諌告書


 一、諌告の趣旨


 
現在行われている「御開扉」は、本門戒壇の大御本尊を冒涜(ぼうとく)し奉るのみならず危害を招く恐れがあるので、即時にこれを中止し、広宣流布・国立戒壇建立の日まで大御本尊を秘蔵し奉ることを強く諌告する。

 二、諌告の理由

 (一)本門戒壇の大御本尊は、広布の日まで秘蔵すべき秘仏にてまします

 謹んで惟(おも)うに、本門戒壇の大御本尊は、御木仏日蓮大聖人の出世の御本懐にして、この大御本尊こそ唯授一人・法作付嘱の正体と拝承するところである。
 ゆえに大聖人は、この大御本尊を二祖日興上人に密かに付嘱し給い、広布の暁の国立戒壇に安置すべき旨を遺命あそばされた。
 この御遺命を奉じて、日興上人は入御本尊を堅く秘蔵され、もっぱら広宣流布・国立戒壇建立をめざして、大規模なる死身弘法を全国に展開し給うたのである。
 したがって日興上人・日目上人の上代には、今日のいわゆる「御開扉」などは、あり得べくもなかった。
このことは、近年の大学匠・第五十九世日亨(にちこう)上人の次の仰せにも明らかである。
「未来勅建国立戒壇のために、とくに硬質の楠樹(くすのき)をえらんで、大きく四尺七寸に大聖(だいしょう)が書き残されたのが、いまの本門戒壇大御本尊であり、(中略)開山(かいさん)上人は、これを弘安二年に密付(みつぷ)せられて、正(まさ)しき広布の時まで苦心して秘蔵せられたのであるが、上代にはこのことが自他に喧伝(けんでん)せられなかったが、いずれの時代(中古か)からか、遠き広布を待ちかねて、特縁により強信により内拝のやむなきにいたり、ついには今日のごとき常例になったのは、もったいない事であるから、四十余年前には、有名な某居士(ぼうこじ)が懇願して月一回という事にもなった事があったが、永続しなかった。
開山上人より三祖日目上人への富士総跡の御譲り状にも『日興が身に宛(あ)て給わる所の弘安二年の大御本尊』として、戒壇本尊とは書かれなかったのは、大いにこの味わいがある」(冨士日興上人詳伝)と。
 この仰せを拝見すれば、日興上人・日目上人の上代には、御開扉など全くなかったことは明らかである。
 そしていつの時代からか、「遠き広布を待ちかねて」の「内拝」が行われるようになったという。
しかしこの内拝は強信者にのみ特別許されたものであるから、まだ許される辺もあろう。
しかし大正時代になって、内拝が安易に流れていることに恐れ多さを感じた「有名な某居士」―荒水漬勇居士と思われる―が、せめて「月一回」に、と懇願したという。
 これを見ても、戒壇の大御本尊が本来秘蔵し奉るべき秘仏であられることは分明である。
 まして今日宗門が強行している「御開扉」なるものは、中古に始まった「遠き広布を待ちかねて」の内拝でもなければ、荒水漬勇居士が憂えた大正時代のそれでもない。
まさしく今日の「御開扉」こそ、大御本尊に対し奉る許されざる冒涜(ぼうとく)であり、危害を招くものであれば、速かに上代に立ち還って秘蔵し奉らなくてはいけない。


 (二)宗門は、偽(にせ)戒壇の正味・堂に戒壇の大御本尊を居(す)え奉った大罪を未だに改悔していない

 
およそ広布の暁の「国立戒壇」は、御本仏大聖人の究極の大願にして一期(いちご)の御遺命であられる。
 ゆえにこの御遺命を破壊せんとする者あれば、その罪まさに、大聖人の一代三十年の御化導を水泡に帰せしめ、御本仏の御肌を挟(くじ)るに当る。
 しかるに政治野心に狂った池田大作は、両立戒壇が世間の怨嫉(おんしつ)を招き選挙に不利をもたらすとして、国立戒壇を否定するために正本堂を建て、これを「御遺命の戒壇」と偽ったのであった。
 かかる重大な違背を見ては、断固として宗門はこれを打ち擢(くだ)くべきであったのに、六十六世・六十七世の二代にわたる貫首(かんず)は、あろうことか池田大作に諂(へつら)って、この悪事に進んで協力した。
これ御遺命を売り渡したのである。
 すなわち細井口達(違背の重大性に鑑(かんが)み敢えて敬称は略す)は、国立戒壇放棄を「宗門の公式決定」として世間に公表し、内には宗門信徒に対して「国立戒壇は本宗の教義ではない」とたばかった。
 また阿部日顕(当時教学部長)は、「国立戒壇論の誤りについて」および「本門事の戒壇の本義」の二冊の悪書を著わし、同じく国立戒壇を否定し、正本堂を御遺命の戒壇のごとく偽った。
 かくて宗門は偽(にせ)戒壇たる正本堂に、恐れ多くも本門戒壇の大御本尊を居(す)え奉ったのである。
このことは、正本堂を御遺命の戒壇とたばかる大悪事に、戒壇の大御本尊を利用し奉ったことを意味する。
 深く思え―。
 国立戒壇に安置し奉るべしとて留(とど)め給うた御本仏の法魂を、国立戒壇を否定するための偽戒壇に居(す)えまいらせたのである。
戒壇の大御本尊を辱しめ冒涜し奉ること、これより甚しきがあろうか。


 ただし御本仏はこの大悪を許し給わず。
よって顕正会をして諌暁(かんぎょう)せしめ、諸天をして学会・宗門を自叛(じほん)せしめ、正本堂を打ち砕き給うた。
「末法万年の事(じ)の戒壇」と池田が嘯(うそぶ)き、宗門全僧侶が讃えた正本堂が、わずか二十六年で消滅したこの大現証を何と見るか。
 それだけではない。国立戒壇が大聖人の唯一の御遺命であることを知りながら、学会に諂(へつら)って御遺命破壊に協力した二代の貫首(かんず)の大罰を見よ。
 第六十六世は、貫首としての最大の責務たる「御相承」(ごそじょう)もなし得ずして急死を遂げ、その遺体は心なき医師団によって二時間余も心臓マッサージを加えられている。
この悪臨終は何を物語る。
 数行証御者に云く「一切は現証には如(し)かず、乃至、正法の行者、是(か)くの如くに有るべく候や」と。
 また生死一大事血脈抄には「十王は裁断し、倶生神(ぐしょうじん)は呵責(かしゃく)せんか」と。定めてその前相なるか。
 また次の阿部日顕は、池田大作と心を合わせて自己申告により猊座(げいざ)を簒奪(さんだつ)したが、忽ちに池田と抗争が始まり、「ニセ法主」の恥辱と、過去の醜行を天下に晒(さら)されて二十有余年。
ただしこれは現世の華報(けいほう)に過ぎない。
後生(ごしょう)の大苦こそ恐るべきである。
 これら御本仏の厳然の賞罰を見れば、誰か怖畏(ふい)せぬ者があろう。――だが宗門は、未だに改悔(かいげ)していない。
これ無道心のゆえである。
天親(てんじん)・馬鳴(めみょう)等が後生を恐れるがゆえに改悔したその道念を見よ。
されば富木抄に云く「智人は恐怖(くふ)すべし、大乗を謗ずる故に。天親菩薩は舌を切らんと云い、馬鳴(めみょう)菩薩は頭(こうべ)を刎(は)ねんと願い、吉蔵(きちぞう)大師は身を肉橋(にくきょう)と為す」と。これが真の懺悔である。


(三)現在の「御開扉」は営利目的である

 
ここにもし阿部日顕に一分の改悔だにあるならば、大御本尊が正本堂より還御(かんぎょ)あそばされた時、御宝前に五体を投げて懺悔し、速かに堅固なる宝蔵を築いて謹んで秘蔵し奉るべきなのに、彼はなんと、打ち砕かれた正本堂の跡地、
しかも残された正本堂の基礎部分の上に、五千人収容の「奉安堂」なる礼拝施設を作り、再び大御本尊を居(す)え奉ったのであった。
 先には戒壇の大御本尊を正本堂のたばかりに利用し、こんどは営利のためにこれを利用せんとしたのである。
 だが、学会去ったのちの宗門にはわずか数万の法華講員しか残らない。
したがって大規模な礼拝施設は無用の長物となる。
焦った彼は、末寺住職と法華講幹部を鞭(むち)打ち、登山を強要するに至った。
 ここに各末寺ごとに登山員数の割当てが行われ、この員数を満たすため、同一人が幾度も登山させられ、
それでも足りずに「付け願い」と称する、登山せずとも「御開扉料」だけ出せば員数に加えるという制度まで設けられたのであった。
この登山の強要により、法華講員の間には厭怠慢(えんだい)の思いと、怨嵯(えんさ)の声が満ちた。
 日興上人・日目上人の上代に思いを馳せれば、この腐敗・堕落は何と恐れ多いことか。
またこの濫(みだ)れた「御開扉」が続けば、恐るべき事態が必ず起こるのである。


(四)阿部日顕に対決申し入れ

 
これを憂えて、小生は顕正会の命運を賭して平成十七年三月、阿部日顕に対し、彼の「三大謗法」を挙げて対決を迫り、御開扉の即時中止と退座を求めたのであった。
 念のために記(しる)せば、彼の「三大謗法」とは
一には、二冊の悪書を以て国立戒壇を否定し、正本堂の誑惑(おうわく)を助けたこと。
 二には、戒壇の大御本尊の敵(かたき)たる身延派僧侶を大石寺に招き入れたこと。
 三には、河辺慈篤(じとく)に対し、ひそかに戒壇の大御本尊を誹謗する言辞を吐いていた、ことである。
 このとき、勝負決着後の双方の責務として、次の約定を定めた。
すなわち「小生が敗れた時は、直ちに顕正会を解散する。貴殿が敗れた時は、直ちに御開扉を中止し、貴殿は猊座(げいざ)を遅き謹慎する」と。
 だが彼は、虚言と悪口を繰り返すのみで、肝心の対決は逃避した。
 ところが、同年十一月七日、須弥壇(しゅみだん)の大扉がどうしても開かず、御開扉不能という前代未聞の不祥事が発生した。
これこそ諸天の所作以外の何ものでもない。
その翌月、阿部日顕は猊座を退いた。
 だが、小生の最大の憂いは戒壇の大御本尊の御安危にあり、対決の目的もそこにあった。
ゆえにこの一事は、煩(はん)をいとわず対決における三度の書状に重ねてこれを記(しる)しておいた。
 すなわち最初の「対決申し入れ書」には「ここに最も憂うべきは、大御本尊のご安危である。
このような濫(みだ)りの御開扉であれば、悪心を懐く者が紛(まぎ)れ込むことは極めて容易である。
もし奉安堂内に爆発物等が持ち込まれたら、いかなる事態が生ずるであろうか。
いま時に当って、大御本尊のご安危こそ一閻浮提(いちえんぶだい)第一の大事である。
およそ戒壇の大御本尊は、広布の日まで秘蔵し奉るべき秘仏にてまします。
されば濫りの御開扉を直ちに中止し、日興上人の御心のままに、もっぱら秘蔵厳護し奉るべきである」と。
 また「重ねての対決申し入れ書」には「すでに今は広布の前夜・末法濁悪の直中であれば、戒壇の大御本尊を憎嫉(ぞうしつ)し敵意を懐く集団・個人は無数である。
汝の『河辺メモ』の謗言によって、どれはどの魑魅魍魎(ちみもうりょう)が勢いづき、
大御本尊に対し奉り軽賎憎嫉(きょうせんぞうしつ)の悪言を谺(こだま)させていることか、汝ぼ知るや――。
そしてこれらの悪人、あるいはその手先が、法華講員を装って奉安堂に入ることはきわめて容易である。
かくてもし爆発物等が仕掛けられたら、いかなる事態が惹起(じゃっき)するであろうか。
この大禍(だいか)、汝の万死を以てしても償(つぐな)えるものではない」と。
 さらに『最後に申すべき事」には「このような濫りの御開扉は大御本尊を冒涜し奉るだけではない。恐るべきは、戒壇の大御本尊に害意を懐く悪人にその隙(すき)を与えることである。
魔は仏の化導を阻止せんと常に仏の御命を狙う。されば提婆(だいば)は大石を飛ばして釈尊を殺害せんとし、末法の景信(かげのぶ)は大聖人の眉間(みけん)に三寸の傷を負わせ、平左衛門は御本仏の御頸(おんくび)さえ刎(は)ね奉らんとしたのである。
 そして広布前夜のいま、第六天の魔王が最も忌(い)み嫌うのは戒壇の大御本尊の御存在である。
ゆえに天魔は悪人どもの身に入って大御本尊を疑難中傷せしめ、それで事が叶わなければ、ついには直接大御本尊に危害を加えんとするのである。
 今日、高性能の爆発物を入手することはさして困難ではない。
また悪人が、油断だらけの登山会に法華講員を装(よそお)って紛(まぎ)れ込むことはさらに容易(たやす)い。
もし万一の事態が惹起(じゃっき)したら、汝はいかように責任を取るのか。
これは汝の万死を以ても償えるようなことではない。
 もとより戒壇の大御本尊は金剛不壊(こんごうふえ)の仏身にてまします。
しかしながら、あらゆる事態を想定して厳護し奉ることこそ、仏弟子としての最大の責務ではないか。
安普請(やすぶしん)の奉安堂では、大規模な天災地夭、あるいは核爆発等のテロ・戦乱から、大御本尊を守護し奉ることは難しい。
早く科学技術の粋を集め、事の起きたとき瞬時にして地下深く格納し奉ることが可能な、堅牢の『新御宝蔵』を建設し、いかなる事態にも備え奉らなければいけない。
そしていま直ちに為すべきことは、悪人に隙(すき)を与えている御開扉の中止である」と。
 このように、三たび厳重の警告をしたが、果してこの憂いは杞憂(きゆう)ではなかった。
忌(いま)わしき予兆が現われたのである。
 昨年十二月、犀角独歩(さいかくどっぽ)なる者が、戒壇の大御本尊の鮮明な写真を入手したとしてこれを公表した。
この男は、ネット上で戒壇の大御本尊の悪口を交換し合っている多数の魑魅魍魎(ちみもうりょう)の一人で、「河辺メモ」に触発されて以来、ますます堕地獄(だじごく)の道を直走(ひたはし)っている大謗法者であるが、聞き捨てならぬ言葉を吐いていた。
 それは、入手の写真について「提供者のプライバシーを守るため、出所は敢えて公表しないが、正面から至近距離で撮影されたもの」と述べたことである。
 このことは、大御本尊に敵意を懐く悪人が、易々(やすやす)と、正面の至近距離に近づけることを物語っている。
いま宗門で行なっている営利目的の「御開扉」は、このように隙だらけなのである。
 もしかかる悪人どもが、正面の至近距離に爆発物を仕掛けたらどうなるか―
 戒壇の大御本尊に忍び寄るこの危機を見ながら知りながら、平然たる者はすでに仏弟子ではない。
これらは魔の伴侶(はんりょ)である。


(五)御開扉を即時中止せよ

 
さて早瀬日如(にちにょ)管長には、阿部日顕前管長の譲りを受けて登座をされた。
それを恩とするゆえか、前管長が在職中に定めた平成二十一年の七万五千人登山を「御命題」などと称して、この遂行を己(おの)が責務としているごとくであるが、
愚かの限りである。
 貴師はいったい、御本仏への忠誠と前職への義理と、いずれを重しとしているのか。
 阿部日顕はすでに三大謗法を犯して御本仏に背き奉った人(にん)、師敵対(してきたい)の者ではないか。
これに随えば与同罪(よどうざい)となる。与同罪とは共犯者ということである。
 されば秋元(あきもと)抄には「讐えば我は謀叛(むほん)を発(おこ)さねども、謀叛の者を知りて国主にも申さねば、与同罪は彼(か)の謀叛の者の如し。
乃至、見て申さぬ大智者は、無間(むげん)の底に堕ちて彼(か)の地獄の有らん限りは出(い)づるべからず」と。
 また曽谷抄には「師なりとも誤りある者をば捨つべし」と。
 また開目抄には「孝子、慈父(じふ)の王敵とな れば父をすてて王にまいる、孝の至りなり」と。
 すべからく御本仏日蓮大聖人への忠誠を重しとしなければいけない。
 そしてその忠誠の証(あかし)こそ、直ちに御開扉を中止し、近き広布のその日まで戒壇の大御本尊を秘蔵厳護し奉ることである。
 もし小生の言を蔑(あなず)って、なお本門戒壇の大御本尊の御安危を顧みなければ、その大罰は必ず御身にかかること疑いない。
 以上、法のため、国のため、宗門のため、あえて強言(ごうげん)を構え諌告するものである。


平成二十年四月二十三日

冨士大石寺顕正会会長  浅井昭衛

日蓮正宗管長   早瀬日如殿

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