、自界叛逆(じかいほんぎゃく)と他国侵逼(たこくしんぴつ)である。
自界叛逆とは、国家の秩序が崩壊して内乱が起こること。他国侵逼とは、他国により侵略されること。この二難が起こるとき、国家は亡びる。
 「国の亡ぶるが第一の大事」と仰せの日蓮大聖人は、立正安国論においてこの二難の悲惨を、次のように示されている。
 「帝王は国家を基(もとい)として天下を治め、人臣(にんしん)は田園を領して世上を保(たも)つ。而るに他方の賊来たりて其の国を侵逼(しんぴつ)し、自界叛逆(じかいほんぎゃく)して其の地を掠領(りゃくりょう)せば、豈(あに)驚かざらんや、豈(あに)騒がざらんや。国を失い家を滅せば、何(いず)れの所にか世を遁(のが)れん」と。
 そしていま、この自界叛逆と他国侵逼の二難が、日本にひたひたと迫りつつある。それも、政治の失策等の浅い原因からではない。仏法上の失(とが)により、起こらんとしているのである。

 「日蓮によりて日本国の有無(うむ)はあるべし」

 この世には「仏」という実在がある。仏とは、透徹の智恵を以て生命・宇宙の実相を見究め、自ら「成仏」という永遠に崩れぬ幸福境界を証得されると同時に、この成仏の境界に一切衆生をも導き入れんと、大慈悲を以て法を勧め給うお方である。
 この広漠の宇宙法界には、三世・十方にわたって無数の「仏」が存在する。
三千年前、インドに出現した釈迦仏(しゃかぶつ)も、その中の一仏である。
しかし釈迦仏法は入滅後二千年で滅尽する。
そしてそれ以後の時代を「末法」(まっぽう)という。
 末法は貪(とん)・瞋(じん)・擬(ち)の三毒が強い荒凡夫で充満し、争い事の多い荒れた世の中となる。
この末法においては、釈迦仏のような三十二相で身を荘厳(かざ)った並みの仏すなわち「熟脱(じゅくだつ)の仏」では、大衆は救えない。
このとき「久遠元初(くおんがんじょ)の自受用身(じじゅうじん)」という、三世十方の諸仏の根源たる本仏が出現され、三人秘法(さんだいひほう)という根本の仏法を以て、人を、国を、人類を、救済される。
この「下種(げしゅ)の御本仏」こそが、七百年前、日本に出現された日蓮大聖人であられる。
 日蓮大聖人は大慈悲を以て、三夫秘法の「南無妙法蓮華経」を唱えることを、人々に勧められた。
末法にはこの大法以外に成仏の法はない。
また大聖人は立正安国論を認(したた)められ、三人秘法を根底として国家を安泰にすることを、国主に進言された。
 そして、もしこの三夫秘法に背くとき、人も、国も、人類も亡びることを「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」とのお言葉を以て、強々と一切大衆にお示しになられた。
これ、全人類を教うために、帰依すべき唯一大の仏を教え給うたものである。
 ところが当時の日本国は、大聖人から「邪法」と破析された念仏・禅・真言・律など、邪宗の僧等の讒言(ざんげん)と煽動によって、国主から万民にいたるまで、国中が大聖人を誤解して憎み、悪口罵言(あっくめり)はもちろん、二度まで流罪(るざい)し、ついには竜(たつ)の口(くち)の刑場において、あろうことか御頸(おんくび)を刎(は)ね奉るという暴虐を犯したのであった。
 唯一の成仏の大法・三夫秘法を、大慈悲をもってお勧め下さるお方は、全人類にとって主君であり、師匠であり、父母であられる。
この大恩徳まします日蓮大聖人を流罪・死罪にするということは、身の震えるような大逆罪である。
 御木仏の絶大威力により、頸(くび)を刎(は)ねることこそできなかったが、刀は振り下された。
日本国は死刑を執行したのである、この大逆罪――もし大聖人が御本仏であられるならば、梵天(ぼんてん)・帝釈(たいしゃく)・日月(にちがつ)・四天(してん)等の本仏守護の諸天善神がこれを許すはずがない。
 果せるかな――。竜の口の五ケ月後、俄に鎌倉幕府内で深刻な内乱が起き、京・鎌倉は戦乱の巷と化した。
これ自界叛逆である。また三年後には、日本中の誰人も想像だにしなかった蒙古の襲来が起きた。これ他国侵逼である。立正安国論の御予言は、寸分も違わず適中したのである。
 もし大聖人が御本仏でなければ、どうしてこのような現証が起ころうか。
ゆえに他国侵逼の直後、大聖人は次のごとく仰せられている。
 「日蓮は一閻浮提第一の聖人なり。上一人(かみいちにん)より下万民(しもばんみん)に至るまで、之(これ)を軽毀(きょうき)して刀杖(とうじょう)を加え流罪(るざい)に処するが故に、梵(ぼん)と釈(しゃく)と日月(にちがつ)・四天(してん)、隣国に仰せ付けて之を適責(ひっせき)するなり。……設(たと)い万祈(ばんき)を作(な)すとも日蓮を用いずんば、必ず此の国、今の壱岐(いき)・対馬(つしま)の如くならん」(聖人知三世事)と。
  「一閻浮提」(いちえんぶだい)とは全世界の意である。大聖人こそ全世界で唯一人の久遠元初(くおんがんじょ)の自受用身(じじゅうようじん)・下種(げしゅ)の本仏であられればこそ、諸天の働きにより、一国にこの大現証は起きたのである。
  「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」の意を、ここにおいて深く思うべきである。
日蓮大聖人に背くとき、人も、国も、人類も亡びる。
このことを立正安国論には「自界叛逆・他国侵逼」と示され、さらに同奥書に「未来亦(また)然るべきか」と警告されているのである。
 人類の存する限り、国家の在る限り、立正安国論に示されたこの法則は、永遠に生きている。
そして「未来亦(また)然るべきか」の「未来」とは、まさしく今日のことなのである。

   【一国の捨離・門下の違背】

 大聖人滅後七百年を経ているのに、日本の人々は、未だに大聖人が留め置かれた三人秘法を捨てて顧みない。
七百年前に御頸(おんくび)を刎(は)ね奉るという大逆罪を犯しながら、未だに二分の改悔(かいげ)もないのである。
 また内において人聖人の仏法を堅く守るべき正系門流・日蓮正宗においては、創価学会が政治野心に走り、大事の御遺命たる国立戒壇建立の大目的を捨て去ってしまった。
 この、一国の正法捨離と門下の御遺命違背、この無慟無愧(むざんむき)の実態を見るとき、どうして諸天怒りをなさぬことがあろうか、自叛・他逼の起こらぬことがあろうか、国の亡びぬことがあろうか。
 立正安国論には金光明経(こんこうみょうきょう)を引いて、もし仏の留め置いた正法を一国こぞって捨てて顧みなければ、国土を守護する諸天善神はその国土を捨て去り、国にさまざまな亡国の予兆が現われ、ついには他国侵逼が起こることを、次のように説かれている。
 「其(そ)の国土に於(おい)て此の経有(あ)りと雖(いえど)も、未だ嘗(かっ)て流布(るふ)せしめず、捨離(しゃり)の心を生じて聴聞(ちょうもん)せん事を楽(ねが)わず。……我等四王(しおう)並びに……国土を守護する諸大善神有らんも、皆悉(ことごと)く捨去(しゃこ)せん。既(すで)に捨離し已(おわ)りなば、其の国当(まさ)に種々の災禍(さいか)ありて国位を喪失(そうしつ)すべし。一切の人衆(にんしゅう)皆善心無く、唯繋縛(ただげばく)・殺害(せつがい)・瞋諍(しんじょう)のみ有って互いにるい相讒諂(るいざんてん)し、枉(ま)げて辜(つみ)無きに及ばん。……彗星数(すいせいしばし)ば出(い)で、両(ふたつ)の日並び現じ……地動き……他方の怨賊(おんぞく)有りて国内を侵掠(しんりゃく)せん」と。
 経文の明鏡は、今日の日本を映(うつ)すがごとくである。
この国に三人秘法ありといえども、国中こぞって捨てて顧みなければ、種々の災禍が起こる。
 その中で「国位を喪失」とは、一流国が三流国になるということではない。国主がその王位を失うことだ。五十年前の敗戦により、天皇は日本国の統治権を喪失された。日本はついに「主なき国」となったのである。昭和天皇においては名亡実存、しかし平成の御代になってからは名実並亡の感が深い。
 「一切の人衆皆善心無く」とは、日本国の上から下まで貪(とん)・瞋(じん)・痴(ち)の三毒にまみれ、モラルを失うことだ。
政治家・官僚は忠誠の対象を失うゆえに腐敗堕落して私利私欲に走り、巷には凶悪犯罪が横行する。
オウムの無差別テロ、また最近神戸市で起きた、いとけなき小学六年生の生首事件のごときは、その残忍卑劣において史上例を見ない。「枉(ま)げて辜(つみ)無きに及ばん」とはこれである。そして国の明日を担うべき若者は覚醒剤に溺れ、少女は遊ぶ金ほしさに平然と援助交際と称する売春をする。
泡沫(うたかた)の経済繁栄に身も心も蕩(とろ)かされ、これほど弛(たる)み切った類廃・旗持の時代が、日本の歴史に曽てあったであろうか。
これ亡国の予兆でなくて何であろうか。
 亡国の予兆の最大は天変地夭(てんぺんちよう)である。天変とは大彗星、地夭とは大地震である。
仏法に因(よ)り国が亡ぶときには、必ず先ずこの天変地夭が前相として現われる。
 大聖人の御在世には、正嘉元年に鎌倉を襲う巨大地震が、そして文永元年には全天空を横断する前代未聞の巨大彗星が出現している。
大聖人はこの大地震・大彗星について「他国より此の国をほろぼすべき先兆なり」(法蓮抄)と断じ給うた。
 しかるに本年、「人類の観測史上で最大」と世界中で云われた大彗星が、三月から五月にかけて青白い光芒を放って出現した。
この彗星は、まさしく「文永元年の大彗星」に次ぐ巨大彗星である。
大聖人滅後七百年、御在世に次ぐこの「平成九年の大彗星」が、濁悪の世に出現したということは、只事ではない。まさしく他国侵逼の先兆である。
 また、かかる大天変がありながら、それに呼応する地夭のないことは、仏法上断じてあり得なさればいま日本国は、磁石が鉄を吸うごとく、首都圏をゆるがす大地震ののち、まさに自界叛逆・他国侵逼の大難を招かんとしている。
そしてこのことが事実となったとき、国は亡ぶ――。
 日本一同、早く日蓮大聖人の仏法に目覚め、速かに御遺命のごとく国立戒壇を建立し、日本を亡国の淵より枚わねばならない。
 このことを、日蓮大聖人の弟子として日本国民に告げ知らしめんがため、本書を著わした次第である。

『第一章 亡国の根本原因』
一国家の興亡と仏法

 国家の興亡盛衰の原因を尋ね見るに、そこには近因・遠因あるいは表面の因・根本の因等、さまざまな次元がある。
近因あるいは表面の因は誰にも容易にわかる。
しかし根本の因は、仏法の鏡に依らねばこれを知ることはできない。
 仏法とは、仏が透徹(とうてつ)の智恵を以て時間に三世を尽くし空間に宇宙法界を究(きわ)めて覚(さと)られた、生命・生活の根本の法則である。
ゆえに個人においては成仏という無上の幸福境界を得る生話法であり、国家においては三災を消滅して真の安泰を得る秘術である。
 国家も個人も、よくよく見れば、この仏法の法則のままに動いている。
 ゆえに日並太聖人は「我が面(おもて)を見る事は明鏡(めいきょう)によるべし、国土の盛衰(せいすい)を計(はか)ることは仏鏡(ぶっきょう)にはすぐべからず。・・・・仏法に付(つ)きて国も盛へ人の寿(いのち)も長く、又仏法に付きて国もほろび人の寿も短かかるべしと見へて候」(神国王御書)と仰せられている。――自分の顔を見るのは明らかな鏡によるべきだが、国家の興
亡盛衰を計(はか)るには仏法の鏡を用いなければいけない。仏法に依って国も盛え人も幸福になり、また仏法を取り違えれば国も亡び人も不幸になる――と。
 政治の善悪、政策の巧拙が、国の命運に関わることは誰にもわかる。これ表面の因果である。
しかし仏法によって国家の盛衰があることは、世間一般の理解を超える。これ根底の因果である。
 この表面と根底の関係は、建物と地盤のごとくである。
たとえ建築技術の最善を尽くして建物を作ったとしても、もし地盤が液状化してしまったら、建物の強弱などは問題ではなくなる。
同じように、いかに政治・政策の最善を尽くしても、一国が仏法に背いて諸天の守護を失えば、国は亡びる。
また逆に、たとえ失政があったとしても、国の福運いまだ尽きない時には、失政だけでは亡国には至らない。
 この道理を日蓮犬聖人は「王法(おうほう)の曲がるは小波(しょうは)・小風(しょうふう)のごとし、大国(たいこく)と大人(たいにん)をば失いがたし。仏法の失(とが)あるは大風(だいふう)・大波(だいは)の小舟(しょうしゅう)をやぶるがごとし、国のやぶるる事疑いなし」(神国王御書) と仰せられている。
   
   【仏法の正邪は五綱で判ずる】
 では、亡国の因となる「仏法の失(とが)」とはどういうことか――。これは、その時代に適した正しい仏法に背く、ということである。
 仏法の教法には、浅きから深きに至ってこれを見るに、小乗経・権(ごん)大乗経・法華経の迹門(しゃくもん)・本門(ほんもん)・文底(もんてい)の五つの教法がある。
そして、この中のいずれがその時代に適した教法であるかは、五綱(ごこう)という基準でこれを判じなければならない。
 五綱とは、教(きょう)・機(き)・時(じ)・国(こく)・教法流布(きょうほうるふ)の前後である。
あたかも医師が薬を選ぶとき、患者の病状・時候・風土・前医の投薬の次第等を考慮するごとく、仏は教法を弘めるに当って、民衆の機根・時代・国・教法流布の前後を見きわめ、これに適(かな)った教法を流布して一切衆生を教うのである。
 五綱は仏法の正邪を判ずる重要な基本原理であるから、以下簡略に説明する。
  「教」とは仏の授与する教法のことで、前述のごとく小乗・権(ごん)大乗・法華経の迹門(しゃくもん)・本門・文底(もんてい)の五教がある。
すなわち釈尊は一代五十年の説法において、初めの四十二年は小乗・権大乗を説き、最後の八年において出世の本懐たる法華経を説いている。
この法華経には二十八品があり、前の十四品を迹門といい、後の十四品を本門という。
本門十四品の肝要は寿量品であるが、この寿量品の文の底に、釈尊自身が仏に或るために修行した根源の大法・南無妙法蓮華経が秘沈されている。
これが文底下種の大法で、末法に日蓮大聖人が弘通される三人秘法である。
「機」とは教化を受ける民衆の機根(きこん)のことで、これに本已有善(ほんにうぜん)と本末有善(ほんみうぜん)の二機がある。
本已有善は過去世にすでに仏種(ぶっしゅ)(仏に成る種)を下(おろ)されている衆生で、この衆生は釈迦仏の在世および正・像二千年の間に生まれる。本末有善は未だ曽て仏種を下(おろ)されたことのない荒凡夫(あらぼんぷ)で、これは末法に生まれる。
 「時」とは時代のことで、これに正法(しょうほう)千年・像法(ぞうほう)千年・末法(まっぽう)万年の三時がある。
インドの釈迦仏の大滅後、初めの一千年を「正法時代」といい、次の一千年を「像法時代」といい、二千年以降の現代を「末法」という。「万年」とは一万年の意ではなく、尽未来際(じんみらいさい)の長き時代を意味する。
 「国」とは、国によって仏法の宿縁に濃淡がある。
日本は法華経有縁の国、なかんずく下種(げしゅ)の法華経たる三大秘法有縁の国である。
いま達意して云えば、日本は下種の本仏・日蓮大聖大の本国で、文底下種(もんていげしゅ)の三大秘法が世界に広言流布する根本の妙国である。
 「教法流布の前後」とは、教法を流布する順序次第のことである。我が国においては、像法時代の終わりに伝教大師がすでに法華経の迹門を弘通している。
ゆえに末法はこの迹門より一重深き本門の三大秘法でなければならない。
 以上が五綱の概略であるが、仏はこの五綱の原理に基づき、その時代・時代に適した教法を弟子に弘通せしめ、民衆を利益するのである。
 これを具体的に、正・像二千年間の弘通で見れば、正法一千年の初め五百年には迦葉(かしょう)・阿難(あなん)がインドにおいて小東経を弘め、次の五百年には竜樹(りゅうじゅ)・大親(てんじん)が小東経を破して権大乗を弘めている。
像法時代に大ると仏法は東の中国に流れ、まず大台大師が法華経の迹門を弘め、ついで日本において伝教大師が奈良の大宗を破祈して法華経迹門の戒壇(かいだん)を比叡山(ひえいざん)に建立している。
これらの弘通は、いずれも釈迦仏の付嘱(ふぞく)(法を付し弘通を託す)に基づいての、「時」に適(かな)った正しい仏法の弘通である。
したがって当時もし、この仏法に背き敵対すれば、必ず身を亡ぼし、国を亡ぼす。これを「仏法の失(とが)」を犯すというのである。

   【正像二千年間の実例】

 その実例を、インド・中国・日本に見てみよう。
 インドの檀弥羅(だんみら)王は、正法時代の終わり像法の始めごろの王であるが、仏法を憎んで国中の寺塔を破壊し、ついには釈尊の付嘱を受けた正師・師子尊者(ししそんじゃ)の頸(くび)を斬った。
このとき、刀とともに自身の腕が大地に落ち、苦悶の中で七日のちに命終している。
 また弗沙密多羅(ほっしゃみったら)王は悪臣にそそのかされ、全インドの寺塔を焼き尽くしたが、最後に鶏頭摩寺(けいずまじ)を焼いたとき頭(こうべ)が破れ、五天竺(てんじく)の王でありながら、身を滅ぼし国を亡ぼしている。
 中国では、唐の武宗(ぶそう)皇帝は初めは邪法の念仏を信じて国に内憂外患を招き、後には道教(どうきょう)を信じて仏法を弾圧し、やがて身体が爛(ただ)れて没し、国も宋(そう)によって亡ぼされている。
 日本では、聖徳太子が始めて仏法を立て、法華経等を錐護(ちんご)国家の法と定めて日本国を大いに興隆させた。
またその二百年後には伝教大師が出現し、法華経を以て日本の仏教を統一し、桓武(かんむ)天皇の平安王朝を安泰ならしめている。
 だがその後、安徳天皇を擁立(ようりつ)した平氏(へいし)は、宿敵の源氏を討たんとして悪法・真言(しんごん)の祈祷(きとう)を行い、その結果幼少の安徳帝は西海に沈み、平氏も滅亡している。
 また歴代天皇の中でもことに英邁剛毅(えいまごうき)を謳(うた)われた後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)は、北条義時を討たんとして真言の高僧に命じて義時調伏(ちょうぶく)の祈祷を尽くさせたが、かえって上皇は敗れ、自身のみならず土御門(つちみかど)天皇・順徳(じゅんとく)天皇までも島流しとなり、敢(あ)え無い最期をとげられている。
この「承久の乱」は、天皇がその王城もむなしく臣下に敗れたという、日本史上最初の重大事件であるが、これもその原因は、ひとえに仏法の取り違えにあった。
すなわち法華経を誹謗する邪法の真言を、正しいと信じた結果であった。
 以上は、正・像二千年における現証の一部であるが、「国土の盛衰を計(はか)ることは仏鏡にはすぐべからず。……仏法の失(とが)あるは大風・大波の小舟をやぶるがごとし、国のやぶるる事疑いなし」の仰せが実感として身に逼(せま)る。

『二 末法下種の本仏・日蓮大聖人』

では末法は、いかなる仏が、いかなる大法を以て人々を救って下さるのであろうか――。               釈迦仏はこの末法について重大な予言をしている。それは「関淳堅固(とうじょうけんご)・白法隠没(びゃくほうおんもつ)」(大乗経)「後五百歳中(ごごひゃくさいちゅう)・広宣流布(こうせんるふ)」(法華経)の経文である。
「闘浮堅固」とは、末法という時代は必ず戦乱相次ぐ世の中になるということ。
「白法隠没」とは、釈迦仏の仏法は末法に入るとすべて滅尽するということ。
また「後五百歳中・広宣流布」とは、釈迦滅後の第五の五百年すなわち末法の始めの五百年に、下種の本仏が出現して法華経本門寿量品の文底(もんてい)に秘沈された三大秘法を広宣流布するということである。

   【種・熟・脱の三益】

 この重大な釈尊の未来記を理解するには、「種(しゅ)・熟(じゅく)・脱(だつ)の三益(さんやく)」という、悠久の宇宙法界における仏の化導の全貌を知らなければならない。
 仏は、凡夫の思慮を絶する天文学的な長き歳月をかけ、下種(げしゅ)・調熟(ちょうじゅく)・得脱(とくだつ)の三段階の化導を施し、一切衆生を成仏に導いておられる。
下種とは、仏が始めて仏に或る種を衆生に下(おろ)すこと。
調熟とは、下した仏種を育て熟させること。得脱とは、この仏種を覚知せしめ成仏の境界に入らしめることである。
 最初の下種の化導が行われたのは、「五百塵点劫(ごひゃくじんでんごう)の当初(そのかみ)」という想像も及ばぬ大昔である。
このとき、一人の聖人(しょうにん)が我が生命を深く観(かん)ぜられ、ついに宇宙法界をも包含する生命の極理をお覚(さと)りになり、これを「南無妙法蓮華経」と名づけられた。
聖人はこの「南無妙法蓮華経」を自ら唱えて成仏の大境界を証得されると共に、大慈悲を以て人にも唱えることを勧(すす)められた。
これが最初の下種の化導である。
このときの聖人を「久還元初(くおんがんじょ)の自受用身(じじゅうじん)」とお呼びする。
この仏こそ、三世十方の諸仏の根源、下種の本仏である。
 この下種仏の化導中において、素直に信じて「南無妙法蓮華経」と唱えた人々は、一生のうちにことごとく成仏を遂げることができた。
しかし逆(さか)らって誹謗(ひぼう)したり、途中で退転した人々はいったんは悪道に堕ち、無量劫(むりょうこう)を経たのち再び生まれてきて仏に値(あ)う。
 この衆生が本已有善(ほんいうぜん)である。
この本已有善が集まるところ、その機を感じて仏も出現する。
これが熟脱(じゅくだつ)の仏である。
熟脱の化導を施す仏の身相(しんそう)は、仏像等によく見るように、両眉(まゆ)の間に長い白毛が渦を巻いている「眉間白毫相」(みけんびゃくごうそう)とか、頭頂(ずちょう)の肉が隆起している「頂上肉髻相」(ちょうじょうにくけいそう)とか、いわゆる三十二相(さんじゅうにそう)を以て身を荘厳(かざ)っている。
これは衆生に尊敬の念を起こさせて過去の下種を育て、少なくとも誹謗等によってせっかくの仏種を損(そこな)わさせないためで、この三十二相は熟脱の仏の大きな特徴となっている。                        
 だが、久遠元初(くおんがんじょ)の白受用身(じじゅうじん)・下種の本仏は、このような三十二相で身を荘厳(かざ)らない。
名字凡身(みょうじぼんしん)といって、本身のままの無作(むさ)のお姿である。
たとえ誹謗をしても末法の衆生には損うべき過去の善根はないし、かえって逆縁の下種結縁の利益があるからである。
 また久遠元初の自受用身は根源の仏であるから唯(ただ)一人。
しかし熟脱の仏はこの本仏の垂迹(すいしゃく)であるから、過去・現在・未来と十方にわたり、無数に存在する。これを「三世十方の諸仏」という。
あたかも百千の枝葉(しよう)が一根より生じ、一根に帰趣するのと同じ趣きである。
 三千年前インドに出現した釈迦仏は、この熱脱の仏の中の一仏である。
ゆえに釈尊の一代五十年の説法を見れば、まず爾前経(にぜんきょう)(法華経以前の諸経)を説き、次いで法華経迹門(しゃくもん)を説いて過去の下種を調熟し、最後に本門寿量品を説いて久還元初の下種を覚知させ、得脱せしめている。
これが熟脱の化導の共通パターンであり、これを「三世諸仏の説法の儀式」という。

   【末法に御本仏出現】

 釈尊のこの熟脱の化導は、正・像二千年で終わる。
末法に入ると、釈迦仏法はたとえ経典があっても、その利益は全く失(う)せる。
これを「白法隠没」というのである。
 どうして釈迦仏法の利益が失せるのかというと、衆生の機根が変わるからだ。
過去に下種を受けた本已有善(ほんいうぜん)の衆生は正・像二千年の間に尽き、末法には未だ曽て下種を受けてない荒凡夫ばかりが生まれてくる。
この本末有善(ほんみうぜん)の荒凡夫には熟脱の仏法は適合しない。
いわゆる"病は重し、薬は浅し"で、病状と薬が合わないのである。
 末法の衆生は貪欲(とんよく)・瞋恚(しんに)・愚癡(ぐち)の三毒が強い。
すなわち欲望肥大で、すぐカツとなり、物事の道理がわからない。
だからどの家庭も不和に悩み、社会は凶悪犯罪で満ち、国家間では戦争が相次ぐ。
その戦争も規模が時と共に増大し、ついには大量破壊兵器によって人類は絶滅に至る。
これが「闘諍堅固」なのである。
 だが、この「闘諍堅固・白法隠没」の末法の時を指して、釈尊は「後五百歳中・広言流布」と説いている。
すなわち末法の全人類を救う仏が出現し、三人秘法を広言流布する、と予言している。
 前述のごとく、末法は、未だ下種を受けていない本末有善(ほんみうぜん)の荒凡大で充満する。その「機」を論ずれば、末法は大遠元初と全く同じなのである。
まさしく種・熟・脱の長遠の化導はここに一巡し、時代は大遠元初に還(かえ)ったのである。
 このとき、大遠元初の自受用身が出現される――。では、この大還元初の自受用身とは誰大におわすのか。その御方こそ、実に日蓮大聖大であられる。
 大遠元初の自受用身と日蓮大聖大とは、その御修行も、身相も、化導も、全く同じである。
すなわち御修行は南無妙法蓮華経と我も唱え大にも勧める三大秘法の修行、身相は三十二相で身を荘厳(かざ)らぬ名字凡身の位、化導は下種益。
この行位全開(ぎょういぜんどう)のゆえに、日蓮大聖大を久遠元初の自受用身・末法下種の木仏と申し上げるのである。

   【釈尊の予言証明】

 末法に「三世十方の諸仏」の御師たる根源の本仏が出現されるとならば、仏法上これはどの重大事はない。
二千余年前に出現した釈迦仏が、どうしてこの大事に言及しない道理があろうか。
――果せるかな、法華経を拝見するに、この事がはっきりと説き出されている。
 ただし法華経には、久遠元初の本仏・日蓮大聖大の御事は「上行菩薩」(じょうぎょうぼさつ)の名をもって説き表わされている。
これは、熟脱の仏法においては釈迦仏がその化導の中心であるから、その教相に準じての表現と、心得なければいけない。
さて釈尊は、涌出品(ゆじつぽん)においてこの上行菩薩を召(め)し出(いだ)し、寿量品においてはその文底(もんてい)に上行菩薩が末法に弘通すべき「南無妙法蓮華経」の本尊を説き顕わし、神力品(じんりきほん)においてこの本尊を上行菩薩に付嘱(ふぞく)し、薬王品(やくおうぽん)においてはこの大法弘通の時節を「後五百歳中(ごごひゃくさいちゅう)・広宣流布」と説き示している。
 ことに神力品の付嘱の儀式は、釈尊一代五十年の説法に絶えて見ることのない荘厳さで満ちている。
釈迦は多宝仏(たほうぶつ)・十方の諸仏と並び座し、梵天(ぼんてん)にまでとどく広長舌(こうちょうぜつ)を出(いだ)し、全身の毛孔(もうく)より光を放ち、大地は六種に震動する等の十神力を現じている。
このような十神力は一代諾経に絶えて見ることはできない。
その上で、上行菩薩に文底下種の本尊を付嘱しているのである。
 まさしく神力品のこの付嘱の儀式こそ、末法の全人類に下種の本仏・日蓮大聖人を信ぜしめるための証明、また末法に三大秘法が広宣流布する大境を示されたものに他ならない。
 ゆえに大聖人は
  「実には釈迦・多宝・十方の諸仏、寿量品の肝要たる南無妙法蓮華経の五字を信ぜしめんが為なりと出(いだ)し給う広長舌(こうちょうぜつ)なり」(下出御消息)
  「此の神力品の大境(だいずい)は、仏の滅後正像二千年すぎて末法に入って、法華経の肝要のひろまらせ給うべき大境なり」(瑞相御書)と。
 もし仏教学者と称する者にして、この神力品の、太陽のごとく明らかな付嘱を無視したり、不知の者があったら、まさに無道心の者、仏法を知らぬ者、生盲(いくめくら)の者といわねばならない。
釈尊はこの付嘱ののち、同じく神力品において、末法闘諍(とうじょう)の時の人類を、闇(やみ)より枚う上行菩薩の徳を次のごとく讃嘆している。
 「日月(にちがつ)の光明(こうみょう)の能(よ)く諸(もろもろ)の幽冥(ゆうみょう)を除くが如(ごと)く、斯(こ)の人(ひと)世間に行(ぎょう)じて能(よ)く衆生の闇(やみ)を滅(めつ)せん」と。
では、何を証拠として、日蓮大聖人を上行菩薩の再誕と知ることができるのか――。
 それは経文符合である。釈尊の予言証明は懇切を極めている。法華経の勧持品(かんじぼん)には、上行菩薩が末法において南無妙法蓮華経を弘通するとき"このような大難を受けるであろう"と、その受難の相が克明に説かれている。
云く「諸(もろもろ)の無智の人の悪口罵言(あっくめり)等し」「刀杖(とうじょう)を加うる者有らん」「数々攘出(しばしばひんずい)せられん」等々――国中から悪口され罵(のの)られ、刀で切られ、杖で打たれ、幾たびも流罪される――との予言である。
 全世界を見渡すに、誰人が南無妙法蓮華経を弘めてこのような大難に値(あ)ったであろうか、誰人が釈尊のこの予言を実事としたであろうか。
日蓮大聖人よりほかには、断じてあるべくもない。
 ゆえに開目抄に云く
 「抑(そもそも)、たれやの人か衆俗(しゅぞく)に悪口罵詈(あっくめり)せらるる。誰の僧か刀杖(とうじょう)を加へらるる。誰の僧をか法華経のゆへに公家(くげ)・武家(ぶけ)に奏(そう)する。誰の僧か数々見摘出(さくさくけんひんずい)と度々(どど)ながさるる。日蓮より外(ほか)に日本国に取り出(いだ)さんとするに人なし」
 また云く「日蓮二十七年が間、弘長元年五月十二日には伊豆国へ流罪、文永元年十一月十一日頭(こうべ)に傷(きず)を蒙(かお)り左の手を打ち析らる。同じき文永八年九月十二日佐渡国へ配流、又頸(くび)の座に望(のぞ)む。其の外に弟子を殺され、切られ、追い出され、過料(かりょう)等かずをしらず。仏の大難には及ぶか勝(すぐ)れたるか其(それ)は知らず、竜樹(りゅうじゅ)・天親(てんじん)・天台・伝教は余に肩を並べがたし。目蓮末法に出(い)でずば仏は大妄語(もうご)の人、多宝(たほう)・十方の諸仏は大虚妄(こもう)の証明なり。仏滅後二千二百三十余年が間、一閻浮提(いちえんぶだい)の内に仏の御言(みこと)を助けたる人、但(ただ)日蓮一人なり」(出世本懐成就御書)と。
 この、誰人も否定し得ぬ厳粛なる事実により、日蓮大聖人を釈迦仏予証の上行菩薩と知るのである。

『三 日蓮大聖人の大恩徳』

 すでに述べたように、釈迦の仏法が滅尽する末法は、日蓮大聖人の下種(げしゅ)の大法が広宣流布する時である。
大聖人の御確信に云く「仏法必ず東上(とうど)の日本より出(い)づべきなり」(顕仏未来記)と。
 日蓮大聖人こそ三人秘法を以て全人類を現当二世にお救い下さる下種の本仏であられる。
ゆえに、太陽の恩恵を受けない人間が一人もないように、日蓮大聖人の恩恵に浴さぬ人間は、この地球上に一人もいないのである。いま、その大恩徳のゆえんを略して挙げれば
 (1)最大深秘(じんぴ)の大法を弘通し給うたこと。
 (2)救済が現世だけでなく、未来世にもおよぶこと。
 (3)御化導の範囲は地球上の全人類におよび、かつ永遠に続くこと。
 (4)耐えがたき大難を忍ばれ、成仏の大法をお勤め下さったその大慈大悲。
 等々である。以下その一々を説明する。

  最大深秘の大法

 大聖人が弘通された仏法は、釈尊の熟脱の仏法ではなく、その根源たる、下種の大法「南無妙法蓮華経」である。
末法の全人類は、この下種の大法によってのみ初めて成仏ができる。
 ゆえに大聖人は「今末法に入りぬれば余経(よきょう)も法華経も詮(せん)なし、但(ただ)南無妙法蓮華経なるべし」(上野殿御返事)
 「一念三千(いちねんさんぜん)の法門は、但(ただ)法華経の、本門寿量品の、文(もん)の底に秘して沈めたり」(開目抄)
 「在世の本門と末法の初めは一同に純円(じゅんえん)なり。但し彼は脱(だつ)、此れは種(しゅ)なり。披は一品二半(いっぽんにはん)、此れは但(ただ)題目の五字なり」(観心本尊抄)
 等と示され、この最大深秘の大法・南無妙法蓮華経を弘め給う徳について「南無妙法蓮華経と一切衆生にすすめたる人一人もなし、此の徳はたれか一天に眼(まなこ)を合わせ、四海(しかい)に肩をならぶべきや(撰時抄)と仰せられている。
 そして、この「南無妙法蓮華経」の大法が一切衆生に授与されるとき、具体的には三人秘法という形になる。
三人秘法とは本門の本尊と、本門の題目と、本門の戒壇である。
 本門の本尊とは、口蓮大聖人が証得(さと)られた生命の極理を、文字をもって顕わされた「南無妙法蓮華経 日蓮 在御判」の大御本尊のことで、大聖人は弘安二年に、全人類総与の「本門戒壇の入御本尊」を図顕され出世の本懐とされた。
この大御本尊こそ本門の本尊の中においても随一で、いま冨士大石寺に秘蔵されている。
 本門の題目とは、この大御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉ることで、これが末法における成仏を得るための修行である。
 本門の戒壇とは、日本一同が日蓮大聖人に帰依する広宣流布のとき、一国の総意を以て本門戒壇の入御本尊を安置し奉る戒壇を建立すること。
この国立戒壇(こくりつかいだん)の建立により日本は仏国となり、このとき人々の非行・悪行は自然と防止され、事(じ)の寂光土(じゃっこうど)が顕現する。
 以上の三人秘法こそ末法の時に適(かな)った唯一の正法で、正像二千年の間には誰人も弘通し得なかった最大深秘の大法である。
ゆえに法華取要抄には「問うて云く、如来滅後二千余年、竜樹(りゅうじゅ)・天親(てんじん)・天台(てんだい)・伝教(でんぎょう)の残したまへる所の秘法何物ぞや。
答えて曰(いわ)く、本門の本尊と戒壇と題目の五字となり」 と仰せられている。

   【現当二世の大利益】
 大聖人の救済は現世だけではない。死後の来世にもおよぶ。人の生命は三世にわたって常住しているが、成仏とは現世に無上の幸福を得るだけではなく、死後の生命も守られるという永遠に崩れぬ幸福境界をいう。
「死後のことなど誰にもわからぬ」という者もあろう。だが仏法は空虚な観念論は弄(もてあそ)ばない。
すべて証拠を以て論じる。では、何を以て死後のことを知るのかといえば、臨終の相である。
死後の成仏あるいは堕獄は、その人の臨終の相に顕われる。
臨終は現世の終り、来世への始まりであるが、その臨終の相に、その人が死後どのような果報を受けるかが、前もって現われるのである。
 では、地獄に堕ちる相とはどのようなものかといえば、死んだのち、遺体が黒色を呈(てい)するのを「堕獄の相」という。
 中国の真言宗の元祖・善無畏三蔵(げんむいさんぞう)は、法華経を誹謗(ひぼう)して地獄に堕ちたといわれるが、大聖人はその証拠を、臨終の相を以て判じておられる。
 「善無畏三蔵は……死する時は『黒皮隠々(こくひいんいん)として骨甚(ほねはなは)だ露(あら)わる』と申して、無間地獄(むげんじごく)の前相を其の死骨(しこつ)に顕わし給いぬ。人(ひと)死して後、色の黒きは地獄に堕(お)つとは、一代聖教(しょうきょう)に定むる所なり」(神国王御書)と。
 また千日尼御前御返事には
 「人は臨終の時、地獄に堕(お)つる者は黒色(こくじき)となる上、其の身重き事千引(ちびき)の石(いわ)の如し。善人は設(たと)い七尺・八尺の女人(にょにん)なれども、色黒き者なれども、臨終に色変じて白色(びゃくじき)となる、又軽き事前毛(がもう)の如し、軟(やわらか)なる事兜羅綿(とろめん)の如し」と。
 大聖人の指南はまことに克明である。
地獄に堕ちる者は臨終ののちに身体(からだ)全体の皮膚が黒くなるうえ、遺体が異常に重くなる。
だが成仏した者は、たとえ生前色が黒くとも、死してのち色が白くなり、その遺体は軽く、かつ柔かい――と仰せられる。
 臨終だけは人の意志の及ぶところではない。
しかるにその臨終の法則性を、仏法はこのように説き切っているのである。
もし三世の生命が仮空であり、かつ仏法が空虚な観念論であったならば、どうして臨終にこのような現証が現われるであろうか。
 思うに、現世の生活はわずか数十年、だが死後の未来は永遠である。
また現世の苦などは、苦しいといっても無間地獄の大苦に比べれば苦の中にも入らない。
 無間の大苦について法蓮抄には
  「彼(か)の臨終の大苦をこそ堪忍(かんにん)すべしともおぼへざりしに、無間(むげん)の苦は尚(なお)百千億倍なり。
人間にして、鈍刀(どんとう)をもて爪(つめ)をはなち、鋸(のこぎり)をもて頸(くび)をきられ、炭火(すみび)の上を歩(あゆ)ばせ、棘(いばら)に龍(こ)められなんどせし人の苦を、この苦にたとへば数ならず」と。
 このような大苦が間断なく襲うから「無間」(むげん)というのだ。
さらに顕謗法抄(けんほうぼうしょう)には「もし仏、此の地獄の苦を具(つぶさ)に説かせ給はば、大聴(き)いて血を吐いて死すべき故に、くわしく仏説き給はずと見えたり。
此の無間地獄の寿命の長短は一甲劫(いっちゅうこう)なり」と。
 もし仏が具体的に無間地獄の大苦を説明したならば、聞いただけで大は血を吐いて死んでしまう。
よって仏はくわしくこれを説いていない。
しかもこの無間地獄に堕ちた者の寿命は一中劫すなわち約三億二千万年である――と。
かかる長期にわたる無間の大苦とは、まさに想像を絶する。
 ゆえにもし三世の生命を知るならば、真に恐るべきは死後の堕獄でなければならない。
この後生(ごしょう)を知らずに、ただ現世のはかなき名利や財産に心を奪われているのを愚大といい、後生を知るを賢大というのである。
 日蓮大聖大の大慈悲は、一切衆生を現世だけではなく、この無間地獄に堕ちるのをお救い下さる。
ゆえに「日蓮が慈悲慈曠大(こうだい)ならば南無妙法蓮華経は万年の外(ほか)・未来までも流るべし。……無間地獄の道をふさぎぬ」(報恩抄)と。
 また日女御前御返事(にちにょごぜんごへんじ)には「かかる御本尊を供養し奉り給う女大(にょにん)、現在には幸(さいわい)をまねき、後生(ごしょう)には此の御本尊左右前後に立ちそひて、闇(やみ)に燈(ともしび)の如く、険難(けんなん)の処(ところ)に強力(ごうりき)を得たるが如く、彼(かし)こへまはり此(ここ)へより、日女御前をかこみ守り給うべきなり」と。
 これらの仰せは事実であって、決して観念的な虚事(そらごと)ではない。

   【全大類を救済】
 釈迦の仏法はインドから中国・日本と東に流れて大々を利益したが、その化導は地域的には東洋三国に限られ、時間的にはわずか正像二千年で終わっている。
だが日蓮大聖人の下種仏法の化導は、東洋三国を初めとして全世界に及び、かつその流布は永遠に続く。
 このことを報恩抄には「日本乃至漢土(かんど)・月氏(がっし)・一閻浮提(いちえんぶだい)に、人ごとに有智(うち)・無智(むち)をきらはず、一同に他事(たじ)をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし。此の事いまだひろまらず、一閻浮提(いちえんぶだい)の内に仏滅後二千二百二十五年が間一人(いちにん)も唱えず、日蓮一人(いちにん)、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と声もをしまず唱うるなり。……日蓮が慈悲曠大(こうだい)ならば、南無妙法蓮華経は万年の外(ほか)未来までも流るべし。日本国の一切衆生の盲目(もうもく)を開ける功徳あり、無間地獄の道をふさぎぬ」と。
 この仰せのごとく、日蓮大聖人の仏法はまず日本に広宣流布し、ついで中国・インド、さらに一閻浮提(いちえんぶだい)(全世界)へと広まり、必ずや地球上の全大類が「南無妙法蓮華経」と唱えるに至る。
しかもこの唱えは断絶することなく「万年の外(ほか)・未来」までも流れるのである。
 このとき地球上から戦争・飢餓・疫病等の三災は消え、全大類は三大秘法を心豊かに行じて、大ごとに成仏の大果報を得ることができる。まさにこの地球上が、事(じ)の寂光土(じゃっこうど)となるのである。

   【忍難の大慈悲】
 このように尊く有難い三大秘法を弘め給うた大聖大ならば、定めて国中の尊敬と讃歎を受けられて当然と思われる。
だが、大聖大を待ち受けていたものは、悪口罵言(あっくめり)・流罪(るざい)・死罪の大難であった。
 なぜ、このような大難が起きたのかといえば、この宇宙法界には正しい仏法を妨害しようとする「魔」の働きがあるからだ。
仏の化導に対して魔がこれを妨げるのは、仏法の定理なのである。
 ゆえに釈尊が法華経を説かんとした時には「九横の大難」があり、天台大師・伝教大師が法華経を弘めたときにも悪口罵言があった。
しかし天台・伝教はもちろんのこと、釈尊すらも、日蓮大聖大ほどの大難は受けていない。
それは所弘の法が、三大秘法に比べれば劣るからだ。
下種の御本仏末法に出現して、最大深秘の大法を弘めるとき、前代未聞の大迫害は巻き起こるのである。
 国を挙げての迫害が巻き起こったその背景を具体的に見てみよう。
 当時の日本国には、念仏・禅・真言・律等の邪宗がはびこり、国主をはじめとして全民衆が、この邪法を固く信じていた。
 その中で、大聖大はこれらの邪義を破析し三大秘法を勧められた。薬を服(の)ませるには毒を捨てさせなければならない。
国中が信じている念仏・禅・真言・律等は大々を堕獄に導く邪教である。
ゆえに大聖大は大慈悲をもってこれを捨てさせ、「南無妙法蓮華経」と唱えることを勧め給うたのである。
 ちなみに、念仏等の諸宗がなぜ邪教なのかを、簡略に説明しておく。
 釈尊は三十成道(じょうどう)の初めから、自身の覚りであり出世の本懐である法華経を説かんとされたが、いきなり深遠なる法華経を説けば、人々は信じないどころかかえって誹謗(ひぼう)する。そこで人々の機根を調(ととの)えるため、まず四十二年の間、方便(ほうべん)の教えを説いたのである。
これら方便の経々を爾前経(にぜんきょう)といい、小乗経・権(ごん)大乗経がこれに当る。
日本の念仏・禅・真言・律(真言律宗)等の諸宗は、ことごとくこの前四十余年の経々に依って宗旨を立てている。
 釈尊はいよいよ法華経を説かんとする時、これら四十余年の方便の教えについて、次のような重大な評価判定をされている。
  「四十余年には未だ真実を顕わさず」(無量義経)
  「世尊(せそん)は法久(ひさ)しくして後(のち)、要(かなら)ず当(まさ)に真実を説くべし」(法華経方便品)
  「正直に方便を捨てよ」(法華経方便品)と。
 すなわち、前四十余年の経々は未顕真実の方便、後八年の法華経は真実であるから、法華経が説かれたのちは正直に方便の教えを捨てよ――との厳誠である。
たとえば蔵を建てたのちには足場を取り除くのと同じ。法華経という蔵が建てられた以上は、方便の足場を捨てよ、ということである。
しかるに念仏・禅・真言等の諸宗は、方便の経々に執着するのみならず、かえって釈尊の本懐たる法華経を誹謗している。
これ釈尊の重き誠めに背くもの、仏法を破壊するもの、ゆえに「邪宗」というのである。
 大聖人は大慈悲を以て、これら諸宗の諸法(ほうぼう)(正法誹謗)を破祈された。
もし彼等に、いささかでも成仏を求める道念があったならば、道理の趣くところ日蓮大聖人に帰依すべきが当然である。
だが彼等にあるのは道念ではなく、ただ怨嫉(おんしつ)だけであった。
 大聖人はこれら諸宗に対し、国主の面前での法論対決を求められた。
その御態度は道理を先として「其(そ)の理に負けてありとも其(そ)の心ひるがへらずば、天寿(てんじゅ)をもめしとれかし」(妙一女御返事)との、正々堂々のお振舞いであった。
 しかし諸宗の高僧らは、大聖人の仏法が正しければ正しいほど、そのお振舞いが正々堂々であればあるほど、嫉妬と憎悪に狂った。
彼等が恐れていたのは、自宗の誑惑(おうわく)(たばかり)が世に露(あら)われ、己れの地位と名誉を失うことであった。
 ついに彼等は大聖人の殺害を企て、民衆を煽動(せんどう)し国主に讒奏(ざんそう)した。
ここに「日本国の国主・万民等、我意(がい)にまかせて父母(ふも)・宿世(すくせ)の敵(かたき)よりもいたく憎み、謀反(むほん)・殺害(さつがい)の者よりもつよく責め……」(撰時抄)の、一国あげての理不尽そして残酷な迫害が巻き起こったのである。
 まず大聖人が立正安国論の諌暁をされた直後、数千人の念仏の暴徒が大聖人を殺害せんと、草庵を襲撃した。
この凶行の背後には、幕府の暗黙の了解があった。
ついで大聖人は伊豆に流され、また房州小松原では地頭・東条景信の襲撃により頭(こうべ)に傷を負われ、そしてついに竜の口の死罪、さらに佐渡に流罪されたのであった。
 このような大難を耐え忍ばれて、大聖人は一切衆生のために「南無妙法蓮華経」をお勤め下されたのである。
 「今日蓮は、去ぬる建長五年四月二十八日より今弘安三年十二月にいたるまで二十八年が間又他事(たじ)なし、只妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れんとはげむ計(ばか)りなり。此れ即ち、母の赤子(せきし)の口に乳を入れんとはげむ慈悲なり」(諌暁八幡抄)と。
 大難を忍び給うてのこの大慈悲は、天台大師・伝教大師等の遠く及ぶところではない。
 「されば日蓮が法華経の智解(ちげ)は天台・伝教には千万が一分も及ぶ事なけれども、難を忍び慈悲のすぐれたる事は、をそれをもいだきぬべし」(開目抄)と。
 大聖人は骨まで凍る極寒、飢え、殺害の危機せまる佐渡雪中において、なお身命を賭(と)しても全人類を救済せんとの御決意を、開目抄に次のように記(しる)されている。
 「詮(せん)ずるところは天もすて給え、諸難にもあえ、身命(しんみょう)を期(ご)とせん。・・・・・・本(も)と願(がん)を立つ。日本国の位をゆづらむ、法華経をすてて観経(かんぎょう)等について後生(ごしょう)を期(ご)せよ、父母の頸(くび)を刎(は)ねん念仏申さずば、なんどの種々の大難出来(しゅったい)すとも、智者に我が義やぶられずば用いじとなり。其(そ)の外(ほか)の大難風の前の塵(ちり)なるべし。我(われ)日本の柱とならむ、我日本の眼目(がんもく)とならむ、我日本の大船(たいせん)とならむ等と誓いし願(がん)、やぶるべからず」と。
 まことに、轟々(ごうごう)たる大爆布(ばくふ)の大地を圧するごときこの御気魄(ごきはく)。
飢えと寒さと殺害の危難せまる中で、凡夫の誰人にこのような確信と決意と大慈悲が持ち得ようか。
全人類救済の御本仏のご心地(しんち)とは、かくのごときものである。
 以上、日蓮大聖人の恩徳についてその一分を述べてきたが、これを要約すれば「主(しゅ)・師(し)・親(しん)の三徳(さんとく)」となる。
すなわち 絶大威力(いりき)を以て、日本および全人類を現当二世に救護(くご)して下さるその恩徳は「主君の徳」。
大智恵を以て、最大神秘の南無妙法蓮華経を覚(さと)り教示して下さるその恩徳は「師匠の徳」。
大慈悲を以て、大難を忍び成仏の法をお勧(すす)め下さるその恩徳は「父母(ふも)の徳」。
 まさしく日蓮大聖人こそ、末法の全人類一人ひとりにとって、主君であり、師匠であり、父母にてまします。
ゆえに一切衆生が根本として尊敬すべき、末法下種の「人(にん)の本尊」であられるのである。

『四 御頸(おんくび)を刎(は)ね奉る』
 しかるに――。
 七百年前の日本国は、一国を挙(あ)げてこの主・師・親の日蓮大聖人を軽賎憎嫉(きょうせんぞうしつ)し、二度まで流罪し、ついにはあろうことかその御頸を刎ね奉ったのであった。
天地も驚動する大逆罪とはこれである。そのさまを見てみよう。
 
  【竜の口の刑場】
――文永八年九月十二日、鎌倉幕府の実力者・平左衛門は自ら数百の軍兵を率いて、大聖人を逮捕せんと草庵を襲った。
彼は真言律宗の良観等に唆(そそのか)されすでに大聖人を殺害する意志を堅めていた。
 この日の深夜、大聖人は竜の口の刑場に引き出され、直ちに頸(くび)の座に引き据(す)えられた。
太刀取りが傍(かたわら)に立つ。
 そして大刀まさに振り下(おろ)されんとしたとき、月のごとくなる「光り物」が暗闇(くらやみ)の中に突如として出現した。
その光りの凄じさ、太刀取りは眼(まなこ)くらんでその場に倒れ伏し、警護の兵士たちもことごとく大地にひれ伏してしまった。
 砂浜に厳然と座するは、ただ日蓮大聖人御一人。大聖人は高声(こうしょう)に叫ばれた。
 「いかにとのばら、かかる大禍(だいか)ある召人(めしうど)には遠のくぞ。近く打ち寄れや、打ち寄れや」だが、怯(おび)える兵士たちは一人として近寄らない。
大聖人はさらに叫ばれた。「頸(くび)切るべくは急ぎ切るべし、夜明(よあ)けなば見苦しかりなん」と。
 刑場に響きわたるは、ただ大聖人の御声のみ――。
 まさに国家権力が、一人の大聖人の頸が切れず、その御威徳の前にひれ伏してしまったのである。
かかる厳粛、そして不可思議な光景が、人類史上に果してあったであろうか。
久還元初(くおんがんじょ)の自受用身(じじゅうしん)が末法に出現し給うとき、初めてこのような思議を絶する光景は現出する。
凡夫の悪が束(たば)になっても、御本仏の身命を奪うことはできない。
この絶大威力あればこそ、厳然の賞罰を以て末法の全人類をよく救護し給う。これ主徳のゆえんである。
しかし、御頸が飛ばなかったからといって、日本国の大逆罪が消えたわけではない。
御頸の飛ばなかったのは大聖人の御威徳によるのであって、日本国は死刑を執行したのである。
 「日蓮といゐし者は、去年(こぞ)九月十二日、子丑(ねうし)の時に頸(くび)はねられぬ。此(こ)れは魂魄(こんぱく)佐土の国にいたりて、返(かえ)る年の二月、雪中にしるして有縁(うえん)の弟子へをくれば、をそろしくてをそろしからず、見ん人いかにをぢぬらむ」(開目抄)と。
 「頸はねられぬ」とは、過去完了である。

  【大罰は在世・滅後にわたる】

 この罪の深さは、どれはどのものであろうか――。人を殺すことは罪の中の罪ではあるが、所対(相手)によって罪の軽重は違ってくる。
悪人を殺すよりも善人を殺すは罪深く、他人よりも父母、凡夫よりも仏弟子、そして極重の大罪は仏を殺害せんとすることである。
仏を殺す罪がないのは、「聖人は横死せず」(神国王御書)で、不能犯だからだ。
ゆえに仏に対する罪は、殺害せんとすることを以て最大とする。
 所対によって罪の軽重・罰の大小が異なる道理を、大聖人はかく仰せられている。
「くぶしを以て虚空(こくう)を打つはくぶし痛からず、石を打つはくぶし痛し。悪人を殺すは罪あさし、善人を殺すは罪ふかし。或(ある)いは他人を殺すはくぶしを以て泥(どろ)を打つがごとし、父母を殺すはくぶしもて石を打つがごとし。鹿を吠(ほ)うる犬は頭(こうべ)われず、師子(しし)を吠(ほ)うる犬は腸(はらわた)くさる。日月(にちがつ)をのむ修羅(しゅら)は頭七分(こうべしちぶん)にわれ、仏を打ちし提婆(だいば)は大地われて入りにき、所対(しょたい)によりて罪の軽重はありけるなり」(兄弟抄)と。
 釈尊を殺害せんとした提婆達多(だいばだった)は、現身に大地が割れて無間(むげん)地獄に堕ちている。
熟脱の仏に対する逆算にして、なおこの大罰である。
ならば下種本仏の頸刎(くびはね)ね奉るの罪の深さ、罰の重さはいかなるものか。
釈尊は法華経・法師品において"もし悪人があって、仏の面前において一劫(いっこう)の間、心の我から仏を罵(ののし)ったとしても、その罪はなお軽い。
だが、もし末法の法華経の行者を戯(たわむ)れにも毀(そし)るならば、その罪は甚(はなは)だ重い"(取意)と説いている。
これは罪の軽重に寄せて、末法に出現する下種本仏の徳を説き示されたものである。――戯(たわむ)れに毀(そし)っても、なお釈尊を一劫の間・心から罵言(めり)するよりも罪は重い――とある。
いわんや下種の御本仏・日蓮大聖人を心から憎み、流罪・死罪にするにおいておやである。
 この罪について大聖人はかく仰せられている。
 「教主釈尊より大事なる行者(ぎょうじゃ)を、法華経の第五の巻を以て日蓮が頭(こうべ)を打ち、十巻共に引き散らして散々(さんざん)に踏(ふ)みたりし大禍(だいか)は、現当二世(げんとうにせい)にのがれがたくこそ候はんずらめ」(下山抄)と。
 平左衛門(へいのさえもん)は竜の口斬罪(ざんざい)のその日、数百の兵士を率いて庵室(あんしつ)になだれ込んだ。
そのときの兵士の狼籍(ろうぜき)ぶりを「法華経第五の巻を以て……」等と仰せられる。
 文中の「教主釈尊より大事なる行者の日蓮」のお言葉はまことに重大。
法師品の趣旨を以て判ずればその意は瞭然である。ここに大聖人は、釈尊より勝れたる下種の木仏を打擲(ちょうちゃく)し、頸(くび)を刎(は)ねるの大罪を、はっきりと「現当二世にのがれがたし」と断ぜられている。
 この「現当二世」の意は、通途(つうず)における現世と来世の意のほかに、大聖人の在世と滅後の意がある。ここに仰せの意は、まさしく後者である。
すなわち大聖人の在世に天罰を受けるのみならず、もし改悛なければ大聖人滅後においても大罰を蒙る、との意である。
 そしてこの「現当二世」にわたる大罰は、個大にも、時の政権にも、一国全体にも該当する。
 大聖大の御頸(くび)刎ね奉ったのは、個人では平左衛門、政権では北条一門、そして日本国は一大残らずである。
ゆえに「日本国の男女四十大億九万四千(なんにょしじゅうくおくまんしせん)八百二十人大(四百大十九万四千八百二十八人)ましますが、某一人(それがしいちにん)を不思議なる者に思いて、余(よ)の四十九億九万四千八百二十七大は皆敵(かたき)と成りて、主(しゅ)・師(し)・親(しん)の釈尊を用ひぬだに不思議なるに、かへりて或(ある)いは詈(の)り、或いは打ち、或いは処(ところ)を追い、或いは懺悔(ざんげ)して流罪し死罪に行わる」(新旭殿御返事)と。
 文中の「主・師・親の釈尊」とは、久還元初(くおんがんしょ)の本因妙(ほんにんみょう)の釈尊、すなわち日蓮大聖大の御事である。
日本国の一大も残らず、大聖大を詈(ののし)り、打ち、処(ところ)を追い、そして流罪・死罪にし奉ったのである。――そして、現在の日本大が、一人残らず、この「四十九億九万四千八百二十七大」の子孫であることを忘れてはならない。
 この大逆罪の罰は、大聖大在世にはどのように現われたか、これを総じていえば「これは日本国をふりゆるがす正嘉(しょうか)の大地震、一天を罰する文永(ぶんねい)の大彗星」さらに「いまにしもみよ、大蒙古国、数万般(そう)の兵船をうかべて日本を責む」(撰時抄)の大罰であった。

  【滅後の大罰】  

では、滅後の罰はいかん、といえば――
 個人においては、大聖人の御頸を刎ねんとした平左衛門は、この大禍(だいか)ついにのがれず、大聖人の滅後十二年目に当って、謀叛(むほん)を企てたことにより一族残らず誅戮(ちゅうりゃく)され、その子孫、跡形(あとかた)もなく滅亡している。
 また政権においては、北条一門またこの大禍をのがれず、大聖人の滅後五十二年に当って鎌倉幕府は崩壊、北条一門の子孫、これまた跡形もなく滅亡している。
 そして日本国においては、七百年を経て未だ一分の改悔なきゆえに、ついに時来たっていま、国まさに亡びんとしている。
 ゆえに御在世に次ぐ「平成九年の大彗星」出現して、日本の人々に「早く日蓮大聖人に帰依しなければ、必ず他国侵逼あってこの国亡ぶ」と、警告しているのである。

第二章 「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」

 ここにおいて全日本人は、日本に出現された久遠元初(くおんがんじょ)の御本仏・日蓮大聖人が、いかに日本国の存立・人類の存亡にとって重き御存在であるかを、よくよく認識しなければいけない。
佐渡の雪中において大聖人は、次のごとく記(しる)し留(とど)められている。

  「日蓮によりて、日本国の有無(うむ)はあるべし」と。
 日蓮大聖人に帰依するか背くかによって、日本国の有無、人類の存亡は決するのである。「唯我一人能為救護(ゆいがいちにんのういくご)」(唯我(ただわれ)れ一人(いちにん)のみ能(よ)く救護(くご)を為(な)す)の御本仏でなくして、どうしてこのような重き仰せをなし得ようか。
この、背けば身が持たず国も亡びるとの厳たる賞罰の力こそ、御本仏の主徳である。
ゆえに次文に云く「譬(たと)へば宅(いえ)に柱なければたもたず、人に魂(たましい)なければ死人なり。日蓮は日本の人の魂なり、平左衛門既(へいのさえもんすで)に日本の柱を倒しぬ。只今世(よ)乱れてそれともなくゆめの如くに妄語出来(もうごしゅったい)して此(こ)の御一門同士討(ごいちもんどしう)ちして、後には他国よりせめらるべし。例せば立正安国論に委(くわ)しきが如し」(下種本仏成道御書)
――家に柱がなければ家は持たない、大に魂がなければ死人である。
日蓮大聖人こそ日本国の柱であり、日本の大の魂すなわち命かけて帰依すべき主・師・親である。しかるに平左衛門(へいのさえもん)は大聖大の頸(くび)を刎ね奉った、日本国の柱を倒した。
このゆえにいま、自然と幕府内に流言が飛び交(か)って同士討ちが生じ、後には他国から責められるのである――と仰せられる。

   【なぜ自叛・他逼が起きるのか】

 ではなぜ、大聖人を流罪・死罪にすると、国に自界叛逆・他国侵逼等の災難が起きるのであろうか。
 それは、諸大善神(しょてんぜんじん)の力用(りきゆう)による。
詳しくは後述するが、この大宇宙には本来仏法を守護する天上界(てんじょうかい)の生命活動が実在する。
これが諸天で、その名を挙げれば梵大(ぼんてん)・帝釈(たいしゃく)・日月(にちがつ)・四大(してん)等。
また善神とは天照大神(てんしょうだいじん)・八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)等である。
 これら諸天善神は、仏の化導を助けまいらせ、さまざまな力用(りきゆう)を顕わす。
すなわち、もし国中の大々が下種の本仏を憎んで迫害するならば、諸天はまず大変・地夭(よう)を起こしてその国を諌(いさ)める。
しかし改悔なくさらに迫害を重ねついに流罪・死罪等に及ぶならば、諸天は人の心に入って自界叛逆せしめ、さらに隣国の王を動かしてこの謗法(ほうぼう)の国を治罰(じばつ)する。
これが諸天の仏法守護の働きである。
 この諸天の存在は、一般の常識を超えるから理解しがたいとも思われるが、現証あればこれを信じなくてはならない。
もし諸天が実在しないとするならば、諸天の働きを前提としてなされた大聖人の御予言が、どうして符合することがあろうか。この現証を以て信ずべきである。
 諸天善神は、久遠元初(くおんがんじょ)の自受用身(じじゅうじん)たる日蓮大聖人を常に昼夜に守護している。
そのさまを大聖人は「天照太神(てんしょうだいじん)・正八幡宮(しょうはちまんぐう)も頭(こうべ)をかたぶけ、手を合わせて地に伏し給うべき事なり。……梵(ぼん)・釈(しゃく)左右に侍(はんべ)り、日(にち)・月(がつ)前後を照らし給う」(下種本仏成道御書)と。
かかる尊貴の下種御本仏を流罪・死罪にすれば、諸天は必ず他国侵逼を以て罰する。
 ゆえに蒙古襲来の直後、大聖人は「日蓮は一閻浮提(いちえんぶだい)第一の聖人(しょうにん)なり。上(かみ)一人より下(しも)万民に至るまで、之(これ)を軽毀(きょうき)して刀杖(とうじょう)を加え流罪に処するが故に、梵(ぼん)と釈(しゃく)と日月(にちがつ)・四天(してん)、隣国に仰せ付けて之を逼責(ひっせき)するなり」(聖人知三世事)と仰せられている。
 このような宇宙的スケールと力用を有する諸天が守護するゆえに、大聖人に背けば誰人も身がもたず国も亡び、また帰依すれば身も栄え国も安泰になるのである。

  一 『諸天善神について』

さて、諸天善神の存在は、大聖人の御境界を理解する上でたいへん重要なので、さらに説明を加える。
 まず諸天とは、十界の上で論ずるならば天上界の衆生である。
仏法は大宇宙に存在するあらゆる生命を、その特性に随って地獄・餓鬼・畜生・修羅(しゅら)・人間・天上・声聞(しょうもん)・縁覚(えんがく)・菩薩(ぼさつ)・仏(ぶつ)の十界に分類している。
この中で、我々人類は人間界、犬猫等の動物は畜生界、ウィルス等は餓鬼界の撮属(しょうぞく)、そして諸天はまさしく天上界に属し仏法守護をその働きとしている。
 次に善神とは、天照太神(てんしょうだいじん)・八幡(はちまん)大菩薩等の仏法守護の神である。
仏法における神は、天地を創造したなどというキリスト教の「ゴッド」とは全く異なる。ゴッドは虚妄だが、仏法の善神は実在である。
すなわち天照大神は皇室の祖先であり、八幡大菩薩は第十六代・應神(おうじん)天皇のことである。
 これらの国主がなぜ仏法と関係があるのかといえば、日本は本来、下種の本仏・日蓮大聖人が出現される三大秘法有縁(うえん)の国である。
よって熟脱(じゅくだつ)の釈迦仏がこの下種仏法を守護すべく、予(あらかじ)め日本国の王として垂迹示現(すいしゃくじげん)されたのが、天照大神・八幡大菩薩なのである。
ゆえに「天照太神・八幡大菩薩も其(そ)の本地(ほんち)は教主釈尊なり」(日眼女抄)と教示されている。

   【太陽・月にも色心の二法】

 これら諸天善神の中で、我々の目に見える諸天は日天子(にってんじ)(太陽)・月天子(がってんじ)(月)・明星天子(みょうじょうてんじ)(金星)で、これを「三光天子(さんこうてんじ)」という。ことに日天・月天は仏法守護の上で強い影響力を持っている。
 「法華経の行者(ぎょうじゃ)をば諸天善神守護すべきよし、嘱累品(ぞくるいぼん)にして誓状(せいじょう)をたて拾い、一切の守護神・諸天の中にも、我等が眼に見へて守護し拾うは日(にち)・月天(がってん)なり。争(いか)でか信をとらざるべき」(四条金吾殿御返事)と。
 太陽や月に精神活動があるごときこの仰せは、一般の理解を超えるであろう。
しかし仏法は、宇宙それ自体を一大生命体と観(み)て、その中の太陽・月等もことごとく色法(しきほう)(物質)と心法(しんぽう)(精神)を具えた生命体としてとらえる。
 仏法では、草木や国土のような、一般では精神活動がないと思われている世界を「非情(ひじょう)」と呼ぶ。
そして法華経は、この非情世界にも色心(しきしん)の二法が存在することを明かしている。
ゆえに大聖人は「観門(かんもん)の難信難解(なんしんなんげ)とは、百界千如(ひゃっかいせんにょ)・一念三千(いちねんさんぜん)、非情の上の色心の二法・十如是是(じゅうにょぜこ)れなり」(観心本尊抄)と仰せられている。
 非情世界に、心法(精神活動)が具っていることを認識することは「難信難解」ではあるが、これが法華経に説かれる生命の実相・一念三千の法門なのである。
 また中国の妙楽大師は「一草(いっそう)・一木(いちもく)・一礫(いちりゃく)・一塵(いちじん)、各一仏性(おのおのいちぶっしょう)、各一因果(おのおのいちいんが)あり。縁了(えんりょう)を具足(ぐそく)す」(金(金+卑)論(こんべいろん))と。――草木や石ころ、小さな塵(ちり)にさえ仏性が具わり、十如是(にょぜ)(色心)の因果があり、成仏することができる――と述べている。
 もし一草・一木・一律・一塵にさえ仏性があり色心の二法があるならば、いわんや太陽・月等においておやではないか。
仏法の眼を以て見るならば、太陽・月は色法のみならず心法も具え、常時に人心に感応しつつ、地球に強い影響をおよぼしているのである。

 【太陽・月の影響力】

 太陽・月が地上の人間にもたらす絶大の影響力は、最近の科学の明かすところでもある。
近年の科学研究は、これらの実態を解明して興味深い。
 米国のマイアミ大学医学部教授で「宇宙生物学」の研究者アーノルド・リーバー博士は、ことに月の影響力について、自著に次のように記している。
 「月は地球から平均三八万四四〇〇キロメートル離れた軌道を回っている。月がわれわれの生活に影響を及ぼすはずなどない、と思っている人々もいる。…… 月の影響は、われわれの周囲いたるところに及んでいる。月は太陽とともに、進化過程に強い影響を与えてきた。実際、われわれの行動様式にもその影響がみられる。月は生活の中の自然サイクルを定める役割をも担っている。……あなたは自分の皮膚を、自分と宇宙との境界とみなすだろうか。いろいろな意味で、皮膚は境界とはいえない。宇宙からの種々の力に対し、われわれは裸同然であり、まったく無防備である」

 そして同博士は月の影響力の事例を挙げる。その中のいくつかを示せば
(1)満月と新月の時には、殺人事件・交通事故が多いことが統計上証明されている。
これは月の引力が人体の体内水分や神経組織に影響を及ぼし、人間の心理を攻撃的にするからである。
(2)魚類の産卵サイクルにも月のリズムが見られる。
トウゴロウイワシは満月か新月直後の晩にだけ産卵し、ウニの生殖サイクルは月齢サイクルと一致している。
(3)人間の生殖も月齢サイクルと密接な関係がある。
女性の生理周期の平均値は月齢の一ヶ月とに"ほぼ"同じどころか、全く同じ長さの二九・五日。また妊娠期間(受精から出産まで)もぴったり月齢の九ヶ月の二六五・八日。そして出産は満月時が多い。
(4)月は太陽と相互に作用しあって、地上の気象に大きな影響を及ぼしている。
(5)月の引力は地殻を引っぱり、最大三〇センチも地球をゴムまりのようにゆがめる。月の引力と太陽のカの相互作用が地震発生に影響を与えている――等々。

 さらに同博士は
  「生命あるものは、すべて天体運動に共鳴している。われわれは息づいている宇宙の一部分である。
潮のように遠のいたり近づいたりする天体の動きに、われわれはたえず影響されている。
月の満ち欠け、太陽の黒点、太陽放射、宇宙線、そして惑星の運動などはその例といえよう」とも述べている。
この「バオタイド理論」は仏法の上からも注目に値する。

 同じく米国のシカゴ・イリノイ大学医学部教授のウィリアム・ピーターセン博士も述べる。
  「太陽・月・星などのサイクルが変化すると、それにしたがって人間の生体リズムや天気も変化する」「人間はあらゆる環境に依存し、環境は天体リズムの影響下にある」と。

 日本の科学者も、人間の血液凝固(ぎょうこ)速度が太陽活動と関係していることを見出し、一九五八年には一万五千におよぶデータから、太陽活動期になると白血球が減少し、リンパ球が増加することを発表している。
また東京医科歯科大学の角田忠信名誉教授は、満月と新月の日に右脳と左脳のはたらきが逆転することを、実験で確認している。
 旧ソ連の研究者たちは、太陽の地球上の生命への影響を研究して、「事故・伝染病の流行、穀物の収穫、ウィルス病・心臓病などは、太陽黒点サイクルと相関している」ことを確認している。
同じく旧ソ連の科学者チジェフスキーは「ペスト、コレラ、インフルエンザ等をふくむ伝染病が流行したのは、太陽活動の盛んだった時期と一致している」と発表している。
 これらの研究成果に見るように、太陽・月の人間生活に与える影響はまことに絶大で、殆(ほとん)ど地上の人間生活を支配していると云って過言ではない。
したがってもし太陽・月に異変が生ずれば、異常気象により大旱魃(かんばつ)・大火・大洪水・大飢饉(ききん)等が直ちに起こる。
また人間の心理・行動にも影響を与えて、自界叛逆・他国侵逼が起こることも頷ける。
 ゆえに仁王経には、七難の第一として日・月の異変を挙げ、大集経にも「日月明(みょう)を現ぜず」と示されているのである。

 【三災七難】

立正安国論には、一国が正しい仏法に背くとき、諸天がその国土を捨離して三災七難が起こる原理が示されている。
 三災とは「穀貴(こっき)(飢饉)、兵革(ひょうかく)(戦乱)、疫病(やくびょう)(感染症の流行)」である。
 七難とは、薬師(やくし)経に示されるそれが「人衆疾疫(にんしゅうしつえき)の難、他国侵逼の難、自界叛逆の難、星宿変怪(せいしゅくへんげ)の難(惑星の異変)、日月薄蝕(はくしょく)の難、非時風雨(ひじふうう)の難(時節はずれの風雨)、適時不雨(かじふう)の難(大旱魃)」。

 また仁王(にんのう)経に示される七難は「日月異変の難、諸星変現の難(惑星の異変)、大火の難、大水の難、大風の難、大旱魃の難、兵乱の難」等である。
 この三災七難を見るとき、人間の力がいかに小さいかを知る。
科学の力も、政治の力も、三災七難を止めることはできない。
民主々義も全体主義も、資本主義も共産主義も、三災七難の前には為(な)す術(すべ)もない。
前章に述べた、亡国の因における根本と枝葉とは、まさにこのことである。
 さて、この三災七難は太陽・月の異変がもたらすものであるが、この太陽・月の異変は、人の心に感応して起こる。
すなわち日・月の諸天としての心法が、一国の人心に感応するのである。
 ゆえに大聖人は「人の悪心盛(さか)んなれば、天に凶変(きょうへん)・地に凶夭出来(きょうようしゅったい)す。賦恚(しんに)の大小に随いて天変の大小あり、地夭(ちよう)も又かくのごとし。今日本国上(かみ)一人より下(しも)万民にいたるまで大悪心の衆生充満せり。此の悪心の根本は日蓮によりて起れるところなり」(瑞相御書)
 「此の三十余年の三災七難等は、一向(いっこう)に他事(たじ)を雑(まじ)えず、日本一同に日蓮をあだみて、国々・郡々(ぐんぐん)・郷々(ごうごう)・村々・大ごとに、上(かみ)一大より下(しも)万民にいたるまで前代未聞の大瞋恚(しんに)を起せり」(治病大小権実違目)と仰せられている。
大聖人御在世における未曽有の三災七難は、まさに一国こぞって下種の御本仏を憎んで大瞋恚(しんに)(怒り)を起こしたことに因る。これが諸天の働きなのである。

   【諸天が守護する理由】

 では、諸大はなぜ日蓮大聖人を守護するのであろうか――。それは、梵天(ぼんてん)・帝釈(たいしゃく)・目月・四大等の諸天にとって、大聖大が弘通される「南無妙法蓮華経」こそ自身成仏の大法であり、またこの大法を末法に弘通される大聖人を守護し奉ることを、諸天は法華経の会座(えざ)において釈尊に誓約しているからである。
 仏の化導は人間界だけでなく、天上界にも及ぶ。仏は天上界の衆生をも導く師なのである。
仏の十種の敬称の中に「天人師(てんにんし)」とあるのは、このことを意味している。
 例せば、釈尊は法華経の説法を諸天にも聞かしめている。
また日蓮大聖人も依智(えち)や佐渡において、月・星に向って仏法の深義を談じておられる。
この事実は我々凡夫の思慮の遠く及ばぬところではあるが、「天人師」たる仏の境界においては、何の不思議もない。

 そして諸天は、四十余年の方便の経々ならびに法華経の迹門の説法においては成仏は得られなかったが、もろもろの大菩薩・二乗(にじょう)等と共に本門の寿量品を聴聞し、その文底(もんてい)に秘沈された南無妙法蓮華経を覚知(かくち)して、始めて「妙覚(みょうかく)の位」(最高の仏果)を得ることができたのである。
 このことを大聖人は法華取要抄(ほっけしゅようしょう)に「法華経本門の略開近顕遠(りゃっかいごんけんのん)に来至(らいし)して、華厳(けごん)よりの大菩薩・二乗(にじょう)・大梵天(ぼんてん)・帝釈(たいしゃく)・日月・四天・竜王等、位(くらい)、妙覚に隣り、又妙覚の位に入るなり。若(も)し爾(しか)れば、今我等天に向かって之(これ)を見れば、生身(しょうしん)の妙覚の仏、本位(ほんい)に居(こ)して衆生を利益する是(これ)なり」
 と示されている。

文中の「略開近顕遠」とは文上の寿量品を意味し、この体外(たいげ)の辺を聞いて「妙覚に隣り」の益を得て、体内(たいない)の辺を聞いて「妙覚の位」に入ることができたのである。
この法門はきわめて重要であるが、専門的になるので、ここには略する。
 諸天はこの自身成仏の法を何より大事として守護する。
ゆえに法華経の安楽行品(あんらくぎょうほん)には「諸天昼夜(ちゅうや)に、常に法の為の故に、而(しか)も之(これ)を衛護(えいご)す」と説かれている。
 また、釈尊が法華経の神力品(じんりきほん)において上行菩薩(じょうぎょうぼさつ)に寿量文底の大法を付嘱して、日蓮大聖人の末法弘通を証明したことは前に述べたが、釈尊はさらに嘱累品(ぞくるいほん)においてもろもろの諸天に対し、上行菩薩の末法弘通を守護することを命じている。
この告勅(ごうちょく)に対して諸天は「世尊(せそん)の勅(みことのり)の如く、当(まさ)に具(つぶ)さに奉行(ぶぎょう)すべし」――釈尊のご命令のごとく、必ずそのまま実行いたします――との誓言(せいごん)を、三たび繰り返している。

 つたなき者は約束を忘れ、高貴の人は約束を違えずという。梵天・帝釈・日月・四天等の果報いみじき諸天が、どうしてこの重き約束を忘れようか。
また人間ならば寿命も短かく二千余年前のことは知らずとも、寿(いのち)ながき諸天が、どうして仏前の誓言と自身成仏の大法の恩を忘れようか。
ゆえに祈祷抄に「仏、法華経をとかせ給いて年数(ねんしゅ)二千二百余年なり。人間こそ寿(いのち)も短き故に、仏をも見奉り候人も侍(はべ)らね、天上は日数(にっしゅ)は永く寿も長ければ、併(しかしなが)ら仏をおがみ法華経を聴聞せる天人(てんにん)かぎり多くおはするなり。
人間の五十年は四王天(しおうてん)の一日一夜なり。……されば人間の二千二百余年は四王天の四十四日なり。されば日月(にちがつ)並びに毘沙門(びしゃもん)天王は仏におくれたてまつりて四十四日、いまだ二月(ふたつき)にたらず。

 帝釈・梵天なんどは仏におくれ奉りて一月一時(いちげついちじ)にもすぎず。わずかの間に、いかでか仏前の御誓い、並びに自身成仏の御経の恩をば忘れて、法華経の行者をば捨てさせ給うべき」 と仰せられている。
まことに諸天にとっては二千二百余年はわずか一・ニヶ月。ならば七百年前、日本国一同が御本仏の頸(くび)を刎ね奉った大逆罪を、諸天がどうして忘れよう、どうして許そうか。七百年を経て、なお改悔せぬ日本を見て、一国を覚醒せしむべく治罰を加えるに、何の不思議もない。
「ただをかせ給へ、梵天・帝釈等の御計(みはからい)として、日本国一時に信ずる事あるべし」とはこれである。

二 『諸天守護の現証』

 では、諸天善神が日蓮大聖人の御化導の進展に伴い、どのように守護し奉ったか、その現証を見てみよう。
この厳然たる現証を見るとき、諸天善神の実在と、諸天がかくも守護し奉る大聖人こそ末法下種の本仏であられることが、瞭然となる。
 日蓮人聖人の三人秘法弘通は、建長五年四月二十八日、御年三十二歳より始まる。
 「一切の邪法を捨て南無妙法蓮華経と唱えよ」との大慈悲の勧(すす)めは、念仏・禅等の邪師たちに驚天動地の衝撃をもたらした。
大聖人の主張が正しければ正しいほど彼等は怨嫉(おんしつ)の炎を燃やし、民衆を煽動(せんどう)した。
この煽動により、邪法に執着する民衆は「阿弥陀仏(あみだぶつ)の敵(かたき)よ」と大聖人を憎み、石を投げ、その罵(ののし)りの声は国中に満ちた。
 この国中の反撥は、本質的には「元品(がんぽん)の無明(むみょう)」から起きる。凡夫の生命には、本来「元品の無明」という根本の迷い・煩悩が具わっている。
この煩悩が本仏・本法に遭遇したとき、抵抗と反撥を示すのである。
「日本一同に日蓮をあだみて、国々・郡々(ぐんぐん)郷々(ごうごう)・村々・人ごとに、上一人より下万民にいた
るまで前代未聞の大瞋恚(しんに)を起せり。
見思未断(けんじみだん)の凡夫の、元品(がんぽん)の無明(むみょう)を起す事、此れ始めなり」(治病抄)とはこれである。

 【正嘉の大地震】

 弘通開始より四年目の正嘉(しょうか)元年、前代未聞の巨大地震が鎌倉を襲った。
山は崩れ地は裂け、堅牢を誇る寺社さえ一宇(いちう)残らず倒壊するという激烈さであった。
さらに大地震以後、異常気象が続き、飢饉と流行病が国中を覆った。
この様を大聖人は「正嘉元年八月廿三日戌亥(いぬい)の時、前代に超(こ)えたる大地震、同二年八月一日大風、同三年大飢饉(ききん)、正元元年大疫病(やくびょう)、同二年四季に亘(わた)って大疫已(だいやくや)まず、万民既に大半に超(こ)えて死を招き了(おわ)んぬ」(安国論御勘由来)と。
 この災難こそ、諸天の一国を罰する姿であった。
弘通の開始からわずか四年にしてこの現証が現われたことは、化導する仏は下種の本仏、弘通の法は本法の南無妙法蓮華経なるがゆえである。

 この大地震を見て大聖人は、「他国より此の国を破るべき先相なり」と知り給い、日本を亡国より救わんと立正安国論を認(したた)め、時の国主・北条時頼を諌暁(かんぎょう)されたのである。
その意に云く"この天変地夭(よう)は、一国こぞって念仏等の邪法に帰して三大秘法に背くゆえに起きたものである。
ゆえにもしこの謗法(ほうぼう)を止(とど)めなければ、現世には必ず自界叛逆・他国侵逼の大難を招き、後生には日本一同無間地獄に堕(お)ちるであろう"と。国主はこの諌暁を黙殺した。
かくてこの立正安国論進覧を機に、諸宗の憎悪はいよいよ燃え盛り、大聖人の一身に法難が波のごとく押し寄せて来たのであった。
 安国論提出の翌月、念仏憎に煽動された暴徒数千人は大聖人を殺害せんと、桧葉ヶ谷(まつばがやつ)の草庵を襲撃した。
当時の法律・貞永式目(じょうえいしきもく)でも「夜討ち」は重罪に当る。だが幕府は暴徒を罰するどころか、かえって「日蓮が生(いき)たる不思議なり」(下山御消息)として、今度は幕府自ら大聖人を伊豆に流した。
 
【文永の大彗星】

 一年九ヶ月にわたるこの流罪が終えた翌年、前代未聞の巨大彗星が出現した。
 「文永元年七月五日、彗星東方に出(い)で余光(よこう)大体一国等に及ぶ。此れ又世始まりてより已来(このかた)無き所の凶瑞(きょうずい)なり。内外典(ないげてん)の学者も其の凶瑞の根源を知らず、予弥(いよい)よ悲歎を増長す」(安国論御勘由来)と。
 正嘉元年には未曽有の大地震、その七年後には「世始まりて已未」の大彗星。
この意味するところは何か。大聖人の仰せを拝見しよう。
 撰時抄に云く「日蓮は閻浮(えんぶ)(世界)第一の法華経の行者なり。此(これ)をそしり、此をあだむ人を結構(けっこう)せん人は閻浮(えんぶ)第一の大難にあうべし。これは日本国をふりゆるがす正嘉の大地震、一天を罰する文永の大彗星等なり。此等をみよ、仏滅度の後、仏法を行ずる者にあだをなすといえども、今のごとくの大難は一度もなきなり。南無妙法蓮華経と一切衆生にすすめたる人一人もなし。此の徳はたれか一天に眼(まなこ)を合せ、四海に肩を並ぶべきや」
 
 また法蓮抄には「予(よ)、不肖(ふしょう)の身なれども法華経を弘通する行者を、王臣(おうしん)人民之(これ)を怨(あだ)む間、法華経の座にて守護せんと誓いをなせる地神(ちじん)いかりをなして身をふるひ、天神(てんじん)身より光を出して此の国をおどす。いかに諌むれども用いざれば、結句(けっく)は人の身に入って自界叛逆せしめ、他国より責(せ)むべし」と。
 まさしくこの大地震・大彗星は、御本仏出現して最大深秘の「南無妙法蓮華経」を勧め結うに、一国これを憎み迫害するゆえに諸天が罰したものであり、同時にそれは他国侵逼の前相でもあった。
 【蒙古の国書】

 大彗星出現より四年後の文永五年正月、国中の誰もが夢にも思わなかった蒙古の国書が鎌倉に到着した。国書の意は"蒙古の属国となり貢物(みつぎもの)を入れよ、さもなければ武力を用いるであろう"という侵略の予告であった。
 当時の蒙古は、南宋(なんそう)を滅して中国全土を制圧し、さらに東は沿海州から西は地中海にいたるまでを侵略して、史上空前の大帝国を築いていた。
その大蒙古が、いよいよ海を隔てた日本に、侵略の食指を向けてきたのだ。
 立正安国論の他国侵逼の御予言は少しも違わずここに符合したのである。
この亡国の危機を眼前にして、大聖人は仏法の邪正を一気に決して国を救うべく、公場対決(こうじょうたいけつ)を幕府に促がされた。
公場対決とは、国主・大臣の面前で法論を行うことで、古来より仏法では、邪正を決するのにこの方法が用いられてきた。

 大聖人はその年の十月、北条時宗・平左衛門等の幕府首脳、ならびに良観(りょうかん)・道隆(どうりゅう)等の諸宗の代表、計十一ヶ所に公場対決を求める書状を送られた。これが「十一通申状」である。
 この正々堂々の申し入れに対し、諸宗の高僧等はあるいは使いを悪口雑言し、あるいは欺いて法論対決を逃げようとした。
大聖人はなおも強く公場対決を追られた。追いつめられた彼等は、ついに権力者ならびにその女房・後家尼(ごけあま)等に讒言(ざんげん)して、大聖人の殺害を企てた。
 「さりし程に念仏者・持斎(じさい)(律)・真言師等、自身の智は及ばず、訴状も叶(かな)わざれば、上郎(じょうろう)・尼(あま)ごぜんたちにとりつきて、種々に構へ申す」(下種本仏成道御書)
 "生き仏"と崇(あが)められていた良観・道隆も、なりふり構わず権力者に泣きついた。
  「極楽(ごくらく)寺の生仏(いきぼとけ)の良観聖人、折紙(おりがみ)をささげて上(かみ)へ訴へ、建長寺の道隆聖人は輿(こし)に乗りて奉行人(ぶぎょうにん)にひざまづく」(妙法比丘尼御返事)と。
 この"生き仏"たちは、日頃「不殺生戒(ふせっしょうかい)」を売り物にしていた。ところがなんと「殺害」を権力者に訴え出たのだ。
ここに邪宗の僧と権力者が結託して、あの竜の口の斬罪(ざんざい)が起きたのである。

   【平左衛門を叱咤】

 この日、平左衛門(へいのさえもん)は数百人の武装兵士を率(ひき)いて大聖人の庵室(あんしつ)を襲った。庵室になだれこんだ兵士たちの狼籍(ろうぜき)は目を覆わしめるものがあった。
平左衛門の一の郎従(ろうじゅう)・少輔房(しょうぼう)は大聖人に走り寄り、大聖人が懐中(かいちゅう)されていた法華経第五の巻を取り出して面(おもて)を三度打ち奉った。他の兵士たちも九巻の法華経を打ち散らし、あるいは足に踏み、あるいは身にまとうなどした。
 この狂態(きょうたい)をじっと見ておられた大聖人は、突如大音声をもって平左衛門を叱咤(しった)せられた。
「あら面白や、平左衛門尉(じょう)が物に狂うを見よ。とのばら、但(ただ)今ぞ日本国の柱を倒す」と。
この師子吼に、平左衛門は顔面蒼白(そうはく)となって立ちすくんだ。
大聖人はさらに「日蓮は日本国の棟梁(とうりょう)なり。予(よ)を失うは日本国の柱橦(はしら)を倒すなり。只今に自界反逆難とて同士打(どうしうち)して、他国侵逼難とて此の国の人々他国に打ち殺さるるのみならず、多くいけどりにせらるべし」(撰時抄)と。
 まさに「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」の大境界を、平左衛門に強く示されたのである。

  【八幡大菩薩を諌暁】

この日の深夜、大聖人は罪人のごとく馬に乗せられ、鎌倉の小路(こうじ)を渡された。竜の口の刑場へ向う一行は粛々と進む。若宮小路(わかみやこうじ)の八幡宮(はちまんぐう)にさしかかったとき、犬聖人は馬を止められた。
「何ごと」と驚きさわぐ兵土たちに大聖人は「各々さわがせ給うな、別の事はなし、八幡大菩薩に最後に申すべき事あり」とて馬より下られた。

八幡大菩薩は諸天善神の中の一神、ここに大聖人は、もろもろの諸天善神を眼前の八幡大菩薩に要約し、使命を果さぬその怠慢を責められたのである。

 「いかに八幡大菩薩はまことの神か。……今日蓮は日本第一の法華経の行者なり。其の上身に一分のあやまちなし、日本国の一切衆生の法華経を謗(ぼう)じて無間大城(むげんだいじょう)におつべきを助けんがために申す法門なり。又大蒙古国よりこの国をせむるならば、天照太神(てんしょうだいじん)・正八幡(しょうはちまん)とても安穏(あんのん)におはすべきか。其の上、釈迦仏法華経を説き給いしかば、多宝仏(たほうぶつ)・十方の諸仏・菩薩あつまりて、日と日と、月と月と、星と星と、鏡と鏡とをならべたるがごとくなりし時、無量の諸天並びに天竺(てんじゅく)・漢土(かんど)・日本国等の善神・聖人あつまりたりし時、各々法華経の行者に疎略(おろか)なるまじき由(よし)の誓状まいらせよとせめられしかば、一々に御誓状を立てられしぞかし。さるにては日蓮が申すまでもなし、急(いそ)ぎ急ぎこそ誓状の宿願(しゅくがん)をとげさせ給うべきに、いかに此(こ)の処(ところ)には落ちあわせ給はぬぞ」

 さらに続けて「日蓮、今夜頸(くび)切られて霊山浄土(りょうぜんじょうど)へまいりてあらん時は、まづ天照太神・正八幡こそ起請(きしょう)を用いぬ神にて候いけれと、さしきりて教主釈尊に申し上げ候はんずるぞ。痛しとおぼさば、急(いそ)ぎ急ぎ御計(はか)らいあるべし」と。
 "どうか守って下さい"との依頼でもなければ歎願でもない。"二千余年前の仏前の誓言をなぜ守らぬのか""なぜ誓いを実行しないのか"と諸天善神を責め、「急ぎ急ぎ誓状の宿願を遂げよ」と命令しておられるのだ。
まことに、御本仏なればこその仰せ出(いだ)しである。
 やがて刑場に着かれた大聖人は、静かに頸の座に坐(すわ)られた。太刀取(たちと)りの越智(えちの)三郎は直ちにかたわらに立つ。

大刀を振りかざす。このとき――「江の島のかたより、月のごとく光りたる物、まりのやうにて、辰巳(たつみ)(南東)のかたより戌亥(いぬい)(北西)のかたへ光りわたる。十二日の夜のあけぐれ、人の而(おもて)もみへざりしが、物の光り月夜のやうにて人々の而(おもて)もみな見ゆ。太刀取(たちとり)目くらみ倒れ臥(ふ)し、兵共(つわものども)おじ怖(おそ)れ、興(きょう)さめて一町計(いっちょうばか)りはせのき、或(ある)いは馬よりをりてかしこまり、或いは馬の上にてうずくまれるもあり」と。
まさに国家権力が、一人の大聖人の御頸(おんくび)が切れず、その御蔵徳の前にひれ伏したのである。

   【月のごとき光り物】

 この頸(くび)の座において突如出現した「月のごとく光りたる物」とは、何であろうか――。世間には訳(わけ)知り顔で、やれ「限石(いんせき)だ」「火球だ」「雷だ」「プラズマだ」などという者もある。
だがこれらの論評はことごとく、諸天善神の存在を知らぬ凡夫のたわごとに過ぎない。
 「光り物」は偶然に起きた自然現象などではない。日蓮大聖人の御命令に応え奉った諸天の働
きなのである。頸(くび)の座の直前、大聖人は八幡大菩薩を相手に諸天の怠慢を叱責され「急ぎ急ぎ誓状の宿願をとげよ」と申し付けられているではないか。
その直後、この大現証は起きているのだ。まさに響(ひび)きの声に応ずるごとき諸天の感応ではないか。

   【依智の星下り】

 諸天の感応は、翌日の九月十三日にも起きている。
この日、大聖人は兵士たちの案内で相模(さがみ)・依智(えち)の本間六郎左衛門の邸に逗留(とうりゅう)された。
その晩、兵士たちは広い庭にたむろしていた。
月は皓々(こうこう)と輝き中天にかかっている。
その大庭に大聖人は下(お)り立たれた。
そして月に向って自我偈(じがけ)を読み、諸宗の勝劣・法華経の深義を談ぜられたのち、月天子の怠慢を責められた。
 「抑(そもそも)今の月天(がってん)は法華経の御座(おんざ)に列(つらな)りまします名月天子(みょうがってんじ)ぞかし。宝塔品(ほうとうぼん)にして仏勅(ぶっちょく)をうけ拾い、嘱累品(ぞくるいぼん)にして仏に頂(いただき)をなでられまいらせ『世尊(せそん)の勅(みことのり)の如く当(まさ)に具(つぶさ)に奉行(ぶぎょう)すべし』と誓状をたてし天ぞかし。
仏前の誓(ちかい)は日蓮なくば虚(むなし)くてこそをはすべけれ、今かかる事出来(しゅったい)せば、いそぎ悦(よろこ)びをなして法華経の行者にもかはり、仏勅をも果して誓言(せいごん)のしるしをばとげさせ給うべし。
いかに今しるしのなきは不思議に候ものかな。
何(いか)なる事も国になくしては鎌倉へもかへらんとも思はず。
しるしこそなくとも、うれし顔にて澄(すみ)渡らせ拾うはいかに。
大集経(だいしつきょう)には『日月明(にちがつみょう)を現(げん)ぜず』と説かれ、仁王経(にんのうきょう)には『日月度(ど)を失う』とかかれ、最勝王経(さいしょうおうきょう)には『三十三天、各瞋恨(おのおのしんこん)を生ず』とこそ見え侍(はべ)るに、いかに月天、いかに月天」と。
 このとき、思議を絶する現証が、またも起きた。

 「其(そ)のしるしにや、天(そら)より明星の如くなる大星下(おおぼしくだ)りて前の梅の木の枝にかかりてありしかば、もののふども皆縁よりとびをり、或いは大庭にひれふし、或いは家のうしろへ逃げぬ。やがて即ち天(そら)かきくもりて大風吹き来りて、江の島のなるとて、空のひびく事大(おお)いなる鼓(つづみ)を打つがごとし」(下種本仏成道御書)と。
 明星のような大きな星が、梅の枝を通して見えるほどに低く下(お)りてきたのである。
これを見て兵士たちは仰天し、一斉に縁から飛びおり、あるいは庭にひれ伏し、あるいは家のうしろに逃げかくれたという。兵士たちの驚きが目に浮ぶ。

 【三光天子の働き】

 竜の口前後のこの諸天の働きについて大聖人は、頸の座にまで御供申し上げた弟子の四茶会吾に、手紙でこう仰せられている。
 「三光天子(さんこうてんじ)の中に、月天子は光物(ひかりもの)とあらはれ竜の口の頸(くび)をたすけ、明星天子は四・五日已前(いぜん)に下(くだ)りて日蓮に見参(けさん)し給ふ。いま日天子ばかりのこり給ふ。定めて守護あるべきかと、たのもし、たのもし。
法師品(ほっしぼん)に云く『則(すなわ)ち変化(へんげ)の人(ひと)を遣(つか)わして之(これ)が為(ため)に衛護(えいご)と作(な)さん』と、疑ひあるべからず。安楽行品(あんらくぎょうほん)に云く『刀杖(とうじょう)も加へず』と。普門品(ふもんぼん)に云く『刀尋(つ)いで段段(だんだん)に壊(お)れなん』と。此等の経文、よも虚事(そらごと)にては候はじ」と。
 竜の口の「光り物」はまさしく月天子の働き、また依智の星下(くだ)りは明星天子の働きであった。
いずれも「変化(へんげ)の人を遣(つか)わして……衛護(えいご)と作(な)さん」の法華経の文そのままである。
 さらに「刀尋(つ)いで段々に壊(お)れなん」とは、頸の座において太刀取りの刀が幾つにも析れたことを仰せられている。このお手紙を頂いた四条金吾は鎌倉武士で武道の達人、大聖人に万一のことあらば"追い腹を"との覚悟でお傍(そば)に侍(はべ)っていた人である。
したがって刀が析れたのを眼前に目撃している。ゆえに大聖人は「刀尋段段壊(とうじんだんだんね)」の事実を、ここに挙げておられるのである。
まことに、釈尊が法華経に説いた「則(すなわ)ち変化(へんげ)の人を遣(つか)わして之(これ)が為(ため)に衛護(えいご)と作(な)さん」「刀杖(とうじょう)も加えず」「刀尋(つ)いで段段に壊(お)れなん」等の経文は、末法に御本仏が出現するとき、単なる形容・絵空事(えそらごと)ではなく、事実となるのである。

  【日天子の守護】

 では、三光天子の中に日天子の守護はいかにと云えば「いま日天子ばかりのこり給ふ、定めて守護あるべきかと、たのもし、たのもし」と。
 この御文のごとく、日天子の守護は佐渡流罪以後に現われている。
どういうことかと云えば、自界叛逆と他国侵逆の大現証を現わし、大聖人を守護し奉っているのである。
 日天子が自叛・他逼を起こさしめることは松野抄に「日天、朝(あした)に東に出で給うに、大光明(だいこうみょう)を放ち天眼(てんげん)を開きて南閻浮提(なんえんぶだい)を見給うに、法華経の行者あれば心に歓喜し、行者を憎(にく)む国あれば天眼(てんげん)をいからして其の国をにらみ給い、始終(しじゅう)用いずして国の人憎(にく)めば、其の故と無く軍(いくさ)をこり、他国より其の国を破るべしと見へて候」と。――日天子、天眼を開いてこの地球上を見渡すに、下種の本仏ましませば心おおいに歓喜し、もしこの御本仏を憎む国あれば天眼(てんげん)を怒らしてその国を睨(にら)み、国の人さらに迫害を続けるならば、「其の故と無く軍をこり」すなわち自然と自界叛逆が起こり、その後、他国がその国を侵略するであろう――とある。

   【忽ちの自界叛逆】

 大聖人は佐渡において、この日天の怠慢をも、月天と合わせ責めておられる。
 「日月、天(てん)に処(しょ)し給いながら、日蓮が大難にあうを今度かわらせ給はずば、一つには日蓮が法華経の行者ならざるか、忽(たちま)ちに邪見(じゃけん)をあらたむべし。若(も)し日蓮法華経の行者ならば、忽(たちま)ちに国にしるしを見せ給へ。若(も)ししからずば、今の日月等は釈迦(しゃか)・多宝(たほう)・十方(じっぽう)の仏をたぶらかし奉る大妄語(だいもうご)の人なり、提婆(だいば)が虎誑罪(こおうざい)・倶伽利(くぎゃり)が大妄語にも百千万億倍すぎさせ給へる大妄語の天なりと、声をあげて申せしかば、忽ちに出来(しゅったい)せる自界反逆の難なり」(撰時抄)と。
 「忽ちに国にしるしを見せよ」との責めに応じて現われたのが、鎌倉幕府内の自界叛逆であった。
この叛乱は自界も白界、幕府執権の北条時宗に対して、兄・時輔(ときすけ)がクーデターを企てたもの。
この謀叛で京・鎌倉は戦乱の巷と化した。
大聖人を佐渡に流罪して、わずか百日の内に起きた自界叛逆であった。

 北条時宗はこの予言適中に恐れを懐き、改悔とともに大聖人を佐渡より還し奉っている。
 「日蓮御勘気(ごかんき)の時申せしが如く、同士打(どしうち)はじまりぬ。それを恐るるかの故に、又召し返されて候」「又佐渡の国にて切らんとせし程に、日蓮が申せしが如く鎌倉に同士打(どしうち)はじまりぬ。使(つかい)はしり下りて頸(くび)を切らず、結句(けっく)はゆるされぬ」(妙法比丘尼御返事)と。
 当時、佐渡に流された流人(るにん)で生きて帰った者はいない。
佐渡の飢えと寒さはそれほど過酷であった。
加えて大聖人には「今日切る、あす切る」(報恩抄)という暗殺の危機が追っていた。
日天子はこの大難から、大聖人を守護し奉ったのである。

   「よも今年は過ぎず」

 佐渡より帰られた大聖人は文永十一年四月八日、鎌倉の殿中(でんちゅう)において平左衛門と対面された。
迫り来る他国侵逼から日本国の人々を救わんと、最後の諌めの機会を持たれたのである。
 「此の事をいま一度平左衛門に申しきかせて、日本国にせめ残されん衆生をたすけんがために、登りて候いき」(高橋入道殿御返事)と。
 大聖人は平左衛門を初め居並ぶ重臣を前にして、佐渡流罪がいかに理不尽の処置であったか、またこの国がすでに他国に破られんとしていることを、毅然と云い切られた。

さらに「王地(おうち)に生(うま)れたれば、身をば随(したが)えられたてまつるやうなりとも、心をば随えられたてまつるべからず。念仏の無間獄(むげんごく)、禅(ぜん)の天魔の所為(そい)なる事は疑いなし。殊(こと)に真言宗が此の国土の大なるわざはひにては候なり。大蒙古を調伏(ちょうぶく)せん事、真言師には仰せ付けらるべからず。若(も)し大事を真言師調伏するならば、いよいよ急いで此の国ほろぶべし」(撰時抄)と。

 何という無所畏(むしょい)、そして大慈悲のお振舞いであろうか。まだ佐渡流罪を許されたばかりの御身ではないか、もしここで平左衛門の逆鱗(げきりん)にふれれば、再び流罪となって今度こそ身命に及ぶかも知れない。
しかるに国中が帰依している念仏を「無間地獄」、禅を「天魔」の邪法と破折されただけでなく、当時朝廷・幕府とも深く結びつき、平左衛門白身も蒙古調伏の祈祷を依頼せんと心を寄せていた真言宗を「最大の亡国の悪法」と断じられたのである。「聖人は言(ことば)をかざらず」という。
この直言こそ、ただ国を救い、一切衆生を助けんとの、大慈悲より発せられた強諌である。
 平左衛門はこの日、時宗の意を受けていたごとくで、この強き諌めにも怒りを表わさず、辞を低くして蒙古襲来の時期を問うた。
 「いつごろか寄せ候べき」大聖人は答えられた。
 「経文にはいつとは見へ候はねども、天の御気色(おけしき)いかり少なからず急に見へて候、よも今年は過ごし候はじ」と。
 この「天の御気色(おけしき)いかり少なからず」とは、前引の松野抄の「日天、天眼(てんげん)をいからして其の国をにらみ」に相当する。
日天子は御本仏への流罪・死罪を見て怒りをなし、すでに「隣国の賢王」を動かしこの国を治罰(じばつ)せんとしていた。
大聖人御一人この「天の御気色」を知り拾い、諸天に対し「禁(とどめ)をなして」、いま一度最後の諌めをと、平左衛門と対面されたのである。しかし平左衛門に改悔はなかった。
ここに「よも今年は過ごし候はじ」 と断言し給うたのである。

 「法華経の行者をば梵(ぼん)・釈(しゃく)左右に侍(はんべ)り、日・月前後を照らし給う。かかる日蓮を用いぬるとも悪(あ)しく敬(うやま)はば国亡ぶべし、何(いか)に況(いわ)んや数百人ににくませ二度まで流しぬ。此の国の亡びん事疑いなかるべけれども、且(しばら)く禁(とどめ)をなして国をたすけ給へと日蓮がひかうればこそ今までは安穏にありつれども、法に過ぐれば罰あたりぬるなり」(下種本仏成道御書)と。
 かくて「よも今年は過ごし候はじ」の御断言は寸分も違わず、その年の秋十月、大蒙古の軍船は海を覆(おお)うて襲来し、たちまち壱岐(いき)・対馬(つしま)を蹂躙(じゅうりん)した。これまた響(ひび)きの声に応ずるごとき、諸天の働きではないか。

 【透徹の大慈悲】

 大聖人がこの他国侵逼を諸天に許し給うたのも、一切衆生を後生(ごしょう)の大苦より救わんとの、透徹の大慈悲であられる。
ということは、もし他国侵逼の一事が虚(むな)しくなるならば、日本国一同はますます下種本仏と南無妙法蓮華経を蔑(あなず)り、後生は必ず無間地獄におちる。
だが蒙古の責めだにも強まるならば、北条時宗のごとく、一分の改悔をも生じて無間(むげん)の大苦を免れるであろう――とのお心である。
ゆえに「蒙古の事、すでに近づきて候か。我が国の亡びん事はあさましけれども、これだにも虚事(そらごと)になるならば、日本国の人々いよいよ法華経を謗(ぼう)じて、万人無間地獄に堕(お)つべし。彼(かれ)だにも強(つよ)るならば、国はほろぶとも謗法(ほうぼう)はうすくなりなん。讐(たと)へば灸治(やいと)をして病(やまい)をいやし、針治(はりたて)にて人を治(なお)すがごとし。当時は嘆(なげ)くとも後は悦(よろこ)びなり」(蒙古事)と仰せられる。
 ここに、三たびの諌暁ののち、大聖人は諸天に治罰を「申しつけ」給うたのである。
「後生(ごしょう)はさてをきぬ、今生(こんじょう)に、法華経の敵(かたき)となりし人をば、梵天(ぼんてん)・帝釈(たいしゃく)・日月(にちがつ)・四天(してん)罰し給いて、皆人に見懲(みこ)りさせ給へと申しつけて候。日蓮、法華経の行者にてあるなしは、是(こ)れにて御覧あるべし。かう申せば、国主等は此の法師(ほっし)の威(おど)すと思えるか。あへて憎みては申さず、大慈大悲の力、無間地獄の大苦を今生に消さしめんとなり」(王舎城事)と。
 まさに透徹の大慈悲とはこのことである。現世の天罰を以て改悔(かいげ)せしめ、後生の大苦をお救い下さる。
ゆえに「現世に云いをく言(ことば)の違(たが)はざらんをもて、後生(ごしょう)の疑いをなすべからず」(佐渡御書)とも仰せられる。
 それだけではない。この他国侵逼により亡国となって当然の日本をも、冥々(みょうみょう)のうちに御守護下されているではないか。
蒙古の襲来は文永と弘安の再度にわたる。彼我(ひが)の軍事力の差は歴然であった。
ことに二度目の襲来は「又今度寄(よ)せなば先には似るべくもあるべからず」(乙御前御消息)とのご予言どおり、日本全土を侵略・占領するに足る大規模なものであった。
それが、日本軍の武勇によってではなく、二度が二度とも、大風によって本国に引き揚げているのだ。
このような不思議な侵略は、史上に例を見ない。
これこそ大聖人の冥々(みょうみょう)の御守護以外にはない。
これを「冥祈顕応(みょうきけんのう)」という。諸天に「申しつけ」て治罰せしむる御境界なればこそ、また諸天に命じ、冥々のうちに日本国の衆生を、他国侵逼の悲惨からも救い給うたのである。
 まことに「我(われ)日本の柱とならむ、我日本の眼目(がんもく)とならむ、我日本の大船(たいせん)とならむ等とちかいし願やぶるべからず」の御誓願の、なんと堅固なる。大慈大悲の、なんと深厚(じんこう)なる。ただ低頭合掌のほかはない。
 そして、この大慈大悲の御本仏が、最も心に懸け給うたのが、滅後の日本すなわち「末法濁悪の未来」の日本国のことである。
撰時抄に仰せの「前代未聞の大闘諍」は、いま刻々とその姿を現わしつつある。
今こそ全日本人は「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」の重き仏語を、深く命に刻むべき時を迎えている。

第三章 『亡国の予兆』

 日蓮大聖人は、滅後の日本および世界を憂えられ、本門戒壇の入御本尊をこの国に留(とど)められて "この大御本尊を信じ南無妙法蓮華経と唱え、一国の総意を以て本門戒壇を建立するならば、日本および全世界は仏国土となり真の平和と幸福がもたらされる"として、本門戒壇の建立を門下に遺命(ゆいめい)された。
 大聖人の付嘱(ふぞく)を受けた二祖・日興(にっこう)上人、三祖・日目(にちもく)上人、および日道上人・日行(ぎょう)上人・日有(にちう)上人・日霑(にちでん)上人等の冨土大石寺歴代の上人は、この御遺命(ごゆいめい)を奉じ、身を捨てて時の国主を諌め続けられた。

   「自他の叛逆歳を逐うて」

 二祖・日興上人が鎌倉幕府を諫暁(かんぎょう)された申状(もうしじょう)を拝見する。
 「日蓮聖人の弟子日興、重ねて言上(ごんじょう)。早く爾前迹門(にぜんしゃくもん)の謗法(ほうぼう)を対治し法華本門の正法を立てらるれば、天下泰平国土安全たらんと欲する事。・・・・所詮、末法に入っては、法華本門を建てられざるの間は、国土の災難日に随って増長し、白他の叛逆歳(はんぎゃくとし)を逐(お)うて蜂起(ほうき)せん……」と。
「法華本門の正法」とは、大聖人が留め置かれた大良薬たる「本門の三大秘法」である。
この三大秘法を立てなければ、国土の災難および自叛・他逼は日ごと歳ごとに増大する――と指摘されている。
 この諌めの後、ほどなくして鎌倉幕府は滅亡し、後醍醐(ごだいご)天皇の「建武(けんむ)の中興」が或る。
これを見て三祖・日目上人は後醍醐帝に申状を奏上された。
 
「日蓮聖人の弟子日目、誠惶誠恐(せいこうせいきょう)謹んで言(もう)す。……正像所弘(しょぐ)の爾前迹門(にぜんしゃくもん)の謗法(ほうぼう)を退治し、末法当季(とうき)の妙法蓮華経の正法を崇(あが)められんと請(こ)うの状。……然りと雖も顕教・密教の護持も叶(かな)わずして国土の災離日に随って増長し、大法・秘法の祈祷(きとう)も験(しるし)なく自他の叛逆歳を逐(お)うて強盛(ごうじょう)なり。・・・・仏滅後二千余年の間……天台・伝教の残し給うところの秘法三つあり、所謂(いわゆる)法華本門の本尊と戒壇と妙法蓮華経の五字となり。之(これ)を信敬(しんきょう)せらるれば、天下の安全を致し、国中の逆徒を鎮めん。……日目、先師の地望(ちぼう)を遂げんがために、後日(ごじつ)の天奏(てんそう)に達せしむ」と。
 だが後醍醐大皇は真言密教に執着して、この諌暁を用いなかった。そして大皇親政の「建武の
中興」はわずか三年で崩壊を見る。
 それからの日本は、文字どおり自界叛逆・内戦の時代に突入する。
朝廷は南北両朝に分裂し、この対立を軸とした史上曽てない動乱が列島を覆い、さらに応仁の乱を機として、血で血を洗う戦国時代がその後百年も続いたのである。

 明治以後の日本は、こんどは他国侵逼・外患に悩まされ続ける。
欧米列強がアジアに植民地を求め侵略してきたからである。
明治以降の日本は国家神道を思想・信仰の中心に据(す)え、富国強兵(ふこくきょうへい)を以てこの荒波に抗しようとした。
しかし天照太神は三大秘法守護の善神である。
ゆえに謗法の国を捨離してましまさず、残るは悪鬼乱入の社殿のみである。
これを崇(あが)めて国家が安泰となる道理はない。
 かくて明治には日清戦争・日露戦争が、そして大正には第一次世界大戦が起きる。
また関東大震災が号鐘になったかのごとく、昭和になってからの日本は、満州事変・日中戦争・太平洋戦争と、打ち続く戦乱の泥沼に呻吟(しんぎん)した。太平洋戦争の犠牲者は、実に三百数十万人といわれる。
 まさに大聖人御大滅後の日本の姿は、日興上人・日目上人の諌状にある「国土の災難日に随って増長し、自他の叛逆歳を逐うて蜂起せん」のままである。
 人々は、これら歴史の事象において、その表層の因果は知り得るであろう。
だが、深層・根底の因果には思い及ばない。――まさしく七百年前、日本民族は主・師・親の大恩まします御本仏の頸を刎ね奉って未だ一分の改悔(かいげ)もない。このゆえに「自他の叛逆」は歳を追って増大するのである。

 【悪に悪を重ねる】

そして大聖人ご入滅後の、最も深刻なる他国侵逼はこれから始まろうとしている。
二困一同の改悔(かいげ)なきに加え、内にあって仏法を護持すべき正系門流が、御遺命の「国立戒壇」建立を放棄したからである。
このことについては前にも述べたが、もう少し説明を加える。
 日蓮大聖人の仏法を正しく受け継いだ唯一の正系門家は、二祖日興上人が開基した冨士大石寺であり、これを総本山とする宗教法人が日蓮正宗である。
そして創価学会は、この日蓮正宗に属する一信徒団体であった。
ところが第三代会長(当時)の池田大作は政治野心を懐き、衆議院に駒を進めた。
この政界進出に対し、マスコ・各政党・諸宗から一斉に反発が出た。
その批判は、もっぱら学会がそれまで政界進出の口実としてきた「国立戒壇」に向けられ、"国立戒壇は憲法
違反だ"という不当・低レベルの非難であった。
だが池田大作はこの非難を恐れた。
そしていとも簡単に「国立戒壇」を放棄し、俄(にわ)かに大石寺境内に「正本堂」なるものを建て、これを「御遺
命の戒壇」と偽ったのであった。
 これがいかに節操なき欺瞞(ぎまん)であるかは、曽ての彼の主張を見れば一目瞭然である。
 「国立戒壇の建立こそ、悠遠六百七十有余年来の日蓮正宗の宿願であり、また創価学会の唯一の大目的なのであります」(大白蓮華・五九号)
 これは大聖人の弟子として正論である。
しかし変節した後の池田はこう述べる。
  「宗門七百年来の宿願であり、創価学会の最大の目標であった正本堂が、遂に完成する運びとなりました」天白蓮華・二三〇号)と。
 まさに池田大作は政治野心のために、御本仏の一期(いちご)の御遺命を弊履(へいり)のごとく抛ったのだ。大聖人に対する、これほど重大な背反・叛逆はない。
これ、仏法を内部から破壊する"魔の所行"というべきものである。
 ところが悲しいことに、このとき日蓮正宗の高僧たちは創価学会の強大な権力・金力に諂(へつら)い、池田の求めるままに、日蓮正宗として公式に「国立戒壇」の放棄を宣言したのであった。
  「仏法は体(たい)のごとし、世間はかげのごとし、体(たい)曲れば、影ななめなり」(富木殿御返事)と。
 正系門家のこの信心の濁乱(じょくらん)が、日本の命運に重大な影響を与えぬはずはない。
一国の改悔なきに加え、正系門家のこの御遺命違背。
まさに非に非を加え、悪に悪を重ねるものである。
どうして諸天怒りをなさぬことがあろうか。
ここにいま、大聖人ご入滅後における最も深刻な他国侵逼が起こらんとしているのである。
  

 【孤立する日本】

 亡国の予兆は、すでに現われている。
戦後五十年の安逸(あんいつ)の夢は、いま音を立てて崩れんとしているではないか。
まず日本を取り巻く国際状勢の変化を見よう。
 戦後の日本の安逸は、東西冷戦の体制下における、アメリカの庇護(ひご)によって得られたものである。
世界のいかなる国も国防には多大の犠牲を払っている。
しかるに日本だけは、その国防をアメリカに委ねることができた。
そして余力を経済発展のみに注ぐことができ、輸出先もまたアメリカであった。
 このようにアメリカが鷹揚(おうよう)に日本を防衛・経済両面にわたって庇護したのも、一つにはソ連と対峙する情況において、それがアメリカの国益に叶うことであり、またアメリカに圧倒的な経済力があったからに他ならない。
 しかし今や冷戦体制は崩壊し、アメリカの経済力も衰えてきた。
そうなれば、日本の存立基盤が揺らぐことは当然である。
それがまず、日米同盟崩壊の危機と、貿易摩擦となっていま現われてきているのである。
 貿易摩擦は、日本経済をいわゆる「右下がりの経済」に移行させる。
もはや曽てのような高度成長は望むべくもない。
 日米同盟崩壊の危機はもっと重大だ。
米国政府当局者は一応日米安保の堅持を謳(うた)っているが、その水面下で、アメリカの姿勢が大きく変化しつつあることはすでに覆いがたい。

 昨年秋、尖閣諸島の領有権問題で騒ぎがあったとき、モンデール駐日大使(当時)は"たとえ尖閣諸島に軍事攻撃がかけられても日米安保条約の適用はない"旨の発言をした。
 また米国の有力研究機関の「外交問題評議会」は、民主党政権で国防長官だったブラウン氏と共和党政権で国防次官袖だったアーーミテージ氏を共同議長に、クリントン政権の高官を含む日米安保に関する最高の専門家約四十人から成る研究グループを作り、昨年十月から本年三月まで研究と討議を重ねた結果、次のような趣旨の警告と予測を打ち出している。
 「日米同盟は危機に対して有効に機能できない"張り子のトラ"である」「日米同盟は、両国間の防衛責務の不均衡のため、朝鮮半島などでの有事には効力を発揮せず、崩壊の危険に直面する」「日米同盟は戦後一貫して、米国が軍事面ではるかに大きな負担と責任を担うという片務性・不均衡を特徴としてきたが、冷戦後の米側の世論を考慮すれば、もはやこうした形での機能は許されない」と。
 この深刻な予測は、「外交問題評議会」の性格と権威から見ても軽々に看過すべきではない。
アメリカの本音がここに現われている。
日本は孤立化しつつあるのだ。
日本が侵略されてもアメリカの来援はない、という日がやがてこよう。
寿量品の「自惟孤露(ゆいころ)・無復詩怙(むぶじこ)」(自(みずか)ら惟(おもんみ)るに孤露(ころ)にして復詩怙無(またじこ)し)とはこれである。
 多くの日本人は日米関係を、堅い友情で結ばれた「対等のパートナー」と思いこんでいる。
これは錯覚である。国を守ってもらっていて、「対等」の関係などはあり得ないではないか。
日米関係の本質は、占領によってもたらされた"宗主国と従属国"の関係を、未だに引きずっているところにある。
この関係において、アメリカは日本の防衛を一方的に引き受けているのだ。
したがって必要とあらば"宗主国・アメリカ"は、軍事・経済両面において、日本に貢献を強いることができる。
 
 それが経済面では、日本政府が膨大な外貨準備高を諸外国のごとく金(きん)で保有せず、目減りを承知で米国債で保有して米国経済を支えていること、また湾岸戦争では戦費を貢がされ、さらにいま貿易上の要求を次々と突きつけられていることに表われている。
さらに軍事面では、アメリカの世界戦略に貢献を強いられる。
沖縄基地の「特措法」も、また「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)の見直しもその一つであるが、「守ってやっている」アメリカの日本に対する軍事貢献の要求は、今後増大する一方であろう。
 もし日本が"平和ボケ"から貢献をしぶるなら、日米関係は崩壊する。
前述の「外交問題評議会」の報告書はその警告なのであろう。
だが問題は、全面貢献したとしても日本の安全は保障されないということだ。
所詮、他国に国防を任せること自体が、独立国としてはあり得ない。自ら国を守る力も気概もない日本は、いままさにその存立の基盤をゆさぶられているのである。
 しかも冷戦終結後の世界は、無秩序で戦国時代の様相を呈している。
核兵器、化学・生物兵器などの大量殺戮兵器は世界中に拡散し、これを止める力は世界のどこにもない。
 加えて、間もなく地球的規模で食糧・石油・水資源の不足が起こることは必至であり、この争奪をめぐって世界各国が相争うことは避けられない。
大聖人は「水すくなくなれば池さはがしく、風ふけば大海しづかならず」(兵衛志殿御書)と仰せられている。
ことに日本は石油供給の九九・七%を海外に依存し、食糧自給率は穀物ベースでわずか三十%である。もし動乱が起これば、最も打撃を受ける国は日本なのだ。

 【軍事超大国の出現】

このような情勢の中、日本のすぐ隣りに「中国」という一党独裁の軍事超大国が忽然(こつねん)として出現した。
 この国の弾道ミサイル核兵器はすでに日本列島全体を射程内におさめ、我が国にはこの弾道ミサイルを打ち落とす能力も、捕捉する能力もない。
中国は昨年三月の中台危機に際して、SLBM搭載の原子力潜水艦を台湾海峡に派遣していたことを、わざと明らかにしている。「この強大な核攻撃能力は、日本にも向けられるのだ」という威嚇であろう。
 また海軍・空軍の増強ぶりも著しい。この海・空軍の能力向上が、石油・天然ガスをはじめとする海底資源の確保・争奪を目的としていることは明らかである。
 この軍事力を背景に、いまや尖閣諸島周辺の沖縄海域は、日本の領海であるにもかかわらず、中国の調査船が我が物顔で振舞い、あたかも「中国の海」のごとくなっている。
 だが、この明らかな領海侵犯を見ても、日本政府は座視している。
 日中関係が損われれば政権の維持に関わると、事勿(ことなか)れ主義を極めこんでいるのである。
この優柔不断を見るとき、やがて尖閣諸島は中国に占領され、竹島は韓国に奪われること、想像に難くない。
 すでに中国政府は一九九二年(平成四年)に領海法を制定し、その中で尖閣諸島を「中国固有の領土」として明記し、領海侵犯に対しては軍事的に排除することを宣言している。
この論理から云えば、この海域に入る日本の艦船はいつ撃沈されてもおかしくない。

 そしてこの領海法が定められた翌九三年(平成五年)、中国は十一月二十五日から十一日間にわたって北京で、中国共産党中央弁公庁と中央軍事委弁公庁共催による「国際情勢発展セミナー」を開催している。
この会議は党・政府・軍の中枢が集まって国際情勢を分析して、中国の将来の方向を見定めるという、内輪(うちわ)だけの本音の会議である。
この会議で、全員一致の認識として「中国の二十年後の主要敵は日本である」ことが確認されている。
 この国家戦略に基づいて、中国の軍備拡大は進められているのだ。
いま尖閣諸島への中国の硬軟とりまぜてのアプローチを見るとき、他国侵逼の前触れはすでに始まっていると思わずにはいられない。
 日蓮大聖人に背く国は、磁石が鉄を吸うように、自然と他国の敵意を招く。
「今、日本国の法華経をかたきとして、わざわいを千里の外よりまねきよせぬ」(十字御書)とはこれである。
 この軍事超大国・中国の出現は、大聖人御在世の大蒙古を思わせる。
撰時抄の「闘諍堅固(とうじょうけんご)の仏語(ぶつご)地に堕(お)ちず、あたかもこれ大海の潮(しお)の時をたがへざるがごとし」の仰せが、広宣流布前夜のいま、再び事相(じそう)となって現われてきたごとくである。
 大聖人は大蒙古の侵略について、諸天の治罰(じばつ)なるがゆえに、いかなる重武装も役に立たないとして「設(たと)ひ、五天(ごてん)のつわものをあつめて鉄囲山(てつちせん)を城とせりともかなうべからず、必ず日本国の一切衆生兵難(ひょうなん)に値うべし」(撰時抄)と断言されている。
北条時宗の果断、鎌倉武士の剛健を以てしても、諸天の責めたる他国侵逼の前には物の役に立たなかったのである。
いわんや、無責任・腐敗の政治家、また自己中心・退廃の民衆で満ちる今日の日本においては、なおなおの事といわねばならぬ。

   【亡国の政治家・亡国の民】

 およそ国民の生命と財産を外敵の侵略から守ることは、政治家の最大の責務である。
しかるに我が国の政治家はこれを他国に委ね、他人事のように有事法制は先送りし、集団自衛権などは論議すら避けてきた。
このところアメリカの軍事協力要請に遭(あ)って、一時しのぎの弥縫(びほう)をしているが、依然として自ら国を守るという気概は全く見られない。
 この無責任は、外交姿勢にもいかんなく表われている。
国益よりも保身を優先させるから、謝罪外交に終始する。
竹島を不法占拠せんとしている韓国の大統領に、一言も領土の主張もせず、かえって韓国流の奇態な握手をして"臣下の礼"を取る日本の首相にも呆れるが、ことに中国に対する日本政府の土下座外交はどうしたものか。中国は核実験を散々くり返してきた。
その中国に対し、求められるままに巨額の円借款を供与し、この金が日本を脅かす核ミサイルとなり、軍艦と化していることには目を瞑(つむ)っている。
これ以上の「宋襄(そうじょう)の仁」は世界のどこにも見られない。
 また無責任は国家財政の破綻にも表われている。
国の借金は総計すでに五百兆円をはるかに超えている。
これだけ膨大な借金になると、元金の返済はおろか、金利の支払もままならぬ。
平成九年度の支払金利は年間十二兆円であるが、これを払うのに、また国債を発行しているのが実状である。元金の返済ではない、利息だけを払うのに、また借金を重ねているのだ。
日本はすでに"借金地獄"に陥っているのである。
 まもなく国家財政は破綻し、にっちもさっちも行かぬ時がやって来る。
事態の深刻さに気づいた政治家たちは、一斉に「行財政改革」を叫び出したが、これもポーズだけで、すでに手遅れの感が深い。
 いったいこの事態を招いたのは誰なのか。
いま声高に「行財政改革」を叫んでいる政治家たちではないか。
あたかも放火犯が防火運動を提唱しているような図である。
 彼等はこれまで、国民の血税を惜しげもなくバラ撒き、公共事業費をふくらませ、薬価を高騰させ、特殊法人に無駄な補助金を注いできた。
そしてこれが、白身の選挙運動となり、利権となってきたのだ。
バラ撒く血税が足りなければ、節度もなく際限もなく国債を濫発してきた。
そのツケが、いま五百兆円を超す国の借金となっているのである。
この借金はいずれ国民に負わされる。
国民の中でも、物いわぬ子や孫にツケは回される。
だが、その前にどうやら破綻が来そうである。
これはどの放漫な財政運営をしながら、政治家も官僚も、誰一人として責任を取る者がいない。

今の日本は、完全に無責任国家になっている。
国防も、国家財政も、責任を取る者がいない。
大臣は行き詰まれば罷(や)めれば済む。
そして残るのは、一億二千五百万の国民なのだ。――まことに国亡ぴんとするときには、このような"亡国の政治家"が蔓延(はびこ)るのである。
 一方、民のほうも亡国の兆を示している。金光明(こんこうみょう)経には「一切の人衆(にんしゅう)皆善心無く……」とあるが、仏法に背けば人々の貪(とん)・瞋(じん)・痴(ち)は倍増する。
それが今の濁乱の世相となっている。
 最近の凶悪犯罪の激増ぶりはどうか。
欲と瞋(いか)りから、子が親を殺し、親が子を殺し、妻が夫を、夫が妻を殺す、まして他人はいうに及ばすの、地獄界・餓鬼界が現出している。
また若者の放埓(ほうらつ)・頽廃(たいはい)ぶりはどうか。青少年の問には麻薬・覚醒剤が流行し、卑怯なイジメ・暴力が横行している。
さらに女子中・高校生の中には遊ぶ金ほしさに"援助交際"に走る者もある。
これらの姿は畜生界の"癡(おろ)か"そのものである。
 立正安国論には「徹(しる)し前(さき)に顕われ、災(わざわ)い後(のち)に致(いた)る」として、中国の周(しゅう)の末に風俗大いに乱れたことを「周の亡びる兆」と示され、また司馬(しば)氏の世において玩籍(げんせき)の放埓が一世を風育(ふうび)したことを「司馬氏の滅ぶる相と為(な)す」と指摘されている。
 これより思うに、いま日本に蔓延(まんえん)する"欲望民主々義"ともいうべき自己中心・放埓・頽廃の風潮こそ、亡国の兆と云わねばならない。

   【大彗星出現】

 亡国の予兆で最も重大なのは天変地夭である。
天変については立正安国論に「彗星数(しばし)ば出で」「両(ふたつ)の日並び現じ」あるいは「日輪一重・二・三・四・五重輪現ぜん」等と示されているが、このうち「両の日並び現じ」は昨年三月十三日に新潟で出現し、また「日輪一重・二……五重輪現ぜん」は昨年より本年にかけて異常な頻発を見せている。
 そして何より重大なのが、巨大彗星の出現である。
彗星については古来より「兵乱の悪瑞」「国土変乱の相」等といわれている。
 彗星は、仏法の上から見れば日天子(にってんじ)(太陽)の春属(けんぞく)である。
日天子が諸天の中でことに自界叛逆・他国侵逼を起こして日蓮大聖人の化導を助けまいらせたことは前に述べたが、この日天子が、彗星を出現せしむるのである。
 最近の天文学によれば、彗星のふるさとは太陽から十兆キロメートルも離れた「オールトの雲」で、太陽はここから彗星を引き寄せ、さらに太陽熱と太陽風によって、あの青白い長い尾を彗星に作らせるという。
まさに彗星を彗星たらしめているのは太陽なのである。
彗星が日天子の春属ということは、このことからも頷ける。
 大聖人御在世の文永元年七月、全天空を横断する空前絶後の巨大彗星が出現した。
これをご覧になって大聖人は「他国より此の国をほろぼすべき先兆なり」(法蓮抄)と仰せられた。
果してその後十一年を経て、大蒙古の襲来があった。
 そして本年、この「文永元年の大彗星」に次ぐ巨大彗星が、三月から五月にかけて出現した。
これ只事ではない。この「平成九年の大彗星」こそ、大聖人滅後における、最も深刻なる他国侵逼の「先兆」でなくて何であろうか。

 【大地震も遠からず】

仏法に因(よ)って起こる天変と地夭(よう)は必ず相(あい)呼応する。天変のみあって地夭はない、ということはあり得ない。
ともに諸天の働きなるがゆえである。
今すでに、御在世以来の最大の彗星は出現した。
どうして大地震のないことがあろうか。
 折しも日本列島は平成五年より地震の活動期に入ったごとくである。すなわち同年七月には「北海道南西沖地震」が起きて奥尻島に大被害をもたらし、翌六年十二月には「三陸はるか沖地震」が発生し、そして七年一月十七日にはあの阪神大震災が起きている。
さらに平成八年は震度五以上だけで八回、本年に至っては四月までですでに震度五以上が八回記録されている。
 日本列島のどこで地震が起きても憂慮に堪えないが、とりわけ人口の超過密、加えて行政と企業の中枢機能が集中している首都圏を襲う巨大地震は、日本全体を麻疹させるから重大である。
 この首都圏大地震については、近年、多くの学者が見解を発表している。
そしてその殆んどが「いつ起きても」「明日にも」等の形容詞つきでぶりで"切迫"を告げている。
 その中でことに、建設省建築研究所国際地震工学部応用地震学室長の石橋克彦博士の見解は注目すべきと思われる。
同博士は阪神大震災前年の一九九四年に著わした「大地動乱の時代」において、抑えた筆致で次のように述べている。
まず首都圏大地震の発生時期について「いまから十〜二十年のうちに、大地の運動の自然な成り行きとして、日本の心臓部を小田原、東海、首都圏直下の大地震が相ついで襲う可能性が高い。……時間の幅を来世紀半ばまで広げれば、複数の大地震の発生はほとんど確実といってよい。これは大多数の地震学者の共通の見解でもある」

 そして、この首都圏大地震が人類にとって初体験であることを「外国で悲惨な地震災害が発生するたびに、『日本は耐震技術が進んでいるから大丈夫』という声をきく。……しかし、首都圏(本書では、東京・神奈川・千葉・埼玉一都三県の「東京圏」よりやや広い地域を大まかにさす)のような軟弱地盤のうえに広がる超過密のハイテク巨大都市群が、直下の大地震によって震度6〜7の激しい地震動に直撃されるのは、人類にとって初めての経験であることを忘れてはならない」「生身の人間の手足や目のとどく範囲で都市生活が営まれていた安政期の江戸や、その面影を残していた大正時代の東京では、大震災といっても中味は単純だった。ところが現在の東京は、大自然の摂理と現代文明の相克が地球上でもっとも激しい場所の一つである。そこに潜む本質的な無理が大地震の際に極限まで顕在化して、ここで生ずる震災は人類がまだ見たことのないような様相を呈する可能性が強い」

 「超高層ビルや先端的な都市基盤施設が密集する東京圏は、けっして大地震に万全だから建設されているわけではない。むしろ、無数の市民をいやおうなく巻き込んで大地震による耐震テストを待っている、壮大な実験場というべきである」

 さらに東京圈がいかに危険要因で満ちているかについて「現在の東京圈には、大地震にたいして危険な要因が充満している。大正時代と比較にならないのはもちろんだし、最近大地震に襲われた内外の各地とくらべても種類と密度がはるかに多いだろう。筆頭は、ひしめく自動車である。地震時に走行中の事故や、避難・消火・款援への障害や、引火・爆発・延焼などによって、直接・間接に震災を激しく拡大するにちがいない。地震直後の災害が一段落してからも、重傷者を病院へ運ぼうとするマイカーなどが混乱をまねく恐れがある。……地下の鉄道・高速道路・駐車場・飲食店街なども危険性が高い。とくに軟弱地盤や異種地盤の境目では、強実動や液状化による構造体の破損、浸水、沖積低地や埋立地に多く潜んでいる酸欠ガスやメタンガスの噴出・爆発、火災、そしてパニックなど、不安材料が多い」

 「首都高速湾岸線の東京港・多摩川(工事中) ・川崎航路(同)の海底トンネルは、鉄筋コンクリートの巨大な函を何個か沈めてつなげる『沈埋(ちんまい)トンネル』である。耐震性にはじゅうぶん配慮してあるというが、厚い軟弱地盤上にそっと置いて砂をかぶせただけのトンネル中央部と、比較的固い地盤に固定されている端部という構造が、七下・水平の激しい地震動、周期数秒以上の大振幅の震動、液状化・側方流動による地盤変形などに襲われたとき、はたして万全と言えるだろうか」

 「このほか、新幹線、高速道路、超高層ビル、超軟弱埋立地に大型機がひっきりなしに離着陸する羽田空港、石油コンビナート、原子力発電所、いたるところに貯蔵され運搬されている引火性や猛毒の物質、川を上下するオイルタンカーなど、まだ大地震の洗礼をうけていない危険要素は枚挙にいとまがない。一見安全にみえるインテリジェントビルはOA機器や多量の通信ケーブルが非常に燃えやすく、しかも猛毒ガスを発生しやすいというし、快適さが売り物の高層ビルのアトリウム空間(吹き抜け)は火災に弱い」

 「さらに、液状化常襲地帯にどんどん開発されている住宅団地や超高層住宅は町全体が震災要因だし、ライフラインに依存し、生活のすみずみまでがコンピュータでコントロールされている現代社会そのものが、大地震にたいして致命的に脆弱である」

 「一次災害から派生的に生ずる『二次災害』の筆頭は火災である。……木造建物が密集しているなかに発大物や爆発物(車を含む)が充満し、一次被害で初期消火と延焼阻止が困難になるから、大火災の発生は将来の震災でますます懸念される。モルタル塗りなどの耐火遁が増えたといっても、強震動で屋根や外壁の防火材が損傷すれば木造建物は容易に着火する。また、現代の火災では有毒ガスや大量の煙が発生する。……、アパート・地下街・超高層ビル・コンビナートなどの火災も恐ろしい」等々と。
 センセーショナルを排した学術的な記述ではあるが、思いをめぐらせば恐ろしさが伝わってくる。
 東京圈の人口は三千二百万人である。国土のわずか三・六八ーセントの面積に、総人口の二十六八ーセントに当る人々がひしめいているのだ。
この超過密・ハイテク巨大都市群が巨大地震に襲われるのは、云われるごとく「人類にとって初めての体験」である。
したがってその惨禍は「人類がまだ見たことのないような様相を呈する」に違いない。
 犠牲者が何十万人になるのか、何百万人になるのか、財産の損失がどれほどになるのか、誰人も予想すらできない。
 そして東京圏の潰滅は、そこだけの惨事にはとどまらない。
日本全体を麻揮させ、さらに世界経済を大混乱に陥れる。
日本経済の規模から見て、東京発の世界恐慌を引き起こす可能性が極めて高い。
 わずか六十秒の大地の揺れが、これはどの惨禍をもたらすのだ。
所詮、ハイテク巨大都市といっても、高度文明生活といっても、砂上の楼閣にすぎない。
東京も、日本も、世界も、実は薄氷の上に乗っているのである。
 だが、この恐ろしい首都圏巨大地震も、未だ自叛・他逼の前相(ぜんそう)にすぎない。この大地震を号鐘として、自界叛逆・他国侵逼が事相となるのである。

第四章 立正安国

 では、どうしたらこの悲惨な亡国を免れることができるのか――。
 それは、日蓮大聖人が滅後のために留め置かれた「本門戒壇の大御本尊」を日本一同に信じ、御遺命のごとく本門戒壇を建立することにある。
この本門戒壇の建立こそ「立正」であり、立正すれば自ずと国は安泰になる。
この道理を立正安国論には「汝早く信仰の寸心を改めて速(すみやか)に実栗(じつじょう)の一善に帰せよ。然れば則(すなわ)ち三界は皆仏国なり、仏国其(そ)れ衰えんや。十方は悉(ことごと)く宝土(ほうど)なり、宝土何ぞ壊(やぶ)れんや。国に衰微無く土に破壊(はえ)無くんば、身は是(こ)れ安全にして心は是れ禅定(ぜんじょう)ならん」と説かれている。
「信仰の寸心を改めて」とは、一切の邪法を捨てることで破邪。「実乗の一善に帰せよ」とは、法華経本門寿量品の肝心たる本門戒壇の大御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱え、本門戒壇を建立せよということで立正。かくのごとく破邪・立正すれば、自ずと日本は金剛不壊(こんごうふえ)の仏国となるのである。


「他国来難の刻」

 大聖大が「本門戒壇の大脚本尊」を日本に留め置かれたのは、ひとえに滅後の日本および世界の人々を、無量の大災難から救わんとされる大慈悲からである。
ゆえに新尼抄には「末法の始めに、謗法(ほうぼう)の法師一閻浮提(ほっしいちえんぶだい)に充満して、諸天いかりをなし、彗星は一天にわたらせ、大地は大波(おおなみ)のごとくをどらむ。大旱魃(だいかんばち)・大火(だいか)・大水(だいすい)・大風(だいふう)・大疫病(やくびょう)・大飢饉(ききん)・大兵乱(ひょうらん)等の無量の大災難並びをこり、一閻浮提の人々各々甲冑(おのおのかっちゅう)をきて弓杖(きゅうじょう)を手ににぎらむ時、諸仏・諸菩薩・諸大善神等の御力の及ばせ給はざらん時、諸人皆死して無間地獄(むげんじごく)に堕つること雨のごとくしげからん時、此の五字の大曼荼羅(だいまんだら)を身に帯し心に存せば、諸王は国を扶(たす)け、万民は難をのがれん」と。――末法の始めに、人ことごとく仏法に背くを見て、諸天いかりをなし、大彗星・大地震および無量の大災難並び起こり、さらに大戦乱によって大量死のおこるとき、この大御本尊を強く信ずるならば、国主は国を助けることができ、民衆はそれぞれ難をのがれることができる――と仰せられる。
この御文と次文は、共に御在世と末来日本国の情況とを合わせ説かれている。
 四十九院申状には「第三の秘法今に残す所なり。是れ偏えに末決闘諍(とうじょう)の始め、他国来難の刻(きざ)み、一閻浮提の中の大合戦(だいがっせん)起こらんの時、国主此の法を用いて兵乱(ひょうらん)に勝つべきの秘術なり」と。
 「第三の秘法」とは、法華経の迹門・本門を第一・第二とし、寿量品文底秘沈の大法を第三とする。
その体(たい)はまさしく本門戒壇の大御本尊であられる。
文意に云く――この大御本尊は、ひとえに世界に大戦乱が起き日本が他国に襲われるとき、国主がこの大法を用いて兵乱に勝つべきの秘術として、留め置くものである――と。
 日蓮大聖人が大慈悲を以て留め置かれたこの「本門戒壇の大御本尊」は、今、冨士大石寺にまします。
この大御本尊を、全日本人が信じ南無妙法蓮華経と唱え、本門戒壇に奉安するとき、日本は金剛不壊(こんごうふえ)の仏国となるのである。


 【国立戒壇と憲法】

 この本門戒壇は、広宣流布のとき国家意志の表明を以て建てられるべき旨御遺命されていることから、一般に「国立戒壇」と通称されている。
 この国立戒壇について、日本国中の諸宗はもちろん、各政党、マスコミも挙って反対している。
この強き反対に遇(あ)って、それまで国立戒壇を政界進出の口実としていた創価学会も恐れをなし、あわてて「国立戒壇」を否定・放棄し、世間に迎合したのであった。
 世間の反対の根拠は、おしなべて「憲法違反」というところに要約される。
"憲法は厳重に政教分離を規定しているから、国立戒壇は違憲だ"というものである。
 この憲法は戦後の日本人の魂のごとくになり、殆んど"平和憲法教"のような趣きを呈している。
ゆえに「違憲」の非難は俗耳に入り易い。
どうしてもこの問題は触れておかなければならない。
 まず政教分離を定めた憲法第二〇条であるが、この条目が設けられた趣旨は、戦前の日本が国教としてきた国家神道の排除にある。
まさしく占領目的の一環として設けられた条目である。
したがって、国家神道の毒を捨てさせたということにおいては一応の評価はできるが、未だ三夫秘法の薬を用いるという認識はあるべくもない。
その前段階の法制というべきものである。
 ゆえに将来、全日本人が三夫秘法こそ国家安泰の唯一の正法と知る時には、この条目は当然改正される。
ちなみに憲法弟九六条には改正の手続が定められている。
すなわち衆参両院の各三分の二と、国民投票の過半数の賛成があれば改正ができることになっている。
御遺命の本門戒壇は、この改正後に建立されるものであるから、国立戒壇違憲説は当らない。

 序(つい)でに云えば、日本人はこの憲法を金科玉条・不磨(ふま)の大典のごとくに奉っているが、この憲法には多くの欠陥が見られる。
それは、戦勝国が敗戦国に、占領政策の一環として押し付けたところに起因している。
 前にも述べたが、明治維新以後の日本は、欧米列強のアジア植民地の侵略に抗するため、富国強兵・軍国主義の路線を突き進んだ。
欧米列強の修羅に対し、修羅を以て応じたのである。
しかもこの軍国主義路線の支柱となった宗教が、国家神道であった。
この国に日蓮大聖人の三夫秘法ましますにもかかわらず、これを蔑視し、神道を用いた。その結果が敗戦であった。
 戦勝国アメリカが敗戦国日本に求めたものは、日本が再びアメリカに脅威を与える国にならないこと、言い換えれば、アメリカの庇護なくしては自立できぬ国にすることにあった。
この目的で、日本国の在り方を定めた基本法が、この「平和憲法」なのである。
 この憲法草案は、昭和二十一年二月四日から同月十日までのわずか七日間で、GHQの民政局員二十五人、それも憲法にはほとんど素人といえる人々の手によって作られたと伝えられる。
一週間の即席だから悪いとは云わないが、戦勝国が占領目的を遂行するために押し付けた憲法に、日本国の在るべき理想を求めることが、土台無理な話なのである。
ゆえにこの憲法には枝葉はさておき、基本的部分で重大な欠陥が見られる。
 たとえば、この憲法の基本理念の一つとして謳(うた)われている「国民主権」にしても、これは未だ国家というものの本質を見究めていない。
あくまでも敗戦処理に伴う相対的な理念に過ぎない。
それは前文の「日本国民は……政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」にも表われている。
すなわち国家・政府は戦争を起こす"悪"なのだという前提に立って、主権在民を謳っているのである。
 およそ国家権力と個人の幸福の関係は、政治学の根本的命題であり、国家問題の本質はまさしくここにある。国家・政府を"悪の装着"と決めつけ、国民主権を謳うだけでは事は解決しない。
あらゆる国家は、領土と国民と主権の三要素によって成立している。
この主権とは、国家の統治権である。
この主権なくして、国家は存在し得ない。
この主権を仏法では「王法」という。

 国家の本質的問題は、この王法がどのような働きをするかというところにある。
王法にも、地獄界乃至仏界の十界がある。
もし王法が修羅界の働きとなるとき、ヒットラーのドイツ、スターリンのソ連、そして今日の中国・北朝鮮のごとく、内には国民を虐げる独裁政治となり、外には他国を侵略する覇権主義となる。
またもし王法が衰微をすれば、国内は秩序を失い、他国の侵略を招くようになる。
いまの日本国はこれである。
そして王法が仏界化するとき、初めて国家権力は慈悲の働きとなり、内には国民を守って幸福ならしめ、外には他国を利益する。
されば王法の仏界化こそ、国家に求められる究極の姿なのである。
 では、いかにしてこれを実現するのか。
ここに日蓮大聖人は王法と仏法の冥合(みょうごう)を御教示下されている。このことは後で述べる。
 またこの憲法の基本理念のもう一つに、「平和主義」それに伴う「戦争放棄」というのがある。
前文に「日本国民は平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とあり、これを承(う)けた第九条で、戦争の放棄と戦力および交戦権の否認をしているのがそれである。
これまた、占領政策そのものの条文といわねばならぬ。
日本が再びアメリカの脅威とならぬよう、具体的には「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない」と規定している。
 日本に戦争を起こさせないのはいい。しかし日本が他国から侵略を受けたら、これをどう防ぐのか。
国家の存立にかかわるこの重大事が、この憲法には欠落しているではないか。
 憲法に定める戦力不保持の大前提は、前文の「諸国民の公正と信義に信頼して」がそれである。
 だが現実の世界は、すべての国が車備に狂奔し、弱肉強食の修羅界を現じているではないか。
「公正と信義」などはどこにもないのだ。

たとえば、終戦時のソ連にしても、交戦当事国でもないのに敗色濃厚な日本に襲いかかり、満州の在留邦人に暴行を加え、六十数万人の関東車を拉致してシベリヤで強制労働させ、うち六万人を凍死せしめ、さらに不法に北方領土を占拠して未だに返還しようともしない。
また大国だけが核を独占して小国を脅かしている世界の現状一つを見ても、「諸国民の公正と信義に信頼して」は成立しないではないか。
 すでにこの大前提が崩れている以上、戦力の不保持は即日本の「安全と生存」の放棄につながる。
そこで日本は、この「安全と生存」を、アメリカに保障してもらっているのだ。
まさに自力では存立し得ない"半独立国"従属国"というのが、日本の実態なのである。
 ところが無邪気な日本人は、アメリカに依存しているこの安逸が、いつまでも続くと思いこんでいる。
かくて一億二千五百万人の"主権者サマ"は、国家意識も稀薄でそれぞれが自己中心、国の防衛は他人にまかせて欲望肥大に浸り切っている。
その平和ボケ、無責任ぶりは、今やこの憲法を押しつけたアメリカをも呆れさせ、苛(いら)立たせている。
 重ねていう。アメリカが日本を防衛しているのは、自国の世界戦略・国益に基づくのであって、決して日本のためではない。
ゆえにもし国際情勢が変化すれば、日本の防衛から手を引いて当然である。
その地殻変動は、すでにいま起きつつあるのである。
 まさしく現行憲法の歴史的意義は、この日本を、世界で最も侵略され易い国にした、というところにあろう。
そして今、磁石が鉄を吸うように「他国来難」の危機は日本に迫りつつあるのだ。


 【本門戒壇建立の御遺命】

 ここに日蓮大聖人は「末法濁悪の未来」の日本国を教う唯一の秘術として、本門戒壇の建立を
御教示下された。この戒壇建立こそ「本門戒壇の大御本尊」の力用(りきゆう)によって、日本を金剛不壊(こんごうふえ)の仏国と化し、さらに全世界を事(じ)の寂光土(じゃっこうど)と化す唯一の方策である。
 では、この本門戒壇は、いつ、どのようにして、どこに建てられるべきなのか。大聖人はこの
戒壇建立を一期(いちご)の大事・究極の大願とし給うゆえに、容易(たやす)くはこれを明言されず、御入滅の年に
至って、初めて三人秘法抄にこれを明示し給うた。すなわち
  「戒壇とは、王法仏法に冥(みょう)じ仏法王法に合(がっ)して、王臣一同に本門の三大秘密の法を持(たも)ちて、有徳王(うとくおう)・覚徳比丘(かくとくびく)の其の乃往(むかし)を末法濁悪(じょくあく)の未来に移さん時、勅宣(ちょくせん)並びに御教書(みぎょうしょ)を申し下して、霊山浄土(りょうぜんじょうど)に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可(べ)き者か。時を待つ可きのみ。事(じ)の戒法(かいほう)と申すは是(こ)れなり。三国並びに一閻浮提の人・懺悔滅罪(ざんげめつざい)の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等も来下(らいげ)して踊(ふ)み給うべき戒壇なり」と。
 この御文に、戒壇建立についての「時」と「手続」と「場所」が明らかである。

大事な御教示なので、文を追って解説する。
 まず、いかなる「時」に建てるべきかの御指示が「王法仏法に冥じ……未来に移さん時」までの文である。
「王法仏法に冥じ、仏法王法に合して」とは、国家が、日蓮大聖人の仏法こそ国家安泰・衆生成仏の唯一の正法であることを認識し、これを尊崇(そんそう)守護することである。
その具体的な姿を次文に「王臣一同に本門の三大秘密の法を持(たも)ちて、有徳王(うとくおう)・覚徳比丘(かくとくびく)の其の乃往(むかし)を末法濁悪の未来に移さん時」と示されている。すなわち日本国の国主たる天皇も、輔弼(ほひつ)の大臣も、全国民も、一同に本門戒壇の大御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱え、「有徳王(うとくおう)・覚徳比丘(かくとくびく)」の故事に示されるごとき、身命も惜しまぬ純粋熱烈の護法心が一国上下にみなぎった時――と。
このような姿が末法濁悪の未来日本国に現出したときが、戒壇建立の「時」である。

 次に戒壇建立の「手続」については、「勅宣(ちょくせん)並びに御教書(みぎょうしょ)を申し下して」と規定されている。
「勅宣」とは天皇の詔勅。「御教書」とは行政府の令書、今日においては国会の議決ないし閣議の決定等がこれに当ろう。
すなわち「勅宣並びに御教書を申し下して」とは、国家意志の公式表明をその手続とせよ、ということである。
 なぜ大聖人は「国家意志の表明」を戒壇建立の必要手続とされたのであろうか。
謹んで聖意を案ずるに、戒壇建立の目的は仏国の実現にある。
仏国の実現は、国家レベルの三人秘法受持があってこそ始めて可能となる。
ここに「国家意志の表明」を、欠くべからざる手続と定め給うたものと拝する。
もし一個人や一団体の建立では私的な戒壇となり、国土の成仏も国家の祈りも叶わない。
ゆえに創価学会が建てた「正本堂」は欺隔であり、背反なのである。
そして御遺命の本門戒壇は、この「国家意志の表明」という手続のゆえに「国立戒壇」と称されるのである。
 次に「場所」についてのご指示は、ここには「霊山浄土(りょうぜんじょうど)に似たらん最勝の地」とあって地名が略されている。
しかし二祖・日興上人への付嘱(ふぞく)状の「国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」の御文を合せ見れば、「富士山」たることは一点の疑いもない。
富士山は日本列島のほぼ中央に位置し、日本第一の名山のみならず、世界を尋ねてもこれほど美しい霊峰はない。
まさに富士山こそ日本における、世界における「霊山浄土に似たらん最勝の地」である。

 以上の御遺命を要約すれば、日本一同に日荒天聖人に帰依し奉る広宣流布の時、国家意志の表明を以て、富士山に本門戒壇を建立せよ――と。これが御遺命の戒壇である。
 この国立戒壇が建立されるとき、日本は仏国となる。なぜかといえば、本門戒壇の大御本尊は日蓮天聖人の御当体である。
御本仏を魂とする国は、まさしく仏国ではないか。「日蓮は日本の人の魂なり」「日本国の柱なり」との聖語は、ここに事相となるのである。
 この仏国が金剛不壊(こんごうふえ)であることは、竜の口において、国家権力の凶刃も大聖人の御命を奪うこ
とができなかった現証を以て、知ることができる。仏国は諸天が守護する。ゆえに立正安国論の「仏国其れ衰えんや……宝土何ぞ壊(やぶ)れんや、国に衰微(すいび)無く、土に破壊(はえ)無くんば、身は是れ安全にして、心は是れ禅定(ぜんじょう)ならん」は事実となるのである。

 「時を待つべきのみ」とは、広宣流布以前には、断じて「本門戒壇」と称して濫りに建立してはならぬという堅き御制誠。また同時に、広宣流布は大地を的として必ず実現する、との御確信を示し給うたものである。

 「事(じ)の戒法と申すは是れなり」とは、この本門戒壇の建立が即事(じ)の戒法に当るということ。戒とは防非止悪(ぼうひしあく)(非行を防ぎ、悪行を止(とど)める)の義である。すなわち国立戒壇を建立すれば、本門戒壇の大御本尊の妙用により、国家そのものが防非止悪の働きとなる。
国家の防非止悪とは、内には人民を虐げず、外には他国を害せず、内に外に慈悲の働きとなることである。
 そしてこの仏国に生ずる国民もまた、万人ひとりが、自ずと戒を持つ当体となる。道徳や小乗の戒律は他律的であるが、本門の大戒は、御本尊を信ずることにより、自然と自身が防非止悪・自利々他の当体となるのである。
このとき、貪(とん)・瞋(じん)・痴(ち)の三毒にまみれ、凶悪犯罪で満ちている現今の社会の相は一変する。

「三国並びに一閻浮提の人懺悔滅罪(ざんげめつざい)の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等も来下(らいげ)して踏み給うべき戒壇なり」とは、本門戒壇の利益の広大なることを示されたものである。
この国立戒壇は日本のためだけではない。
中国・インドおよび全世界の人々の懺悔滅罪の戒法でもある。
いや人間界だけではない、その利益は天界にまでも及ぶ。
ゆえに「大梵天王・帝釈等……」と仰せられる。
何と広大無辺の大利益ではないか。
そしてこの仏国を諸天が守護することは、「大梵天王・帝釈等も来下して……」の御文に明らかである。
 思うに、本門戒壇の大御本尊は、日蓮大聖人が日本および全世界の人々に総じて授与された御本尊である。かかる全人類のための大法を、日本が国家の命運を賭しても守り奉る。
これが日本国の使命である。日本は日蓮大聖人の本国であり、かつ三夫秘法が世界に広宣流布する根本の妙
国なるがゆえに、この義務と大任を、世界に対して負うのである。
 かかる崇高なる国家目的を持つ国が、世界のどこにあろう。
人の境界にそれぞれ十界があるごとく、国にも十界がある。
戦禍におびえる国は地獄界であり、飢餓に苦しむ国は餓鬼界、没道義の国は畜生界、侵略をこととする国は修羅界である。
その中で、全人類の成仏の大法を、全人類のために、国運を賭しても護持する国があれば、それはまさしく仏界の国ではないか。
 日本に本門戒壇が建立されれば、この大波動はやがて全世界におよぶ。
そして世界の人々がこの本門戒壇を中心として「一同に他事(たじ)をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし」の時いたれば、世界が仏国土となる。
この時、地球上から戦争・飢餓・疫病の三災は消滅し、この地球に生を受けた者は、ことごとく三人秘法を行じて一生成仏を遂げることが叶うのである。
 ゆえに数行証御書に云く「前代未聞の大法此の国に流布(るふ)して、月氏(がっし)・漢土(かんど)・一閻浮提(いちえんぶだい)の内の一切衆生、仏に成るべき事こそ有難けれ、有難けれ」と。
 まさしく、このとき太陽系の第三惑星・地球は、三大秘法流布の仏国土・事(じ)の寂光土(じゃっこうど)となる。
大聖人の究極の大願はここにあられる。そして、これを実現する鍵が、日本の国立戒壇建立なのである。
   

      【結び】

 以上、日蓮大聖人の大恩徳と、「日蓮によりて口本国の有無はあるべし」の御聖意の一分を、ここに顕わし奉った。
 日本の人々は、この国に全人類救済の下種の御本仏が出現されたことを知らない。
しかし、たとえ知らずとも、七百年前に御頸(くび)を刎(は)ね泰った大逆罪は消えず、また今にいたるまで背(そむ)き続けてきた罪は重い。
しかも今、これを告げ知らしめる者すでにあり。知ってなお大聖人を軽賎するならば、諸天ついにこれを許さず、この時、首都圏をゆるがす大地震ののち、自界叛逆・他国侵逼は必ず事相となる。
 日本に残された時間は少ない。
日本の人々は早く信仰の寸心を改めて日蓮大聖人に帰依し、一身の成仏と日本の安泰を願うべきである。
すでに冨士大石寺門流の中に、国立戒壇建立を熱願する五十万の仏弟子の大集団は出現している。
共に手を携え、御遺命のままの本門戒壇建立を実現して、日本国を救おうではないか――。

                                         以上
    平成元年六月二十二日


「日蓮大聖人に帰依しなければ日本は必ず亡ぶ」
発行日 平成元年七月十六日
著 者 浅 井 昭 衛
  埼玉県さいたま市大宮区■■■■
発行所 顕正新聞社
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