顕正新聞・平成7年7月5日号
(六月度総幹部会)
【入信手続の改正】
さて、さきほど横田理事から発表がありましたが、このたび入信の手続きを抜本的に改め、これを本日より実施してまいります。
どのように改められたのか、その大綱だけを言うと、こういうことです。
従来は、入信者が願主となって自ら入信願書に署名・捺印(なついん)をした。
しかし今度はこれを止(や)めたのです。ではどうするかというと、折伏をした紹介者または入信勤行に立ち会った班長以上の幹部が、入信勤行がこのように確かに行われましたということを、報告書に記入して本部に提出するということになったわけであります。
なぜ、入信者の署名・捺印を止(や)めたのかというと、この濁悪の世においては、「署名・捺印」ということは、不必要な誤解あるいは疑心暗鬼(ぎしんあんき)を相手に懐(いだ)かしめる恐れがあるからです。
折伏され入信しようとする人たちは、まだ顕正会のことをよく知らないのです。こちらは″日本国の中でこんなに清らかな団体はない、まさに白蓮華だ″と確信していても、相手はまだ何も知らない。
そこで、仏法の話を聞いて一往は納得(なっとく)しても、いざ「署名・捺印をしなさい」といわれると、抵抗を感ずるのです。なにか怖(こわく)くなってくるんです。
どうしてかというと、世間にはあまりにもインチキなものが多すぎるからなのです。
たとえばオウムのような凶悪な邪教もある。あるいは統一教会のようなわけのわからぬものもある。
あるいは契約をさせたうえで、あとで金銭を巻き上げる悪徳商法も流行している。
さきほども九州の人の体験発表がありましたが、なんとかいう邪教に入ったら、直ちに二百万巻き上げられた――と、世間にはこんなものがあふれいる。
そこで、こちらがいくら「白蓮華だ」と云っても、相手はすぐには信じられないんですよ。
口をすっぱくして「白蓮華だ」と云ったって・・・(爆笑)。云われれば云われるほど(爆笑)「そんなものはあり得ない」と(大爆笑)。
そして「署名・捺印」というと、どうしても法律上の権利・義務を思い起こすんですね。だから″仏法の話は一往わかったけれども、うかつに署名・捺印をしたら、あとで何かあるのではないか″″あとで請求書が来るのではないか″と(爆笑)。
こちらがいかに「白蓮華だ」「お金はかかりません」といったって、向こうのほうが確信が強い(爆笑)。
これも、濁悪の世なるがゆえなんですね。
また、こういうこともある。″一度署名・捺印したら、もう二度とやめることができないのではないか、束縛されるのではないか″との疑心暗鬼です。
人間というのは不思議なもので、出られないと思うと出たくなる。たとえば人の家に行って、どんな立派な応接間に通されても、入った途端に鍵をかけられたら飛び出したくなる(爆笑)。
これと同じで、こちらは別に出ちゃいけない、なんて云わなくても、″署名・捺印したらもう二度と出られない、拉致(らち)・監禁されるんじゃないか″(大爆笑)などと思う人がいるかもしれない。
信心というのは、あくまで本人のためにするんですよ。大聖人のためでもなければ、顕正会のためでもない。みんな自分自身のためにやる。
だからやめるのも自由、やるのも自由だ。本人が得するか損するかの問題だけなんです。
ゆえに兵衛志殿(ひょうえさかんどの)が退転しようとしたとき、大聖人様はこう仰せられている。
「を(落)ち給はんをいかにと申す事はゆめゆめ侯はず、但(ただ)地獄にて日蓮をうらみ給ふ事なかれ」――退転することを、どうのこうのというつもりは毛頭ない。
ただあとで地獄に落(お)ちたとき、なぜあの時もっと強く云ってくれなかったのか、などと恨み事を云ってはならない――と。
まさに、
やるのもやらないのも本人の自由、本人の損か得かの問題なのであります
。
【仏法の実践こそ大事】
そこで、
入信の手続きに当たっても、まだ顕正会をよく知らない段階の入信者に、よけいな凝心暗鬼や誤解をあえて懐(いだ)かせる必要はないではないか、と私は思う。
大事なことは、信心を実践させるということなんです。署名・捺印をさせた一枚の入信願書に価値があるのではない。入信者が御本尊様を信じ、南無妙法蓮華経と唱え、広宣流布の大行進に加わり、功徳を頂く、これが一番大事なことなのです。
署名・捺印したことが入信ではない。初めて御本尊を信じ南無妙法蓮華経と唱え奉る、すなわち本門の題目を初めて唱え奉る、これが入信であり、その儀式が入信勤行なのであります。
よって署名・捺印の制度をやめて、「入信報告書」という、すっきりとした形にしたわけであります。
ですからこれからは、折伏して相手が決定したら、入信願書などをオズオズと・・・・出す必要はない(大爆笑)。
出そうか出すまいか・・・(爆笑)、出したり引っ込めたり・・・(爆笑)、だから入信願書が手あかで汚れている(爆笑)
こんな思いをもうする必要はありません。
信心すると決定したならば、直ちに「さあ仏法は実戦が大事です。体験しなければわからない、何よりもまずこの御本尊を信じ、南妙法蓮華経と唱えよう、さあ、今から私と一緒に入信勤行をしましょう」こう云って手を引いて、共に実戦をしてほしい。
そして「今日からは日蓮大聖人の弟子、日本で唯一正しい顕正会の一員です」と。
さらに「御書講義とか総幹部会のビデオ放映にも参加しよう」と促して、信心を深めさせ、広布の人材に育ててほしいのであります。
入信勤行の手続きに際しては、さっき説明があったように、入信報告書に、入信者の氏名と、折伏をした紹介者の氏名だけを記入して受付に出せばよい。
その他の欄はあとでゆっくり記入して、組織を通して提出すればよいのです。
とにかく、不必要な疑心暗鬼を与えることを除き、何よりもまず仏法を実践させ、功徳を頂かせることが大事なのです。
これが末法濁悪の世における、時に叶った広宣流布の戦い、弘通の方法であると私は確信しておりますが、どうでしょうか。(大拍手)