一国寒行臨み顕正会の立場確立  (平成8年12月22日・総幹部会より)
仏法上の名称「富士大石寺顕正会」法律的立場は「宗教法人顕正会」

本年も、今年で最後の総幹部会となり、いよいよ大事な明年を迎えます。すでに全会員わかっていることではありますが、本日の総幹部会で、改めて明年の年の名を決めておきたいと思います。
 いいですかー、明年は「一国諌暁の年」と名付けたいと思っておりますが、どうでしょうか。(大拍手)
 顧みれば、本年の前進はまことに偉大でした。一人ひとりが、信心の真心を貫き通したという一年でしたね。
まさしく本年の意義は、明年の大事を見つめてその準備を成し遂げたという一年でありました。
 本縁の初年から私は、本年中になすべき準備として、三つのことを心に決めておりましたが、いま年の暮れを迎えて、そのすべてが所期の如く進んだこと、心から有難く思っております。
 本年柱になすべき準備とは、先般も申しましたが、次の三つでした。
 まず第一に、諌暁書そのものの準備。
 次に、五十万の明年六月達成を本年中に決定的にしておくこと。
――このことは、残りあと一万八千と迫り、明年六月の達成は大地を的とするところとなりました。
今後、この総仕上げにかかりたい。
 そして第三には、一国諌暁をなすに当たって、顕正会の仏法上の立場を確立しておかねばならぬ、ということでありました。
 この第三のことも、ここにすべて確立されましたので、本日、これより発表したいと思っております。

  【顕正会の仏法上の立場】

 まず顕正会の仏法上の立場について――。
 これまで顕正会は、仏法上の立場を示すに当たって、日蓮正宗の名を冠(かん)して「日蓮正宗顕正会」と称してまいりました。
 しかし、いよいよ一国諌暁をなすに当たって、このままではどうしても仏法上の立場が明確ではない。いや、かえって世間に誤解を生ずるということを、私は危惧しているのであります。
 ということは、いまの日蓮正宗はすでに大事の御遺命を捨て、あまりにも腐敗堕落している。
また世間ではこの日蓮正宗に対してどう見ているかというと、「ついこの間まで創価学会と一体だったではないか」「いまは学会と醜い喧嘩をしている」「学会も胡散臭(うさんくさい)いが、坊さん蓮もいい加減なもの」とみんな思っている。
 そこに顕正会が日蓮正宗と名乗っていたのでは、同じではないかと誤解をされる。
説明するのが煩(わずら)わしい。
 ゆえに顕正会は、今後、仏法上の立場を明確にするため、「富士大石寺顕正会」と名乗って一国諌暁に臨みたい。こう思っておりますが、どうでしょうか。(大拍手)
  
    【清き源流に遡って】

 実は私は、今の宗門があまりに腐敗堕落しているので、「日蓮正宗」と名乗ることが恥ずかしいのです。
 その第一の理由は、日蓮正宗の名において、国立戒壇建立の御遺命を捨ててしまったからです。
しかもこの大悪事は内部でこっそりやったものではない。
時の管長が公式にこれを宣言し、そのうえ学会を通して、文部省に対し文書で国立戒壇を否定する旨の回答をしているのであります。
 このことを、私は何より恥ずかしく思う。
まことに御本仏日蓮大聖人を蔑(はずかし)め奉ること、これに過ぐるものはない。この御遺命を捨てた恥しらずの宗門の名を、どうして一国諌暁に立つ顕正会が名乗れましょうか。
 第二の理由は、御遺命を捨てた罰により学会と宗門はいま仲間割れをし、「修羅と悪竜の合戦」を繰り広げ、互いの醜い実態を日本国中、いや、全世界にさらし、嘲笑の的となっております。
 これまた日蓮大聖人の御徳を穢(けが)し、日興上人・日目上人の御精神を穢し奉るもの。何とも大聖人の弟子として、恥ずかしく思うものであります。
 顕正会がこのような腐敗堕落の輩(やから)と一緒に見られたのでは、一国諌暁はとうていできない。
 よって、いよいよ明年の一国諌暁にあたって、顕正会は、腐敗堕落の今の日蓮正宗ではなく、その清き源流に遡(さかのぼ)って「富士大石寺顕正会」と名乗りたい。
そして日蓮大聖人の弟子、日興上人・日目上人の末流という、仏法上の立場を顕わしていきたいのであります。

 【「日蓮正宗」の名称近々わずか84年】

 いいですか―、正応三年に日興上人が大石寺を建立されてより今日までが七百六年。
この長き富士大石寺の歴史において、日蓮正宗と名乗ったのは、最近のわずか八十四年だけのことなのです。
それまで正系門家を顕わす名称は、すべて「富士大石寺」でありました。
 日興上人の御遺誡二十六箇条の第一条冒頭を見てごらんなさい。
  「富士の立義(りゅうぎ)、聊(いささか)も先師の御弘通(ごぐつう)に違(い)せざる事」とある。
さらに日興上人の日目上人への御付嘱状には
  「大石寺は、御堂と云い墓所と云い日目之(これ)を管領(かんりょう)し、修理(すり)を加へ勤行を致し、広宣流布を待つべきなり」とある。
 御遺誡には「富士の立義」そして御付嘱状には「大石寺(おおいしのてら)」と仰せられる。まさしく「富士大石寺」の名は、ここに発するのであります。
 ゆえに、その後の宗門上代の上人が信徒に授与された御本尊の脇書(わきがき)を拝見すると、みんなこうなっている。
  「富士大石寺門徒、○○に之(これ)を授与す」あるいは「富士大石寺信徒、○○に之を授与す」あるいは「富士大石寺信士」あるいは「富士大石寺檀那」と。ことごとく「富士大石寺」になっている。
 また日寛上人はご自身の仏法上の立場をどのように仰せられているかというと、観心本尊抄文段の最後のご署名には
  「富士山大石寺廿六世 日寛」とある。
 さらに幕末から明治にかけて正系門家の命(いのち)を継がれた五十二世・日霑(にちでん)上人が、幕府に宛てられた国諌状――これは宗門の歴史における最後の国諌状でありますが、その冒頭には
「日蓮聖人の弟子日興の嫡流、駿州富士郡上集村大石寺住僧日霑」とある。
そして文末のご署名は「大石寺日霑」となっております。
 このように、この六百二十余年の問は、どこにも「日蓮正宗」という名はない。すべて「富士大石寺」であります。
 これが清らかなる正系門家の源流なのであります。
 そこに私は昔から、「富士大石寺」の五文字をさまざまな文書の中に見いだすとき、いつもハツとして、胸のときめきを覚えたものです。゛ああ、世界でただ一つの正系門家ここにあり゛と。そして心洗われる清らかな思いを、感じたものであります。

【大正元年から新宗名を公称】

 この「富士大石寺」門流が「日蓮正宗」と名乗ったのは、先はども云ったように、今から八十四年前の大正元年(一九一二)、五十七代・日正(にっしょう)上人の時でした。
 この新しい宗名を公称する奉告法要が本山で行われたとき、一役僧はこう云って祝辞を述べたものです。
  「宗名は日蓮正宗、法主は日正、元号は大正、正が三つ重なって、こんなお目出度いことはない」と。
 だが、実際はこの時から、宗門の信心がおかしくなってきた。同時に国家も傾いてきたのです。
 私はこの信心の崩れは、広言流布が近づくにつれ、第六天の魔王が正系門家の信心をたぶらかし始めたからだと、思っております。
  
【大正時代は謗法与同】

 本宗の僧侶が、邪宗の坊主にならって女房を持つようになったのも、この頃ですね。
日霑上人・日布上人までは、日興上人の御遺誡のままの「聖僧」であられた。
 また日霑上人までは、国家から官位をもらうなどということは絶えて無かった。なぜか、国家を諌める宗なるがゆえです。
 ところが、大正以後の宗門には、大聖人の弟子・日興上人の末流としての、破邪顕正の気魂、国家諌暁の大精神が失せてしまったのです。
 このことは歴史を見ればわかる。
 大正元年が「日蓮正宗」を公称した年でしょう。
その二年後の大正三年には、国柱会の田中智学・顕本法華宗の本多日生などの提唱で「日蓮門下統合会議」というのが池上本門寺で聞かれた。
これには身延派の管長をはじめ門下七教団の管長が集まった。
そして何と悲しいことに、この中に本宗の管長も加わって、謗法の輩と肩を並べて仲良く統合問題を話し合ったのであります。
そこには、唯一の正系門家として、大聖人に背く邪宗日蓮宗を破析し、さらに国家を諌めようなどという大精神は全く見られない。
 そして、この腐った連携が背景となって、大正十一年十月、あの「立正大師」の諡号宣下(しごうせんげ)ということがあったわけです。
 すなわち七教団が連盟して、東郷元帥あるいは有力な政治家に働きかけて゛天皇陛下から「立正大師」という名を大聖人に賜われないか゛と懇請した。
当然この運動に本宗の管長も加わった。
身延派の管長どもと肩を並べて「立正大師の名を頂きたい」と宮内省に願い出ているのです。
 大聖人様は閻浮(えんぶ)第一の御本仏であられる。そしてご自身で「日蓮」とお名乗りあそばした。
御本仏を表す御名は、まさに「日蓮」の御名以外にはあり得ないのです。「天照大神(てんしょうだいじん)・正八幡宮(しょうはちまんぐう)も頭をかたぶけ、手を合せて地に伏し給うべき」の御境界であられる大聖人様が、どうして天皇から名をもらわなければならないのか。いわんや信心もしていない大正天皇にこれを願い出る。こんな法を下げた馬鹿なことがありますか。
 このへつらい、まさに
  「日蓮を用いぬるとも、悪(あ)しく敬(うやま)はば国亡ぶべし」との仰せそのものであります。
 日蓮正宗がこんなことやっていたから、その翌年の大正十二年九月にあの関東大震災が起き、それからの日本は、戦争の泥沼に沈んでいったのであります。
  
【戦時中は軍部に諂う】

 では、戦争中の宗門はどうだったかというと、ひたすら国家権力にへつらい、保身に汲々としていた。
 だから軍部から「御書のこういう所が皇室に対して不敬だから削れ」といわれれば、唯々諾々(いいだくだく)として大事な御金言を次々と削り取ってしまった。
あるいは「伊勢(いせ)神宮の遥拝を信徒に勧めろ」と云われれば、これもやった。
そしてついには、神札を祀(まつ)ることさえ宗門は許した。
その結果、宗門は大罰を受け、日本もまた戦争に敗れてしまったのであります。
  
【戦後は学会に諂って御遺命を破壊】

 では、終戦後の宗門はどうであったか。こんどは信徒団体の創価学会にへつらい保身を図った。
それでも、学会にまだ魔が入らず、真っ直ぐに国立戒壇を目指して折伏を行じている時は、宗門も曲がらなかった。
 その頃は宗門僧侶は「国立戒壇」を盛んに口にしていた。時の法主・細井日達上人も
  「富士山に国立戒壇を建設するのが、日蓮正宗の使命である」などと正論を述べておりました。
 ところが学会が政治野心を懐き選挙に出るようになると、「国立戒壇」は学会にとって邪魔になった。
選挙のたびごとに他党や評論家から批判される。邪宗は国立戒壇に猛反対する。
そこで「国立戒壇」を捨てようと、池田大作は考えたのです。
 大作は細井管長に「日蓮正宗として国立戒壇を否定してほしい」と頼み込んだ。
ここに、にわかにあの正本堂が建てられ、これを「御遺命の戒壇」と偽る誑惑がなされたのであります。
 私はこれを見て、昭和四十五年三月、「正本堂に就き宗務御当局に糺し訴う」と題する諌暁書を書き、宗門の首脳部、学会の首脳部に送った。
 これを見て、細井管長は肺腑をえぐられたのでしょう、私を本山に呼び「浅井さんの云うことが正しい」「国立戒壇が本当です」と云った。
しかし再び池田から圧力があると、まことに頼りなく完全に屈伏してしまった。我が身のためにへつらってしまったのです。
 ちょうどその頃、共産党提出の質問主意書に基づいて、文部大臣から創価学会に対し゛曽て学会が主張していた国立戒壇について、その見解を求めたい゛という照会があったのでした。
 このとき大作は大慌(あわ)てにあわて、゛もし国立戒壇を本当に捨てなかったら大変なことになる゛と怯(おび)えた。
そして細井管長に対し゛このさい日蓮正宗として、国立戒壇をさらに明確に否定する宗門決定を出してくれないか゛と圧力をかけた。もう細井管長は池田の云うがままでした。

  【国家を欺く】

 ここに細井管長は、宗内に「国立戒壇」を否定する旨を正式に宣言した。
そして学会はこれを承(う)けて、昭和四十五年四月二十三日、先ほど申した、文部大臣からの照会に回答書を出したわけであります。
 その主旨は
  「いま建設中の正本堂が御遺命の戒壇であり、したがって国立戒壇などというものはない」というものであった。
これまさしく日蓮正宗と学会が一体となって、御遺命の国立戒壇を捨て、公然と国家を欺いたものであります。
 私は、このことを思うたびに、全身の血が逆流するのを覚える。
 国立戒壇の御遺命を捨てるということは、大聖人様が流罪・死罪を耐え忍ばれての崇高なる一代御化導を、水泡に帰せしむるほどの大悪なのです。
これを平然とやる輩の無道心、無漸無愧(むざんき)さよ――。これを思うたびに、血が逆流するのであります。
 思えば、日目上人は国家から尋ねられもしないのに、大聖人の大願を遂げんがために身を捨てて国立戒壇の建立を時の天皇に訴えられた。
ところがいま宗門と学会は、政府から国立戒壇について尋ねられたにもかかわらず、嘘をついて国立戒壇を放棄してしまったのであります。
 これを見て、私は諌暁に諌暁を重ね、池田に「早く文部省への欺瞞(ぎまん)回答を撤回せよ」と強く迫った。
 学会と宗門は、顕正会が日蓮正宗の中に存在する限り、自分たちの御遺命破壊の悪事がばれると恐れ、ついに顕正会(当時妙信講)を抹殺せんと解散処分を断行したのであります。
  
【大罰下る】

 しかし大聖人様はこの御遺命破壊の大悪を許し給わず、大罰を下し給うた。
それが、宗門・学会の自界叛逆、仲間割れであります。この大罰により、正本堂の誑惑も自然と崩れ出した。
 そして今、学会と宗門の醜い争いが、世間を賑(にぎ)わしているのであります。学会は、阿部管長の僧侶にあるまじき遊蕩(ゆうとう)堕落ぶりをすべて暴(あば)いた。宗門は、いわゆる「レイプ裁判」等を仕かけて池田を窮地に追い込んだ。
まさに「修羅と悪竜の合戦」そのものであります。
 
【この破廉恥を見よ!!】

さらに宗門はこの十一月十八日、文部大臣に宛てて「学会はすでに宗門から破門された団体だから宗教法人の資格を失っている。
よって解散手続きを取ってほしい」という趣旨の「意見書」を提出した。
 そして、なんとこの文書の最後には「宗教法人日蓮正宗代表役員阿部日顕」との署名があり、以下ズラッと宗門全僧侶七百二十二名が署名捺印している。
 私はこれを見て、呆れた。いかに創価学会憎しとはいえ、文部大臣に「潰してくれ」と頼み込むとは何という卑しい魂胆かと。
 そうでしょう―、もし創価学会が教義上間違っているというのなら、阿部管長は池田大作を呼び出して法論で正邪を決したらいいではないか。そうすれば見ている学会員にもわかる。
しかるに文部大臣なんかに「潰してくれ」なんていうのはおかしいじゃないか。
 阿部管長には、そんな確信はない。要するにこれは感情の喧嘩、利害の争いなのです。
ご憎っくき学会を潰してやろう゛学会員を檀徒にしてやろう゛と。
 だいいち、こんな文書を文部大臣に出したからといって、学会が宗教法人の資格を失うわけがない。
あまりにもこれは法律的に無知です。
 いや、法律的無知ならば笑われるだけで済む。だが、どうにも許し難い仏法上の恥知らずがここにある。これが私には我慢ならない。
 いいですか、阿部管長は曽ては学会と一体になって、国立戒壇を否定して文部省を欺いたその仲間ではなかったか、その当事者ではなかったか。
それが今、欺いた文部省に、曽ての仲間を潰してくれと頼み込んでいる。
この破廉恥は、もはや救い難い。
 阿部管長には、大聖人の御目を恐れるという信心が全く無いのです。だから学会にへつらったほうが自分の利益になるという時には大聖人に背いても国立戒壇を捨てた。
そしていま学会と喧嘩になれば、曽て欺いたことも忘れて文部省にバカげたことを頼み込むのです。
 阿部管長には、御本仏に背き奉ったこと、国家を誑惑したことに対する罪悪感はないのか。
顕正会は解散処分を受けるともその翌年、正系門家のこの国家誑惑の大罪を償わんと、文部省に対し、日蓮大聖人の御遺命とはいかなるものかを示したではないか。
阿部管長のこの無道心、この破廉恥、もはや救い難いと私は思う。
  
【清らかな源流に】

 ここに今、日本国まさに亡びんとするを見て、大聖人様の御心のままに一国諌暁に立つ顕正会が、どうして今の腐敗堕落した「日蓮正宗」の名を名乗ることができましょうか。
 どうしても顕正会は、日興上人・日目上人の清らかなる源流に立ち還(かえ)らなければならない。
清浄なる富士大石寺の信徒として立たなければならない。
 先はども云いましたが、日興上人は「富士の立義」「大石寺(おおいしてら)」と仰せられた。まさしく富士大石寺であります。
また上代の上人はことごとく「富士大石寺門徒」「富士大石寺信徒」と記されて御本尊を授与されている。
また日寛上人は「富士山大石寺廿六世日寛」と仰せられている。
 さらに日霑上人は国諌状に「日蓮聖人の弟子日興の嫡流、富士大石寺日霑」と仰せられているではないか。
 顕正会は、この清らかなる源流「富士大石寺」に立ち還るのであります。
よって顕正会は本日以降、正式に「富士大石寺顕正会」と名乗りたいと、私は心に決めておりますが、皆さんどうでしょうか。(大拍手)
  
【法人格とは】

 次に、顕正会の法律上の立場について説明いたします。
 結論から先に申します。顕正会は十一月十八日付を以て、文部大臣の認証により、「宗教法人顕正会」として法人格を取得することができました。
 この法人格というのはなぜ必要かというと、法人格がないと法律的には正式な社会的存在ではない。
したがって「顕正会」という名前では、何一つ法律行為ができないのです。
 例えば、全国の地方に会館や事務所を作る、そのために土地を購入したり、建物を建てたり、あるいは諸々の契約をしようとする場合、法人格がなければ「顕正会」の名儀ではできない。
契約もできなければ購入した土地を登記することもできない。
すべて個人の名前でやらなければならない。これでは全国広布の戦いはできないのです。
 昨年の阪神大震災のおり、多くのボランティア団体が出来ましたね。
そのとき政府は゛法人格を与える必要がある゛ということで、検討したでしょう。これはボランティア団体といえども、法人格がなければ活動が制約されるからであります。
 そこで、宗教団体というのは公益(こうえき)を目的とするものだからというわけで、宗教法人法に基づいて法人格を取得することができ、さまざまな法律上の便宜が与えられているのです。
 ところが、これを悪用しているのが、もろもろの邪教ですね。
今の憲法では宗教の正邪を論ずることがないから、邪教でも法人格を得ることができる。
 だが、よく考えてごらんなさい。邪教は人を不幸にする、国家を亡ぼす根源ではないか。
公益法人どころではない、公害法人と言わなければいけない(大笑)。
 だから本来、邪教を宗教法人にしてはいけないのです。
宗教の邪正が一国に認識される広言流布の時には、これらは全部取り消しということになるに違いない。
 その意味で、日本国の中で、真の公益法人として資格のある団体は、国立戒壇を建立して日本を教わんと戦っている顕正会以外にはないと、私は思っております。
  
【従来の法的立場】

 さて、話を戻します。法人格がなければ土地・建物の登記もできないんだと、先ほど申しましたが、それでは、顕正会はこれまでどうやってきたのかというと、実は「宗教法人顕正寺」の名儀で、これをやってきたのであります。
  「宗教法人顕正寺」というのはいつ設立されたかと申しますと、顕正会が御遺命のゆえに解散処分を受けたのが昭和四十九年、当時妙信講といっておりましたが、このとき、妙信講の指導教師であり妙縁寺住職であった松本日仁尊能化が、八十余歳のご老齢にもかかわらず、ついに「妙信講が正しいのだ、国立戒壇が正しいのだ、今まで自分は臆病で黙っていたけれども恥ずかしい」と言われ、これを宗門首脳に直言して擯斥(ひんせき)処分(宗門追放)を受けられた。
 まさに顕正会と運命を共にして下さったのであります。私はこの松本日仁尊能化(そんのうけ)の御恩を、一日として忘れたことはありません。
 このとき、私は直ちに顕正寺を建てて、妙縁寺を追い出された松本日仁尊能化を住職にお迎えした。
そしてこのとき、将来の全国広布の戦いに備えて、法人を設立したわけであります。
 この宗教法人の名儀については、実体は全く顕正会そのものであったけれども、あえて私は、松本日仁尊能化に敬意を表して「宗教法人顕正寺」とし、顕正会は遜(へりくだ)って、その顕正寺に所属する信徒団体という立場にしたわけであります。
これが顕正会の、これまでの法律上における立場でありました。

【規則全文の改正】

 しかしいよいよ顕正会が一国諌暁に立つ段階に至れば、法律上の立場も堂々と「顕正会」と名乗り、その大目的たる広宣流布・国立戒壇建立も明文化し登記して、堂々とこれを天下に明らかにしなければならない。
 そこで二年前から、この手続きを開始したわけであります。
具体的には「宗教法人顕正寺」の名称を「宗教法人顕正会」と変更し、法人の事務所の所在地も東京板橋の本部会館に移し、さらに規則の全文を顕正会にふさわしい内容に変更するというものです。
これは事実上の新法人設立ということです。
 この手続きがなかなか難しい。しかもこれを取り扱う官庁が東京都でした。
この都庁は誰に気兼ねしているのか知らないが、「国立戒壇」の大目的を真っ正面に掲げる顕正会を、どういうわけか煙たがり、避けよう避けようとして話に乗ってこないのです。
 だから何度交渉しても埓(らち)があかない。忙しそうなそぶりばかりして……。恐らく「官宮接待」や「カラ出張」で忙しかったのかもしれない大爆笑)。
 私はこの交渉をすべて男子都幹部にやらせたが、役人一流の引き延ばし作戦というのでしょうね、わずかなことをクチャクチャと取り上げては「ハイッ、今日はこれまで、次は……」と言って来月とか再来月になる。
こんな調子では、どこまででも廷ばすことができる。ダラダラと牛のヨダレみたいだ(爆笑)。
 この間、何度、都庁に男子部幹部を使いに立てたことか。二年間ですよ。いいかげん、腹が立ってきた……(大笑)。
 ちょうどその頃、「行政手続法」という新しい法律ができた。これはどういう法律かというと、役人が故意に許認可を引き延ばすことを防止する法律ですよ。
これが平成六年の十月施行でしたね。「よしっ、うまい法律ができたぞ」(爆笑)
「これで戦おう」と、さっそく弁護士に検討を依頼したほどです。

   【「国立戒壇」に難色】

 さらに都庁の役人は男子部幹部にこんなことまで言ってきたそうです。
  「規則第三条の中に『国立戒壇』という文言があるが、今の憲法は信教の自由を認めている。
だから国立戒壇というのは憲法に抵触する。
あとで必ず審査の対象になるから、これを削除しなければ承認できない」と。云いも云ったりだ。堂々たるもんでしょう(笑)。
実はこんなことを役人が言うこと自体が憲法違反なのです。
都庁の法人担当ともあろう者が、こんなことを知らないわけがない。
しかるにあえてこのような非常識を言うのは、これを故意の発言というんです。
 この報告を現地から受けました。私は直ちに男子部幹部に言った。「ケツまくって帰って来い」と(大爆笑)。
もう少しお上品に言ったかな……(大爆笑)、「お尻(しり)まくってお帰りあそばせ」と(大爆笑)。
 いずれにしても、国立戒壇を削除してまで法人格など取る必要はない。
国立戒壇のために解散処分まで受けてきた顕正会ではないか。――ここで、交渉は一頓挫(いっとんざ)してしまった。
もうこれで、明年の一国諌暁までには間に合わないかと、私は肝をくくっていた。

  【法人法の改正】

 ところが、ところが、今回の宗教法人法の改正があった。その中で、こんなことが決まったのです。
  「複数の都道府県において活動を行う宗教法人については、所轄庁が、これまでの都道府県知事から文部大臣に変更される」と。要するに、全国規模で活動するような大きな宗教法人は今後すべて文部省の直轄になるということです。
 この宗教法人法の改正に対し昨年、学会始め全邪宗が猛烈に反対運動をしたこと、憶えているでしょう。これだったのですね。
 学会はこれまで東京都の所轄だった。東京都は公明党の議会勢力が強いから安全だったらしい。しかし文部省に移ると何か困ることがあるらしいのです。
また他の邪宗の輩もみんなそれぞれ悪いことばかりやっているから、宗教法人法の改正でこれまた困ることがあるんでしょう。だから利害が一致して、学会と邪教はなりふり構わず手を組んで猛烈な反対をした――というのが昨年の騒ぎだったわけであります。
  
【ついに認証】

 しかし顕正会は裏も表もない、正々堂々だから、どんな法律の改正があっても困ることはない。
ないどころか、はからずも今度の改正で、むしろ守られたのです。
 ということは、この法人法の改正によって、本年の九月十五日を期して、顕正会は全国的規模の団体だから当然文部省の所轄となった。
すると、これまで都庁では全く埓(らち)のあかなかった交渉が、一気に進み出したのです。
驚くようなスピードで……。
 文部省の役人は都庁と違って、話が早い、呑み込みが早いんだそうです(大爆笑)。
男子部幹部が驚いて云っていた、「みんな頭がいいです」(大爆笑)。
偏差値が違うんじゃないかと思う(大爆笑)。
 いやこれは、変な先入観がない、おかしな圧力がないからですよ。
 かくて、あっという間に事が決着した。
なんと、九月十五日に所轄が文部省に変わって、十月十五日に申請書類を提出、それが十一月十五日、日目上人の御命日に正式に受理され、その三日後の十一月十八日に認証ということになったのであります。
 この認証は、規則変更という形こそ取っているものの、事実上、顕正会としての新しい法人格の取得であります。

 【規則の重要条項】

 では、「宗教法人顕正会」の規則の中の、重要条項をここで紹介しておきます。
 「第一条この会は、宗教法人法による宗教法人であって、『顕正会』という」
 「第二条 この宗教法人(以下『法人』という)は、事務所を東京都板橋区常盤台一丁目一四番一号に置く」
 「第三条 この法人は、日蓮大聖人を末法下種の本仏と祟敬(そうぎょう)し、大聖人出世の本懐たる弘安二年の『本門戒壇の大御本尊』を帰命衣止(きみょうえし)本尊とし、血脈付法(けつみゃくふほう)のニ祖日興上人を末法下種の僧宝(そうほう)と仰ぎ、日蓮大聖人の御遺命たる広宜流布・国立戒壇建立を成就して真の日本国安泰および世界敬和を顕現(けんげん)することを目的とする」
この第三条こそ、この法人の目的そのもので、いちばん大事なところです。
したがって法律的にもこの第三条だけは登記が義務づけられているのです。
登記するということは、まさしく対外的に顕正会の大目的を宣言することであります。
このような崇高の大目的を掲げている法人が、他のどこにありましょうか。
日本国の中に顕正会だけであると、私は誇りに思っております。
「第四条 この法人は、二祖日興上人・三祖日目上人以来富士大石寺に相伝された正統教義に基づいて信行する」
 御遺命を放棄した以後の日蓮正宗の教義ではなく、それ以前の源流、すなわち日興上人・日目上人・日寛上人・日霑上人等と富士大石寺に清らかに相伝されてきた伝統教義に基づいて信行するという定めが、この条目です。
ついでその二項
「2 所依(しょえ)の経釈(きょうしゃく)は日蓮大聖人の御書、日興上人・日目上人・日寛上人遺文、法華経十巻を正衣(しょうえ)とし、天台大師・妙楽大師・伝教大師の釈疏(しゃくじょ)を傍衣(ぼうえ)とする」
 この項目は、顕正会の拠(よ)り所とする経釈は何であるかを定めたものです。

「第二十八条 この法人は、この法人の目的に賛同する日蓮正宗の寺院および僧侶に対し、資金その他の援助を行うことができる」
 これは私の日蓮正宗に対する夢です。今でこそ宗門は腐敗堕落の極にあるが、これは第六天の魔王の誑(たぶら)かしによる。正系門家がいつまでもこんなことでいるわけがない。
やがて顕正会の正しい力が強くなってきたとき、必ずや日蓮正宗の中に、日目上人の再誕といわれるような聖憎がお出になるに違いない。
それまでのあいだ乱れるのです。その間、私は「富士大石寺顕正会」と名乗って御奉公していきたい。
 恐らく、国立戒壇を堅持されるような真面目な僧侶は、宗門でいじめられるに違いない。
私はそういうお方を守護したい。よって、まじめな僧侶があるならば、ひそかに顕正会として供養しお守りしようということを、この一条に決めたわけであります。

  「第三十条 この法人は、第三条の目的が達せられたときには法人を解散し、その残余財産は日蓮正宗総本山富士大石寺に供養するものとする」
 この条目は、さきほどの第二十八条とも関連するのですが、正系門家日蓮正宗がいつまでも腐敗堕落のままでいるわけがない。
なぜなら広宣流布の時には、日目上人が御出現されるからであります。
 もし日蓮正宗が国立戒壇の正義を取り戻し、戒壇の大御本尊への不敬も解消されるということになったならば、私はその正しい猊下(げいか)の下(もと)に、顕正会を率いて馳せ参じ、お仕えし御奉公しようという気持ちを持ち続けています。
そして広宣流布・国立戒壇建立が成就された暁には、顕正会は解散するんだということを、前以て決めたのがこの一条であります。
実は、都庁の役人がいろいろ文句を云ってきた中の一つがこれだった。「これから作ろうという法人が、なんで解散のことを作る前から言うんだ」と(爆笑)。
「生まれた時に死ぬことを言っているみたいじやないか」と(爆笑)。まさに難癖(なんくせ)です。
 都庁の木っ端(こっぱ)役人ごときに、私の精神が、顕正会の精神が、わかってたまるかという思いがした。顕正会は、俗にいう「宗教団体」ではない。
宗教屋がメシを食うための、坊主がメシを食うための団体ではない。
日蓮大聖人の御遺命を奉じて、広宣流布・国立戒壇建立に戦うことを唯一の目的とする仏弟子の集団です。よって、この使命を終えたならば、解散するのが当然ではないかと、私は前々から思っているのであります。
 顕正会がなにも永遠である必要はない。永遠なのは、戒壇の大御本尊様と、富士大石寺だけなのであります。
私たちは仏弟子として、与えられた使命を果たせば、それでよろしい。
 見てごらんなさい、熱原の法華講衆の方々を。神四郎(じんしろう)殿は弘安元年の入信、そして弘安二年にはあの大法難において命を捨て、戒壇の大御本尊の願主となっておられるではないか。
大使命を果たし終え、わずか二年で、姿を消しておられるのであります。
 顕正会はいま広布の前夜に生まれて、その使命を果たせば、それでいいではないか。
 しかしその戦いを進めるに当たっては、鎧(よろい)を着なければならぬ、武装しなければならない。その身に着ける鎧が、この「宗教法人顕正会」という法人格なのだと、私は思っております。

【日本国の顕正会】
私は、顕正会のこの法人規則を誇りに思っております。
このような崇高なる目的・規則を持った団体が、他のどこにありましょうか。
ここに、御本仏の御遺命を奉じて立つ団体が日本国でただ一つ、法津次元においても厳然とその存在を示したのが、この法人格の取得ということであります。
 いま日本に宗教法人の数は十八万四千。しかし正系門家を除いて、これらのすべては宗教法人法を悪用している邪教であります。
 そしてこの十八万四千の中に、文部省の所轄になっている大規模な宗教法人は約一千。
この中に実は、日蓮正宗と、創価学会と、そして顕正会の三つがあるわけであります。
 かつて宗門と学会は一体になって、国立戒壇を主張する顕正会を抹殺しようと解散処分にした。
しかし顕正会はこの死罪を乗り越え、今や五十万の死身弘法を成し遂げ一国に日蓮大聖人の御遺命を顕わさんとしている。
すでに顕正会は、名実共に「日本国の中の顕正会」になったのであります。すべては、大聖人様の御守護であります。
 ここに顕正会は、明年の一国諌暁を臨んで、仏法上においても、法律上においても、その立場を確立した。
すなわち仏法上の立場は「富士大石寺顕正会」、そして法律上の立場は「宗教法人顕正会」。まさしく仏弟子の大集団「富士大石寺顕正会」が、法人格の鎧をつけ、いよいよ広宣流布に戦う姿がここに整ったわけであります。
 さあ、一切の油断を排し、明年六月までに五十万を成し遂げよう。
 そして大聖人様に『解散処分を乗り越え、ついに五十万の死身弘法を成し遂げることができました」とご報告申し上げたのち、ただちに敢然と一国諌暁に立ちたい。
 大聖人様は顕正会の前進をお待ちあそばす。
勇躍して戦いを進めようではありませんか。(大拍手)

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