顕正会短信 2008.05.17
顕正新聞5月5日号よりネタ1本

 いま世間の新聞各紙は「メガ文字」が主流になっている。文字を少し大きくして見やすくする代わりに記事をわかりやすくするなどして読者が得られる情報量を何とか確保しようと各社奮闘しているようだ。そこで当紙も若干文字を大きくしてみた。もっとも一度に二つのネタを仕込むと情報量が増え、顕正会員には理解できないこともあろうから、基本的には一回ネタ一本ということにする。

 さて、顕正新聞5月5日号が届いた。3、4月の勧誘結果が載っている。これを見ながら、在りし日に顕正新聞紙上で脚光を浴びながらもなぜか消えていった人たちに思いを馳せるのが密かな楽しみの一つでもある。

 新設の壮年部鹿児島地区は成果16枚とある。3月度総幹部会で結成されたのだから実質1ヶ月で16枚なのか。いや、鹿児島地区は日本橋地区を分割してできた組織だから鹿児島地区員も当然3月度は日本橋地区員として勧誘に血眼になったであろう。その日本橋地区は二ヶ月で26枚とか。まぁ、今回の壮年部の勧誘成果618枚はひどい。比較すると、前回勧誘月間の今年2月は単月で526枚の報告書があがったのだが、3年前の2005年3、4月度には786 枚の報告書があがっていたのだから、増加などしているはずがない。むしろ顕正会の活動をしていない名簿だけの「化石」は増えているが、活動家は減っているのだ。勢いがあるのは女子部だけだ(艶)。

 勢いといえば新潟男子部4ヶ隊だ。まったくかつての勢いがない。昔は顕正会男子部といえば新潟か神奈川といわれていたが、3、4月成果は4ヶ隊あわせて177枚。これは千葉県主体の男子第6部3ヶ隊合計の246枚、神奈川県の中の4ヶ隊のうちの第2隊の197枚、第10隊の195枚以下である。1 月の事件の影響もあろうが、3年前に浅井が《名簿記載30万人達成で「佐渡会館」「塚原記念碑」を》などとゲキを飛ばしただろうに。こんなふがいなさでは明日から台湾旅行の「無二の師匠」もさぞお怒りだろう。そういえば、宗門は今月に塚原記念碑だかの開眼法要をするらしい。そうなると顕正会に記念碑など立てる場所が残っているのか。

 そういえば、新潟4ヶ隊は男子第1部から男子第7部に鞍替えさせられた。第10隊はN前隊長が降格後も総支隊長として3、4月勧誘でかなりの数字を挙げている。この二つの状況に共通する人物がいる。男子第1部長兼第10隊隊長のT君である。お荷物組織はいらない。自分は動かずに成果が欲しい。願ったり叶ったりである。
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