顕正会短信 2008.02.05
浅井のすべてを知る人物? 元壮年部長らが脱会

 1月17日、新潟在住の顕正会員二名が逮捕され、本部会館と新潟会館など関係先数箇所が新潟県警の家宅捜索を受けてからというもの、顕正会では情報遮断と操作に躍起となっている。

 1月22日に川口リリアで行われた総幹部会では、浅井は事件には触れず、何でも「朝に夕に真剣に祈っていかなければならない。信心を強くせよ」とのたまったとか。逆の捉え方をすれば、「勧誘で捕まらないように真剣に祈れ。万一で逮捕されても決してゲロするな」と煽っているように思えるが。詳細は顕正新聞2月5日号である程度把握できるだろうが、実際のところ、浅井にとっては新潟での一件などに構っていられる状況ではないのだ。

 顕正会と敵対する妙観講の機関紙「慧妙」1月15日号に掲載された「顕正会から続々と入信 一人から始まった折伏の輪」という記事の中で、元顕正会壮年部長Iと元男子部隊長Sが百貫坊所属の法華講員となっていたことが公になったのである。

 このIは昭和51年顕正会(当時妙信講)に入信、平成13年1月に壮年部長に就任したが、従前より抱いていた数々の疑問を浅井にぶつけたところ、まともな返事もないまま疎まれ、翌14年夏に降格されてしまった。そこで16年に「顕正会員のまま」大石寺へ登山したところ百貫坊の住職に破折され脱会した。更にこのIの解説したブログを縁としてSが脱会したというのが「慧妙」の記事だ。

 このIの脱会がよほど衝撃だったのか、浅井は同年8月の「幹部大会」で初めて「阿部日顕」を呼び捨てにし、同年11月の総幹部会ではなんと日顕を「一凶」、大草一男、小川只道、山崎正友を「三悪」として「宗門から追放せよ」とまで言い切ったのである。以降、17年3月に「対決申し入れ」を、4月には「対決再申し入れ」を日顕に送ったものの、いずれも「邪義破折班」なる小僧らの破折文書の返り討ちにあってしまい、8月に「最後に申すべき事」なる文書を一方的に送りつけて粋がることしかできなかったのである。いま振り返ってみると、浅井の突然の日顕呼び捨てに始まった激しい宗門批判は、Iの暴露に備え、会内に「宗門は悪」という思考を蔓延させようとしたのだ。しかし、効果はなかったようで、終には元男子部隊長のSまでが脱会してしまったのだ。

 しかしSの場合は少し事情が異なる。このSは昨年秋に脱会したのだが、実は昨年3月の総幹部会では男子部隊長の肩書きで登壇し、「多くの患者が(顕正会の)信心で精神病を克服」「浅井先生のご一念に守られ」「三万人男子部結集に言い訳なしの大前進を」などと吼えていた。「慧妙」の記事によれば、 Sは「精神科の病院の院長であるが、入院している患者の多くが顕正会員や学会員であることに不信を募らせていた。そういう時にIのブログに出会い、折伏を受けて百貫坊の法華講員となった」というのである。まさか3月に浅井賛美の登壇をしているその時期に「入院している患者の多くが顕正会員や学会員であることに不信を募らせ」ていたというのであれば、Sは登壇で虚偽の発言をし、会員を欺いていたことになる。そうでなければつじつまが合わない。

 また、Sは以前から医師の立場を利用して患者への勧誘を繰り返してきた。現在も「元隊長」という立場を利用して、自分が入れた現役顕正会員を勧誘しているということだ。

 ところで、顕正会では昨年来、ユーチューブなどで幹部会などの映像が流されていることに対応し、1月度総幹部会以降の浅井講演の入ったDVDは上長を通さなければ購入できなくなったとのこと。隠れ反逆者の炙り出しを謀る狙いがあるものと見られるがそううまくいくかどうか。
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