顕正会短信 2009.03.28
他団体の昔の発言ばかり使う顕正会員は
浅井の過去の発言をじっくり読んでみよ! @


 今に始まったことではないが、顕正会員は、昭和30年代の「大白蓮華」などから「国立戒壇」という文言を拾い集めて「昔は国立戒壇と主張していたではないか」と得意げに話す浅井の弁舌に酔わされている。しかし「国立戒壇」のルーツが邪教「国柱会」田中智学の「本化妙宗式目」であったことは、今や広く知られているところだ。田中の言う「国立戒壇」建立の条件は「天皇の帰依」「勅宣」「国民大勢の入信」そして「御教書」がセットになっている。これはまさに顕正会のいう「国立戒壇」と同じではないか。浅井は田中の弟子だったのか?その事実をひた隠して、浅井昭衛は自著の中で繰り返し「歴代上人も国立戒壇と言っている。そのものズバリではないが意は明らか」などと意味不明な主張を繰り返している。中には明治以前の「本門戒壇」に関する言辞を「国立戒壇」と解釈しているものまである。浅井の脳味噌は腐っているようだが、このように刷りこまれた顕正会員は、この意味不明な解釈を振りかざして対論をして返り討ちに遭い、却って浅井のペテン師ぶりを知らされ、浅井に愛想を尽かすのだ。

 ではなぜ浅井がペテンだと知ることになるのか。それは、顕正会員が知らない顕正会の歴史を顕正会員以外が詳しく知っていることへの疑問と、顕正会にいては決して知ることのできなかった浅井の過去の「請願破り」の変遷を知ることになるからだ。

 有名なところでは昭和57年、「妙信講」から「顕正会」に改称した総会での「あと25年で広宣流布できなければ核戦争によって日本も世界も滅ぶ」というもの。すでに予言から25年を過ぎたが、世界が核戦争で滅びたという報道は為されていない。ちなみに、人類滅亡関係では、平成6年9月に「残された時間はあと20年(平成26年)」と修正をしたが、いい加減なものだ。

 そして平成の世に顕正会を風靡した「100万達成」期限の変遷はさらにいい加減だった。昭和62年に「あと9年(平成8年)」と宣言したのが平成 2年に「断じて平成10年までに」とし、更に平成7年に「平成14年までに断じて」と延ばし続けて、とうとう平成14年には達成できなかった。結局、翌平成15年11月(旧暦10月13日)には間違いなく達成できると計算し、3度目の期限延長を行い、やっと公称100万を達成したのだ。その際に建てられた「百萬達成」と刻まれた「大標識タワー」は平成18年に予告もなく撤去されてしまった。(Aに続く)
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