1:国立戒壇義を破折


彼らの国立戒壇論をこうして破折します


国立戒壇の名称初出はもちろん国柱会の田中智学氏である。妙宗式目(明治三十六年発刊)「勅命国立の戒壇を理想境とし・・・」を最初とし、大正九年の同氏の本化聖典大辞林にも「本門の戒壇は殉法護経の国立戒壇を期す(同辞林1631〜1632)」が見られます

当宗では大正元年に在家信者の荒木清勇氏が大正期の正宗の機関誌に「何人が大石寺を国立事戒の戒壇の霊地と云いたるや」(白蓮華・本門戒壇論)が”国立事戒の戒壇”と称したのを初めとして、奈良教会の勇家伝蔵氏が「国立戒壇建立の暁、本門戒壇の大御本尊として奉安せられ」(白蓮華・大正三年)として、国立戒壇の名称を文中使用。この後、徐々に宗内で一般的になります。
しかし明治・大正・昭和初期には事相戒壇もしくは本門戒壇堂という名称が宗内で一般で、その頃の御歴代の御指南を抜き書きします



◎日霑上人「未だ広布の時至らず事相の戒壇建立なしといえども、此の道場即ち是れ事の戒壇、真の霊山、事の寂光土にして(三大秘法談:五十二世日霑上人)
◎日盛上人「勅宣御教書を下して戒壇堂建築(明治二十二年・興門唱導会雑誌)」
◎日応上人「帝王、本門戒壇堂建立せられるべきとは明文赫々たり(明治二十七年・弁惑観心抄)」
◎日柱上人「勅宣御教書を申し下して事相戒壇建立(日柱上人・白蓮華・大正五年)」
◎日恭上人「勅宣御教書を申し下して・・本門戒壇建立せられ(昭和十七年・大日蓮・信仰の本義)




国立戒壇の名称公的使用は戦後から


六十六世日達上人は、『わが日蓮正宗においては、広宣流布の暁に完成する戒壇に対して、かつて「国立戒壇」という名称を使っていたこともありました。しかし、日蓮大聖人は世界の人々を救済するために「一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し」(御書全集二四五頁)と仰せになっておられるのであって、決して大聖人の仏法を日本の国教にするなどと仰せられてはおりません。
日本の国教でない仏法に「国立戒壇」などということはありえないし、そういう名称も不適当であったのであります。』
(大日蓮昭和45年6月号17ページ)

第五十九世日亨上人、第六十四世日昇上人、第六十五世日淳上人、第六十六世日達上人の方々が国立戒壇の名称を使用したのは、「国立戒壇」という語句が戦後、創価学会の戸田氏、池田氏の講演や布教発展上で、信者間に広く用いられるようになったためで、大聖人が「予が法門は四悉檀を心に懸けて申すならば、強ちに成仏の理に違わざれば、且らく世間普通の義を用ゆべきか(太田左衛門尉御返事)」の如く信者間の慣用語として事相戒壇義の理解を勧めるために、使用していただけ、浅井等は創価学会の影響を受けて言い出したモノであります

◎伝教大師(日本天台宗の祖)が日本に法華経を流布し勅許を得て建立した迹門戒壇は、国費をもって立てたものではなく、日本天台宗の宗門で立てた。 これが国立戒壇ではないのは当然で、日本天台宗でもこれを国立などと称していない。
◎国立戒壇の名称を使用しなくとも、宗門は広宣流布の大願を捨てたわけではない。名称を使用しなくなった=御遺命の放棄ではありません。宗門本来の本門寺戒壇、事相の実現を目指して現在も、未来も折伏に励んでいくのです。民主主義の定着した現代においては、かえって国立戒壇の名称が戦前の国体思想を彷彿とさせたり、時節にそぐわなくなったため、いらぬ誤解を避ける意味で、国立戒壇という名称を使用しないだけであります。




国立戒壇にこだわる浅井の見事な展望


◎浅井会長自身が「私も、広宣流布の時の本門戒壇建立に際しては、国費だけでなく全国民の自発的な御供養があって当然だと思う(顕正新聞平成2年1月15日号)」と言いながら

◎国立観について質問されると、「自分たちが、いつ、国費で戒壇を建立せよなどと云ったか。国立といっても、国費で立てるわけではない」と国立についてなんら展望の無かったことを自白している

「国立戒壇は国費で建てるものではなく、全国民の燃えるような赤誠の供養によるべきである」(平成二年八月発行・なぜ学会員は功徳を失ったか:浅井昭衛著)これでは民衆立になるんでは?
◎平成二十四年顕正新聞1月5日号には後継者の浅井城衛が「一五〇万の死身弘法成就と同時に「国民投票こそ国立戒壇建立の関所である」の重大事を明かして下さいました。(中略)国民の総意は国民投票による多数決で決せられ「日本国民の過半数の六千万人が戒壇建立を熱願するとき、大事は決せられる」ことを烈々と指導下さいました。」というが、彼らが否定していたと民衆立戒壇と六千万人が戒壇建立を熱願は何が違うのか?

また、「日本人口の三分の一が入信すれば広宣流布というこの論法は、池田が云い出し、細井管長が追認したものである」(正本堂の誑惑を破す・広宣流布を偽る)で全面否定しておきながら、「日本国民の過半数の六千万人」とは自語相違である。彼らの大願目標の迷走は依然続いているのであろう










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