◎御形木&導師本尊と言うウソ


前々から疑惑の目を向けられていた顕正会のニセ本尊問題。

浅井センセーも外ならず、会内からも疑問続出で遂に平成十九年の顕正新聞でその見解を披露したが、これがまたグダグダで、その杜撰な言い逃れを以下に掲示して指摘する。

この松本尊能化が、顕正会の解散処分以来、もっとも心配して下さったのが、御本尊下附のことでした。「浅井さん、御本尊がなくては、広宣流布を進めるのに、困るでしょう」ということを何度も言われて、妙縁寺所蔵の歴代先師上人の直筆御本尊七幅を、私に託して下さった。(中略)また、御形木御本尊の下附についても、心配して下さった。しかし、私はこの時すでに、遥拝勤行で広宣流布を進める決意をしていた。(中略)私は敢えて、日寛上人と、日布上人の御形木御本尊を授与して下さるようお願い申し上げたのです。(顕正新聞・平成十九年十月五日号)

◎ここでのキモは浅井が預かったとしている寛尊と布師の御形木本尊である。戦後の創価学会大布教で増えた信者の対応のために下附されていた寛尊の小幅の御形木本尊は、達師の当座以降に昭和四十年頃、本山から一斉に返却を指示され、昭和四十一年一月一日の書写日の達師の形木にお取り替えされている。浅井達が破門処分になったのは昭和四十九年、その折に浅井は「妙信講に解散処分が下された時、私は松本尊能師に将来の広布推進のため、御本尊を大量に御下げ渡し下さるよう願い出た。」と言うが、形木本尊の交換指示をされた昭和四十一年から八年も経過して、それら形木本尊が数百幅も妙縁寺に保管在庫されていることは、普通の感覚ではあり得ない事である。

◎加えて松本住職には昭和四十九年九月、十月と再々に妙信講本部に安置された開師の本尊と妙縁寺保管本尊の返還を指示されている。この返還指示に対して浅井は十月二十八日に返却阻止の本尊移転仮処分申請を東京地裁に提出している。この渦中に浅井が託されたという、後から後から出てくる形木本尊は名前すら明記されていない。以下はクルクルと場当たりで代わる浅井の託されたという形木本尊の言質である。

★松本尊能師には私の意をよくお聞き下され、自ら護持されていた大幅の常住御本尊七幅と、 日寛上人書写の御形木御本尊数百幅を私に託して下さった。 この七幅の常住御本尊とは、二十八代日詳上人・五十四代日胤上人 ・五十五代日布上人・五十六代日応上人・六十代日開上人・六十四代日昇上人等の 歴代上人御書写の御本尊であり、このうちの日布上人書写の御本尊が高知会館に御安置されたのである。 (顕正新聞 昭和六十年三月十五日号 )

★尊能化は「妙信講が広宣流布の御奉公をするのに、御本尊がなければ困るでしょう」とおっしゃって、 日寛上人の御形木御本尊を大量に、私に託してくださった。 実は昭和四十年一月以降、宗門では末寺で授与する御形木御本尊を、日達上人の御本尊に替えたが、 それ以前の三十年代には、どの末寺でも日寛上人の御形木御本尊を授与していたのです。 (顕正新聞 平成五年六月二十五日号 )

★顕正会が将来広宣流布に戦うのに、御本尊様がなければ困るでしょう」と常に云っておられた。 私も「そのとおりです」と、強くお願い申し上げた。 ここに、松本尊能化は、妙縁寺に所蔵するところの歴代上人の御直筆御本尊七幅、 それから日寛上人の御形木御本尊、並びに日布上人の御形木御本尊を多数用意して、 私に託して下さったのであります。(顕正新聞 平成十一年四月二十五日号)

◎平成十一年に突如「並びに日布上人の御形木御本尊を多数用意(顕正新聞 平成十一年四月二十五日号)」が入ることがお分かりでしょうか。しかも寛尊から達師への御形木本尊の交換は「昭和四十年」と言ったり「それ以前の三十年代」と言ったり曖昧です。さらに浅井から御下げ渡しを願い出たり、松本住職から形木本尊を下げ渡しと仰せになったり、バラバラの妄言を指摘する

★「妙信講に解散処分が下された時、私は松本尊能師に将来の広布推進のため、 御本尊を大量に御下げ渡し下さるよう願い出た。」(顕正新聞 昭和六十年三月十五日号)
★尊能化は「妙信講が広宣流布の御奉公をするのに、御本尊がなければ困るでしょう」とおっしゃって、 日寛上人の御形木御本尊を大量に、私に託してくださった。(顕正新聞 平成五年六月二十五日号 )
★「入信勤行を行う自宅拠点と地方会館には、どうしても御本尊をご安置しなければいけない。そこで私は敢えて、日寛上人と、日布上人の御形木御本尊を授与して下さるようお願い申し上げたのです。」(顕正新聞・平成十九年十月五日号)

◎かつて妙信講板橋区常盤台に本部建設に際して、松本住職は「十万達成まで日開上人御筆の妙縁寺重宝の御本尊を本部会館安置の御本尊として確かに貸与する(富士・昭和49年11月号)と覚え書きを残されたぐらい、御本尊の事については当宗ご僧侶としての矜持は持っておられたとするならば、これら疑惑の本尊についても覚え書きを残しておられてもおかしくない事である。書類一つあれば全て証明できるのに、不思議なことにそうした書類には一切浅井は触れずに、言い逃れに汗を流している。以下はその時の出来事である

◎昭和四十九年十月十二日:達師は再度、本部会館安置の本尊返却を指示。
◎昭和四十九年十月十三日:妙信講は法廷闘争の意向書面を達師に送付。
◎昭和四十九年十月二十八日:妙信講は本部会館の本尊返却阻止のため、本尊移転仮処分申請を東京地裁に提出
◎昭和四十九年十一月七日:東京地裁、本尊移転仮処分命令を下す。
◎昭和四十九年十一月十八日:妙縁寺新住職、久保川法章師が赴任するも妨害により一時退去、二十五日に裁判所の仮処分を以て着任。
◎昭和四十九年十二月二十八日:久保川法章師は松本日仁に退去を要求するも、拒否。妙信講員と共に、妙縁寺一室に籠城を続ける。

◎妙縁寺新住職の久保川法章師は裁判所の仮処分を以て着任している。浅井達は十二月末近くまでまで妙縁寺に籠城していた。この際に事務引き継ぎなど出来ないままであったと推察されるが、この後の裁判記録にも一切こうした形木本尊の記録はない。しかし、この一連の本尊疑惑、結論するならば、どれがホントというよりも、どれもウソで、ニセ本尊を大量に印刷していることだけはホントなのである。



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