顕正会について ―現宗研教化資料シリーズ―

      目 次
 はじめに
顕正会について教えて下さい。
 普@冨士大石寺顕正会とはどういう団体ですか。 1
 磨@日蓮正宗とどう違いますか。 3
 浴@顕正会の歴史について教えて下さい。 5
  創価学会とどう違いますか。 7
顕正会の教義について教えて下さい。
 凵@顕正会の教義について簡単に教えて下さい。 9
 噤@日蓮本仏論とはどういう教えですか。 11
 宦@顕正会の主張する国立戒壇について教えて下さい。 13
 怐@板本尊について教えて下さい。 15
 掾@身延・池上相承について教えて下さい。 17
 栫@顕正会では、「法華経」をどのようにとらえていますか。 19
顕正会の実態について教えて下さい。
 氈@顕正会の末法意識について教えて下さい。 21
  どんな勧誘方法をとりますか。 23
 。 なぜたくさんの若者が入会するのでしょうか。 35
 「 どんな信徒の集まりですか。 37
 」 どんな出版物がありますか。 41
 、 教団組織について教えて下さい。 43
顕正会年表 49
付図「顕正新聞」平成九年八月五・一五日合併号会員分布図抜粋
     本文中、『諌曉書』とあるのは、
      『日本国民に告ぐ!日蓮大聖人に帰依しなければ日本は必ず亡ぶ』
        (冨士大石寺顕正会会長浅井昭衞著、平成九年七月十六日、
         顕正新聞社発行、国書刊行会発売)
     の略です。


   はじめに
 新宗教、なかでも「顕正会」なる会が、このところ何かと話題となってきています。顕正会は、日蓮本仏論を主張する在家の教団です。もともと冨士大石寺の一信徒団体であったものが、戒壇建立の問題がこじれて、昭和四十九年に大石寺から解散処分を受けました。
 以来独自に信徒団体を作って、一方的に冨士大石寺(日蓮正宗)の名を被し、「日蓮正宗顕正会」を名乗ってきましたが、最近になって宗教法人法の改正とともに、文部省から法人格を認可されて以来一段と勢いづいてきた教団です。
 この顕正会が信者獲得の時の勧誘に当たって種々問題があり、当方に問い合わせや相談がたびたび持ち込まれるようになりました。中には家庭崩壊になりかねない相当深刻な例さえあり、顕正会についてどういう団体なのか知りたいという要望もあります。そこで、教師の皆さんに事実を伝えて理解を深めてもらうため、この小冊子を作成しました。

   冨士大石寺顕正会とはどういう団体ですか。

 冨士大石寺顕正会とは、日蓮正宗からは解散処分を受けながら、富士門流大石寺派の教義をそのまま正当に受け継いだと自称している在家仏教系教団です。現在の会長(第二代)は、浅井昭衞氏で、あらゆる面での権威と権力を握っています。本部会館は、東京都板橋区常盤台にあり、広く全国に会員を擁し、平成九年十一月現在、会員数は自称約五十三万人を数えます。
 本来は、妙信講という日蓮正宗法華講の一つでしたから、教学的には、原則として日蓮正宗系伝統のそれに立脚しています。但し、「本門の戒壇」論については、日蓮正宗の教義解釈変更に同調せず、それが両者の対立の原因となりました。
 教義的には、成仏を無上の幸福と捉え、十界論・因果論を根拠として、信仰による宿命転換、謗法・与同罪による堕獄・罰を説き、末法における仏道修行は、勤行と折伏に尽きるとします。最近は、謗法の罰としての「他国侵逼難」に言及することが多くなっています。
 実践的には、勤行と折伏と国立戒壇建立を三本の柱としています。勤行は、遙か大石寺の「戒壇の大御本尊」(通称 板本尊)に向かって行われるため(遙拝勤行)、本尊安置のための仏壇を必要としません。折伏は、化他行として位置付けられていますし、班毎に折伏数が集計されますので、競いあってかなり強引な勧誘が行われているようです。
 こうして、遙拝勤行と折伏を進めることによって、最終的には広宣流布を果たし、日蓮聖人の「御遺命」と称する「国立戒壇」を建立することこそが、顕正会の使命であるとしています。
 組織的には、上下関係を重視した、浅井会長を頂点とする縦割り組織です。会員は、会長独特の用語をそのまま用いて、それに陶酔するような傾向が強く、会長のカリスマ性が組織を支えていることを窺わせます。

   日蓮正宗とどう違いますか。

 顕正会は日蓮正宗所属の講組織(妙信講)だったのですから、本来は日蓮正宗の一部であったわけです。しかし、昭和四十七年に大石寺に建立された「正本堂」の意義付け問題に端を発した、「御遺命」の「本門事の戒壇」の解釈をめぐって、妙信講が日蓮正宗に異を唱えたことから、論争が始まりました。
 日蓮正宗は、創価学会の政治戦略に迎合する形で、「国立戒壇」の名称を捨て、正本堂を「本門事の戒壇」として意義付けようとしました。しかし、妙信講の激しい反発に遭い、結果的に、正本堂を御遺命の戒壇とすることはできませんでした。それでも、「国立戒壇」という名称の放棄については、日蓮正宗は全く譲らなかったのです。ところが、妙信講は、あくまでも「国立戒壇」にこだわり続けたため、日蓮正宗は、大石寺法主の教義解釈権を侵すものとして、妙信講に対して、昭和四十九年、解散処分を宣告しました。
 顕正会は、組織的には日蓮正宗から追放されましたが、その後も、教義・教学を基本的には変更していませんから、今でも大石寺の板本尊を唯一絶対の本尊としていますし、大石寺法主の「血脈相承」も否定していませんし、日蓮正宗への復帰の含みも残していました。
 顕正会は、このような経緯を踏まえて、日蓮正宗系の在家信徒という立場を保持するため、最近まで独立の宗教法人を設立せず、顕正会系唯一の寺院であった「宗教法人顕正寺」の信徒団体という形態を取ってきました。しかし、平成八年十一月に、「宗教法人顕正寺」を「宗教法人顕正会」に変更し、結果的に顕正会に顕正寺を所属させるというように、僧俗関係を逆転させました。
 したがって、顕正会は、いかなる名称を用いようとも、富士門流大石寺派の正統を自称しつつ、日蓮正宗とは別個の立場に立とうとする、独立の新宗教団体に化したと捉えることができると思われます。

   顕正会の歴史について教えて下さい。

 顕正会(妙信講)の歴史は、初代講頭浅井甚兵衛氏が、昭和十七年に、日蓮正宗妙光寺所属講中として、東京妙信講を創立したことから始まります。その後、一時期、日蓮正宗法道院の寺院法華講と合流したこともありますが、昭和三十二年に妙信講を再建(講員 三八〇名)しました。組織的には、日蓮正宗法華講支部妙信講(日蓮正宗妙縁寺所属)という位置づけとなります。
 その妙信講は、「正本堂」の意義付けをめぐって、創価学会に迎合した日蓮正宗と、昭和四十五年頃から激しく対立したのです。そうして、結局解散処分に処せられた妙信講(講員 一万二千名)は、その後も自らの主張を変えることなく、繰り返し日蓮正宗や創価学会に対して、論議を挑み続けました。
 昭和五十年には、浅井甚兵衛氏が講頭を辞任し、第二代講頭に、浅井昭衞氏が就任しました。
 その後、日蓮正宗と創価学会は、創価学会の「五十二年路線」をめぐって対立を深めたり、日蓮正宗の分裂、創価学会との関係復活など、混乱を極めますが、そんな中、妙信講は、昭和五十七年十月に、「日蓮正宗顕正会」と改称し、日蓮正宗の講組織としての立場を自ら捨て去る道を選んだのです。
 そして、昭和六十年には十万人、平成二年には二十万人、同四年には三十万人と、加速度的に会員を増加させています。
 平成七年に四十万人に達したとする顕正会は、平成八年十一月に宗教法人として独立の地位を確保し、現在の「冨士大石寺顕正会」に改称します。ついに、日蓮正宗の名も捨て去り、法律的にも独立の地位を確保したのです。そして平成九年を「一国諫曉の年」と位置づけ、六月には五十万人達成、七月十六日には、『諫曉書』を、日蓮宗寺院を含めて広く一般に配布し、ますます強力な折伏を進めています。
  (詳細は本書末の年表参照)

   創価学会とどう違いますか。

 仏教の一般的見地からすれば、顕正会と創価学会はほとんど同じに見えます。いずれもかつては日蓮正宗の信徒団体でしたし、教義・教学、そして折伏と称する布教方法も、ほとんど同じと言っていいと思われます。
 しかし、その成り立ちは全く違います。顕正会は、元々、日蓮正宗法華講の一つですから、純粋に日蓮正宗の信徒団体でありました。それに対して創価学会は、独自の価値論を展開することから始まった団体であり、純粋な日蓮正宗の信徒団体ではありません。実際、学会員は、いずれかの日蓮正宗末寺の法華講に所属しなければならないことになっていました。ですから創価学会は、日蓮正宗の信者組織としては二重構造であったわけです。
 創価学会が、政界への進出に執念を燃やしたり、文化・平和等を全面に押し出すなど、宗教色を表に出したがらない傾向を持つのに対して、顕正会が、政治・社会・経済等の一般社会問題でさえ、教義的観点からのみ解釈しようとするのも、その成り立ちの違いに由来するのかもしれません。
 また、創価学会が、大量の本尊の下附によって拡大してきたという経緯を持つのに対して、顕正会は、遙拝勤行の意義付けと徹底によって、本尊の下附を必要とせずに拡大してきたという違いもあります。
 さらに、両者はいずれも日蓮正宗から、解散処分・破門という処分を受けているにもかかわらず、その後の行動が全く相違しています。顕正会は、解散処分の後も、その教義・教学を変更せず、あくまでも富士門流大石寺派の立場を堅持しようとしていますが、創価学会は、教義・教学の変更をも視野に入れた動きを見せています。特に、板本尊の絶対性を否定したり、凡夫本仏論などの独自の教学を形成する動きも見せています。それに加えて、池田大作氏を日蓮聖人に続く法華経の行者とするなど、創価宗・池田教的な様相を示しつつある点も注意されるべきでしょう。

  凵@顕正会の教義について簡単に教えて下さい。

 顕正会は日蓮大聖人の正統をつぐ日蓮正宗(富士門流大石寺派)の教義を忠実に主張・実践している、といっています。
 教義の特徴は、
  @日蓮聖人を本仏とする
  A国立戒壇の建立を目的とする
  B板本尊を唯一絶対の本尊とする
  C血脈相承による正統派意識
という四点です。
 この教義をもとに顕正会は、宗教法人規則第三条で、
  ○日蓮大聖人を末法下種の本仏と崇敬し
  ○大聖人出世の本懐たる弘安二年の「本門戒壇」の御本尊を帰命依止の本尊とし
  ○血脈付法の二祖日興上人を末法下種の僧宝と仰ぎ
  ○日蓮大聖人の御遺命たる広宣流布・国立戒壇建立を成就
することを目的とする、と定めています。
 第四条では、
  二祖日興上人・三祖日目上人以来冨士大石寺に相伝された正統教義
にもとづいて信仰する、と定めています。
 さらにその第二項で、
  所依の経釈は日蓮大聖人御書、日興上人・日目上人・日寛上人遺文、法華経十巻を正依とし、天台大師・妙楽大師・伝教大師の釈疏を傍依とする
と定めています。
 ここから、現在の日蓮正宗や創価学会は国立戒壇建立の主張をやめたからまちがっている、顕正会だけが命がけで日蓮大聖人の御遺命にこたえている正統団体である、他の宗教法人はすべて邪教である、という独善的主張がでてきます。
 しかし、主張の最大根拠である日蓮大聖人の御書集を独自に持たず、御書に対する客観的姿勢(真偽問題など)がみられないため、きわめて特殊な教義に固執しています。

   日蓮本仏論とはどういう教えですか。

 日蓮聖人を本仏と仰ぐ教説を日蓮本仏論と言います。「本仏」とは迹仏に対することばで、諸仏の根本身である本体仏のことと考えれば解りやすいでしょう。周知のように、法華経の如来寿量品において、釈尊は自ら伽耶始成を破して久遠実成を顕かにされ、三世十方の諸仏の本体たる本仏であることを明かされました。ところが、日蓮本仏論では、この久遠実成の釈尊をも垂迹仏とみなし、更にその奥に本仏を設けて、この本仏が日蓮聖人となって現れたと言います。釈尊は在世衆生のための脱益の仏で抜け殻であり、日蓮聖人こそが久遠元初自受用報身仏の再誕、末法の本仏、下種の本仏であるとの主張です。
 顕正会の日蓮本仏論の主張は、大略、次の通りです。先ず、五百塵点劫の当初に最初の下種の化導を行った久遠元初の自受用身が本仏であるとします。ここで下種を受けたのに、誹謗・退転等により成仏を果たせなかった本已有善の衆生を教化するため、三十二相の荘厳身を有する熟脱の仏が出現しますが、末法に入ると、本已有善の衆生は尽き、未だ嘗て下種を受けていない本未有善の荒凡夫ばかりとなり、衆生の機根は久遠元初と同じとなるとします。そのため、熟脱の仏の化導は無意味となり、久遠元初自受用報身仏が再誕して末法下種の本仏となる、それが日蓮聖人である、という訳です。
 日蓮本仏論は法華経や御遺文を曲解・逸脱した説ですが、室町時代以後、富士門流大石寺派の「石山教学」はこの日蓮本仏論が中心となって展開しました。近年では創価学会がこれを喧伝したことは記憶に新しいところです。ただし、最近、創価学会は教学を変更させており、日蓮本仏論についても修正を加えつつあります。顕正会はそれを批判し、昔ながらの富士門流大石寺派教学に則って日蓮本仏論を声高に言い立てているのです。

  宦@顕正会の主張する国立戒壇について教えて下さい。

 顕正会では、大石寺の所謂板本尊を唯一絶対の大御本尊であるとし、これを信じて、南無妙法蓮華経を唱え、一国の総意を以て本門戒壇を建立するならば、日本及び全世界は仏国土となり、真の平和と幸福がもたらされるとして、日蓮聖人が本門戒壇の建立を門下に御遺命された、と言っています。日本一同が日蓮聖人に帰依する広宣流布のとき、国家意志を公式に表明して本門戒壇の大御本尊(板本尊)を安置し奉る戒壇を富士山に建立することによって、日本は仏国となり、事の常寂光土が顕現する、というのです。
 この主張は、「三大秘法抄」の説示に則っているかのようにも見えますが、偽作の疑いのある板曼陀羅を大本尊としたり、本門戒壇建立の地とされる「霊山浄土に似たらん最勝の地」を偽作説のつよい「身延相承書」の説示に基づいて富士山と解するなど、極めて問題の多いものです(「三大秘法抄」)の真偽については学界でも議論がありますが、「三秘抄」が真作であっても偽作であっても、顕正会の国立戒壇論が祖意に叶うものでないことに変わりはありません)。
 板本尊を日蓮聖人が日本及び全世界の人々に総じて授与された大本尊であるとし、こうした大法を国家の命運を賭けて守ることが日本に課せられた使命であり、このような崇高なる国家目的を持つ国は世界で日本のみであるとするなど、歪んだ国家主義を助長しかねない主張でもあります。
 顕正会の国立戒壇論は、かつての創価学会のそれとほぼ同じものです。その後、創価学会は大石寺に建設した「正本堂」を「本門の戒壇」であると僭称し、国立戒壇論を放棄しましたが、このことを顕正会は、世間に迎合して変節し、御遺命の「国立戒壇」を否定したものであり、欺瞞・背反である、と非難しています。 

  怐@板本尊について教えて下さい。

 板本尊とは、板に書かれたり彫られたりした大曼荼羅本尊のことですが、ここでは
  弘安二年の大御本尊
  一閻浮提第一の本尊
  一閻浮提総与の本尊
  本門戒壇の大御本尊
などと別称されている、冨士大石寺が所蔵する本尊のことで、楠の大板に彫られているといいます。
 秘蔵と称して他見を拒んでいますので、検証できませんが、
  丈一四三・九二センチ
  幅 六五・一五センチ
という大きさで、弘安二年十月十二日に日蓮大聖人が書かれた、と大石寺ではいっています。
 顕正会は『諫暁書』で、
  大聖人は弘安二年に、全人類総与の「本門戒壇の大御本尊」を図顕され出世の本懐とされた。この大御本尊こそ本門の本尊の中においても随一で、いま冨士大石寺に秘蔵されている。(二七頁)
と意義づけています。
 国立戒壇建立のあかつきにその御本尊となるこの板本尊を、日蓮正宗から解散処分をうけて大石寺におまいりできない顕正会は、各地から「遥拝勤行」、はるかに板本尊の方角にむかって拝むのだそうです。
 板本尊についての論拠である「日目譲り状(日興跡条条事)」には、日興が日目に弘安二年の大御本尊を相伝した、と書かれていますが、この書は日興筆ではない、といわれており、古来、疑問視されています。つまり、板本尊そのものについても疑問がある、ということです。
 創価学会とちがって顕正会は、冨士大石寺の伝統的立場を踏襲しています。日蓮正宗が正常化されれば復帰する、と顕正会が言っているのは興味ぶかいことです。

  掾@身延・池上相承について教えて下さい。

 身延相承とは、身延で書かれたという
  「身延相承書(日蓮一期弘法)」
    総付嘱書、弘安五年九月、日蓮在御判・血脈の次第日蓮日興とある書
のことをいい、池上相承とは、池上で書かれたという
  「池上相承書」
    別付嘱書、弘安五年十月十三日、武州池上・日蓮在御判とある書
のことをいいます。
 あわせて二箇相承、ともいいます。
 どちらも日蓮が日興だけに後事を託し、本門弘通の大導師、身延山久遠寺の別当、と指名したという内容です。
 顕正会は『諫暁書』に、
  大聖人の付嘱をうけた二祖・日興上人、三祖・日目上人、および日道上人・日行上人・日有上人・日霑上人等の冨士大石寺歴代の上人は、この御遺命を奉じ、身を捨てて時の国主を諫め続けられた。(七二頁)
と書き、「付嘱」を重視しています。これは血脈相承とも嫡々付法ともいわれる、富士門流大石寺派教学独特の法主絶対論につながります。
 日蓮大聖人の正統は我々にある、とする根拠の二箇相承書は、古来より疑義の強い書とされています。
 二箇相承以外にも、両巻血脈といわれる
  「百六箇抄(血脈抄)」
  「本因妙抄(法華本門宗血脈相承事)」
は、日蓮大聖人の正統後継者は日興、と主張する「日蓮遺筆」の書というのですが、これまた疑義の強い書といわれています。
 冨士大石寺で根拠にあげるこれらの書は、日興筆「宗祖御遷化記録」にある本弟子六人不次第と定めた内容とはあまりに違いすぎます。この疑義に対する説明が求められるでしょう。

   顕正会では「法華経」をどのようにとらえていますか。

 顕正会では、仏教の教法には浅いものから深いものまである、と言います。
 すなわち、小乗経・権大乗経・法華経迹門・法華経本門・法華経如来寿量品文底の五つです。このこと自体は、五重相対による日蓮の教学と相違ありません。五重相対とは、言うまでもなく内外相対・大小相対・権実相対・本迹相対・教観相対です。内外相対で外道に対して仏教を選び、大小相対で小乗教に対して大乗教を選び、権実相対で権大乗に対して実大乗(法華経)を選び、本迹相対で法華経の迹門と本門を相対して本門を選び、教観相対で寿量品の教相(文上)と観心(文底)とを相対して観心を選び取るのが本宗の教学の基本です。ただし、本迹相対は、一往勝劣再往一致であり、本門法華経に立脚しつつも、法華経は二十八品が具備してこそその真髄を発揮するという考え方を取りますし、教観相対でも、一往は教相に対して寿量品文底に沈められた観心である事の一念三千を取りますが、文上教相を離れて文底観心はなく、文底観心の妙法は文上教相を透して顕かにされるとして、文底観心を主としながらも文上教相を捨てることはありません。
 しかし、富士門流大石寺派教学では、文上と文底を相対して種脱を論じ、釈尊の教えである文上の本門正宗分一品二半も在世脱益の法にすぎず、日蓮聖人の教えである文底の五字は末法下種益の法であるとして、その勝劣を論じ、末法においては日蓮聖人の下種の法が優れているとして、釈迦脱仏・日蓮本仏を論じます。
 顕正会の法華経観はこの正宗教学に基づくものであり、「白法隠没」の末法にあっては、釈迦の仏法は滅尽し、経典があってもその利益は喪失して、法華経本門の肝要である如来寿量品の文底に秘沈された下種の大法たる南無妙法蓮華経によってのみ、衆生の成仏があると主張しています。

  氈@顕正会の末法意識について教えて下さい。

 釈尊入滅後の仏教流布の期間を、正法・像法・末法の三に区分します。釈尊の滅後千年が正法、次の千年が像法、その後の一万年が末法です。正法時代には具足している仏教の教・行・證が、像法の時代には教・行のみで證がなくなり、末法に於いては教のみとなって行も證もなくなるとされています。大集経の五箇五百歳説によれば、第五の「闘諍堅固」の時代が末法に相当します。皆が自説に固執して法を巡っての争いが起こり、間違った教えが正しい教えを凌駕して正しい法は隠れ、仏教が衰退するとされます。
 顕正会では、正像二千年間で白法隠没して釈尊の仏法の利益は終わるとします。顕正会の主張する本仏である久遠元初の自受用身は、五百塵点劫の当初に最初の下種の化導を行ったとされ、正法・像法の衆生は、その際に下種を受けながらも、誹謗・退転等により成仏出来なかった本已有善の衆生で、この衆生を教化するために出現するのが三十二相の荘厳身を有する塾脱の仏(釈尊)だと言います。しかし末法に入ると、本已有善の衆生は尽きてしまい、未だ嘗て下種を受けたことのない本未有善の荒凡夫ばかりとなり、衆生の機根は久遠元初と同じとなるとします。そのため、熟脱の仏の化導は無意味となり、久遠元初自受用報身仏が再誕して、末法下種の本仏となる、それが日蓮聖人である、というのが顕正会の主張です。
 更には、末法の現代日本が一国一同に改悔なく、日蓮聖人に帰依しないでいると、大彗星・大地震などの天変地夭が先兆となって自界叛逆・他国侵逼が現実となり、日本が滅ぶなどと言い、これを防ぐには、御遺命の戒壇を建立し大御本尊(板本尊)に一国同帰する以外にないとして、末法思想に似て非なる終末論的な思想を展開して教線を拡大しようとしているのです。

   どんな勧誘方法をとりますか。ク

 この会が行っている勧誘方法を実態から見れば、次の六点があげられます。
 @若者の心の隙間に入り込む勧誘
 「入信すれば、病気が直ります」「人間関係が上手にいくようになります」などという言葉をよく用いており、この点で、自己啓発セミナーなどの勧誘方法に似ています。
 特にこの教団の勧誘においては、「入会金は要りません。お金はかかりません。」ということが強調されています。確かに、この教団については、現在は深刻な社会問題になるような金銭的トラブルは起こっていません。
 しかし、入会金は無料であっても、数珠や経本の代金として五百円、講演を収録したビデオやカセットテープなどが一本千円前後、また、教学関係の書籍が数千円など、本人の自由意志と言いながらもほとんどの会員が購入することになります。
 会費は、年間で八万円が上限とされています。上限を設けないと会員がいくらでも自主的に出費してしまうことになりかねないので教団として良心的に上限を設定しているのだという説明がなされています。
 しかし、その反面で「顕正会にはお金がない。会長の家も古いままであり、人類の救済のためにすべてを投げ出している。」というような暗示的な言い方もしているようです。
 平成九年七月十六日の『諌暁書』新聞広告は、全国紙七社、その他有力地方紙にも掲載されました。全国紙の場合、一社あたり六千万円前後の経費がかかっているはずです。そして、この書籍を信者たちは、それぞれ多部数買い込み、あちらこちらへ配布したことが分かっています。会員の中には、この書籍を購入するために相当の出費をしていることは確実です。
 この意味で、教団の主張とは裏腹に金銭的な問題性が全くないとは言えません。
 A勧誘のターゲットは友人や学校の後輩
 会員は、新しい会員の勧誘の対象をその者の周辺から始めるように幹部から指導を受けています。会員の周囲の知人や友人、また、高校の卒業名簿や部活の先・後輩などの関係をたどって勧誘が進められます。
 最初に電話などで呼び出されます。「××高校の卒業生で、あなたの先輩ですが・・」とか、「××君の友人ですが・・」と前置きされますと、つい、警戒心が弱まります。また、用件を尋ねると「会った時に話します。とにかく、あなたにとって大事な話です。」という常套文句が使われます。喫茶店やファミリーレストランなどへ呼び出され、数人がかりで長時間説得された結果、断り切れないで入会を承諾するケースが多いのです。
 一昨年までは、彼らの言う「折伏」という名前の勧誘活動は、夜十時までという一種の自己規制がありましたが、現在は深夜に及ぶこともあるようです。
 相手の意志を無視し、精神的・肉体的な苦痛を与えるような勧誘活動に対して、学校や職場でも、現場が混乱したとして、問題化しているケースもあります。
 B巧妙な勧誘テクニック
 人は、「大事な相談」とか「大切な話」と言われると、相手によって自分が期待されているような錯覚に陥りますし、相手が真剣な振りで、自分の悩みや不安を聞いてもらえると、相手を自分の良き理解者であると思い込んでしまい、それだけで全面的に心を許してしまいがちです。
 顕正会は、このような心理傾向に合わせて勧誘を行っています。彼らの親切に見える行動は、すでに打ち合わせされているところの仕組まれたものに過ぎません。マニュアルと指導にそった巧妙なテクニックなのです。
 C不安をあおるテクニック
 この会の勧誘における特徴は、対象を不安な思いにさせておいて、救済の道を示すやり方です。相手の心理を不安と恐怖でがんじがらめにしておいたうえで、救いの言葉を伝えると、容易にその教えを受け入れることになることを熟知していて、常にこの方法を使います。
 「もうすぐ大地震がやって来て、日本は大打撃を受ける」「日本の経済は完璧に壊滅する」「北朝鮮や中国が侵略する」「O・157やエイズウイルス、新型のインフルエンザによって、多くの人が死ぬ」などという内容の話を、テレビニュース、新聞や雑誌などの記事や書籍などを傍証にしながら、もっともらしく説くことが行われています。
 仏教の「末法思想」を、若い人々の中に広がっている「終末思想」の論理にすり替えています。そして、破滅を目前にした日本を危機から救い出すには、顕正会の組織を拡大することしかないと植え付けるのです。
 D「無間地獄」に堕ちる/「因縁」論
 また、入信して間もない会員に対しては、会の教えに疑問を持ったり背いたりすれば厳罰が当たると、脅すことで脱会の足止めを施します。そして、この罰の究極が死後の「堕地獄」です。
 死者が「無間地獄」へ堕ちたかどうかは、死顔が黒くなるかどうかで判別されると強調します。顕正会に入信した者だけが成仏することができる、すなわち、死者の顔が白くなり、また死後硬直も起こらないのだということを、ことさらに強調するのです。
 さらに、現実的に病気や家庭内のもめごとなどの諸問題が起こることは前世からの「因縁」であり、「宿命」として個人に現れているものであり、この「宿命」を変えることを可能にするのは顕正会の信仰しかないのだ、という論理です。
 逆に、この信仰を捨てれば、ますます事態は今よりも悪化する方向に進むとされます。
 このように不安感を与え、自らの判断を凍結させるという巧みな操作を通じて、会の指導に絶対服従を誓う一員に育て上げて行くのです。

 E体験主義
 顕正会は、「(理屈ではなく)実際に試してみなければ分からない」という言い方を常套的に行っています。会員の「信仰体験」を教団の集会の席などで発表させ、また、機関紙などに採録して掲載しています。
 このような信仰体験談は、基本的に「毎日勤行していたら病気(アトピー・ゼンソク・アレルギーなど)が治った」「職場での人間関係が円滑に保てるようになった」などというものです。このような現世利益こそが、信仰の証し=「現証」であると主張します。
 確かに、宗教のある種の修養法が現実的に人間の身体と心に「治療」として効能があることは確かめられてはいます。しかし、過信から通常医療を軽視することになり、逆に手遅れとなるような危険と隣り合わせであることを忘れてはならないのは当然です。
 この常識を狂わせた例に、次のような実話があります。同会に入信した娘が周囲に執拗な勧誘活動を行ったため、被勧誘者の両親などからその娘の母親に対して抗議が集中的に寄せられました。その心労のために母親はノイローゼに罹ったのですが、こともあろうにこの娘はこの苦しむ母親に向かって、「病気になったのは罰が当たったからです。一緒に勤行すれば治るのに」と言ったそうです。
 以上のように顕正会は、勧誘と入信の初期段階に、相手の心を巧妙に操作するテクニックを用います。そして、この会に入信した子女を持った家庭生活は混乱し、それまでの通常の生活が不可能になってしまった事例が多々あります。

   どんな勧誘法をとりますか。ケ

 @勧誘の根底にあるもの
 表面的には、「実に親切」で「面倒見がよく」「秘密を守ってくれ」「相手のところにも一緒に行ってくれる」実にたのもしい「兄貴分」「姉御」「仲間」「上司」というところを切り口にしています。ひと昔前まではこの種の人が私たちの廻りにゴロゴロいましたが、昨今ではさがしても見つかりません。ここに勧誘の巧妙さがあります。裏をかえせば、家庭・学校・職場にかつての良風が蘇ればこの種の宗教の多くは姿を消すと思われるのですが。
 ともかく、こうして切り口をつけ、相手に信頼感を与えたうえで入会にもってゆきます。
 ここで、勧誘する側の心構えを説いた「組長訓」をご紹介します。
 「よき組長とは後輩に親切な暖かい人である。自分の預かっている組員はまだ信心のよくわからぬ人が多いにちがいない。これらの人々のよき信心の世話人として誰にも親しまれ、信頼される中心者となって欲しい。理論だけで人は動くものではない。組員を思う組長の親切によって始めて励まされ、共に歩むようになる。そして組長は後輩の信心を心配しているうちに、自分が大きく前進しているのである。又何でも解ったような顔をする必要はない。たとえ自分に力がなくても御本尊が絶対なのだとの確信に立ち、組員と手を取り合って共に歩む半歩前進の姿が大切である。自分だけ飛び上がって威張っては誰もついて来ない。共に学ぼう、共に折伏しよう、共に先輩の指導を受けようではないかという態度の中に組の力強い前進と後輩の明るい成長がある」
 このように勧誘してくるのです。

 A相手の悩み、苦しみ、弱点を巧みに利用します。
 「学業不振」「家庭不和」「対人関係」「仕事や健康」といった個人の弱点を巧みに利用し、入信させます。この場合かなりのベテラン会員でありますが、はじめは「聴き役」に徹し、相手の状況を完全に掌握しますと攻勢に出てきます。「末法思想」「天変地異」「他国侵逼」(二十年後北朝鮮・中国が攻めてくると会長は予言しています)に加え、「堕地獄」や「罰」が語られ「自分たちだけが残る」と結び、自分たちは「大衆救済を実践しているのだ」と大みえを切ります。
 「人の人生や運命を判断する人に大金持はいない」とは一つの風刺でありますが、先師はこれに「しかしその人の門をくぐる人は多い」と更なる教訓を与えておられます。この会の場合もまったく同じで、弱みを利用して入会させながら、実際に解決している人の少ないことを口に出すと、「ご利益は形だけではない」「会長先生の不惜身命を考えたら、大海と一滴の水」などと言い、それよりも「ご本仏大聖人の眷属の自覚を持つことが大切」と、方向を転換させられてしまいます。おそろしいことに、入会すると自分でも気のつかない間にこの言葉を口にしているといいます。
 一般社会人・主婦・病人にも、さそいの手はのびています。勧誘・入信・指導については、各班において細部にわたって「教育」「指導」が行われています。

  。 なぜたくさんの若者が入会するのでしょうか。

 顕正会に若い世代が魅入られてしまう最も大きな理由は、この会が繰り返し力説する独特の「終末論的救済主義」にあります。日本は、近い将来に、経済の破綻、巨大地震が起こり、未知のウイルス感染の拡大によって多くの国民が死亡し、そして、ついには外国からの軍事的侵略を受けて崩壊する、と主張しています。
 しかしながら、日本という国家が中国や北朝鮮からの進攻を受けて崩壊という国難に瀕していると強調しますが、その原因についての合理的な説明がほとんど見当たりません。そこには、国際間の相互理解や対話協調という常識的な手続きを飛び越えた独善的な民族主義や歪んだナショナリズムの心情が見え隠れしているように思われます。
 しかし、この会のこのような妄想的な終末論やナショナリズムを受け入れる若者が多いのはなぜでしょうか。
 現代の若者には、地球規模の環境汚染や資源エネルギーの枯渇の問題、ソ連崩壊後の複雑な国際関係の問題、及び、日本とアジア全体の経済的システムの不全などの困難な事柄が重くのしかかり、未来に対する不安を感じる若者が多く存在することは確かでしょう。こうした不安感が、次にあげる事柄と相俟って、この会の強烈な終末論的主張を安易に受け入れる受け皿になっていると思います。
 現代においては、アニメやゲームソフトなどのいわゆるサブカルチャーという情報文化が若い世代の精神形成に与える影響の大きさも無視できません。終末予言や、世界の終末と救済という設定のアニメは常に人気を集めます。その結果として、仮想と現実との区別のつかない若者を生み出しているのです。
 また、偏差値偏重に陥った学校教育は、近現代の歴史の事実を明確に生徒に伝えることに至っておらず、国際関係のあり方や国家観についての常識的な判断力の欠如した若者を作り出していることも原因の一つでしょう。

  「 どんな信徒のあつまりですか。

 これまでに、何人かの元会員と面談し、また、現役信者を家族に持つことで悩む人たちに接して、聞き取り調査を行ってきました。
 彼らの大多数が大学・短大・看護学校などの高等教育を受けた(ている)若者で、男子のほとんどが理工系の大学生または卒業生です。現代の新宗教に入信する者たちが、比較的高学歴の若者であることは、オウムの場合でも指摘されました。家庭環境にも、表面的にはあまり問題性がないように見えます。
 しかし、逆に、彼らが子供の頃から「良い子」「手のかからない子」「責任感・使命感の強い生徒」と周囲に評価されてきたケースが多いことが奇妙な印象として残ります。
 入信の直接的動機という点でも、深刻な病気体験や両親の離婚などの家庭環境の問題、または、学校におけるいじめの経験などを理由としてあげている事例は多くありません。どこにでもいるごく普通の若者が、明確な理由のないままに友人や知人・同僚・先輩などの勧誘を受けて入信に至り、親が気が付く間もなく急激な変容を遂げてしまうという実態が、調査からは分かります。
 しかし、よく話を聞くうち、彼らのものの考え方にある共通した傾向があるように感じられます。それは、一言で言えば「科学に対する不信感」ということです。理工系大学生や医療の現場に携わる看護婦である彼らは、「大学に入学して期待が外れた」「現実の医療に失望した」などと必ず現状に対する不満を言い立てます。理想を持って志望大学や看護婦の道へ進みながら、理想と現実との乖離によって挫折した結果、反科学的な感情に短絡的に反転していくように思えます。
 社会全般に、挫折に対する耐性の欠如した脆弱な精神を持つ若者が増加しているように感じられます。しかも、傷ついた自尊心を癒されたいとする心情が、神秘主義やより包括的な真理を説く「他者」への依存を求める行動につながっているように思えます。

  「 どんな信徒の集りですか。ケ

 顕正会はどんな信徒の集まりかといいますと、とくに若い信徒には次のような五つの特徴があります。
一、リーダーや先輩に盲目的に服従し依存していること
一、教団を少しでも批判すると、必死になって正当化すること
一、教団の教義や組織に何か矛盾を感じても、それは自分が間違っていると思うこと
一、自分たちは選ばれた特別な存在であると思っていること
一、折伏して顕正会に入信させることが、救済であると思っていること
 ところで、このような若い信徒が顕正会に入信する以前は、どんな若者であったかご家族にききますと、
一、小さい頃から聞き分けのよい素直な子であった
一、きれい好きでいつもキチンとしていた
一、お母さん思いでよくお手伝いなどしてくれた
一、学校へも真面目に通い成績も良かった
一、手の掛からない本当によい子であった
など、ほとんど同じ答えが返ってきます。
 つまり、顕正会に入信した若者たちは、家庭でお父さんやお母さんには良い子であったが、「僕たちの気持ちを聞いて欲しいストレス」「私たちを無条件で認めて欲しいストレス」を抱え込んで悩んでいたのではないでしょうか。
 顕正会はそんな若者たちの心の隙間に入り込み、「あなたは求められている若者だ!」「あなたは選ばれた人材だ!」などと言葉巧みに誘導して、教団に盲目的に依存する信徒を作っています。


  」 どんな出版物がありますか。

 月刊の機関誌として、『冨士』という雑誌があります。(現在、不定期刊)
 旬刊(月三回発行)の機関誌として、「顕正新聞」という新聞があります。
 出版物は、
 『折伏理論解説書 日蓮大聖人の仏法』
 浅井昭衞著、日蓮正宗顕正会 H1・6・28
 『なぜ学会員は功徳を失ったか』
 浅井昭衞著、国書刊行会、H2・8・30
 『「学会・宗門」抗争の根本原因』
 浅井昭衞著、国書刊行会、H3・10・13
 などがあります。
 テキストとしては、
 『立正安国論謹講』
 浅井昭衞著、日蓮正宗顕正会 S63・7・16
 『観心本尊抄略拝』
       日蓮正宗顕正会 S63・11・15
などがあります。
 各種講習会のテキストとして、
 「仏法とは何か」〈折伏講習会講義〉
 「二十一世紀こそ広宣流布の時」
などのパンフレットがあり、適宜作成されているようです。
 「顕正新聞」には、会長指南・御書講義・会活動報告・体験発表・仏教用語解説・本部行事予告などが、写真(カラーを含む)を多用してわかりやすく編集されています。
 特徴は、全国でのビデオテープ放映会場一覧があり、毎月の総幹部会の内容を学習している場所がわかります。御書講義会場一覧もあり、折伏成果の発表など、会員への強いアピールの手段として活用しています。

  、 教団組織について教えて下さい。

 この会の組織は、創価学会のそれと似ており、トップダウンの命令系統として整った形になっています。男子部・女子部・婦人部・壮年部の「四者」と呼ばれる大分類に別れており、それぞれに、地区(隊・区)、支部(支隊)、班、組などという下部組織を従えています。それぞれの組織に鶴丸のロゴマークのプリントされた旗が渡されており、大きな集会ではその旗が林立します。
 男子部は、「第○隊」という軍隊風の呼び方がなされています。この規律ある軍隊を意識した組織作りを行っているということは、例えば、ある特定の「隊」を呼ぶのに「○○○○殿を鑑とする仏の戦士」という表現がなされたり、「数十万と結集し、一糸乱れず戦うならば、広宣流布は必ず成る」などという言い方を常々していることから明らかです。
 女子部の場合には、「第○区」とか「○○支区」とされ、地区を意識した組織化が図られているようです。婦人部・壮年部も、ほぼ女子部と同じような組織構成になっているものと推定されます。
 次に、会の機関紙の中などでよく使用されている役職の呼称についてあげますが、その序列や階級、そして、職掌についての詳細は必ずしも明らかではありません。
 会長・理事・総支隊長・隊長・支隊副長・○○部長・○○部副部長・○○部幹事・○○支区部長・第○区長・本部幹事・○○部地区部長・班長・支区班長などです。
 このうち、班長は、勧誘実績によって入信三カ月から半年余りで任命されるようです。
 さらに、教学試験(3〜5級)に合格すると、順次昇格する形になっているようです。この昇進システムが、会員の日常のさらなる活動を勧奨する原理となっています。「班」と「組」が、組織の末端に位置しており、勧誘・被勧誘の関係で構成されています。
 会議は、理事会・幹部会・班長会議などで構成されています。
 研修合宿や各支部(隊)ごとの集会が本部の他に市町村の公共施設を利用して、一年中実施されています。
 教団の信仰活動は、この集会での「勤行」と「信仰体験発表」が中心であり、また、ビデオを使って、会長の講演を観るということも行われています。この集会に参加したことのある現役信者の両親の報告によると、会長の講演を収録したビデオを観ることで参加者は一様に感激し、涙を流すものあり、拍手をするものありで、会場は大変に高揚した状態になる、ということです。
 会員数は、平成九年末で、教団発表によると約五十三万人。既に指摘したように、その構成員である会員は、主として三十歳以下の男女の若者。会員に対して絶対的な権威を持つカリスマ的な会長の下に末端まで整えられた組織を持つ教団であるようです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 §次頁の「組織概要」の補足

◎男子部・女子部・婦人部・壮年部を総称して、「四者」と表現しています。
◎「壮年部班長会」・「婦人部班長会」・「男子部班長会」・「女子部班長会」は、月例会として実施されています。班長以上の幹部が出席します。
◎月例「総幹部会」・「男子部大会」・「○○支部会」などがあります。

 【※注】次頁の「顕正会の組織概要」は、平成八年当時に聞き取り調査をしたものです。詳細については不明な点も残り、また、その後に追加や変更が行われている可能性もありますことをご承知おき下さい。


 顕正会の組織概要


 顕正会関連年表

年号  年  月  日
大正 一五・一二・二一 浅井甚兵衞氏(明三七〜昭五九、愛知県生まれ)、日蓮正宗に入信。
昭和 一七・ 三・三〇 浅井甚兵衞氏、東京・品川の妙光寺総代となる。
 〃・ 四・ 六 大石寺第六十二世鈴木日恭師により法華講支部東京妙信講認証(浅井甚兵衞講頭)、妙光寺所属。
三一・ 六・一〇 東京妙信講を東京・池袋の法道院(早瀬道応住職)法華講の中に発展解消させ、浅井甚兵衞氏、講頭に就任。
三二・ 八・ 三 浅井甚兵衞・浅井昭衞(昭六〜、東京生まれ)親子、妙信講を再建(講員三百八十名)。
三三・ 一・一五 大石寺第六十五世堀米日淳師により法華講支部妙信講認証(浅井甚兵衞講頭)、東京・本所の妙縁寺(松本日仁住職)所属。
三四・一一・一六 大石寺第六十五世堀米日淳師から細井日達師(当時総監)へ血脈相承。
 〃・ 〃・一七 堀米日淳師、遷化(六十二才)
 〃・一二・ 二 細井日達師、大石寺第六十六世法主・日蓮正宗管長に就任。
三五・ 五・ 三 創価学会第二代会長戸田城聖氏死去後、約二年間空席であった第三代会長に池田大作氏就任。
三七・ 七・三一 日蓮正宗法華講全国連合会結成大会を大石寺で開催(五千二百名参加、会長に平沢益吉氏就任)
三九・ 四・ 一 細井法主、池田大作氏を日蓮正宗法華講総講頭に任命。
三九 この頃から妙信講に対する御形木本尊下附の統制と総本山登詣停止が始まる。
四〇・ 一・二一 大石寺正本堂建設委員会設置、委員長池田大作氏。
四二・一〇・一二 正本堂建立発願式(池田大作氏の発誓願文ー「正本堂は末法事の戒壇」)
四四・ 一・ 七 妙信講、五年ぶりに総本山登詣(七百名参加)
四五・ 三・二五 浅井昭衞氏、「正本堂に就き宗務御当局に糾し訴う」を日蓮正宗宗務院、創価学会に送付。
   ※「御遺命守護の戦い」の開始
 〃・ 四・ 三 浅井親子、呼び出されて大石寺にて細井法主と面会。
 〃・ 〃・ 八 日本共産党の谷口代議士、「憲法違反の国立戒壇を目的として宗教団体が政治活動を行うのは、これまた憲法違反ではないのか」といった趣旨の「質問主意書」を衆院議長に提出。
 〃・ 〃・二三 創価学会、文部大臣に回答書を提出(建設中の正本堂を本門の戒壇とし、国立戒壇を否定)。
昭和 四五・ 五・ 三 細井法主、創価学会第三十三回本部総会において、「国立戒壇」の名称放棄を宣言。
 〃・ 九・一一 日蓮正宗宗務役員立ち会いの下、創価学会代表と妙信講代表が確認書作成。
   ※「正本堂=御遺命の戒壇」の凍結と広宣流布の未達成を確認。
四六・一一・一五 浅井昭衞氏、池田大作氏宛に「正本堂に就き池田会長に糾し訴う」を送付。
四七・ 四・二八 細井法主、『訓諭』を発布(正本堂は御遺命の戒壇の意義を含むとする)
 〃・ 〃・ 〃 浅井親子、池田大作氏に対して公場対決を申し入むが、学会側は拒否
 〃・ 六・一二 日蓮正宗の阿部教学部長(現法主)、『国立戒壇論の誤りについて』を出版し、「国立戒壇論」を詳細に批判。
 〃・ 六・一三 日蓮正宗、浅井親子・妙信講に対して、処分の前提となる「弁疏」の提出を通告。
 〃・ 九・一三 創価学会代表と妙信講代表の対論が、九月二十八日まで、七回にわたって行われ、聖教新聞紙上に、和泉覚創価学会理事長名で一文を載せることで合意。
 〃・一〇・ 一 大石寺正本堂完工式
 〃・ 〃・ 三 聖教新聞紙上に、和泉覚創価学会理事長の「正本堂落慶の時を迎えて」を掲載。
   ※「正本堂は、なお未だ三大秘法抄・一期弘法抄の戒壇の完結ではない。」
 〃・ 〃・一二 大石寺正本堂完成奉告大法要(落慶式)。
四八・一二・二二 妙信講、東京都板橋区常盤台に本部会館を建設し、落慶入仏式を挙行。
   ※導師ー妙縁寺住職松本日仁師、本尊ー大石寺第六十世阿部日開師書写の常住
    本尊
四九・ 五・二四 妙信講、創価学会に対して二度目の公開討論の申し入れをするが、学会側は拒否。
 〃・ 七・二八 妙信講、明治公園で「立正安国野外集会」(三千人参加)を開き、創価学会本部までデモ行進。
 〃・ 〃・三一 日蓮正宗、浅井親子に対して、処分の前提となる「弁疏」の提出を通告(二度目)。
 〃・ 八・一二 日蓮正宗より妙信講に対して解散処分が下る。講員一万二千人。
 〃・一〇・ 四 妙信講、創価学会本部に抗議のデモ。十数名が四谷署に逮捕(日蓮正宗、三十三名を除名処分)。
四九・一一・一三 日蓮正宗・創価学会、妙信講に対して、妙信講本部会館の常住本尊の返還を求め提訴。
五〇・ 六・二八 妙信講、「正義宣揚野外集会」を開き、文部省まで行進、昭和四十五年五月二十三日に創価学会が提出した回答書を訂正する請願書を提出。
五〇・ 八・一二 浅井昭衞氏、池田大作氏に対して三度目の公場対決申し入れをするが、無視される。


年号  年  月  日
昭和 五〇・ 八・二六 浅井昭衞氏、細井法主宛に「御伺書」を提出するが、無視される。
 〃・ 〃・ 〃 浅井甚兵衞氏、妙信講講頭を辞任し顧問に就任。浅井昭衞氏、妙信講第二代講頭に就任。
五一・ 二・ 一 日蓮正宗の阿部教学部長、「本門事の戒壇の本義」を発表。
 〃・ 四・二二 浅井昭衞氏、阿部教学部長に対する「公開討論申し入れ書」を「顕正新聞」に掲載。
五二 「創価学会五十二年路線」ー学会独立か学会による宗門支配か
 〃・ 四・一四 日蓮正宗・創価学会、妙信講に対する訴訟を取り下げ。
 〃・一二・二八 東京・池袋の法道院(早瀬道応住職)法華講から、大草一男氏ら二百九名が離籍し、大石寺塔中理境坊(小川只道住職)所属となり、後に「妙観講」の名称が認証される。
五三・ 八・二六 日蓮正宗内反学会派、大石寺で第一回全国檀徒会総会を開催(六千四百名参加)。
 〃・一一・ 七 創価学会、全国教師総会に参加、正式に「五十二年路線」を謝罪(十一.七お詫び登山)
五四・ 四・二四 池田大作氏、創価学会会長を辞任し名誉会長に就任。第四代会長に北条浩氏が就任。
 〃・・〃・二六 池田大作氏、日蓮正宗法華講総講頭を辞任し、名誉総講頭に就任。
 〃・ 七・二二 大石寺第六十六世細井日達師、遷化(七十七才)
 〃・ 〃・ 〃 日蓮正宗宗務院の阿部信雄総監、細井師より血脈相承を受けたとして、阿部日顕と改名、大石寺第六十七世法主となる。
 〃・一〇・ 八 日蓮正宗宗務院、宗務院通達を出し、親創価学会路線を明らかにする。
 〃・一一・二六 妙信講、阿部法主に「諫状」を提出、戒壇の大御本尊を奉安殿に戻すよう訴える。講員三万人
五五・ 七・ 四 日蓮正宗内反学会派僧侶、正信会を結成。
 〃・ 八・二四 正信会、日蓮正宗宗務院の中止命令を無視して、第五回全国檀徒会総会を開催(一万九千名参加)。
 〃・ 九・二四 日蓮正宗宗務院、正信会僧侶二百一名を住職罷免などの懲戒処分。後に百七十九名が擯斥処分。
五六・ 七・一八 創価学会第四代会長北条浩氏歿。即日、秋谷栄之助副会長が第五代創価学会会長に就任。
 〃・一一・二〇 浅井昭衞氏、首相および衆参両院の全議員に、「日蓮大聖人の仏法を国家護持して日本を安泰ならしめん事を訴う」を送付。
五七・一〇・ 九 日蓮正宗妙信講第二十三回総会開催、「日蓮正宗顕正会」と改称。
五九・ 一・ 二 阿部法主、池田大作氏を法華講総講頭に任命。
六〇・ 五 顕正会会員十万人。
昭和 六〇・ 〃・一二 顕正会幹部大会で、壮年部・婦人部・男子部・女子部体制発足。
六一・ 四・二七 顕正会第二回武道館大総会を開催。
六二・一二・一三 『南無日蓮大聖人』(浅井昭衞著、顕正新聞社)発刊。
六三・一〇・ 二 顕正会、これ以降、数度にわたって、日蓮正宗の理境坊所属妙観講(大草一男講頭)と暴力事件を起こし、暴行・傷害の現行犯逮捕者を出す。
平成  一・ 六・二八 『ー折伏理論解説書ー日蓮大聖人の仏法』」(浅井昭衞著、日蓮正宗顕正会)発刊。
 二・ 四・二七 浅井昭衞氏、阿部法主に、「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」を送付。会員二十万人
 〃・ 七・ 八 日蓮正宗顕正会第二十五回総会(横浜アリーナ)を開催。参加者二万人。
 〃・ 八・三〇 『なぜ学会員は功徳を失ったか』(日蓮正宗顕正会、国書刊行会)発刊。
 〃・一二・二七 日蓮正宗、宗規を変更し、池田大作法華講総講頭と他の幹部の大講頭を罷免。
 三・一一・二八 日蓮正宗、創価学会に「破門通告書」を送付、翌日破門が確定する。
 〃・一〇・一三 『「学会・宗門」抗争の根本原因』(浅井昭衞著、国書刊行会)発刊。
 四・一一 顕正会会員三十万人。
 五・一〇・一〇 顕正会男子部大会を開催。「一国広布の出陣式」とする。
 六・ 三・三一 「日蓮正宗顕正会規約」を理事会で議決。
 七・ 三・一三 浅井昭衞氏、阿部法主に対して、戒壇の大御本尊の遷座を請う旨の建白書を提出。
 〃・ 四 顕正会会員四十万人
 〃・ 五・二一 日蓮正宗顕正会第二十六回総会(横浜アリーナ)を開催。参加者三万人
 八・一一・一八 「宗教法人顕正寺」の名称変更、事務所移転、法人規則の変更によって、「宗教法
人顕正会」が文部大臣により認証。
 〃・一二・二二 顕正会十二月度総幹部会において自称を「日蓮正宗顕正会」から「冨士大石寺顕正会」へ変更。平成九年を「一国諫曉の年」とする。
 九・ 六・ 顕正会会員五十万人
 〃・ 七・一六 『日本国民に告ぐ!「日蓮大聖人に帰依しなければ日本は必ず亡ぶ」』(浅井昭衞著、顕正新聞社、国書刊行会発売)発刊。同日、インターネット上に、ホームページを開設する(URLは、http://pweb.in.aix.or.jp/~kensho/)が、間もなく消滅。
一〇・ 四・ 五 阿部法主、戒壇の大御本尊の、正本堂から奉安殿への遷座を発表、即日実行する。
   ※理由・「池田大作創価学会の大謗法の姿に鑑み」
 〃・ 四・ 八 日蓮正宗、正本堂解体を広告、後に解体始まる(費用は約四八億五千万円)


年号  年  月  日
一〇・ 四・一〇 顕正会、御遺命守護完結奉告式を本部会館で挙行。
 〃・ 五・二五 顕正会、五月度総幹部会において「教学室」「儀礼室」の新設を発表、新宗教化(在家仏教教団化)の傾向、一段と強まる
 〃・ 九・ 二 顕正会、「還御を祝し奉る」記念大会(東京国際フォーラム)開催。参加者 七五〇〇人。※浅井会長、平成二五年までに一千万弘通達成を誓う。顕正会会員 五十七万人


inserted by FC2 system