顕正会短信 2008.05.03
また浅井昭衛が宗門に「諌告書」を送ったらしい

 顕正会会長・浅井昭衛が4月23日、日蓮正宗(宗門)の現管長・早瀬日如に対して「諌告書」なる文書を送ったと、同30日に行われた4月度総幹部会の席上で発表した。

 顕正新聞5月5日号(今号は合併号になるか?)がまだ届かないので詳細は不明だが、ネット情報によればその内容は、所謂「戒壇本尊」を至近距離から撮影した写真がネット上で公開されていることを取り上げ、「至近距離から撮影可能なら戒壇の大御本尊様に爆発物を仕掛けることも可能ではないか」「大御本尊様の御安危を憂えるなら金銭を目的とした不敬の御開扉は即時中止せよ」などと主張しているようだ。さて、賢明な読者諸氏なら以前にも同様の出来事があったことにお気づきだろう。

 そう、3年前の平成17年3月、浅井は当時の管長・阿部日顕に対し「対決申し入れ書」を送り、宗門からの反論文書でメッタ斬りにされたにも関わらず、懲りずに同4月「重ねての対決申し入れ書」を送り逆に「重ねて」ブッた斬られ、とうとう同8月になって「三度諌めたからもう知らんゾ」とまるで「身延離山」気取りの大増上慢ぶり、「最後に申すべき事」なる文書を一方的に送りつけて遁走した輝かしい歴史である。ちなみに、この「最後に申すべき事」なる文書は後に「単行本」となって一冊500円で会館・事務所・集会で販売された。ちなみに、同年9月の総幹部会終了後には用意された同書5千冊があっという間に売り切れた(顕正新聞第1015号)とあり、浅井にとっては格好の儲け(当日の売り上げ250万円)となったであろう。この平成17年の一連の動きの背景に何があったか。

 その前年、平成16年夏の幹部大会の席上、浅井は公には初めて「阿部日顕」と呼び捨てにした。後にわかったことだが、この時期に当時の顕正会大幹部が脱会し法華講信徒となっていたようで、浅井としてはこの大幹部脱会の影響を抑えようとして「日顕」呼び捨てや今までにない過激な宗門誹謗を展開し、会内を引き締める必要があったのだ。

 それから3年経った平成19年、顕正会は引き締まるどころか、浅井が「便所の落書き」程度にしか認識できないインターネット掲示板の「自由な茶寮掲示板」や法華講員らの開設したブログが指摘する顕正会の問題点(偽本尊疑惑、新聞領収書、浅井の過去の発言、幹部批判など)を目にした顕正会員らの雪崩的脱会が相次ぎ、更には先月「顕正新聞紙上で妙観講・大草講頭の名誉を毀損した」として顕正会(責任役員の浅井と顕正新聞編集人両名)に200万円の賠償命令が出たこともあり、浅井としては再度、宗門への批判を強めることで会内を引き締めなければならず、すでに昨年自身が講演で述べているこの「戒壇本尊」写真のネット公開をネタに、当時やればよかったものを、今更騒いでも、その魂胆はミエミエだ。

 前回も今回も、浅井が宗門に何か送りつけるときは、自分の足下の火消しに躍起となっているのだ。前回は大幹部脱会、今回は名誉毀損裁判敗訴。このネット社会で浅井自身に都合のいいような情報操作などできるわけがない。「便所の落書き」に滅ぼされる姿は哀れだぞ。
訂正:男子10隊前隊長はまだ踏みとどまる

 4月13日号で男子部10隊の新田泰生・前隊長が除名させられたかのような記述をしたが、ある方からご指摘を頂き、新田前隊長はまだ男子部10隊にいるとのことである。降格だったというわけである。勧誘成果も上位だったのになぜ、という疑念はまだ払拭されていない。次号の顕正新聞で確認するが、とり急ぎご指摘に感謝したい。

 しかしここまで頑張ってやっても降格させられてもしがみついているって、ほかに居場所がないのだろうか。元21隊長しかり元32隊長しかり。素行不良ならまだしも、勧誘成果で降格なんて、まるでワンマン社長率いる同族会社みたいだ。家族以外使い捨て。哀れ。
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