浅井先生講義(平成10年5月15日・本部会館)

勤行御観念文について(一)

「新しい時代迎え御観念文を改正」

  「新しい段階を迎える」
 顕正会の御奉公は、いよいよ新しい段階を迎えました。
 これまで全顕正会員は、勤行の際、広宣流布大願成就と御遺命守護完結大願成就の二つを、真剣に祈念してまいりました。
 しかし四月五日、戒壇の大御本尊様の不思議なる還御により、不敬・冒涜は一挙に解消され、またいかなる大地震が起ころうとも大御本尊様は御安泰となられた。
こんなに有難いことはありません。
 ここに御遺命守護の御奉公は完結し、残るは広宣流布・国立戒壇建立のただ一事となった。
まさに顕正会の御奉公は、新しい時代を迎えたのであります。
 この新しい時代を迎え、私はいよいよ勤行における御観念文を改めていきたいと思い、本日、この集会を開いたわけであります。
 実は観念文のことについては、私は何年も前からずーっと考えておりました。
 従来の宗門の観念文は、間違っているわけではないが、やや粗略、意を尽くしてない、そして法門上において紛らわしいところがある。
 御観念のたびにそれが心にひっかかって、ここはこのように御観念しなければいけないと、前々から自分一人だけ、そのようにしてまいりました。そして、時来たるならば、全顕正会員にこのことを、と思いつつ、本日まできたのであります。

  「讃嘆すれば弥(いよいよ)功徳が増す」

 御観念文の肝要は、下種三宝様への御報恩です。
三宝とは、仏宝は御本仏・日蓮大聖人、法宝は本門戒壇の大御本尊、僧宝は二祖・日興上人であられる。
この下種三宝尊の大恩徳を讃嘆し、報恩し奉ることこそ最も大切です。
有難いことに、この三宝尊の御観念文については、日寛上人が当家三衣抄にその大綱をお示し下されている。その御指南をもととして、今回、より丁寧に、より正確に、御観念文を改めたわけであります。
 大聖人様は「法華経の功徳は、ほむれば弥功徳まさる」(妙密上入御消息)と仰せられている。
御本尊の功徳というのは、ほめればほめるほど、讃嘆すればするほど、いよいよその功徳が増すのです。
 ここに広宣流布の時を迎え、これから入信してくる大勢の日本国の大々に、下種三宝尊の大恩徳を、新しい
御観念文で、より丁寧に、より正確に讃嘆せしめ、功徳を積ませたい。
この恩いから、今回改正を決断したわけであります。

  「広宣流布の時」

 もう広言流布しなければならぬ時が来ましたね。
 どうですか。昨年の一国諌暁からわずか十ヶ月、この日本の急速な傾きは・・・・。
 私は「亡国の予兆としてまず経済崩壊が・・・」といってきたが、もう日本の経済崩壊は誰の目にも明らかでしょう。
また地震活動も列島全体に活発になってきた。
 国際情勢も激変ですね、インドネシアは動乱で、あっという間におかしくなった。
東南アジア全体の昨年七月までの経済成長は、年率七パーセントだった。
ところがまたたくまに経済危機に陥ってしまった。
このアジアの経済危機が日本に影響し、それがまた全世界の混乱を招くのです。
 そしてインドがついに核実験をやった。
対立しているパキスタンも必ずやるでしょう。
その動きに触発されて、やがて中東のイスラム国家が核を持ち、北朝鮮も核開発に動く。
もう核拡散の流れは、誰にも止められない。
そういう時代になってきたのであります。
まさに「闘諍堅固の仏語地に堕ちず、あたかもこれ大海の潮の時をたがへざるがごとし」 の仰せのままです。
もう広宣流布しなければ、どうにもならぬという時を迎えているのであります。
 いま日本人は、かつての安逸の夢はすでに破れ、不安の中に胸の奥で"頼るべき杖・柱"を探し求めている。
 この一人ひとりに、いよいよ御本尊様を広く信ぜしめ、新しい観念文を教え、下種三宝様を讃嘆せしめたい、報恩せしめたい。
 このゆえに今回、御疑念文の改正を決断したわけであります。

  「御在世の信行に立ち還る」

 そしていま、不思議に思うことがある。
それは、顕正会の信行の形、勤行の姿が、自然と大聖人御在世に立ち還っているということです。
熱原の法華講衆の方々の勤行の姿、それがいま顕正会の中に蘇ってきているのであります。
 いいですか。熱原の方々は、御在世に生まれ合わせていても、大聖人様にお目にかかることはなかった。
いま顕正会も、御遺命を守り奉ったゆえに不当の処分を受け、時来るまで戒壇の大御本尊にお目通り叶わ
ぬ立場である。
 しかし、たとえ大聖大のおそば近くにいても、大進房・三位房等は大聖人の御心に叶わなかった。
お目にかかれなくても熱原の方々は、深く御本仏の御心に住し奉り、戒壇の大御本尊の願主となっているのです。
 いま戒壇の大御本尊のおそばにいる人々は、不敬・冒涜を平然と犯していたではないか。
登山の叶わぬ顕正会だけが、不敬解消の忠誠を貫いてきた。
いずれが大聖人様の御心に叶うのでありましょうか。
 また熱原の方々は、未だ御本尊を一人も頂いていなかった。
リーダーの神四郎・弥五郎・弥六郎の三人にしても、御本尊を頂戴できたのは首を刎ねられたのちですよ。
当然、日頃の勤行は遥拝勤行であったということです。
 御在世には、御本尊の授与がどれほど厳格であったか。
入信したからといって、簡単には頂けなかった。
まず遙拝勤行でしっかりと信行に励み、身命も借しまぬ信心が決定してのち、初めて授与されたのです。
 このことは日興上人の「富士一跡門徒存知事」の仰せを見ればよくわかります。
当時、日向・日頂等の輩は御本尊を軽く扱い、大聖人の御本尊を形木刷りにしては不信の者に授与していた。これを耳にされた日興上人は、こう仰せられている。
 「日興の弟子分においては、在家・出家の中に、或いは身命を捨て、或いは疵を被り、若しは又在所を追い放たれ、一分の信心の有る輩に、恭くも書写し奉り之を授与する者なり」と、 仏法のためにあるいは身命を捨て、あるいは傷を受け、あるいは住所を追い出されるなど、色にあらわれた強信の者にのみ、御本尊を授与するのである――と。
この中の「或いは身命を捨て」というのは、まさしく熱原の方々を指しているのです。
 御在世の御本尊授与がいかに厳格であったか、これでよくわかりますね。
当然、御本尊を頂くまでは、みな遥拝勤行であったということです。
 いま顕正会また同じ まさしく顕正会は、御在世のこの厳格の信行を、今に移し、実践させて頂いているのであります。

  【遥拝勤行の精神】

 次に遙拝勤行の精神ですが、これは大聖人様が佐渡の千日尼に下された御指南に明らかです。
「譬えば、天月は四万由旬なれども大地の池には須臾に影浮かび、雷門の鼓は千万里遠けれども打ちては須臾に聞こゆ。御身は佐渡の国にをはせども、心は此の国に来れり、乃至、御面を見てはなにかせん、心こそ火切に侯へ」と。
 ………天月は四万由句の遠くにあっても、その影は直ちに大地の池に浮かぶ。中国の雷門にあった鼓は、打てば千万里離れている所でもすぐに聞こえた。これと同じように、千日尼の身はたとえ千里を隔てた佐渡にあろうとも、心はここ身延に来ているのである。
たとえ対面しても信心がなければ心は通じない。信心さえあれば離れていても直ちに通ずる。まさに信心こそ大切なのである―― と。
 これが遙拝勤行の精神です。信心に距離は関係ないのです。どれほど遠く離れていようとも、信心だに純粋ならば、恋慕渇仰の信心だにあるならば、南無妙法蓮華経と唱え奉れば直ちに大聖人様の御心に通じ、瞬間に戒壇の大御本尊様に通ずるのであります。
 たとえ大石寺に在勤し大御本尊のおそばにいても、あくびの出るような信心をしていては、大聖人様には通じない。
大進房・三位房はおそばにいても、「雖近而不見」(近しと雖も而も見えざらしむ)だったではないか。熱原の方々はお目にかかることもできなかったが、大聖人様の御心に住し奉ったのであります。
 いま顕正会は、御遺命の破壊されんとするを見て守護に立ち上がり、ために死罪に守しき解散処分を受け、登山も叶わず、御本尊下附も叶わぬ立場になったが、不思議にも、このことによって、自然と御在世の信心が全顕正会に蘇ってきたのであります。
 そして遙拝勤行のままいま五十六万の死身弘法をなしとげ、全員が功徳に歓喜している。これほどの不思議がありましょうか。
まさに"末代の不思議"であります。これ偏えに、大聖人様が御守護下さる以外には全くありません。
 そしてまた、今回の不思議の還御を眼前にするとき、"広宣流布も必ず成る"の確信、抑えんとしてもどうしようもない。

 【熱原の法華講衆の勤行】

 さて、では熱原の法華講衆は、どのような勤行をしておられたか。その勤行の内容・仕方はどのようなものであったか。それを考えてみたい。
 このことについては、先般拝読のあの松野殿御返事が、重大な文証であります。
 松野殿は自らの勤行の姿を、このように大聖人様にご報告申し上げている。
  「此の経を持ち申して後、退転なく十如是・自我偈を読み奉り、題目を唱へ申し候なり」と。
 この勤行内容は、大聖人様そして日興上人が、松野殿に手をとるようにして"このように勤行しなさい"と教えて下さったものに違いない。
 すなわち方便品・寿量品を読誦し、題目を唱え奉る。これが御在世の勤行です。方便品も「世雄偈」は省略して「十如是」だけ、寿量品も長行は省いて「自我偈」だけをお勤め下されている。
方便品はともかく、寿量品を「自偈謁」だけにされたのは、入信早々の松野殿の機に応じての御指導と思われます。
 これを以て思うに、熱原の方々の勤行もこれと同じ、方便・寿量を読誦し唱題し奉るという形であったに違いない。
決して現在のいわゆる「五座の勤行」ではないでしょう。
 広く大衆を教化し実践せしむる時においては、五座の形はあり得ない。
三大秘法修行の本質・元意をとって実践せしむる。
これが御在世における一般大衆への御教導であられたと、私は拝する。

      【五座の勤行について】

 ちなみに云っておきます。
五座の勤行の起源はどのようなものかというと、昔、総本山においては、天堂・本堂・御堂・客殿・墓所の五箇所を、時の貫首上人が毎朝回わり、各堂ごとに方便・寿量・題目を一座づつ勤め、御報恩申し上げていた。
それが次第に客殿の一ヶ所でまとめて行われるようになり、現在の五座の勤行となった、といわれております。
戦前の五座の勤行は、方便品の「世雄偈」も読むからたいへん長かった。
だから丑寅の勤行において、夏などは夜が明けてしまうこともあったと聞いております。
近年はいつのまにか「世雄偈」は省略されておりますね。
私は、この五座の勤行というのは、広宣流布を待つ総本山の化儀、ひたすら時を待たれる歴代先師上人の、尊い御所作であると思っております。

  【本質・元意の実践】

 ただし、いま広宣流布の前夜、広く大衆に仏法を実践せしむる時においては、御在世の勤行に立ち還るのです。
大聖人様が松野殿にお教え下さった勤行の本質・元意に立ち還って、広く大衆を救っていかなければなりません。
 よって顕正会においては、方便品(十如是)と寿量品(良行・自我偈)を読誦し、題目を唱え奉るという勤行を以て、広く大衆に教えていきたい。
 唱題は五分を基準として、あとは心に任せて、十分でも、二十分でも、三十分でもよろしい。
お題目を唱え奉ることは最も大事であるから、五分を一応の基準とするが、あとは心に任せるということです。そして最後に御観念を以て、下種三宝様に報恩し奉る。これが勤行の骨子であります。
  
  【勤行の骨子】
 もう一度いいますよ。勤行の内容は次の三つから成り立っているのです。
 (1)方便品・寿量品の読誦=助行。
 (2)唱題=正行。
 (3)三宝様への御報恩。
 まず方便・寿量の読誦を助行という。
正行甚深の功徳を助顕するから勤行というのです。すなわち方便・寿量の両品は、遠く近くの差はあっても、それぞれ大御本尊の甚深の功徳を説明し讃嘆しているのです。
ゆえにこの両品を読むことにより、大御本尊の功徳を助け顕わすことになる。
たとえ経文の意味がわからなくとも、読誦をすれば、自然とその意味あいに当るのです。
 次に正行とは、戒壇の大御本尊を信じ南無妙法蓮華経と唱え奉ることです。
戒壇の大御本尊は御本仏日蓮大聖人の御当体・魂魂であられる、この大御本尊を信じ南無妙法蓮華経と唱え奉れば、大御本尊の仏力・法力によって、必ず一生成仏を遂げさせて頂ける。
ゆえにこの唱題行こそ正しき成仏の修行そのものであるから、正行というのであります。
 そして最後に、末法下種の三宝様の大恩徳を讃嘆し報恩し奉る。
それが今回の御観念文です。
さらにこの三宝御報恩に付随して、広宣流布の祈念、回向をするというわけであります。
 この勤行の骨子をしっかりつかんで下さい。
そして顕正会員は日本列島のどこに住んでいようとも、冨士大石寺に向って手を合わせ、"戒壇の大御本尊眼前にまします"
の信心に住し、誇りを以て御在世のままの遥拝勤行に励んでほしいのであります。

勤行御観念文について(第二回)
             
 それでは御観念文の解説に入ります。
 まず観念文というのは、心に観じ念ずるものであるから、声は出さなくてもよろしい。
あるいは小さな声ならば出してもよい。いずれにしても、大きな声で読み上げるものではないということを、心得ておいて下さい。

 以下、各観念文ごとに、初めに新しい観念文を掲げてこれを解説し、次に従来の宗門の観念文と対比して異なる部分(『』で示す)について見解を述べます。
三大秘法の法味を供養し諸天善神の威光勢力を増す

  「諸天供養」
『生身妙覚自行の御利益、大梵天王・帝釈天王・大日天王・大月天王・大明星天王・天照太神・正八幡大菩薩等・総じて三大秘法守護の諸天善神、諸天昼夜常為法故而衛護之の御利益、法味倍増の御為に』 この諸天供養は、朝の勤行のときだけ
行います。また遥拝勤行においては、これを省略してよろしい。
 
  「東天に向うわけ」
 まず御本尊に向ってお題目を三唱したのち、東方に向って行う。
なぜ東に向うのかといえば、朝、東天に昇る大日天を、いっさいの諸天善神の代表として、これに要約するわけであります。
そのことは「一切の守護神・諸天の中にも、我等が眼に見へて守護し給うは日月天なり。争か信をとらざるべき』(四条金吾殿御返事)
 「日天、朝に東に出で給うに、大光明を放ち天眼を開きて南閻浮提を見給うに、法華経の行者あれば心に歓喜し、行者を
にくむ国あれば天眼をいからして其の国をにらみ拾い・・・」(松野殿御返事)と。
 さらに深意の御指南を拝せば「日蓮を恋しくをはしせば、常に出づる日、ゆうべに出づる月を拝ませ給へ。いつとなく日月に影を浮ぷる身なり」(千日尼抄)
 これらの御指南により、東天の大日天に向う意を知るべきであります。

   「威光勢力を増すために」
 諸天善神の存在とその働きについては、昨年の諌暁書「日蓮大聖人に帰依しなければ日本は必ず亡ぶ」に詳しく述べてあるので、ここには省略します。
 なぜ「諸天供養」をするのかといえば、諸天善神は三大秘法の法味を食して威光勢力を増す。
もし三大秘法の食味に飢えれば威光勢力なく、したがって守護する力を失うのです。
 「法味を嘗めざれば守護の力無し」(曽谷入道殿許御書)と。  
このゆえに、諸天善神に三大秘法の法味を供養する。
本門の題目を供するのであります。

      〈語句解説〉

では、観念文の文々句々を解説しましょう。
 「生身妙覚自行の御利益」とはどういうことか。
  「生身妙覚」とは名字妙覚のことです。
すなわち諸天は、法華経の会座において本門寿量品の説法を聴聞したとき、その文底に秘沈されている成仏の種子たる南
無妙法蓮華経を覚知して、久遠名字の妙覚の位(真の成仏の位)に入ることができた。
そしてその位に居して常恒不退に一切衆生を利益している諸天の姿を、「生身妙覚自行の御利益」というのです。
 ちょっと難しくなりますが、法華取要抄を拝見します。
 「法華経本門の略間近顕遠に来至して、華厳よりの大菩薩・二乗・大梵天・帝釈・日月・四天・竜王等は、位妙覚に隣り、又妙覚の位に入るなり。若し爾れば今我等天に向って之を見れば、生身妙覚の仏、本位に居して衆生を利益する是れなり」
 文中の「略間近顕遠」とは、文上の寿量品を意味します。
略間近顕遠は通途では涌出品を意味するが、ここでは内証の寿量品の広間近顕還に望んで表現されているから、文上の寿量品を涌出品の略間近顕遠に退属せしめ、「略間近顕遠」と仰せられているのです。
 文意はこういうことです。
法華経本門寿量品の説法に来至して、大菩薩・二乗等と共に梵釈・日月・四天等の諸天も、文上体内の寿量品を聴聞して「位・妙覚に隣り」すなわち妙覚の一つ手前の等覚の位に入り、さらに文底秘沈の種本たる南無妙法蓮華経を信解して久還元初
の下種の位に立ち還り、極位たる名字妙覚のは一に入ることができたということです。
本尊抄の「本門に至って等・妙に登らしむ」の御文と全く同意です。
 ゆえに大聖人様は仰せられる。「今我等、天に向って之を見れば、生身妙覚の仏・本位に居して、衆生を利益する是れなり」と。このように、諸天はすべて久遠名字の妙覚の位に居して、常恒不退に衆生を利益している。
これを「生身妙覚自行の御利益」というのであります。
  「大梵天王・帝釈天王・大日天王・大月天王・大明星天王」とは、別して諸天の名。
「天照大神・正八幡大菩薩」とは善神の名です。
これら諸天善神は、すべて「三大秘法守護の諸天善神」であります。
 「諸天昼夜常為法故而衛護之」とは、法華経の安楽行品にある経文です。
"諸天は昼夜に、常に法の為の故に、而も之を衛護す〃と、諸天の働きが説かれている。
 ではこの「法」とは何かといえば、大聖人は御義口伝に「常為法故の法とは、南無妙法蓮華経是れなり」 と仰せられている。
南無妙法蓮華経とは本門の本尊の一大秘法、開すれば三大秘法です。
この大法のゆえに、諸天は守護するのである―――と。その威光勢力が増すようにと、本門の題目を唱え、法味を供養するのであります。

〈対比〉

「生身妙覚自行の御利益・大梵天王・帝釈天王・大日天王・大月天王・大明星天王等惣じて法華守護の諸天善神、諸天昼夜常為法故而衛護之の御利益、法味倍増の御為めに」
 宗門の観念文と異なるところは二箇所ですね。
 まず「天照太神・正八幡大菩薩」が削除されている。以前はあったのです。それが正本堂の誑惑が始まるころ、削除されてしまった。
私は最初の諌暁書「正本堂に就き宗務御当局に糺し訴う」の中で、このことを問い糺したが、未だに答えはない。
 恐らく創価学会に諂って削除したのでしょう。学会は国立戒壇を否定したい、だから宗教には国境がないなどいって "日本国"という概念を薄めようとした。
それには「日本国の守護神たる天照太神・八幡大菩薩」(日女御前御返事)は好ましくないということになる。
この学会の意向に、宗門が迎合したものと思われる。
 これは、本国土法門がしっかりわかっていないのと、信心が渾いから、こういう改変をするのです。
 日本国は世界の中でただ一つ、御本仏日蓮大聖人が出現された国であり、三大秘法が世界に広宣流布する根本の妙国です。
どうしてこの日本国に、御本仏そして三大秘法を守護する善神が、出現しないことがありましょうか。
 この使命を果すべき善神こそ、日本国の本主・国主として前もって出現した天照太神・八幡大菩薩なのです。
ゆえにその存在は仏法上極めて重い。
 天照太神が、大聖人御生誕の地・安房の国に住み初めたのも、下種御本仏への守護を表わすものではないか。
このことは「日蓮は日本国の中には安州のものなり。総じて彼の国は天照太神のすみそめ給いし国なりといへり。……かかるいみじき国なれば定んで故ぞ候らん。いかなる宿習にてや候らん、日蓮又彼の国に生れたり、第一の果報なるなり」(弥源太殿御返事)と。
 また天照太神・八幡大菩薩が御本仏日蓮大聖人を守護し奉るべきことについては「天照太袖∵正八幡宮も頭をかたぶけ、
手を合せて地に伏し給うべきなり」(下種本仏成道御書)と仰せられている。
 さらに御本尊を拝見すれば、中央の「南無妙法蓮華経」の下部の左右に、天照太神・八幡大菩薩と大書されているではな
いか。
 このように仏法上重要な位置を占める天照・八幡を、創価学会に諂うあまり削除するなどは、とんでもないことです。
 そうかと思えば宗門は、戦時中は軍部の目を恐れて、前に引用した「下種本仏成道御書」の一節等を御書全集から削除したり、あるいは国家権力に諂って、天照太神のいない、そして悪鬼乱入の伊勢神宮への遥拝を信徒に勧めたりもした。
 これらはいずれも、本国土法門・神天上の法門がしっかり肝に入っていないことと、信心薄きゆえの揺らぎであります。
 次にもう一つ異なるところは「法華守護」と「三大秘法守護」です。
  「法華守護」とは権実相対に約しての表現で、その元意はいうまでもなく「三大秘法守護」です。
いまはすでに広布の前夜、ゆえに紛わしさを避け、明確に「三大秘法守護」とさせて頂いたわけであります。
 諸天が三大秘法を守護し奉ることは、先にも引いたように御義口伝の「常為法故の法とは南無妙法蓮華経是れなり」 にも明らか。
また神国王御書には「梵と帝と日月と四天等の、南無妙法蓮華経の法華経の行者の大難に値うをすてさせ給いて……無間大城に堕ち給わん事こそ哀れにをぼへ候へ」とある。
 「法華経の行者」では熟脱の法華経の行者たる釈尊・天台・伝教にも通ずる。
ゆえにあえてここに「南無妙法蓮華経の法華経の行者」と仰せられる。
まことに下種の法華経の行者、三大秘法の行者は、日蓮大聖人ただ御一人なのであります。
 善神もまた三大秘法を守護する、産湯相承には天照太神を指して「久遠下種の南無妙法蓮華経の守護神」 と仰せられている。
これまた三大秘法守護の善神であること、明らかです。
 いまはすでに広布の前夜。ゆえに種脱に通ずる「法華守護」ではなく、はっきりと「三大秘法守護」と改めた次第であります。 

勤行御観念文について(第三回)
       
では、いよいよ下種三宝尊の御観念文に入ります。
観念文における最も大事なところですね。
 先にも云いましたが、もう一度言います。
末法下種の三宝とは、仏は御本仏日蓮大聖人、法は本門戒壇の大御本尊、僧はニ祖日興上人であられる。
日寛上人は、この三宝尊の御観念文に限って、それぞれの文に「南無」という言葉を重ねて二回使っておられる。
初めの「南無」は総じて全体に付し、さらに別して三宝それぞれの御名の上にまた「南無」と冠されている。
日寛上人のこの御丁寧、宜なるかなと、私は拝しております。
 それではまず、末法下種の法宝たる本門戒壇の大御本尊の御観念文。
 
【本門戒壇の大御本尊の体徳と甚深無量の功徳を讃嘆し奉る】

 「戒壇大御本尊御報恩」
『南無本門寿量品の肝心・文底秘沈の大法、本地難思境知冥合・久遠元初自受用報身如来の御当体、事の一念三千・無作
本有、人法体一、南無本門戒壇の大御本尊、御威光倍増御利益広大御報恩謝徳の御為めに』
 この観念文は、戒壇の大御本尊の体徳を顕わし、その甚深の功徳を讃嘆し奉っているものであります。
 「南無」とは帰命ということ、すなわち命をかけて信じ奉ることをあらわす言葉です。
 「本門寿量品の肝心・文底秘沈の大法」とは、この大御本尊はいずこに説き顕わされているかといえば、釈尊一代五十年の説法の中にはただ八年の法華経、法華経二十八品の中にはただ本門寿量品、本門寿量品の中にはただ文底に秘沈されている最大深秘の大法であるということです。
 「肝心」と「文底」とは全く同じ意、肝心は即文底、文底は即肝心です。
 本門寿量品の文底に秘沈された大法を、単に抽象的に考えてはなりません。
その実体こそ、まさしく本門戒壇の大御本尊にてましますのであります。

 「諸仏能生の根源」
 この大宇宙には、三世と十方にわたって、無数の仏が存在する。
これらすべての諸仏も、またその仏が説かれたおびただしい諸経も、ことごとくはこの大御本尊より生じ、またこの御本尊に帰する。
ゆえに日寛上人は「十方三世の恒沙の諸仏の功徳、十方三世の微塵の経々の功徳、皆咸くこの文底下種の本尊に帰せざるなし。讐えぱ百千枝葉同じく一根に趣くが如し」と仰せられるのであります。
 ここに釈迦仏も、白身が成仏を遂げた根源の種子、最大深秘の大法を、末法のために、法華経本門寿量品の文の底に密かに説き置かれたのです。
 「文底秘沈の大法」の内証では、その「文底秘沈の大法」とはいかなるものか。
その内証が示されているのが、次文です。
 「本地雛思境智冥合・久遠元初自受用報身如来の御当体、事の一念三千・無作本有、人法体一」と。
 これを一言で云えば、自受用身一念三千ということです。
この人法体一の極理が、ここに顕わされているのであります。
 いま一文づつ説明すれば「本地」とは、五百塵点劫の当初、すなわち久還元初という想像を絶する大昔の時を指す。
この久還元初における御本仏の証得り給うた「境智の妙法」は、たとえ仏であっても迹仏等の思慮の及ぶところではない、いわんや凡夫においておやです。
このことを「難思」というのです。
 ゆえに立正観抄には「本地難思の境智の妙法は迹仏等の思慮に及ばず、何に況んや菩薩・凡夫をや」と仰せられる。

 「本地難思の境智冥合とは」

 では、この難思である「境智冥合」とはいかなることか。
とうてい凡夫に説明できるわけもありませんが、ただ日寛上人の御指南を仰ぎ、その趣きだけを示させて頂きます。
 ――久遠元初に、智恵すぐれた一人の聖人がましました。
なぜ「聖人」と呼ぶかというと、三十二相などで身を荘厳らぬ名字凡夫のお姿であるから、熟脱の仏と区別して「聖人」というのです。
 この聖人は、永遠に崩れざる成仏の境界を得んと、透徹の御智恵をもって自身の生命を観ぜられた。そしてついに、我が身には宇宙法界のあらゆる法(存在)が具わり、我が身はまた宇宙法界に遍満する、すなわち "法界を白身と開く"という宇宙大の大境界を証得された。
この生命の極理を「事の一念三千の南無妙法蓮華経」というのです。
 聖人が覚られた法というのは、我が身を離れた山のあなたにあるような、漠とした"真理"などではない。
御白身の生命を見つめ切られて、そこに宇宙法界をも包含する生命の極理を覚られたのである。
 生命は本来、大字宙より生じたものであれば、我が生命をよくよく観ずれば、宇宙法界の全分がそこには具わり、また宇宙法界に遍満する。我が身は即法界である。
 たとえば、大海より汲み上げた一滴の海水には、大海の全成分が具わり、またその一滴は大海にあまねく広がるのと同じです。
 「法界を自身と開く」ということは、言葉でいうのは簡単であるが、これを単なる理ではなく、事実の上に証得されたお方を、久遠元初の白受用身と申し上げる。
 この自受用身の成道は「境智冥合」によるのです。
境と智が冥合して、白受用身と顕われ給うたのであります。
 その「境」とは、観ずる対境の我が身すなわち色法のこと。
そして「智」とは、境を見つめ切る智恵すなわち心法です。
この智恵の光りが、境を照らしその源を尽くし切る。
これを「境智冥合」という、かくて境智冥合して南無妙法蓮華経と唱うるゆえに、久還元初の自受用身と顕われ給うたのであります。

「色法の境妙も一念三千の南無妙法蓮華経」

 総勘文抄には
 「釈迦如来、五百塵点劫の当初、凡夫にて御挫せし時、我が身は地水火風空なりと知ろしめして即座に悟りを開き給いき」と仰せられる。
 この「釈迦如来」とは、名字凡夫のお姿の「聖人」、すなわち久還元初の自受用身のことです。
               
 さて、この自受用身の色法の境妙も一念三千の南無妙法蓮華経である。
なぜならば、一我が身」を構成する地水火風空の五大は即十法界干界)の五大、十法界の五大は即我が身の五大、十界の違いはあっても五火種は同じである。これすなわち十界互具・百界千如・一念三千の南無妙法蓮華経ではないか。
 ゆえに同じく総勘文抄には「五行とは地水火風空なり。乃至、是れ則ち妙法蓮華経の五字なり、此の五字を以て人身の体を造るなり。本有常住なり」と仰せられるのです。

【心法の智妙も一念三千の南無妙法蓮華経】

 また、この自受用身の心法の智妙も一念三千の南無妙法蓮華経である。
ゆえに当体義抄に云く「至理は名無し、聖人理を観じて万物に名を付くる時、因果倶時・不思議の一法之有り。之を名づけて妙法蓮華と為す。此の妙法蓮華の一法に十界三千の諸法を具足して欠減無し」と。
 「因果倶時・不思議の一法」とは、自受用身の一念の心法のことです。ゆえに「一法」という。そして「因果倶時」のゆえに蓮華と名づけ、「不思議の一法」のゆえに妙法と名づける。
この「妙法蓮華」の一念の心法に「十界三千の諸法を具足す」と仰せられる。
これまさしく、自受用身の心法の智妙また、一念三千の南無妙法蓮華経ということであります。

【刹那の始終・一念の因果】

 そして日寛上人は、この色法・境妙と、心法・智妙の冥合について、次のごとく御指南下されている。
 「この無始色心・妙境妙智、境智冥合すれば則ち因果の二義あり。故に大師(天台)云く「境智冥合すれば則ち因果あり。境を照らして未だ窮らざるを因と名づけ、源を尽すを果と為す」等云云。当に知るべし『照境未窮』は種家の本因妙なり、『尽源為果』は即ちこれ種家の本果妙なり。この本因本果は刹那の始終、一念の因果にして、真の十界互具・百界千如・事の一念三千の南無妙法蓮華経なり。此くの如く本地難思の境智の冥合・本有無作の事の一念三千の南無妙法蓮華経を証得するを、久遠元初の白受用身と名づくるなり」(観心本尊抄文段)と。

【人法体一】

 この時、法を尋ねれば人の外に別の法なく、人の全体が即法である。またこの時、人を尋ねれば法の外に別の人なく、法の全体が即人である。すでに境智冥合し「人法体一」である。このゆえに「事の一念三千」というのであります。
 この自受用身即一念三千、人法体一こそ、まさしく仏法の極理なのであります。

【久還元初の自受用身とは日蓮大聖人】

 そして、この久還元初の白受用身とは、末法今日の日蓮大聖人にてまします。
 大聖人の御修行は、全く久還元初の自受用身と同じです。すなわち立宗のとき、我が身は即妙法蓮華経の五字なりと知り給うたのは「照境未窮」の本因妙。
それ以後、南無妙法蓮華経と我も唱え人に勧め給い、その不惜身命の御修行によってついに竜の口において法界を自身と開き給うたのは一尽源為果」の本果妙です。
ここに大聖人様は久遠元初の自受用身の成道を遂げられ、末法下種の本尊と顕われ給うたのであります。
 しかし、日本国の一切大衆は「雖近而不見」であって、たとえ大聖人のお姿を見るとも、その御内証の「自受用身一念三千」を諏ることができない。
ゆえに本尊に迷う。本尊に迷うから我が色心に迷う。我が色心に迷うから生死を離れず、苦悩の人生を繰り返すのであります。
 ここに御本仏日蓮大聖人は大慈悲を起こし拾い、御自身が証得されたところの全体、すなわち自受用身一念三千の御内証を一幅に図顕され、末法の全人類に授与あそばされた。
この御本尊こそ、実に「本門戒壇の大御本尊」であられる。
 私たちは、ただこの大御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉れば、たとえ深い意味合いは識らずとも、自然と自受用身即一念三千の本尊を識るに当る。
すでに本尊を知るに当るゆえに、また我が色心の全体がそのまま事の一念三千の本尊なりと知るに当る。
ここに成仏が叶うのであります。
たとえば母の乳を飲む小児が、その成分を知らずとも、母乳を飲めば自然と育つのと同じです。
 このことを親心本尊抄には 「一念三千を識らざる者には、仏大慈悲を起こし、五字の内に此の珠を裏み、末代
幼稚の類に懸けさしめ拾う」と仰せられる。
 まことに戒壇の大御本尊こそ日蓮大聖人の大慈悲の結晶であられる。
ここにいま私たちは心から「南無本門寿量品の肝心・文底秘沈の大法、本地難思境智冥合・久遠元初自受用報
身如来の御当体、事の一念三千・無作本有、人法体一、南無本門戒壇の大御本尊」 と、その体徳を讃嘆申し上げ、「御威光倍増御利益広大御報恩謝徳の御為」にと、唱題申し上げるのであります。
 しかしながら、私はこれまで長い間、「御威光倍増:・」と申し上げるとき、いつも戒壇の大御本尊様への不敬冒涜を思っては、心苦しさ、申しわけなさ、何ともいえない思いでありました。
しかし今、この不敬が解消されたこと、まことに有難さでいっぱいであります。

  【対比】
「本尊供養」


 『南無本門寿量品の肝心・文底秘沈の大法・本地難思境智冥合・久遠元初・自受用報身如来の御当体・十界本有常住・事の一念三千・大法一箇・独一本門戒壇の大御本尊・御威光倍増御利益広大御報恩謝徳の御為めに』

【「十界本有常住」は紛らわしい】
 この宗門の観念文でまず心に引っ掛るのは、「十界本有常住」ですね。
次文の「事の一念三千」はもちろん文底下種のそれということなのでしょうが、「十界本有常住」に


続くと、文上本門の事の一念三千に通じてしまう。大いに紛らわしくなる。
 通途では、「十界本有常住・事の一念三千」といえば、迹門の本無今有・理の一念三千に望んでの、本門の本有常住・事の一念三千を意味するのです。
 この本門脱益・事の一念三千を開目抄には「此れ即ち本因本果の法門なり。九界も無始の仏界に具し、仏界も無始の九界に備りて、真の十界互具・百界千如二念三千なるべし」
 また観心本尊抄には
  「仏既に遇去にも滅せず未来にも生ぜず、所化以て同体なり。此れ即ち己心の三千具足・三種の世間なり。迹門十四品には未だ之を説かず」と説かれている。
 すなわち本門に至って始成正覚を破って久遠実成が明かされる。これが仏界の常住です。仏界常住ならば所化の九界も常住となる。この十界本有常住に約して説かれた一念三千を、本門脱益・事の一念三千というのです。
 また九界を「因」とし、仏界を「果」とし、この因果に約して爾前・迹門・本門・文底の四重を論ずれば、爾前は因果異性、迹門は因果同性、本門は因果並常、文底は因果一念であり因果倶時となる。
 この中の「因果並常」こそ、因は九界・果は仏界であるから、十界本有常住であり、本門脱益・事の一念三千を意味するのです。
 この十界本有常住・事の一念三千は、迹門の本無今有の理の一念三千に比べれば、天地の差があり、勝れている。
ゆえに日寛上人は「既にこれ本有常住の十界互具なり、豈真の一念三千に非ずや。これを事の一念三千と名づくるなり。これ則ち本因・本果に約して一念三千を明かす故なり」(開目抄文段) とされている。
ただしこの事の一念三千も、もし文底独一本門に望めば迹本二門の事理は共に理の一念三千となる。
 このとき真の事の一念三千は、白受用身即一念三千、人法体一の法体にのみ名づけられるのです。
 ゆえにここの御観念文は、日寛上人が定められたごとく「久遠元初自受用報身如来の御当体、事の一念三千・無作本有」とすべきで、もし「十界本有常住」を入れれば、まことに曖昧かつ矛盾を生じてくる。
だから紛らわしく不正確というのです。


 【「人法体一」がよい】

 また「人法一箇」は、人法体一と同意に使われる語ではあるが、人即法・法即人の至理を顕わすには、「人法体一」がより適切と思われる。
 日寛上人の文段・六巻抄を初めとする広博の御筆記を拝するに、数百ヶ所にわたるそのすべては「人法体一」であり、「人法一箇」の御表現は、わずか如説修行抄筆記における一箇所だけです。
以て知るべきであります。

【「独一」は不用】

 また「独一」の語は、「本門戒壇の大御本尊」の上には敢えて冠するには及ばない。
ここでは無用の語と思う。
むしろ日寛上人の御文のごとく「南無」と冠したほうが、どれほど有難い思いが増すことか。"より丁寧"のところに、信心も功徳も増すのであります。 

勤行御観念文について(第四回)

【末法の全人類を現当に救護し給う  大慈大悲の御恩徳を報謝し奉る】

   「日蓮大聖人御報恩」
 『南無久還元初の自受用報身・無作の三身・本因妙の教主、末法下種の主師親・大慈大悲、南無日蓮大聖人、御威光倍増御利益広大御報恩謝徳の御為に』

 「末法下種の仏宝」たる日蓮大聖人の御内証と大恩徳を、讃嘆し奉る観念文であります。
 三宝に約すれば「仏」と「法」は別になっておりますが、その体は一です。
すなわち本門戒壇の大御本尊は自受用身即一念三千で人即法の本尊、日蓮大聖人は一念三千即自受用身で法即人の本尊であられる。
まさしく末法下種の人の本尊を讃嘆し奉るのが、この御観念文であります。

 【日蓮大聖人こそ久遠元初の自受用身】

 「南無久還元初の自受用報身」―――日蓮大聖人は久還元初の自受用身であられる。
この文は最も大事であります。
前の観念文においては、戒壇の大御本尊を「久還元初自受用報身如来の御当体」と示されている。
では、その「久還元初の自受用報身」とは誰人にてましますのか。
それを明示するのが、冒頭のこの文なのであります。
 久還元初の自受用身を、遠いかなたの夢のごとき存在と思ってはなりません。
末法出現の日蓮大聖人こそ久還元初の自受用身であられる。
 そのわけは、位を論ずれば、久遠元初の自受用身と同じく名字凡身の位。
また御修行を論ずれば、境智冥合・無作本有の南無妙法蓮華経をお唱えあそばす三大秘法の御修行。
このように行も位も、久遠元初の自受用身と全同なるがゆえに、日遠大聖人を久還元初の自受用身と申し上げるのであります。
  「無作の三身」とは、久還元初の自受用身を三つの視点から見た徳です。
すなわち自受用身の身体・色法は無作の法身、この境を照らす透徹の御智恵は無作の報身、境智冥合すれば自ずと大慈悲が生ずる、この大慈悲を無作の応身というのです。
 そしてこの三身は自受用報身の一身に具わるものであるから、これを「報中論三の無作三身」という。
 「無作」とは有作に対する語で、三十二相などで身を荘厳らず、あるがまま、本のままの、凡夫のお姿ということです。
 この「無作の三身」は三世十方の諸仏の本地です。
この本仏が末法に出現される。
ゆえに御義口伝には「されば無作の三身とは末法の法華経の行者なり、無作三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり、寿量品の事の三大事とは是れなり」と。
 「末法の法華経の行者」が日蓮大聖人であられることは、開目抄・撰時抄等に明らかです。
撰時抄の一文を挙げれば「日蓮は閻浮第一の法華経の行者なり。乃至、南無妙法蓮華経と一切衆生にすすめ
たる人一人もなし。此の徳はたれか一天に眼を合せ四海に肩をならぶべきや」と仰せられる。
 まさしく日蓮大聖人こそ、末法の法華経の行者であり、無作三身であられる。
 「本因妙の教主」とは、本果妙の教主に対する言葉です。
釈尊は熟脱の化導をする仏であるから本果妙の教主、そして大聖人は下種の化導を遊ばす「本因妙の教主」で
あられる。
本因妙とは種ということです。
 「本因妙の教主」の文証を挙げれば、百六箇抄に大聖人御自ら「本因妙の教主・本門の大師日蓮」
 また 「我が内証の寿量品とは、脱益寿量の文底の本因妙の事なり。其の教主は某なり」と仰せであります。

【主・師・親の三徳】

 「末法下種の主師親」とは、末法の全人類をお救い下さる下種の主師親ということ。
 主徳とは、絶大威力をもって末法の一切衆生を救護して下さる恩徳です。
したがって、もしこの仏様に背けば誰人も身が持たず、国も亡びる。
この絶大威力の賞罰を以てお救い下さるのが主徳です。
ゆえに「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」(下種本仏成道御書)と。
またその救護は現世だけではない、後生までもお救いして下さる。
ゆえに「無間地獄の道を塞ぎぬ」(報恩抄)と仰せられるのであります。
 師徳とは、大智恵をもって一切衆生の蒙昧を開き、成仏の道を教えて下さる敦導の徳です。
ゆえに「日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり」(報恩抄)と仰せられる。
 親徳とは、大慈悲をもって南無妙法蓮華経の仏種を下し、一切衆生を仏に成さしめ給う恩徳です。
ゆえに「今日蓮は、乃至、二十八年が間又他事なし、只妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の□に入れんとはげむ計りなり。此れ即ち母の赤子の口に乳を入れんとはげむ慈悲なり」(諌暁八幡抄)と
 このように日連第聖人は日本および世界の人々にとって、主君であり、師匠であり、父母であられる。
ゆえに根本として尊敬しなければいけない。
根本尊敬とは本尊ということです。
まさしく日蓮大聖人は、末法の全人類にとって"人の本尊"にてましますのであります。
 また主徳においても、師徳においても、親徳においても、その根底に共通して存するものは"何とかして一切衆生を仏に成さしめたい"との御本仏の大慈悲です。
ゆえに 「大慈大悲」の文をもってこれを結ぶのであります。
開目抄には 「難を忍び慈悲のすぐれたる事は、をそれをもいだきぬべし」と仰せられる。大難を忍び給うのは、慈悲がすぐれておら吻るからです。
夜泣して一晩中親を寝かせない子供でも、母親は投げ捨てない、一分の慈悲があるからです。
 成仏の大法をお勤め下さる大聖人様に対し、かえって怨み悪口罵詈する大衆を捨てず、流罪・死罪の大難をも忍び給うのは、実に大慈大悲のゆえであります。
 また報恩抄に云く「日蓮が慈悲嘆大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし」と。
全人類を永遠に救い切らんと、身命も惜しみ給わぬこの大慈大悲に思いを至せば、思わず涙がこぼれてまいります。
 この至心に住して「南無日蓮大聖人」と念じ、御報恩の題目を唱え奉るのであります。

 【対比】
 「三師供養」

『南無   本因妙の教主・一身即三身・三身即一身・三世常恒の御利益・主師親三徳大慈大悲宗祖日蓮大聖人、御威光倍増御利益広大御報恩謝徳の御為めに』

 まず、人の本尊にてまします大聖人様を三宝に立て分けず「三師供養」として並べ扱っているのもいかにも軽々しい感じがするが、何よりも宗門の観念文では、最も重大な「久遠元初の自受用報身」が抜けている。
 前に述べたように、戒壇の大御本尊の観念文においては「久遠元初自受用報身如来の御当体」と申し上げているが、その「久遠元初の自受用報身」とは誰人にてましますか、これこそ最も重大なことなのです。
 ゆえに日寛上人は大聖人讃嘆のこの観念文の冒頭に、これを記されているのであります。
 次に「一身即三身・三身即一身」では、久遠本果の三身にも通じてしまうから、報中論三の無作三身を明確にするため、「久還元初の自受用報身・無作の三身」とするのが、最も適切であります。


【末法下種の僧宝の恩徳を讃嘆し奉る】
「本門弘通の大導師」「末法万年の総貫首」

  「日興上人御報恩」
『南無法水瀉瓶・唯我与我・本門弘通の大導師、末法万年の総貫首、第二祖、南無日興上人、御威光倍増御利益広大御報恩謝徳の御為めに』

 末法下種の僧宝・日興上人の恩徳を讃嘆申し上げる観念文であります。
 末法下種の僧宝とはどういうことかといえば、日蓮大聖大の仏法を、正しく清らかに末法万年に伝えて下さった恩徳であります。
仏恩は甚深、法恩も無量、しかしながら、もしこれを伝えて下さる御方がおられなかったら、どうしていま我等ごときが日蓮大聖人に帰依し、戒壇の大御本尊を信じ奉る身になれたでありましょうか。
これ実に日興上人のお力によるものであります。
日寛上人は観念文において、日興上人のニつの徳を挙げておられる、すなわち「本門弘通の大導師」と「末法万年の総貫首」です。
あとで触れますが、宗門の観念文では「家法万年の総一首」が省略されている。
これはいけません。

 【本門弘通の大導師】

 「法瀉瓶」とは、大聖人の仏法を水に譬えて「法水」といい、この法水を瓶から瓶へうつすさまを、「瀉瓶」というのです。
すなわち日蓮大聖人の仏法のすべて、三大泌法のすべては、日興上人に付嘱相承されているということであります。
「唯我与我」とは、「唯我と我と」と読む「与我」とは日興上人、すなわち日蓮大聖人と日興上人との、師弟不二の御境界を表わす言葉です。
 大聖人の門下に多くの御弟子ありとも、伊豆流罪のときも、佐渡流罪のときも、おそぱを離れず御供し、常随給仕申し上げたのは、日興上人ただ御一人です。
 また大聖人の御内証を久還元初の白受用身と知り拾い、大聖人の御当体即戒壇の大御本尊と拝し拾うたのも、ただ日興上人御一人であります。
 五老僧などは雖近而不見であって、大聖人の表面のお姿しかわからなかった。
だから御入滅後、たちまちに異見を起こし、大聖人の御心に背いてしまったのです。
後世のために日興上人は「遺誠置文」の冒頭に「富士の立義、聊も先師の御弘通に違せざる事」「五人の立義、一々に先師の御弘通に違する事」 と明記されておりますが、唯我与我、師弟不二の御境界でなければ、日蓮大聖人の甚深の仏法を清く正しく末法万年に伝えることなど、とうていできないのであります。
 「本門弘通の大導師」とは、大聖人滅後における、本門の三大秘法を弘通する大導師、総大将ということです。
このことは大聖人が「一期弘法付嘱書」において任命あそばしたところであります。
すなわち「日蓮一期の弘法、白蓮阿闇梨日興に之を付嘱す。本門弘通の大導師たるべきなり。国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」と。
 「日蓮一期の弘法」とは、日蓮大聖人出世の御本懐たる本門戒壇の大御本尊、これを日興上人に付嘱し、「本門弘通の大導師」に任じ給うた。
そして本門戒壇の建立を御遺命あそばしたのであります。
 この御付嘱書を拝すれば、いま私たちが広宣流布・国立戒壇建立に戦っているのも、大聖人から付嘱・遺命を受け給うた日興上人の、お手伝いをさせて頂いているのだということが、よくわかりますね。

 【末法万年の総貫首】

 次に「末法万年の総貫首」とは、日興上人は末法万年にわたっての総貫首であられる。
「総貫首」の「総」とは"統べる" "とりしまる"の意、「貫首」とは富士大石寺歴代の上人です。
すなわち末法万年にわたって、すべての貫首を統べるお立場が、日興上人なのであります。
 以上、「本門弘通の大導師」「末法万年の総貫首」の徳ましませばこそ、末法下種の僧宝であられるのです。
この思想を深く思い、「南無日興上人」と念じ奉るのであります。

  【対比】
『南無法水瀉瓶・唯我与我・本門弘通の大導師・  第二祖白蓮阿闇梨日興上人、御威光倍増御利益広大御報恩謝徳の御為めに』

 宗門の観念文には「末法万年の総貫首」が抜け落ちている。これはいけません。
日寛上人はこの観念文のみならず、文底秘沈抄にも「富士山を以て本山と仰ぐべき文理」を示される中で「末法万年の総貫首の所栖なるが故に」と日興上人の徳を挙げておられるほどです。
 先ほども言いました。「総貫首」とは、貫首を統べる・取り締まるお立場です。
これより思うに、現在の宗門で使っている「法主上人」という呼称は間違いですね。
「貫首上人」と呼びまいらせることが正しいと、私は思っております。

 【「法主」とは大聖人御一人】

  「法主」とは、ただ大聖人御一人に対しての呼称であり、このことは、大聖人が自ら仰せられていることなのです。
いいですか。本因妙抄には「仏は熟脱の教主、某は下種の法主なり」 釈尊は熟脱の教主であり、自分は下種の法主である―――と仰せられている。
  「法主」とはいかなる意かといえば、法体の御主ということです。
下種の法体たる久遠名字の妙法の御主です。
ゆえに日寛上人は「此の本地難思の境智の妙法に即ち御主有り、所謂蓮祖聖人これなり」(観心本尊抄文段)と。
 大聖人以外の誰人が、「法主」と名乗れましょうか。
 また熟原の大法難まさに起こらんとするとき、大聖人様が日秀・日弁の立場でお認めになられたあの滝泉寺申状には、こう仰せられている。
  「法主聖人時を知り、国を知り、法を知り機を知り・・・」と。
  「法主聖人」とはまさに大聖人の御自称でしょう。他の誰人が使えましょうか。
 また大聖人御入滅後、日興上人も大聖人を「法主聖人」と呼びまいらせている。
すなわち信徒の御供養に対する御返事に云く「法主聖人の御宝前に、備え進らせ奉り候い了んぬ」(御節供御返事)と。
 このように仰せられる日興上人が、どうして御自身を指して「法主」などと称せられましょうか。
 日興上人は大石寺の歴代上人を「貫首」と称されているのです。
日寛上人の御筆記を拝見しても、すべてそうです。
 ごく近年のこと実は本宗で貫首を「法主」と呼ぶようになったのは、ごく近年のことなのです。
 ということは、明治二十一年に身延派が、「貫長の名称をやめて"大法主"と呼ぼう」などと云い出したことがあった。
これに対し、当時の「興門唱導会雑誌」には、こういう見解が載せられております。
  「一致派(身延)にては貫長の名称をやめ、大法主と称する由見えたるが・・・・・法主さえ尚恐れあるべし、況んや大の字を加えしにおいてをや」と。

 これを見れば、明治二十一年のこの頃までは、本宗で貫首を「法主」と呼ぶ慣習は全くなかったことがわかる。
 日常上人が御遷化されたのが明治二十三年の六月二十四日、そして御退座はその前年の五月、このときまでは「法主」などの名称は断じてありません。
しかしその後まもなくして、「法主」の呼称が使われ出した。
そして時を同じくして、今日の宗門につながるさまざまな乱れ、たとえば妻帯などが、始まってきているのです。
 だから日興上人が定められたごとくに、あくまでも「貫首」でなくてはなりません。
日興上人の遺誡置文を拝見すれば、二十六箇条の中に三箇条も、「貫首」の呼称を用いられ、貫首の在り方についての御指南がある。
これまさしく、日興上人が万年の総貫首であられればこその御遊減ではないか。
  「貫首」についての三箇条参考のために、その三箇条を挙げてみましょう。
まず「衆議たりと雖も、仏法に相違有らば、貫首之を催くべき事」と。
 下の者が数の力を頼んで"全員の意志だから"と云ってきたとしても、それが仏法に相違していることならば、貫首は断固としてこれを打ち摧かなければいけない―――と。
これが行われていれば、正本堂などの間違いはなかったのです。
 また「時の貫首たりと雖も、仏法に相違して己義を構えば、之を用うべからざる事」本宗においては貫首の権威は絶対です。
しかしその貫首であっても、もし大聖人の教えに背いて間違ったことを言ったならば、下の者はこれに随ってはならない――と。
 まことに厳しい仰せですね。
大聖人の仏法を守るに、日興上人がいかに厳格であられたか、よくわかりますね。
いま流行の民主々義・多数決も絶対ではないのです。
また独裁の権威者も絶対ではない。
あくまでも仏法が中心、日蓮大聖人の御金言が正邪判断の基準なのだということです。
この一条に随って、私は御遺命守護の御奉公に立ったのであります。
 もう一条あります。
「先師が如く予が化儀も聖僧たるべし。但し時の貫首、或いは習学の仁に於ては設い一旦の婬犯有りと雖も、衆徒に差し置くべき事」「聖僧」というのは、妻帯・女犯をしないということです。
先師日蓮大聖人と同じく、日興上人も聖僧であられた。
そのお立場から、後世の僧侶が婬犯した場合の処置について、御指南下されているのです。
 ついでにいえば、従来はみんな「但し時の貫首……」以下を、このように解釈しておりました。
――時の貫首あるいは習学中の学徒が、もしいったんの間違いを起こしたとしても、宗門追放などにするには及ばない、衆徒の中に置いておいてよろしい――と。
そして "日興上人の温情のお言葉"などと有難がっていた。(大笑)
 しかし、この解釈は間違いですね。
私はずーっとこの一条の解釈が腑に落ちなかった。
なぜ「時の貫主」と「習学の仁」が同列に論ぜられているのか、不自然さを感じていたのです。
 ところがあるとき日霑上人の御筆記を拝見して、初めてわかった。目から鱗が落ちるごとくにわかった。
霑尊はこう解説しておられる。
  「文意を云わば、予が聖僧の化儀を破り、婬事を犯せる者なりとも、もし習学勉強にして大法伝弘の志し深き者に於ては、時の貫主、日興になりかわりて、彼が一旦の犯罪を許し、大衆の中に加え置くべしとの御意にして、これまた決して故なく犯戒の者を許し給う事ではござらぬじゃ」と。
 まさに日興上人の御遺誠は、習学の仁の一旦の婬犯、かりそめの間違いに対して、時の貫首が取るべき制誡を示されたものなのです。
ゆえに「時の貫首、日興になりかわりて、彼が一旦の犯罪を許し・・・・」とある。"時の貫首が日興上人になり替って"ということです。
だから貫首の「一旦の婬罪」などはこの中に入らない。
そんなことはあり得べからざることという大前提で、日興上人は御指南されているのであります。
 これを以て思うに、妻帯が当然のごとくになっているいまの宗門の僧侶の風儀は、広布前夜の一時的変態と見るべきです。
広宣流布になれば、必ず御在世の信心に戻るのであります。 
 以上、二十六箇条において三箇条も「貫首」の在り方について触れておられるということは、実に日興上人が「末法万年の総貫首」であられればこそです。
 ゆえに日興上人の御徳を讃嘆するにおいて、「本門弘通の大導師」と共に、この「末法万年の総貫首」の文は、断じて抜いてはならないのであります。
(つづく)

平成10年6月15日号から「勤行御観念文について」が掲載されていましたが、「第五回」の掲載はされないまま、打ち切りになってます。

(以下は、講義テープから起こしたものです。)
★『日目上人および歴代正師御報恩』
南無一閻浮提の御座主、第三祖・新田卿阿闍梨日目上人、御威光倍増御利益広大御報恩謝徳の御為に   (追記 南無妙法蓮華経 一回)
日道上人・日行上人・日時上人乃至日寛上人・日霑上人等、富士大石寺歴代血脈付法の御正師、
御威光倍増御利益広大御報恩謝徳の御為に 

【正規】南無一閻浮提の御座主、第三祖・新田卿阿闍梨日目上人、御威光倍増御利益広大御報恩謝徳の御為に   (追記 南無妙法蓮華経 三回)
南無日道上人・日行上人等御歴代の御正師、御威光倍増御利益広大御報恩謝徳の御為に 

ハイ、日目上人及び歴代正師の御報恩ですね。日目上人こそ、大聖人様・日興上人に仕え奉ることかくのごとくあれかしということをですね、末代の我らに身をもってお示しくだされた方であります。
そして、日目上人の死身弘法の行体、さらに、四十数度に渡る身を捨てての国家諌暁。
この、功績をたたえて、日興上人はですね、ご付属状に日目上人の事を本門寺建立の時の座主と仰せになった。
すなわち、一閻浮提の御座主であります。これは、日興上人が、日目上人に与えられた、その、お立場であります。
よってここに、日目上人の御徳を一言にして申し上げれば、一閻浮提の御座主と言うことであります。
この言葉から、広宣流布の時には、日目上人が必ず座主となって、ご出現あそばすと言うことがですね、宗門に700年来伝えられてきたのであります。
私もこのことを確信しております。
今の宗門は濁乱でありまするけれども、顕正会が本当に御奉公申し上げて、いよいよ広宣流布と言う時においては、宗門がいつまでも濁乱であるわけがありますか。必ずや宗門の中においてですね、本当の信心あるお方が出現されるに違いない。私はその時まで、顕正会において、まず身を捨ててですね、まずつゆ払いの御奉公を申し上げよう、言うことを決意しておるわけであります。
『南無一閻浮提の御座主、第三祖・新田卿阿闍梨』 これは、阿闍梨号をですね、大聖人様が下された、『新田卿』という阿闍梨号を下されたから、『新田卿阿闍梨日目上人、御威光倍増御利益広大御報恩謝徳』 そして、並びに、この僧宝と言うことでありますが、別して言うならば、下種の僧宝は日興上人御一人、総じて言うならば、日目上人を総大将としてですね、歴代の貫首上人、大石寺の上人は、総じて言うならば、僧宝にあたられる、言えにここに置いてですね、日道上人・日行上人と申し上げる。
歴代の大石寺の上人、上代の三人をここにあげてですね、日道上人・日行上人・日時上人と三人の上人をあげ奉って、そして、中間において、ことに日寛上人・日霑上人をですね、あげまいらせた。日寛上人が、徳川時代においてですね、広宣流布の中間に御出現せられてですね、大聖人の三大秘法の御儀を全部あきらかにお説きになってくださらなかったら、誰人が大聖人のこの甚深の仏法が理解できようか。
今、顕正会がこうして、御奉公できるのも、実に、日寛上人の御指南があるからですよ。
顕正会がご遺命守護の御奉公に立てた、あの時の、本門戒壇と云う事については、時の貫首の一人掌握するところ、本門戒壇の深義はですね、時の貫首でなければ分からないと言うことが、いわゆる、当たり前のことであったわけでありますよ。
その、貫首の立場の人がですね、池田大作の唆しによって、曲げて行ってしまうんでしょう。
私は、悩みに悩んで、何を基としたか、まず、御書において本門戒壇のことについてのご指南、これをずーと拝読していった。そしてさらに、日寛上人の六巻抄、日寛上人の文段、何回繰り返して拝読したか分からん。拝読だけでは足りず、この顕正会においてですね、1回・2回、三度まで私は講義をいたしました。そして、三度の講義を終えて、もうこれで、時間をかけて講義をすることはもうできなくなったと、いよいよ広宣流布の戦いで忙しくなるということで、三度でもって打ち切ったんですね。2〜3年前、3年ぐらい前になりますかね。あれからいよいよ一国広布、広宣流布の出陣を終えてですね、今日に来るわけでありまするが、顕正会がどれほど、日寛上人の御指南によってですね、恩徳を蒙ってるか、そのお陰で今日の顕正会の御奉公があるんだと、思うとですね、どうしても、ここに日寛上人の御報恩謝徳を申し上げられずにはいられない。

つづく


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