顕正会短信 2009.03.16
「教学主任」の影響力は健在か?

 顕正会会長の浅井昭衛が昨年11月の総幹部会で、よもやあるまいと思われていた「総合女子部長の交替」という人事を発令し、昭和49年の就任以来 35年の長きにわたって「女子部長」を勤めてきた加藤礼子を「いままでご苦労様でした」という一言と共に「教学主任」という新設ポストに追いやったことは既報の通りだが、この人事を巡って一時インターネットのあるプログで論争が起こった。それは「今後の加藤の顕正会内における影響力は」というもので、問題提起をした論者は「今回の女子部人事は加藤の意向が働いている。新総合女子部長は加藤の偲儲だ」と主張し、プログ主は「第一線を退いたのだからもはや影響力はない」と反論していたようだが、二、三回の応酬で話は終わってしまったようだ。

 今回総合女子部長となった大沼の直前の役職は「第3女子部長」だったので、その上の「副総合女子部長」を飛び越した2階級特進である。最高幹部の昇格人事としてはいささか不自然だ。というのは、二人いた「副総合女子部長」河野某と大澤某のいずれも昇格せず、大澤に至っては今回の人事を機に動静が消え、顕正新聞紙上でも見かけなくなった。加藤はこの大澤との確執があったという情報もあり、推測の粋だが加藤が、混乱が顕在化する前に事態の収拾を図ろうとした浅井に対し、自身の交替の見返りに大澤の更迭を要求した可能性も捨てきれない。また、河野は第2女子部長と副総合女子部長を兼任していたのだが、年齢的には大沼より若いと思われ、この点から考えて入信暦20年余の大沼が昇格したというのが妥当な考えだ。問題はこの人事に加藤が絡んでいたかどうかだが、加藤の交替の本当の理由は健康上のものだ。ここ一、二年で顕正新聞紙上に載る加藤の写真からは、急激な衰えの相が見えていた。実際、昨年5月の総幹部会での登壇以降、会合での登壇の様子が報じられず、12月初めの女子部班長会の席上、女子部旗返還に立ちあったのが最後のようだ。

 さて、加藤が教学主任に就任して最初のイベントとなった「登用試験」と、数年ぶりに行われた「五級試験」はいずれも全問「一文字の穴埋め」というものだった。登用試験は浅井の「折伏理論書」から、五級試験は同じく浅井の著書「南無日蓮大聖人」からの出題で、問題作成にとりたてて難しい部分はなかったはずである。浅井の駄文を所々虫食いにすればいいだけの話だ。もしかして「教学主任」には問題作成の権限は与えられていないのか?だとしたら「教学部一級部員」の加藤には屈辱のポストだが……。
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