ガツンと破す、を破す。それを破す(^◇^):その3




奥さんに文章推敲やって貰ったら、その方がまだマシになるんじゃない。

ジェファーソン石橋氏の駄論:「ちなみに、こういう破折資料(顕正会をガツンと破す)は、完璧であってこそ、その威力を初めて発揮します。どこか一箇所でも欠陥が見つかれば、それは資料全体の信頼性にかかわる致命傷となり、ついにはガラガラと音をたてて崩れます。

私も万能というワケではありませんので、100パーセント破折とはいかないかもしれません。しかし、部分的にでも切り崩して、作成にかかわった法華講員に恥を掻かせ、この『ガツンと破す資料』がいかにいい加減な代物であるかを示していきたいと思います。」

私は目的を十分達成したのです。 気が向いたらまた破折を再開するかも知れませんが、とりあえずは終了です。

ジェファーソン石橋こと、鳥アタマ君(直ぐに忘れるから、コチラで通称にしました)。キミ、こういうことも書いてたよね。

◎例えば、“「ガツンと破す」をガツンと破す”を書く時、前置きとして、「私も万能というワケではありませんので、100パーセント破折とはいかないかもしれません」と先回りして逃げ道を作ってますから。(二月六日ブリトー石橋氏:自ブログ発言)

今回は二月六日に伏線張っていたとおり、やっぱり逃走宣言なんだ。

◎これが最後(たぶん)だから、記念に、キチンと「ガツン」編集者の反論 に対する反論を書きましょう。(四月一日・ジェファーソン石橋:自ブログ発言)

おいおい、反論書きましょうって、どんだけ積み残しがあると思っているの?
しかも、書いてきたのはいいけど、また過去の発言と全く相違する発言ばかり、今日はエイプリルフールというオチがあるんじゃ無いの、それにしても宣言通り、結局なんらまともな反論なしに、言い逃げなんだね。

あ、そういえばキミ。所住と阿部教学部長の件で、言い訳してたよね。「どこか一箇所でも欠陥が見つかれば、それは資料全体の信頼性にかかわる致命傷」って書いてるけど、二箇所もあったら、致命傷どころか、昇天じゃん。そういう自分の事は、一切シカトなの?鳥アタマ君。

ジェファーソン石橋氏の駄論: 学生の四十万名結集という“一時点”を指して、「舎衛の三億」の方程式にのっとり、学生の広宣流布と言ってます。
これはどう見ても、「舎衛の三億」→「広宣流布」=「終着点」です。

「いや、それはあくまでも学会の説であって、達師(細井日達)の解釈とは違う」、と「ガツン」側は反論するでしょうが、細井日達の発言が、大白蓮華誌に次のように書かれているのです。

「思えば昨年春、会長池田先生との談話の時に、私が『すでに広宣流布しておる』と語ったら、会長は『そうです、舎衛の三億です』と即座に答えられたので、私はその見識に内心感嘆したのである」 (大白蓮華40年1月号)

文献引っ張ってくるのはいいけど、良く精査しないと。「学生の広宣流布」って書いてあるよ。しかも、昭和四十七年当時ほぼ百二十万大学生の三分の一。
それと国民総数の三分の一、つまり舎衛の三億とする定義解釈とナニが関係あるの?前も言ったけど学会さんの説と達師を結びつけようと必死だけど、大学生と日本国民総数じゃ無理があるでしょ。こういうのを世間では言いがかりって言うんだよ。落ち着いてよく見ないとね。鳥アタマ君。ちなみに当の池田氏は昭和四十年に

「広宣流布が達成してから、国家予算によって、国立戒壇が建立されるということはありえないのです。本門戒壇の建立は、純粋で、清らかな私たちの真心の浄財によって建立されるのです。地涌の菩薩の力によって造られるものです。 それを民衆立というのです。ほんとうの民主主義の原理です。正本堂を建て終わって、王仏冥合へ、さらにさらに進んでいくわけなのです。

十年かかるか、二十年かかるか、それはご仏智ですが、広宣流布が達成した暁に、こんどは、不開門を開くのです(昭和四十年年九月二十日、九州本部幹部会において:聖教新聞・昭四十・九・二二)」


と述べてますね、ここでも正本堂建立から王仏冥合へ、さらに進んでいく、と云う発言ですから、最終と言うことでは無いですね。昭和四十年ですよ。「広宣流布が達成してから、国家予算によって、国立戒壇が建立されるということはありえないのです。」って言ってますけど。浅井サン、「そんなものは国立戒壇」じゃないって何故猛抗議しなかったんですか?さらに浅井さんは、昭和四十年七月二十八日の妙信講幹部大会において、こうした一連の宗門と学会の言動を意識して。

「すでに広宣流布の時は来ております」(七月二十八日の幹部大会において:富士・昭和四十年八月号一二頁)と発言しています。

これの釈明を「この意は、当時、世の中は大不況のただ中にあり災害も続いていた。よって〝大衆は悩みの中に御本尊を待っている。すでに広宣流布すべき時は来ている。一万めざし死身弘法をしよう〟と、全幹部を励ましたものである。 前後の文を読めばこの意は了々ではないか。だいいち、風前の灯のような状況下での四千達成で、どうして「広布達成」などという理由があろうか。馬鹿もほどほどにせよと言いたい。(最後に申すべき事・平成十七年八月二十七日)」

と書いているが、昭和四十年から何十年経っているんですか。あとから言い訳なんて誰でも言えますね。邪義破折班の鋭いツッコミに、「大衆は悩みの中に御本尊を待っている」なんて言い訳見苦しいですね。しかも尋ねてもいない事で、思わぬ墓穴を掘る浅井サン。

邪義破折班からは「また汝は〝風前の灯のような状況下での四千達成で、どうして「広布達成」などという理由があろうか。馬鹿もほどほどにせよと言いたい〟と嘯くが、我らは、〝広布達成〟などとは全く言っていない。汝が〝すでに広宣流布の時は来ております〟と述べたことを指摘したのである。たばかるのもほどほどにせよ。」と浅井氏の言い訳発言で思いっきりうろたえた事が指摘されている。

要は昭和四十年のその時には、浅井親子も広宣流布近しと思ってた事が事実なんでしょ。まぁ、自分たちの事は棚上げして、他人の事は責めるって。浅井ねぇ、人間が。

ジェファーソン石橋氏の駄論: 昭和40年の時点では、細井日達は、池田の言った「舎衛の三億」に対して、“その見識に内心感嘆した”のですから、この段階での細井日達と池田の「舎衛の三億」の解釈は一致していたと思われます。

では、なぜ昭和49年11月17日の説法で、「舎衛の三億」の解釈を変更したのでしょうか?
49年11月17日というと、ちょうど細井日達と池田の間に亀裂が生じ、宗門は学会による経済封鎖に苦しめられていた時期です。

「……もしどこまでも学会が来なければ、それは正本堂を造ってもらって有難いけれども、……もし学会が来なくて、こっちの生活が立たないというのならば、御本尊は御宝蔵におしまいして、特別な人が来たならば、御開帳願う人があったら御開帳してもよいと云う覚悟を私は決めたわけです」 (昭和49年7月27日・宗門僧侶への講演)


学会さんの弁明するわけではないけど、キミの愛読書「なぜ学会員は功徳を失ったか」という書物に

◎「『一往は正本堂建立が広宣流布の完成といえましょう。しかし再往はこれが終着点なのでなく、新しい広宣流布、すなわち真実の広宣流布の開幕を意味する』(大白蓮華昭和45年6月号)などとわけのわからないことになるのである」(なぜ学会員は功徳を失ったか・130ページ)

ってありますけど。つまり学会さんは終着点で有りながら、出発点とか言う考え方だったんだ。キミン所の書物に載っていて、しかも浅井氏が「などとわけのわからないことになるのである」と仰せですから、終着点が出発点ではダメなんだ。気に入らないんだ。コレ昭和四十五年ですぜ、キミこんな事書いてるね。

◎舎衛の三億(国民の3分の1が入信すれば広宣流布)は、それ自体を広宣流布と偽ったのですから、こちらは明らかに終着点を意味しています。(三月二十三日デレク石橋氏:自ブログ発言)

また浅井サンの書物よく読まないで、こんな事書いてたんだね。よぉ〜く精査しないと。

ジェファーソン石橋氏の駄論:「広宣流布がもし『流れ自体』ならば、いつでも広宣流布と言い得るではないか。池田のこの論法は、広布の達成すなわち『終着点』を曖昧(あいまい)にするために云い出したものである。
広宣流布には厳然と終着点がある。すなわち『日本一同に南無妙法蓮華経と唱へ』て『勅宣並びに御教書』が申し下されるその一時点こそ終着点であり、戒壇建立の時なのである。」(「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」125ページ)――と。

また・・・ 「御金言を拝せよ。大聖人は広宣流布の姿を
剰(あまつさ)へ広宣流布の時は、日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は、大地を的とするなるべし」(諸法実相抄)と示され、さらに戒壇建立の時を御付嘱状には『国主此の法を立てらるれば』と定め給い、三大秘法抄には『王仏冥合・王臣受持』の時と定め給うておられる。」 (同128ページ) ――と。

このように、浅井先生は御書を引用された上で、広宣流布には厳然と“終着点”があるとハッキリと仰せです。 ね、“終着点”は私の己義ではないでしょ。反論する前によく調べないとね(笑)


鳥アタマ君、キミの頭の中では六千万人が日本一同なんだ、数合わないじゃない、悩乱の極みだね。それにキミの頭の中では大聖人よりも浅井センセ−が上位概念なんだ。だから広宣流布の終着点とか、浅井センセ−が決定できるんだ。

◎ゆえに如説修行抄には「法華折伏・破権門理(はもんごんり)の金言なれば、終(つい)に権(ごん)教・権門の輩を一人もなくせめをとして法王の家人(けにん)となし、天下万民・諸乗(しょじょう)一仏乗と成(な)りて妙法独(ひと)り繁昌(はんじょう)せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば・・・」と。(平成21年2月度総幹部会講演)

ココには「万民一同に」とセンセーが仰せですけど、万民って六千万人のことなんですかぁ?半分の国民数でなんでオッケーなんですか。浅井サン昔こんな事言いましたよね。

◎結局は三分の二は不信であってもいいという“デタラメ広宣流布”である。しかもこの不信を許容することが「信教の自由を認めている証拠」というに至っては、まさに語るに落ちている。(「なぜ学会員は功徳を失ったか」129ページ)

この批判に依れば半分は不信であってもいいんですか?数も論理もあってませんけど・・・。しかもこの時は「不信の許容は信教の自由を認めている証拠」と批判して、その後に顕正会は

◎「国民の総意とは、具体的にはどのように表わされるのかと言えば国民投票による多数決で決せられる。すなわち、日本国民の過半数の六千万人が戒壇建立を熱願するとき、大事は決せられるのです。まさにこの国民投票こそ国立戒壇建立の関所であります。」と、ご指導くださいました。(顕正新聞平成23年12月5日号)

コレって現行憲法に謳われた「信教の自由」を利用しながら、学会の定義をある時は「不信の許容は信教の自由を認めている証拠」と批判し、時が変わって国民投票を励行利用し、将来的に憲法改正してなし崩しに「信教の自由のない国家」を作ろうとしているんだよね。こういうの、となりの国みたいで独裁主義ちゅうのじゃないですか。浅井サンって尊皇みたいな事よく言うけど、目指しているのは人民統制のキツい共産主義国家なんだね。佛教じゃないね。

◎また浅井先生は、同じ総幹部会の指導の最初に、諸法実相抄を引用されています――
「……剰え広宣流布の時は、日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし」
と。もし六千万が終着点ならば「諸法実相抄」の仰せと矛盾してしまいますから、先生はわざわざ指導の中で引用されないでしょう。(三月二十三日デレク石橋氏:自ブログ発言)


ま、キミは傍観者みたいに六千万人って言ってれば良いけど、この下の浅井氏の人数的な変遷やビジョンの変化はどーですか?

◎平成03年:「七年後の百万が成れば、一国広布は必ず成る」
◎平成04年:「数年後には必ず百万が成る」
◎平成05年:「まさしく百万こそ、一国広布の鍵」
◎平成06年:「他国侵逼の影は刻々と日本に迫りつつある」
◎平成07年:「前代未聞の大闘諍は迫り」「あと二十年」
◎平成08年:「六年後の十万人の国会請願」
◎平成09年:「大聖人のお待ちあそばす大法戦場へ出陣」
◎平成10年:「最終段階の戦いは開始」「一千万をめざし」
◎平成11年:「平成十四年の百万は必ず成る」
◎平成12年:「広布の最終段階」「一千万は必ず成る」
◎平成13年:「いよいよ最終段階を迎えたごとく」
◎平成14年:「巨大地震の発生も時期を同じくし、早ければ二〇〇二年、遅くとも二〇〇五年」
◎平成15年:「百万達成こそ"日本の夜明け"」
◎平成16年:「大聖人御馬前の法戦場に到達」
◎平成17年:「あと十有余年」「広布の鍵たる三百万」
◎平成18年:「大聖人のお待ちあそばす大法戦場へ」
◎平成19年:「この五十年 … 国立戒壇建立は必ず成る」
◎平成20年:「広布最終段階」「御生骨 … 広宣流布の証明」
◎平成21年:「あと十有余年」「大法戦場に急ぎ到着しよう」
◎平成22年:「あと十二年」「大法戦場に馳せ参じなくては」
◎平成23年:「広宣流布はすでに直線コースに入っている」


これによると昔は一千万で最終段階だったんだ。それが三百万になったり、十二年になったり、五十年になったり、直線コースになったり、御馬前なんて平成十六年に到達って言ってたんですね。その時の御馬前と、いまとナニが違うのかな?

◎【国立戒壇こそ一国折伏の終着点】平成21年2月度総幹部会講演(浅井会長)

◎いいですか。「一人もなくせめをとして法王の家人となし」ですよ。折伏がしんしんと進んで、日本一同が日蓮大聖人の弟子となったとき、始めて国立戒壇が建立される。(平成21年2月度総幹部会講演:浅井会長)

キミの師匠の浅井センセーは平成二十一年に「国立戒壇こそ一国折伏の終着点」と言ってるよね、しかも「いいですか。「一人もなくせめをとして法王の家人となし」ですよ。折伏がしんしんと進んで、日本一同が日蓮大聖人の弟子となったとき」つまり国立戒壇=日本一同が日蓮大聖人の弟子となった=一国折伏の終着点だそうです。じゃ六千万は馬の前のニンジンじゃないのぉ。上の年表見たらアチラコチラに到達とか、七年後に一国広布とか言ってますね。蜃気楼みたいな広宣流布ビジョンだね。

◎関所というのは“乗り越える場所”ですから、乗り越えた先に終着点があるわけです。(三月二十三日デレク石橋氏:自ブログ発言)

上の年表で、キミの言う関所って、どの年度の事言うのか、分かりませんね。平成二十三年のアレなら、列記した如く、また変更なるよ。それにあの人だってもうボチボチお迎えだし。まぁ、浅井サンのビジョンは越えても越えても関所だらけの様な気がします、顕正会ってマゾの集まりなんじゃないの。

ジェファーソン石橋氏の駄論:なぜ、仏典を根拠にしなければならないのでしょう?浅井先生が仰せの“六千万”に仏典の裏付けは必要ないと思うのですが。 では、目には目を、歯には歯を、ヘリクツにはヘリクツで対抗しましょう。 細井日達が“天生原とは大石ヶ原である”ことを説明する際に用いた「諸橋大漢和辞典」は仏典ですか?教典の根拠のないものは禅宗と同じく魔民なのですよね? (「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」167~168ページ参照)


鳥アタマ君、また達師の文言を捏造しているね。

◎「天生山という言葉を考えるとですね。いちおう、天生原という言葉を考えてみますと、字源からみるとき、これは『諸橋大漢和辞典』、それからみて、字源からみると、(達師:昭和四十五年六月二十八日・富士学林研究科の砌 )」

と、はっきり字源から見ると、しかも二回も字源から、それから見てと仰せであります。どこに達師は仏典から、と書いてありますか?キミの批判指摘では字源=仏典なるんだ、字源って何のことだかわからないんでしょ。ならば字源とは仏典なり、その解釈根拠の仏典もしくは論者の釈書を提示下さい。

それにしても、懲りずにまたブーメランだね。何回も何回も繰り返すって、きみはドMじゃないの?ちなみに天母山や大坊棟札問題はコチラじゃなく別のページ用意してあるから、そちらを参考に。

ジェファーソン石橋氏の駄論:「正本堂は、池田会長の発願と、全信徒八百万の純信なる日蓮正宗の信徒の浄財による。いわば八百万民衆の建立であります。“八百万”という数は、実に奇(く)しき数であります。“八百万”とは昔の日本古来の読み方によりますと『やおよろず』であります。『やおよろず』とは“無数”を意味するのであります。今われわれ人間は、十界互具・一念三千の法門からすれば、一面、天界の神々であるといえるし、また仏界の仏でもあるといえるのであります。八百万民衆の建立による正本堂は、それ故、古来の読み方に従えば『やおよろず』の神々・諸天善神の建立ともいえるし、また十方三世の無数の仏の建立ともいえるのであります。まことに正本堂こそ意義深い建物であると信ずるのでございます」 (大日蓮45年6月号・「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」192~193ページ)

この“八百万”、仏典と関係ありますか?
たまたま正本堂建立の時期に正宗信徒が八百万になったから、それを無理矢理に仏法とこじつけてるだけですよね。
「われわれ人間」=「天界の神々」=「仏界の仏」、こんなわけの分からないことを説いている仏典があったら教えてください。

◎「親疎と無く法門と申すは心に入れぬ人にはいはぬ事にて候ぞ、御心得候へ(報恩抄送文:御書1037)」

なんで縁もゆかりも無いキミに教えなきゃならないの?キミは切り文だって乱入してきたヒトじゃない。しかもまともな反論なしに、そんな事教える義務がコチラにはないですけど。達師の説法に解釈させるって、ワタシそんな増上慢ではありません。宗祖の御妙判を列記しておきます。ははは、理解できないだろうけど。

◎教主釈尊何ぞ八幡大菩薩と現じ給はざらんや。天台云く「即是れ形を十界に垂れて種種の像を作す」等云云。 天竺国をば月氏国と申す、仏の出現し給ふべき名なり。扶桑国をば日本国と申す、あに聖人出で給はざらむ。 (諫暁八幡抄:弘安三年十二月、真筆断存)

◎久遠下種の南無妙法蓮華経の守護神は、我国に天下り始めし国は出雲なり。出雲に日の御崎と云ふ所あり。天照太神始めて天下り給ふ故に日の御崎と申すなり。 故に天台云く「但当時大利益を獲るのみに非ず、後五百歳遠く妙道に霑ふ」云云。 日神と月神とを合して文字を訓ずれば十なり。十羅刹と申すは、諸神を一体に束ね合せたる深義なり。 日蓮の日は即日神、昼なり。蓮は即月神、夜なり。月は水を縁とす、蓮は水より生ずる故なり。(産湯相承事)

◎「安房の国、東条の郷は辺地なれども日本国の中心のごとし、そのゆえは天照大神跡を垂れ 而を安房国東條郷辺国なれども日本国の中心のごとし。其故は天照太神跡を垂れ給へり。昔は伊勢国に跡を垂させ給てこそありしかども、国王は八幡加茂等を御帰依深ありて、天照太神の御帰依浅かりしかば、太神瞋おぼせし時、源右将軍と申せし人、御起請文をもつてあをか(会加)の小大夫に仰つけて頂戴し、伊勢の外宮にしのびをさめしかば、太神の御心に叶はせ給けるかの故に、日本を手ににぎる将軍となり給ぬ。此人東條郡を天照太神の御栖と定めさせ給。されば此太神は伊勢の国にはをはしまさず、安房国東條の郡にすませ給か。例ば八幡大菩薩は昔は西府にをはせしかども、中比は山城国男山に移り給、今は相州鎌倉鶴が岡に栖給。これもかくのごとし。」(新尼御前御返事)

◎師の曰はく首題も釈迦多宝も上行無辺行等も普賢文殊等も舎利弗迦葉等も梵釈四天日月等も鬼子母神十羅刹女等も天照八幡等も悉く日蓮なりと申す心なり、(御本尊七箇相承)

◎釈迦と申すは天照太神西天に釈迦と顕はれ諸仏の本誓妙法蓮華経を説き一切衆生悉く是れ吾が子なりと宣ふ、日本に又大明神と顕はれ正直に方便を捨つる本願の誓に酬て正直の頭に宿る、末法濁世の時は日蓮聖人と顕はれ諸仏の本意を顕はす、左れば釈迦上行天照太神、日蓮聖人只一躰の習にして釈迦幼少の御名は日種と、天照幼少の御名は日神と云ふ最も謂れあることなり、其れ天照太神と云ふときんば法華本迹の躰にて御座すなり、天照太神は面は女躰にて御座せとも実には陰陽和合神にて御座すなり、天と云ふ字は二人と書く是れ則陰陽の二なり、明神の明と云ふ字は又日月と書けり則ち日月は陰陽の躰、本迹の二門なり。(本尊三度相伝)

◎「日蓮は日本国の中には安州のものなり。総じて彼国は天照太神のすみそめ(住初)給し国なりといへり。かしこにして日本国をさぐり出し給ふ。あはの国御くりや(廚)なり。しかも此国の一切衆生の慈父悲母なり。かゝるいみじき国なれば定で故ぞ候らん。いかなる宿習にてや候らん。日蓮又彼国に生れたり、第一の果報なるなり。此消息の詮にあらざれば委はかゝず、但おしはかり給べし」(弥源太殿御返事)


キミの頭では解説しても分からんだろうから、師匠の浅井サンが昔の富士に神天上について、本地垂迹とか書いてる。何号か忘れたなぁ。ま、どうせ見ないだろうから。そういうことがあった事だけね。終わり。

デレク石橋氏の駄論:●「ガツン」編集者は、昭和四十七年九月十三日から同二十八日までの間、七回にわたって行われた浅井先生と学会代表との法論に、相変わらずケチをつけてます。

まず法論は、“昭和四十七年九月十三日から同二十八日までの間、七回”なのに、“四十七年六月三日「もう是で話し合いは終わりだ……」”というのは、日付のつじつまが合いませんよ。 また、“達師の裁定で学会側が訂正”と言いますが、細井日達が学会を訂正させるのは有り得ないですよ。
そもそもこの法論のきっかけは、“訓諭の訂正”にあったわけです。
細井日達は浅井先生に諫められて訓諭の訂正を約束し、その訂正文の原稿は顕正会の書籍に写真が掲載されています。つまり細井日達は、間違いなく訓諭を訂正しようとしたのです。
しかし学会の圧力に屈し訓諭の訂正を断念、結果として浅井先生と学会代表との法論という形にもつれ込んだわけです。
もし細井日達に学会を押さえ込むぐらいの力があったのなら、最初からこの法論はなかったのです。 ゆえに“達師の裁定で学会側が訂正”は絶対に有り得ないのです。

ちなみに、宗門の資料も基本的には自己申告でしょ。君達の主張を裏付けるにはチョット弱いよね。

どうも、資料に関する感覚がキミとは違うようだ。こういった文書の提示の際には以下の心がけをお願いしますね。世の中はこういうスタンスで証明するモンなんですよ。

「回想録の類は自分の立場を正当化し、過去を美化して書くのが一般的です。中には創作も入り、虚実相半ば・記憶違い・潤色等、信憑性に問題があり、史実として認めるわけにはいきません:日本史の一級資料」(山本博文・東京大学資料編作室教授)

カルトのヒトやマインドコントロールされたヒトには分かりにくいと思いますけど、二級資料にもならない回想とか自己申告の資料はただのゴミですから。

キミとコチラのズレは、こう言う事なんですよ。ちなみにコチラの出典は現正信会所属の浜中和道師がほぼリアルタイムで著された「元妙信講問題について」や創価学会の関連資料、山崎正友の著作物や「慧妙」からです。発表時期に浅井氏から捏造との抗議もなかったですから、客観資料ですね。
また、四十七年九月二十八日の達師への報告書は既に前回に文面も記載しました。キミのいう「細井日達が学会を訂正させるのは有り得ないですよ」は与えてそうであれば、なぜにこうした文面を出さねばならないか。出す必要はありませんね。報告書の文面にも浅井の親子が署名しています。また当時の学会首脳も捺印してお納めになっています。この存在と文面は既出でキミへの反論1にも出ています。読まなかったんですね。

◎宗門の資料も基本的には自己申告でしょ。

報告書の存在は邪義破折班も扱っています。自己申告はキミの所の浅井氏の妄想面談や資料お笑い編の達師との面談の脚色にも現れています。読まないのはキミの勝手です。コチラは既にその事実を明らかにしています。

デレク石橋氏の駄論:確かに私も少し前までは、『神父の件』は学会(池田)が勝手にやったことだと思っていました。ところが昨年12月20日、上条が自身のブログで『神父の件』を正当化する記事を書きました。それを見て、私は、正宗信徒の妙観講員が積極的に正当化するのなら、『神父の件』には宗門も関わっていたのだなと考えを改めたわけです。

うーむ、妙観講員・上条と、たぶん法華講員の「ガツン」編集者で意見が分かれましたね・・・ 日蓮正宗ってどうなっているのでしょうか?

そういうマッチポンプなことは上條氏のブログに投稿してやってください。
前にも正本堂の件で言いましたがキミの固い頭の「論は一本化」でなければならない、なんて君自身が自語相違だらけなのに、コチラに要求するのっておかしいでしょ。それに法華講は基本的に末寺住職の裁量で化儀も少しずつ違います。
自称顕正会員の頭で全てを決めつけると、理解できない事が多いでしょう。そんなキミのためにコチラでキミの過去発言をまとめたページを開設しました、ソコでは君の発言は浅井氏と同じくテーマが同じでも、時間軸で見るとバラバラでダッチロール、自語相違だらけである。ソチラも併せて見て戴ければ、ヒトに教訓とかできない立場という事がおわかり戴けると思う。(四月一日分)

「鳥アタマ君の迷走言行録」





法門理解はデタラメだわ、捏造はするわ。自称顕正会員デレク石橋君、
いよいよ悩乱の本領発揮だね


デレク石橋氏の駄論: それに対して舎衛の三億(国民の3分の1が入信すれば広宣流布)は、それ自体を広宣流布と偽ったのですから、こちらは明らかに終着点を意味しています。
ここに大きな違いがあるのです。

デレク君、富士の法門について認識不足もいいところ。宗祖は報恩抄に「我が滅度の後、後の五百歳の中、閻浮提に広宣流布して、断絶して悪魔・魔民・諸天・竜・夜叉・鳩槃荼等に其の便りを得せしむること無かれ。」等と、仰せになられています。この御妙判に「閻浮提に広宣流布して、断絶して悪魔・魔民・諸天・竜・夜叉・鳩槃荼等に其の便りを得せしむること無かれ。」とありますね。広宣流布しても断絶しちゃダメなんでしょ。顕正会でもそんな事言ってないでしょ。君の己義ですね。

また「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし(報恩抄)」とも仰せですね。つまり宗祖は「万年の外未来までもながるべし」と仰せで、終了なんて書かれてないですね。報恩抄は五大部ですよ。キミ、えらそうな事言って読んでませんね。

しかも、達師の御文証を上げてデレク君は舎衛の三億=終着点、と誤解してますが、達師は昭和49年11月17日の御説法において、 「日本国全人口の三分の一以上の人が、本門事の戒壇の御本尊に、純真な、しかも確実な信心をもって、本門の題目・南無妙法蓮華経を異口同音に唱え奉ることができた時、その時こそ、日本国一国は広宣流布したと申し上げるべきことである」

との御指南あそばされたのは、「舎衛の三億」だから三分の一入信でオッケー、などという軽々しい意味ではありません(それは学会の説です)。日達上人は学会の説に対して、釈尊御在世の舎衛国を順縁広布のモデルケースと見立てて三分の一という数字を目標にするとしても、それは少なくとも「三分の一以上」が、いかなる難に遭うとも決して退転することのない護法の決意、すなわち「純真な、しかも確実な信心」に立っていなくてはならない、と御指導あそばされたのです。三分の一という数字にこだわることが、必ずしも本義ではありません。

ところで、デレク君、終着点ってどこに書いてあるんですか?「大きな違い」って、キミの法門理解ができてないって事ですね。それにしても、また捏造ですか。懲りませんね。

デレク石橋氏の駄論:「六千万」、「国民投票」の根拠はどこにあるのでしょう? ここから先は、あくまでも私の推測です。

まず憲法改正の手続きを、わかり易く箇条書きにします――
1:国会の発議(各議院の総議員の3分の2以上の賛成)・・・各議院とは衆議院と参議院のことね。
2:国民の承認(国民投票→過半数の賛成)
3:天皇の公布
以上の三つの手続きが必要です。
(日本国憲法第96条)

ほら、「国民投票」と「過半数」が出てきました。
つまり、国民の過半数の六千万人が国立戒壇建立を熱願し、国を動かせば、憲法改正ができるのです。

はいはい、それではアホなキミの破折は浅井サンに任せましょう「よいか──。たとえ「国民の総意」というとも、そのような漠然たる状態では未だ「国家意志」は成立しない。国民の総意が国会の議決となり、閣議決定となり、天皇の詔勅となって表われてこそ、始めて国家意志は成立するのである。  もし天皇の国事行為は制限されているというなら、改憲すべきではないか。広布の暁なら、これに異を唱える誰人がいようか。しかるに汝は、池田と同じく現憲法を至上として、御本仏の御遺命を蔑っている。これこそ広布前夜、第六天の魔王が正系門家を壊乱している姿に他ならない。(最後に申すべき事:平成十七年)」

コレに依れば、キミって広布前夜の第六天の魔王の眷属だね。欲天で留まるんだ。大変だね。

私は六千万人が、仏法としてこの浅井氏の云う六千万なる、国民半分の意味・根拠を問うているのです。前にも書きましたが、この六千はどの御妙判に出ていますか?どの仏典ですか?

仏の説いた法が、遇い難く聞き難きことを表して、舎衛の三億といいいますが、古代のインドの算定法は10万単位を1億と数えたんです。したがって3億とは30万のことであります。これは『大智度論』や『摩訶止観』を出典とする用語ででありますよ。また『大智度論』第9巻には「仏世には遇い難し。優曇波羅樹の華の時々一度有るが如し。説くが如く、舎衛の中に9億の家あり。3億の家は眼に仏を見え、3億の家は仏ありと耳で聞くも眼では見えず、3億の家は聞かず見ず、云々」とありますね。

デレク君、私見を述べるのいいですが、仏典の根拠を出しなさい。経典の根拠のないものは禅宗と同じく魔民だ。キミもエラそうにしたいなら、これくらいの仏典証拠を元に語らないと、ホントに邪義を騙ることになりますよ。あ、鳥の脳だから憶えた尻から忘れていくんだ。じゃ無理だね。

でもキミの事だから「あくまでも私の推測です」で終わらせそうだね。じゃぁ浅井氏に聞いといて、六千万の出典。しかし、デレク君は人には厳しく、自分には甘くの典型タイプかもね。キミは誰が見てもバカ決定だけど、コチラはだからテキトーと言うわけにいかないからね。しかし、また見事に派手な轟沈だね。

デレク石橋氏の駄論:六千万が関所であることは「ガツン」編集者もわかっているはずです。
わかっているから、「ガツン」の中では一切“関所”という言葉は出しません。
いつものように都合の悪いことは隠すわけです。Ver.2になっても何もかわらない。
相変わらずやることがせこいね。

ナニがどうセコイのか、サッパリ分かりません。デレク君はコチラの六千万の仏法的根拠を聞いても答えもせず、それなのに我々が分かっているとか、一切関所とかいう言葉は出しませんとか?アタマのおかしいヒトの言うことは理解できませんね、もっとも理解できたら同じビョーキになるから、コレでいいのか。

しかし論に詰まってコチラに六万とか関所とかの同意を求めるって明らかヘンですよね。なんで我々が六千万の根拠を隠さねばならないのですか?キミに聞いているのですよ。その根拠を。
あ、そうか。コレを書いている途中でおクスリが切れたんだ。そうだろうなぁ。こんなヘンな文章、書けないモンな。

デレク石橋氏の駄論:では、昭和四十七年十月二十五日の妙信講総会における浅井先生の講演を見てみましょう

「正本堂は立派に完成致しました。そして法義的には妙信講の必死の諫訴により、辛うじて、未だ三大秘法抄・一期弘法抄の御遺命の戒壇ではないと訂正された。そして恐れ多くも大聖人の御魂であらせられる戒壇の大御本尊様は出御(しゅつぎょ)あそばされた」 と。

「法義的には妙信講の必死の諫訴により、辛うじて、未だ三大秘法抄・一期弘法抄の御遺命の戒壇ではないと訂正された」という部分が重要です。

“妙信講の必死の諫訴”とは、正本堂落成直前の昭和四十七年九月十三日から同二十八日まで間、七回にわたって行われた浅井先生と学会代表との法論のことですね。
この法論に負けた学会代表は、聖教新聞紙上に正本堂の意義についての訂正文を掲載する約束をし、そして約束どおり十月三日の聖教新聞に訂正文は掲載されたのです。

デレク君、三歩歩いて忘れたんだね。もしくは蒸し返しはネタがなくなった証拠だね。

達師は二者の対論を制してこう言われた「浅井さんこれでいいでしょう、とにかく宗門でいちばん大きいのと、いちばん強いのがケンカしたのでは、私が困ってしまう。これからは仲よくやって下さい」とご発言。

そして、その後、昭和四十七年九月二十八日に達師に対する報告書が作成された。

内事部の通達にもとづいて、創価学会及び妙信講は、去る九月十三日以来、会談をつづけましたが、ここにそのご報告をいたします。

一、 三大秘法抄、一期弘法抄の解釈については、双方に見解の相違があり一致するに至らなかったので、今後折をみて更に誠意を持って話し合う。
二、 広布達成、御遺命達成の如何については創価学会機関紙上に、未来にわたることである旨を明記した論文(但し一、の点については双方の意見の相違を考慮してふれない)を掲載する。
三、 正本堂の落慶に伴う儀式については、総本山の儀式であり、信徒としては干渉しない。
四、 この会議の内容については一切公表しない。
五、 今後双方一致して広宣流布をめざして戦う。
 以上の通りでございますので、総本山におかれましても私共の意中をおくみ戴き宜しくお取りはからい下さいますようお願い申し上げます。


コレも既に破折済みの件であります。以下は既出の文面だが三歩歩くと忘れる人のために、再掲します。

浅井氏は「誑惑与同の宗務当局が立ち会って猊下に納め奉り、ここに誑惑訂正の全宗門的合意形成なる」と妙信講員に説明、文書存在は両団体の約束により、公にはされなかった。
この「報告書」とその経過は、互いに口外しない、という申し合わせであったが、浅井氏は信義をふみにじり、事実を曲げて話している約束違反などがあり、公表されたものである。

また報告書には、既に、広宣流布の完結という事は未来の事であるが、その時には、正本堂が、本門寺の戒壇堂、即ち、御遺命の戒壇たるべき大殿堂である事は、既に訓諭に示されており、御報告の第二項は、そのことを確認したにすぎないのであった。

この報告書は双方の意見の違いがあることも認め合って、今後話し合いをしようと決めたもので、妙信講の言い分を認めたのではない。 ともかくこうして、話し合いで一応落着がついた。しかし、後の浅井氏は「不浄の殿堂」と正本堂を批判する。これが一連の流れです。

それでは順番に生きましょう。キミには何回も指摘しているのに理解できませんね。まず、学会との正本堂の定義法論です。

◎デレク石橋:正本堂落成直前の昭和四十七年九月十三日から同二十八日まで間、七回にわたって行われた浅井先生と学会代表との法論のことですね。

と云いますが、コレはガツンの2でも取り上げてあります。しかも、キミが反論できなかったヤツです。更にその際にも指摘したのに関わらず、また蒸し返しですか。その時にも書きましたが、学会側との対論はこの後も続いていて、最終的に浅井氏はこう言ってます

昭和四十九年五月二十四日「もう是で話し合いは終わりだ、我々は我々の信ずるままに行動を起こす」と一方的に話し合いを打ち切り、「理不尽と言われようと真義に悖ると言われようと、かまわない。もはやこれまでだ」と学会側の発言にも耳を貸さず、退室した。」と言って逃げてます。デレク君、キミは鳥のアタマで忘れるけど、コッチはそうじゃないからね。もうこの手は取り合わないよ。

◎デレク石橋:「法義的には妙信講の必死の諫訴により、辛うじて、未だ三大秘法抄・一期弘法抄の御遺命の戒壇ではないと訂正された」

達師の裁定で学会側が訂正しただけです。いつもの通りですが、キミ、事実にそぐわない都合の良い解釈をしてますね。

◎デレク石橋:「正本堂は立派に完成致しました。そして法義的には妙信講の必死の諫訴により、辛うじて、未だ三大秘法抄・一期弘法抄の御遺命の戒壇ではないと訂正された。そして恐れ多くも大聖人の御魂であらせられる戒壇の大御本尊様は出御(しゅつぎょ)あそばされた」 と。

別に浅井氏が、と云うわけではないでしょう。臨席された達師の学会への諌めもあって、最終的にご報告という形で両者の見解が報告されましたよね。

この後も、学会側が「国立戒壇の是非については時間をかけて対論を続けていこう」と提案。浅井本部長は「未だ御遺命の達成ではないことを明確にし、創価学会が”正本堂は御遺命の戒壇”という発言や指導を絶対行わず、今後妙信講と国立戒壇の是非を論じていくなら結構だ」と応じる。

しかし、浅井氏は達師への一連の報告文が形を見せる中で「この報告書のような解決では、これまで講中をあおりつづけてここまで来たのに拍子抜けの感になり、ふり上げたこぶしの下ろし場所がなくて何とも説明がつかない。従って、一度だけ勝った勝ったという話で講中に報告するので目をつむっていてほしい」というので、学会側も協議の上、ここに至るまでにも譲歩の理由があった為、こちらは妙信講内のことには無視する事にしたというのである。(山崎正友:盗聴教団から主意抜粋)と云う裏舞台ですけど、ま、浅井氏こんなモンでしょ。

デレク石橋氏の駄論:そもそもバチカンという国は、国そのものがカトリックの総本山です。何故わざわざ謗法の総本山の外交官を招く必要があったのでしょう?

話は戻ります。 しかし妙信講がこの悪事を知ったのは二年後の四十九年の夏でした。
つまり聖教新聞に訂正文を載せても、それとは関係なく妙信講の知らないところで正本堂の誑惑は続いていたわけです。

デレク君、不浄の正本堂にしたくって必死だな。まず、以前にも書いたが、学会が関係しているところは学会に申し立てして下さい。怖いからってコチラに粘着するの、やめて下さいね。

それではココでも論点はバチカン云々ですが、「昭和四十七年九月十三日から同二十八日まで間、七回にわたって」とありますが、その論点の幾つかは来賓の式典参列の事であったようです。コレについて富士二百五十号には「来賓の件については落成式には招かず、建物が完成した時点の御遷座以前に、建設に関係した工事関係人、銀行等を集めて「完工式」を行う事が決定された。ここに戒壇の大御本尊に対し奉る不敬は辛うじて防がれた」「不信・謗法の来賓数千も大御本尊の御座所を踏み給わず、御遺命の正義・本宗七百年の伝統は辛うじて、此処に死守された」こういう浅井氏(当時理事長)の言葉が出てます。

キミは「正本堂の誑惑」って言うけど、言うことおかしいよ。不敬が免れたのに、何故騒ぐ必要があるの?だったら防げてなかったってことになるよね。御宗門はそんな事言ってない。つまり君らは君等の論旨で自縛しているんですよね。ソレってコチラの事なの?そっちで解決する事でしょ。わかるかな?こう言う理屈。わからんだろうな。

キミは「妙信講がこの悪事を知ったのは二年後の四十九年の夏」と言ってますが、浜中和道師は「六月頃(注:昭和四十七年)に、いよいよ学会をやっつけようとしているときに、こういう願ってもない攻撃のネタが見つかった、と大喜びしていたそうです」(浜中和道師:元妙信講問題について)と後に暴露している。

つまり浅井氏は当時のこういう動きを知っていたんですね。そして学会攻撃と宗門を隷属させるためにあえて「不浄の殿堂」と言い出したんです。それも二年後に。それにしてもこの幼稚な論のキミの出典は「なぜ学会員は功徳を失ったか」だろうが、遷座されていない完工式に招いた異教徒が堂宇を汚したとなるならば、顕正会の会館建設は全て顕正会員で担われているのだろうか。ご宝前の仏壇は全て顕正会員の手作りか?

デレク石橋よ、こんな幼稚な疑難、バカバカしいと思わないか?思わなければ顕正会会館から仏壇、法具一式、他宗の手になるものは無いと、是非ともその証明を求めるものです。

デレク石橋氏の駄論:ゆえに池田は、邪魔者の妙信講を解散処分にし、さらに、誑惑の完結たる“本門寺改称の陰謀”を企んだのです。
よって浅井先生は平成二年に「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」を著し、宗門を諫めたのです。

レベルの低い難癖である。宗外に出た浅井氏が宗内の動静など分かるものでは無いのに、妄想を膨らませて書いた「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」を真に受ける人が居るとは笑止でありますな。本門寺改称の陰謀なるもののネタ元は正信会でありますね。自分たちの横やりと難癖のためには敵とも手を結ぶ、浅井氏らしいやり方ですね。デレク君、御宗門が本門寺改称なる意図があったとする文書なり、証拠を挙げてみたまえ。こちらには明確に否定できる証言と文書がある。楽しみにしているよ。

デレク石橋氏の駄論:聖教新聞に訂正文を掲載しておきながら、池田大作は全く改心していなかったのです。 池田は正本堂の完工式に、ローマ法王庁(バチカン)から二名、米国から二名の計四名のキリスト教神父を招きました。

はい、創価学会に申し立てして下さい。しかも浅井氏大きな間違いしてるし、計四名の神父、証明してみな。デレク君、相変わらず粗っぽいね。

(2012/05/24)




三月十六日分は一文章中相反する主張をする離れ業を披露してくれました。さすがデレク君。クスリ飲みながらテンション上げるのは危険ですよ。と注意するも反省無しのままにトラック蹴る意欲で木っ端微塵でした。


デレク石橋氏の駄論:さて、前回の記事をアップしたら、えらいスピードで山門入り口君が反応しましたね(笑)その日のうちに「返事」を書いてましたよ(爆笑)
さらに翌日には「ガツン」側も反論してきました(笑) そんなに慌ててどうするの? 慌てれば慌てるほど、周囲から笑われるだけですよね(笑)

自意識過剰です、いつもキミの駄文への反論は時間がかからないので、その日のウチにアップしてます。コチラの反論ページに、ブリトー石橋君(現デレク)一日に何回も見に来ているから知っているでしょ。諸々バレてるよ。

デレク石橋氏の駄論:で、その慌てて書いた「ガツン」側の反論ですが、結局、こじつけ・ヘリクツ、そして私の悪口だけでした(笑)

もう既に浅井氏の屁理屈論文の構造は解明してますし、キミの駄文はその域内ですから、コチラも何度もその誤りを指摘しています。にもかかわらずネタがないから、コレに粘着しているのはキミの方でしょ。ところで好評の「ガツンと破す」ですが、キミのおかげでバージョン2が出来上がりました。キミのヨタ記事を少しと前回入れなかった破折文も盛り込んであります。ソコにキミの浅知な疑難もアップしてあるから、もう一度確認して反省して下さい。コチラできみが答える事ができなかった「反論無しは異論無し」の破折文ですよ。

デレク石橋氏の駄論:それにしても「ガツン」編集者は、ずいぶん短時間でいろんな資料を集められるんですな。
ふつうの法華講員じゃこういうことできませんね。もしかして彼らは、日蓮正宗からお給料を貰ってる人なのかな?私の破折を食い止めると、特別ボーナスが出るとか(笑)
「顕正会をガツンと破す」が宗門の職員によって作られたのなら、そのメンツにかけても破折は阻止したいところですね。

またまた自意識過剰で、妄想のよく効いた文章ですね。御宗門がなんでキミ如きに意識しなきゃいけないの。それにキミへの反論は、余りに幼稚で当初の人から変わって、今は別の人がやってます(私です)でも、駄文のレベルが低いから半分くらいは法華講移籍歴半年の人に手伝ってもらってます。でも十分ですね。だってキミ、太刀打ちできてないし。

コチラは顕正会に関してはデーターベース化していて、検索すれば一発で関連項目が出てくる。キミみたいに想像や推測、内部資料だけで破折ごっこではなく、チャンと資料は全国の元顕正会の法華講員さんからのネットワークで集められたものです。コチラはキミみたいないい加減なスタンスじゃないから、うらやましい?キミは人に言いがかりばかり付けるから、人気がないんだよ。

デレク石橋氏の駄論:それから質問してましたね。何が終わって、何が終わってないのかって。 終わったのは「学会と宗門がグルになって推進した正本堂の誑惑」。御遺命破壊は、正本堂を御遺命の戒壇と偽ったことから始まったわけで、誑惑の正本堂が崩壊すれば一件落着。 終わってないのは「宗門が未だに御遺命違背のなごりをズルズル引きずり正義に目覚めていないこと」。

誤魔化すんじゃないよ、まだ残っているだろう。やっぱりキミは顕正会員ではないな。一番新しい浅井氏の発表も知らないし、しかも浅井氏がかつて云った完結の姿は以下ですね。 平成十年四月五日の正本堂から大御本尊遷座の後、五日後に「御遺命守護完結奉告式」が本部で奉修されたが、完結の姿は

一、日蓮正宗に復帰できる
一、幹部には常住本尊、一般会員には形木本尊が下附される
一、戒壇大御本尊への内拝が許される
一、松本日仁能化の擯斥処分が取り消し、満山供養を願い出る

また護法山顕正寺落慶法要の際には「御遺命守護完結のその日には、この顕正寺は時の法主上人猊下に御供養申し上げる、お還し申し上げると云う事になっております(富士・一七五号)と述べていたが、すべて実現していない。キミの言う「宗門が未だに御遺命違背のなごりをズルズル引きずり正義に目覚めていないこと」はそのまま「「顕正会が未だに御遺命守護のなごりをズルズル引きずり正義に目覚めていないこと」でありましょう。

御遺命完結とは顕正会の言う戒壇義が宗門に容れられる事であったはずである。それが戒壇御本尊が遷座される事にすり替わって、しかも何ら約束事項は履行されていない。これらを糾弾した元会員は除名処分となり、顕正寺は典礼院と名称を変え浅井氏は過去の発言にダンマリを決め込んでいる。

デレク石橋云わく「学会と宗門がグルになって推進した正本堂の誑惑」コレについては既破折だが、サービスしておきましょう。

◎但し、ここに不思議なるは、御法主上人の訓諭には一言の「事の戒壇」なる御言葉も見られぬ事である。いやこの訓諭だけではない。正本堂の意義が初めて決定されたと学会で喧伝する昭和四十年二月十六日の正式の御説法に於ても、猊下は「事の戒壇」の御言葉を用い給わず、またその意味も宣べ給わず。ただ、戒壇の大御本尊の御安置を仰せ出し給うのみ。その後の発願式に於ても然り、起工式も然りである。(富士第139号 9ページ)

◎しかるに不思議なるかな、いま猊下の御説法をつぶさに拝し奉るに「事の戒壇」なる文字はもとより、その義・意すら見られない。いやむしろ、よくよく拝せば否定すらしておられる如くであられる。(富士第139号 30ページ)

◎但し、ここに大注意を要す一事あり。猊下の御意を歪曲する者はこの百六箇抄に於ける「本堂」を即いまの正本堂と為す。これ誤りの中の誤りなり、法義の歪曲これより生ず。猊下のここに説き給うはあくまで来来広布の暁に於ける大本門寺の本堂なること文に在って分明なり。(富士第139号 31ページ)

◎未来大本門寺の本堂に準じて、現在大石寺に於ても御安置は本堂がふさわしき旨をこの段に仰せ給う。但し、ここに仰せの現在の本堂とは即ち時を待ち秘蔵する蔵の意なり。応に知るべし。猊下の仰せは、時来るまでの、大御本尊まします蔵は即ち本堂、即ち義の戒壇なりと云う事なり、故に本堂御安置の例を御在世に取り給う。更に云く、「ご入滅後は御本尊のおわします所が本堂」と。御意明らがなり。(富士第139号 32ページ)

◎正本堂即大本門寺本堂・即事の戒壇なり、と誤り解す者あるを慮りて、本堂と雖もなお未だ時を待つ蔵の意、即ち義の戒壇なるを重説し給う段なり。故に文中すでに「まだ謗法の人が多い」「広宜流布の暁をもって公開」「おしまいしてある意義」「御開扉の仕方はいままでと同じ」「蔵の中に安置申し上げる形」との懇ろの仰せを拝す。(富士第139号 33ページ)

あたらしいガツンにも出ているから、多分恐ろしくて見ないと思うけど、まぁ見て下さい。

デレク石橋氏の駄論:この項目で「ガツン」側の言いたいことは、顕正会(当時・妙信講)は、この「正本堂建設御供養趣意書」を読んで納得した上で正本堂の供養に参加しておきながら、後になって「御遺命違背」などと言うのはおかしいではないか、ということのようです。(中略)妙信講が宗門の一翼として、御供養に参加せんとしたのは当然だった。」と。以上が先生の、当時にご心境です。

妙信講員(いや、正宗僧俗)にとって、御遺命の戒壇とは“広宣流布の暁”に建立されることは常識なのですから、当時この猊下の説法を聞いても、誰も正本堂を“御遺命の事の戒壇”とは思わなかったでしょう。思ったのは誑惑の黒幕である池田大作だけ。

正本堂が、“御遺命の事の戒壇”でないのなら、それは“戒壇の大御本尊を厳護し奉る大御宝蔵としての堂宇”以外の何物でもありません。

当然、「妙信講も御供養に参加しましょう」ということになります。やっぱり何も不思議なことはありません。

余りバカバカしいので端折りましたが、既にコチラで破している内容の蒸し返しでした。最後の方を引っ張ったのはその超バカな言い訳が秀逸だからです。 しかも、デレク君は上で全く別の説で当方を非難していながら、今度はそれとは真逆の説で浅井の御供養擁護していること。同じ文章中ですよ。ホント笑えますね。

「学会と宗門がグルになって推進した正本堂の誑惑」。御遺命破壊は、正本堂を御遺命の戒壇と偽ったことから始まったわけで、誑惑の正本堂が崩壊すれば一件落着。(三月十六日:デレク石橋)

デレク君「正本堂を御遺命の戒壇と偽った」といいながら此処では「当時この猊下の説法を聞いても、誰も正本堂を“御遺命の事の戒壇”とは思わなかったでしょう」という悩乱ぶり。一所懸命汗かいてコチラに難癖付けようとして、一つ論ずると、別の処が破綻するというお得意のブーメラン現象ですね。以下に矛盾発言実例ね。

◎「正本堂は、一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含む…」ということですから、細井日達は学会の圧力に屈し、正本堂は御遺命の戒壇だとほとんど認めてしまったようなものです。一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含んでいるのなら、当然「時を待つべきのみ」を守らなければいけないと思うのですが、待ちきれずに建ててしまったのですね。子供みたいですね。(ブリトー石橋氏・一月二十二日ブログ発言)

◎1番目の、「委員会が開かれるにあたって…」という文章は、昭和四十年二月十六日の第一回正本堂建設委員会における、細井日達の説法です。 この説法は、“矛盾して支離滅裂”であるが故(ゆえ)に、正本堂が「御遺命の戒壇」であるともないともどっちとも受け取れてしまうという曖昧(あいまい)なものでした。(ブリトー石橋氏・二月一日ブログ発言)

◎細井管長も曽ては正しい定義を用いていた…
「事の戒壇とは、富士山に戒壇の本尊を安置する本門寺の戒壇を建立することでございます。勿論(もちろん)この戒壇は広宣流布の時の国立であります」(大日蓮36年5月号)「広宣流布を待ってはじめて本門寺を建立、戒壇の大御本尊を安置し奉って事の戒壇建立ということになるのでございます」(大日蓮34年9月号)と。 しかるに昭和四十五年の顕正会の諫暁以降、突如としてこの定義が変更される。すなわち細井管長は
「この(戒壇の)御本尊在(ましま)すところは事の戒壇でございます。だからその御本尊が、たとえ御宝蔵にあっても、あるいは唯今奉安殿に安置し奉ってあっても、あるいは今正に出来んとする正本堂に安置し奉っても、その御本尊在すところは何処(いずこ)・何方(いずかた)でも、そのところは即ち事の戒壇であります」(45・4・27・教師補任式)と。

前言との『自語相違』はどうなる。(ブリトー石橋氏・二月十七日ブログ発言)

ブリトー石橋氏時代の発言だから、オレは知らないって通りませんよ。

◎細井日達は学会の圧力に屈し、正本堂は御遺命の戒壇だとほとんど認めてしまった
◎正本堂が「御遺命の戒壇」であるともないともどっちとも受け取れてしまう
◎待ちきれずに建ててしまったのですね
◎しかるに昭和四十五年の顕正会の諫暁以降、突如としてこの定義が変更される。


そして今回は「正本堂が、“御遺命の事の戒壇”でないのなら、それは“戒壇の大御本尊を厳護し奉る大御宝蔵としての堂宇”以外の何物でもありません。 当然「妙信講も御供養に参加しましょう」ということになります。」

他にもキミの破綻文書は一杯あるけど、やっぱりおクスリ飲みながらテンション上げるの良くないよ。ホラ上記の過去文章、今回と比較すると、まるで意味不明。バラバラ。浅井氏の弟子だね、やっぱり。ほとんど恥を上塗りしているだけですよ。

今度はどんな言い訳するのかな?妄想膨らませていないで、兎ちゃんのお世話と、今回も治療に専念しないさい。だね。(三月十六日・デレク反論分)




三月八日に名前を変えても同じ調子で反論にもならない屁理屈をデレク石橋君はまた、述べてきた。
とりあえず法義に関する所を全文アップして、閲覧者に笑って貰おうと思う。便宜の為にコチラの多少のコメントは載せておいたが、基礎教学がないキミには難解だと思う。
今回は自分の論擁護のためにキミは有る言葉を残したが、結果的にソレが結論となったようだ、自己中の教学妄想はそろそろ辞めて、本格的に治療に専念することをお勧めするよ。


デレク石橋氏の反論:☆「再反論」 君達は相変わらず、私の破折の打ち消しに必死なんだね。
別にこちらは「回答不能」という扱いでも構わない。大事なことは、読者が私の破折を信じるか、それとも君達のヘリクツを信じるかなのだ。

では今回は特別に「回答」してあげよう。

「ガツン」側の言い分を要約すれば、「文底秘沈抄」と「依義判文抄」はその“大意”が違うから、同じ「教主釈尊の一大事の秘法」という文言も、その都度、コロコロと意味が変わるということらしい。
確かに「依義判文抄」と「文底秘沈抄」の大意は違うが、だからといって、その中に書かれている「教主釈尊の一大事の秘法」まで違う意味で解釈するというのは、一体どの猊下の御指南に基づいているのだろうか?

「文底秘沈抄」の「教主釈尊の一大事の秘法」と、「依義判文抄」の「教主釈尊の一大事の秘法」が同じであることは、「文底秘沈抄」(六巻抄・顕正会版65ページ6行目から)を見れば明らかである。
そこにはこう書かれている。

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問う、有(あるい)は謂く、宗祖云く「教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘し隠し持(たも)てり、去れば日蓮が胸の間は諸仏入定の処なり、舌の上は転法輪の処、喉は誕生の処、口中は正覚の砌(みぎり)なり、斯(かか)る不思議なる法華経の行者の住処なれば争(いか)でか霊山浄土に劣るべき」云々、今此の文に准ぜば延山は正しく是れ法身の四処なり、豈最勝の地に非ずや。
答う、「教主釈尊の一大事の秘法」とは結要付嘱の正体・連祖出世の本懐・三大秘法の随一・本門の本尊の御事なり。是れ則ち釈尊塵点劫来心中深秘の大法の故に、一大事の秘法と云うなり。然るに三大秘法随一の本門戒壇の本尊は今富士山の下に在り…

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青い部分は、浅井先生が「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」で引用された部分。
その上の赤い部分は、「依義判文抄」の中で引用されている“南条抄”とまったく同じ。

文章の流れを見ると、赤い部分は“問い”で、青い部分はその“答え”になっている。
“問い”と“答え”は、つながった文章だから、赤い部分に書いてある「教主釈尊の一大事の秘法」と、青い部分に書いてある「教主釈尊の一大事の秘法」は、当然同じということになる。そして、赤い部分は“南条抄”なのである。

つまり、「文底秘沈抄」の「教主釈尊の一大事の秘法」も、「依義判文抄」の「教主釈尊の一大事の秘法」も、どちらも同じ“南条抄”に書かれている「教主釈尊の一大事の秘法」ということだ。

にもかかわらず、「ガツン」編集者はその意味がそれぞれ違うと言う。彼らの思考回路は一体どうなっているのやら・・・?

次に、「日蓮大聖人の御当体は即本門戒壇の大御本尊」」の件だが、“邪義破折班”のサイトの論旨がどうであろうと、「当流行事抄」の御文の“意”は変わらない、つまり「ガツン」側の反論は、全く反論になっていないのだ。今度も行き詰ってヘリクツこねてるだけね。

私はこんなのも用意した。

「大白法・平成9年5月16日刊(第478号より転載)教学用語解説(27)」から引用。

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また『御義口伝』に、
「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」
(御書 1773頁)
とあるように、御自身の内証を「南無妙法蓮華経日蓮」と認(したた)めて、人法一箇の大漫荼羅本尊を顕されました。
私たちが即身成仏の境界を得るためには、末法下種の本門戒壇の大御本尊の当体が、そのまま御本仏日蓮大聖人であることを確信し、自行化他の信行に邁進することが肝要です。

このサイトで確認できるぞ。

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人法一箇 (注:リンクは外しました)

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これは「御義口伝」からの引用だ。
大聖人様がこのように仰せで、大白法がこのような解釈文を載せているのだよ。

ここで再び図式で示そう。

『斯かる不思議なる法華経の行者』=『日蓮大聖人』→『日蓮大聖人の御当体は即本門戒壇の大御本尊』

日寛上人は、『斯かる不思議なる法華経の行者の住処』を『義の戒壇』と仰せられているのだから、『本門戒壇の大御本尊の住処は“義の戒壇”』と、仰せられていることになる

◎また同じ手口でコチラの筆先をはぐらかそうとしている。しかし相変わらずキミはコチラの反論を良く読んでいないようだし、恐らく意地でも理解したくないのであろう。キミの読解力に私は責任を負うものではないが。前にも指摘した通り、妄想とも言える謀り術は私には効果はないよ。

二月二十七日分では六巻抄の別の御抄から引いてきて、コレが証拠だと云ってコチラに一蹴されたが、今度は理屈を変えたつもりが、前と同じトリックを用いるとは随分なめられたものだ。

しかも最初の論旨からドンドン離れていってる。「まずいきなり結論を申しますと、六巻抄において、「本門戒壇の大御本尊の在所が義の戒壇」と仰せられているところはバッチリございます。紙の裏まで探すなんていう器用なマネしなくても見つかります。(ブリトー石橋時代の2月22日発言)」とデレク君、バッチリございます、なんてお調子こいて、紙の裏もなくなって、慌ててるんだね。でもキミは鳥の脳だから、三歩歩くと直ぐに忘れるのかも知れない。性懲りもなく、同じ様な手口で挑んできてますが、もう手口はバレてます。

デレク石橋云わく:青い部分は、浅井先生が「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」で引用された部分。 その上の赤い部分は、「依義判文抄」の中で引用されている“南条抄”とまったく同じ。

◎ネタもなくなり、手も詰まるとこういうことをしますね。生来この人は撹乱する事を喜びとする人格のようだ。こうやって自論が詰まると目くらましのために あぁでも無いと、妄想を凝らすようだ。しかも宗祖の御妙判の引用箇所が同じだからって、内容が同じとは限らない。いままで何度も指摘されたのに、懲りない人である。実例を挙げて証拠立てよう。

『問う有は謂く宗祖云く「教主釈尊の一大事の妙法を霊鷲山にして相伝し日蓮が肉団の胸中に秘し隠し持てり、去れば日蓮が胸の間は諸仏入定の処なり、舌の上は転法輪の処、喉は誕生の処、口中は正覚の砌なり、斯かる不思議なる法華経の行者の住処なれば争でか霊山浄土に劣るべき」云々、今此の文に準ぜば延山は正しく是れ法身の四処なり、豈最勝の地に非ずや。答う教主釈尊の一大事の秘法とは結要付属の正体、蓮祖出世の本懐、三大秘法の随一、本門の本尊の御事なり。
釈尊の一大事の秘法とは結要付属の正体であり、大聖人の本懐である本門戒壇の本尊の御事なり、是れ則ち釈尊塵点劫来・心中深秘の大法の故に一大事の秘法と云うなり、然るに三大秘法随一の本門の戒壇本尊は今富士山の下に在り、故に富士山即法身の四依なり是れ則ち法妙なるが故に人尊く人尊きが故に処貴しとは是なり(文底秘沈抄)』


「南条抄二十二に云わく、教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり、されば日蓮が胸の間は諸仏入定の処なり、舌の 上は転法輪の処、喉は誕生の処、口中は正覚の砌なるべし、斯かる不思議なる法華経の行者の住処なれば争でか霊山浄土に劣るべき、法妙なるが故に人尊し、人 尊き故に処貴しと申すは是れなり云云。応に知るべし、教主釈尊の一大事の秘法とは即ち是れ本門の本尊なり、日蓮が肉団の胸中とは即ち本尊所住の処、是れ義の戒壇なり、されば日蓮が胸の間等とは 即ち今文に同じ、斯かる不思議なる法華経の行者の住処等とは、所修は即ち是れ本門の題目なり、住処と言うは題目修行の処即ち義の戒壇なり、法妙なるが故に 人尊し等とは即ち上の義を証するなり。(依義判文抄)」


文底秘沈抄は大要、法華経如来寿量品第十六の文底に秘沈された大法は三大秘法の南無妙法蓮華経であることを明かし、本門の本尊、本門の戒壇、本門の題目のそれぞれ三章分け詳説されている。他門の本門意と当門の本門観と対比させ、当宗の独一本門を謳われている

依義判文抄は興尊の三大秘法の依文を基礎に、相伝の三大秘法を詳説された。「義に依って文を判ず」の通り文底の義に依って法華経の文を判ずれば、法華経の文にも三大秘法が説かれていることが明らかであるとした。ここでも本門の本尊、本門の戒壇、本門の題目について詳説されている。

こうした寛尊を読むキホンを知らずに、「同じ「教主釈尊の一大事の秘法」という文言も、その都度、コロコロと意味が変わるということらしい。」とデレク君は宣う。

デレク石橋云わく:つまり、「文底秘沈抄」の「教主釈尊の一大事の秘法」も、「依義判文抄」の「教主釈尊の一大事の秘法」も、どちらも同じ“南条抄”に書かれている「教主釈尊の一大事の秘法」ということだ。
にもかかわらず、「ガツン」編集者はその意味がそれぞれ違うと言う。彼らの思考回路は一体どうなっているのやら・・・?


◎大笑いであります。上でも解説したとおり、文上文底を相対し三大秘法を立証目的されたお書きものと、文底意から法華経の文文句句に三大秘法を証明したお書きものが同じなら、二つまとめたお書きものにすれば良いではないか。寛尊は敢えて二つに分立された意も解せず、御妙判の引用が同じだから、と云って一大事秘法云々がとは、乱暴きわまる。キミは人の論のあら探しに徹する余りに、元々の主論を見失っている。キミは二月十一日浅井氏の此の箇所を引いてナンと言ったか

ブリトー石橋氏の反論(当時):では次に、“中略”となって削られている「依義判文抄」とその解説を見てみましょう。「南条抄に云く『教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山(りょうじゅせん)にして相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘し隠し持てり、……斯(か)かる不思議なる法華経の行者の住処なれば、争(いかで)か霊山浄土に劣るべき……』云々。応(まさ)に知るべし、『教主釈尊の一大事の秘法』とは、即ち是れ本門の本尊なり。『日蓮が肉団(にくだん)の胸中』とは、即ち本尊所住の処これ義の戒壇なり。……『斯かる不思議なる法華経の行者の住処』等とは、所修は即ち本門の題目なり、住処と云うとは題目修行の処、即ち義の戒壇なり」(二月十一日分)

情けなくないか?キミの文章だぞ、此の文章では「住処と云うとは題目修行の処、即ち義の戒壇なり」として六巻抄内に直に戒壇御本尊の当処が義の戒壇を挙証とする文抄を上げる事が目的だったのではないか?それがいまやズレにズレて自論を押し通すために寛尊の文底秘沈抄を引っ張り出して、「教主釈尊の一大事の秘法」はどちらも同じだとわめいている。しかも全てが同一論拠として傍証であればいいが、前回の正信会の邪義班の文章引用や今回の御義口伝など、まるでバラバラでナンの脈略なく、ただ当たるを幸い書き連ねているだけなのだ。殆どヒステリーのおばさん状態なのだね。典型的なのを指摘しましょう。

デレク石橋云わく:次に、「日蓮大聖人の御当体は即本門戒壇の大御本尊」」の件だが、“邪義破折班”のサイトの論旨がどうであろうと、「当流行事抄」の御文の“意”は変わらない、つまり「ガツン」側の反論は、全く反論になっていないのだ。今度も行き詰ってヘリクツこねてるだけね。

この中程の部分に「“邪義破折班”のサイトの論旨がどうであろうと」とありますね。前回の彼の論ではこういう引用根拠でした「この文証の解釈は、あえて“青年僧侶邪義破折班”のサイトから引用します。これなら反論できないでしょ。(2月22日:ブリトー石橋氏のブログ)」と論じ元ブリトー石橋氏は「これで「日蓮大聖人の御当体は即本門戒壇の大御本尊」ということが、六巻抄の中で証明できました。」と云ったのです。つまり「日蓮大聖人の御当体は即本門戒壇の大御本尊」を論証するためには必要要素であったはずです。結果はどうでしたでしょうか

彼の論拠としてコチラの反論を制止するために持ってきた邪義破折班の文書が、コチラの反論であっという間に「“邪義破折班”のサイトの論旨がどうであろうと(三月八日:ブリトー石橋氏のブログ)」に変わってしまうのです。「これなら反論できないでしょ。」のはずであった必要要素は「当流行事抄の御文の“意”は変わらない(三月八日:ブリトー石橋氏のブログ)」とすり替わり、ご丁寧に「全く反論になっていないのだ。今度も行き詰ってヘリクツこねてるだけね(三月八日:ブリトー石橋氏のブログ)」と焦り半分で誤魔化しているのです。

もし三月八日のデレク石橋氏の説明通りだったら、アタマから邪義班の文章を引用せずに二月二十二日に論証すれば良いではないですか。なぜしなかったのでしょう。ズバリ言えば彼はもうどうして良いのか、分からないのでしょう。自分でも場当たりと云っているが、まさにナンの論脈もない書き連ね文章を脅迫感情に任せてアップしているだけのようである。

デレク石橋云わく:「ガツン」側の言い分を要約すれば、「文底秘沈抄」と「依義判文抄」はその“大意”が違うから、同じ「教主釈尊の一大事の秘法」という文言も、その都度、コロコロと意味が変わるということらしい。 確かに「依義判文抄」と「文底秘沈抄」の大意は違うが、だからといって、その中に書かれている「教主釈尊の一大事の秘法」まで違う意味で解釈するというのは、一体どの猊下の御指南に基づいているのだろうか?

と、ここまで該当文書を引用しコチラの説明を読めば、三月八日のデレク君の悩乱文章は、全く何の意味もないと云う事がお分かりかと思います。依義判文抄と文底秘沈抄は、其の著述背景・意図からして違うものだし、寛尊の論旨・文脈を無視して同じ文句が有るから飛びついたデレク君、キミに法義を語る才能は無いよ。反論の筋目からも逸脱し、しかも自論の枝葉に固執して大要を見失う。これは国立戒壇の名称にこだわった時もそうだし、事と義の戒壇論にハチャメチャな論をかざした折もそうであった。デレク君、キミは間違いなくアタマ悪いから、こね回さないで、ビョーキ治療に専念しなさい。

デレク石橋云わく:『斯かる不思議なる法華経の行者』=『日蓮大聖人』→『日蓮大聖人の御当体は即本門戒壇の大御本尊』
日寛上人は、『斯かる不思議なる法華経の行者の住処』を『義の戒壇』と仰せられているのだから、 『本門戒壇の大御本尊の住処は“義の戒壇”』と、仰せられていることになる


此の理屈を通したいが為に、一大事の秘法だ、文底秘沈抄だと、涙ぐましい努力をするわけです。已に二月二十二日にもそして二十七日にも指摘したように、浅井サンの詐欺手法を手を変え品を変えやっているだけです。こんなものは法義でも何でもありません。再掲しておきます。

前は青年僧侶邪義破折班の文章を引っ張ってきたが、今度は大白法を使って『御義口伝』 「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」を持ってくる。

『斯かる不思議なる法華経の行者』=『日蓮大聖人』→『日蓮大聖人の御当体は即本門戒壇の大御本尊』

日寛上人は、『斯かる不思議なる法華経の行者の住処』を『義の戒壇』と仰せられているのだから、『本門戒壇の大御本尊の住処は“義の戒壇”』と、仰せられていることになる


結論部分は同じ。御義口伝の御妙判を変えただけ、コレだけです違いは。手法は同じです。寛尊の依義判文抄の戒壇義、正しい御指南要点を図式化しました。再掲します

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1番目:第七に神力品の爾時仏告上行等の文を開示

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2番目:最初に三大秘法の依文として四つに分類、称歎付嘱・本尊付嘱・題目勧奨・戒壇勧奨

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3番目:義の戒壇を示すに亦二と為すとして、本門題目修行と本門の本尊所住の処(義の戒壇)

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4番目:そして、別段として事の戒壇の説明にすすんで、神力品結要付嘱の文に同じを明かされます
 (法身=四処=此の経の在所=皆応に塔を起つべき=事の戒壇)


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5番目:南条殿御返事で、いままで論じてきた法身の四処(生処、得道、転法輪、入涅槃)を証明

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「教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり、

されば日蓮が胸の間は諸仏入定の処なり」の文を四処に配当し、明かされる、その四処とは


◎生処=喉は誕生の処
◎得道=口中は正覚の砌なるべし
◎転法輪=舌の上は転法輪の処
◎入涅槃=胸の間は諸仏入定の処

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南条抄のポイントは四処に塔を立てる、宗祖の神力付属の証明が文意なわけです。

◎所修は即ち是れ本門の題目なり=本門の題目修行の処を示し(戒壇勧奨の義の戒壇説明箇所です)
◎住処と言うは題目修行の処即ち義の戒壇なり=所住之処は義の戒壇なり(第二に法師品の在々処々等の文)


つまり、事の戒壇=宗祖の四処で成就された塔(神力品の皆応起塔=宝塔)
義の戒壇=本門の題目修行の処、本門の本尊所住の処
(神力品の「若しは経巻所住の処~若しは山谷曠野にても」の該当依文)。

はい、やっと終わりました。これで浅井氏のトリック解明ができます。
彼が得意満面でアピールした、寛尊の戒壇本尊当処=義の戒壇と云う文証の箇所は、

◎「日蓮が肉団の胸中とは即ち本尊所住の処、是れ義の戒壇なり」
◎「住処と言うは題目修行の処即ち義の戒壇なり」でした
両方共に、に進む前のの箇所の義分の戒壇の御指南に該当する文章だったのです。

デレク君。何度手を変えても寛尊は義の戒壇義とは別に事の戒壇の定義をお示しである。残念だね


浅井氏のウソの戒壇大御本尊の当処が義の戒壇と説示のトリック解明は以下です。

◎「日蓮が肉団の胸中」とは本門戒壇の大御本尊所住の処である。
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もうウソですね。此の文章は「日蓮が肉団の胸中とは即ち本尊所住の処」が此の項目の文章で、本門戒壇の大御本尊所住の「本門戒壇の大」の文字を付け加えて、こういう操作を行っています。正しくは「日蓮が肉団の胸中とは即ち本尊所住の処」で、ここは即ち本尊所住の処=経巻所住の処=所在国土=末寺の本尊=義の戒壇、でなければなりません。「本門戒壇の大」を冠する事は反則です。本門の本尊は末寺や自宅の本尊も本門本尊です

◎日寛上人はこの処を「これ義の戒壇なり」と明確に仰せられているではないか。
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はい、上で説明したとおり、こういう主張にもっていくために、日蓮が肉団の胸中=本門戒壇の大御本尊所住の処と一番に書いたんですね。しかもこの箇所は三番目の「初めに本門の題目修行の処を示し」の処の義の戒壇説示部分ですね。事の戒壇まで進んでません。これトリックです。

◎「斯かる不思議なる法華経の行者の住処」をまた「義の戒壇」
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これは、3に当たる文章中の言葉です。しかし、ここで虚実を混ぜ込むイントロです。

◎「法華経の行者」とは即日蓮大聖人 ←コレ、文章トリックの第一弾
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この神力品の戒壇段と何の関係も無い文章です、しかし実はコレが次に橋渡しするための布石、第一弾です

◎「日蓮大聖人の御当体は即本門戒壇の大御本尊」←コレ、文章トリックの第二弾
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そんな文書今回にはありません。ココが三段論法の第二弾です。
こういう富士門宗祖本仏論の基本、伝統常套句、大前提、条件項目を利用して次の結論に導こうとします。

◎『その「住処」をまた「義の戒壇」』と仰せられているではないか。
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はい、浅井サン見事に結論に結びつけました。間に二つも此の戒壇論と関係ない文章挟んで、義の戒壇に無理矢理結びつけ、しかも周到に文章と寛尊の三番目の説示を使用して目くらましをダブルでやってます。ホント狡猾ですね。

目くらましの一つは、間に富士門の常套句を挟み込む事、これで肉身の大聖人=義の戒壇、と南条抄「日蓮が肉団の胸中とは即ち本尊所住の処、是れ義の戒壇なり」にある文章に巧妙に結びつけました。これトリックの一番目です。

二番目は『その「住処」をまた「義の戒壇」』コレは寛尊の「南条抄云々」の箇所で一緒に論すべき文書ではないですね。なぜならで言うところの義の戒壇とは「若経巻の下は本門の本尊所住の処を明かす」ということで、私がポイントです、と書いた「所在国土の末寺は義の戒壇」を説示した箇所であるからです。決して戒壇大御本尊の御事を指した義の戒壇箇所ではありません。浅井氏は読む者をしてに進ませずに、の戒壇義を使って、本門戒壇の大御本尊の在所を義の戒壇とすり替えたんですね。しかも二つもトリックを使って、此の戒壇論と関係ない文章挟んで、更に三番目の本門の本尊と本門戒壇の大御本尊を誤解するようにわざと交差使用して、狡知ここに極まれり、ですね。


もう既に論じているので細かくは書きませんが、人を欺すのなら宗教ではありませんね。以下が要旨です。

◎目くらましの一つは、富士門の常套句を挟み込む事
◎富士門宗祖本仏論の基本、伝統常套句、大前提、条件項目を利用して自論の結論に導こうとします。


キミの今回の「大白法」や「御義口伝の本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」の引用も同じ詐欺テクニックだよ。この御妙判や用語は富士門の常套句であることを利用したトリックなだけ。こんな事に腐心しているキミの脳も大分病んでるね。キミと浅井氏の違いは、浅井氏は事の戒壇論を理解していながら邪義を述べている、キミはソレに追随している追っかけだ。しかも意識的にコレをしていたら堕獄決定だね。


デレク石橋氏の反論:ちなみに正本堂が壊れた(を壊した)件についての反論は無いね。つまり異論は無いということだね

◎キミ、ナニをトチ狂っている。この設問の最初の正本堂の部分(二月十七日反論)に何て書いてあったか、忘れたようだな。さすがは元バーズ、鳥のアタマで三歩歩くと全て忘れるようである。赤文字で入れて置くからね、順番から云えばまずコレにキミが答えなさい。

事の戒壇義、変更していないし、それに建て物に固執するキミの感覚が理解できないし。キミ何時かは建物って壊れるんだよ。正本堂の場合カビやらヒビやらで、汚らしいし、それに私の感覚として建物としては周りの景観にそぐわないヘンなデザインでしたね。今の奉安堂の方が佛教伽藍として普通に見れます。周りの景観にマッチしているしね。それよりも不思議の還御で、御遺命守護完結って奉告法要、浅井氏モーニング着て大袈裟にやっていたのに、完結はいつもの通り先送りですか?

浅井氏って色んな事、幾度も完結って云って終わらせてますけど、ナニが終わって、ナニが終わってないのか、簡潔にご説明、お願いします。
(当ガツンと破す、を破す。それを破す:その2 記事/二月十七日反論文)



さてそこでキミの反論だが

デレク石橋の反論:答えの内容を箇条書きにしますと――
1:建物はいつか壊れる
2:正本堂はカビやらヒビやらで汚らしい
3:私の感覚として建物としては周りの景観にそぐわない変なデザイン

では1について申しますと、正本堂は“壊れた”のではなく“壊した”のです。意味が全然違いますね。
信徒から多額の寄付を集めて建設し、また多額の資金を費やして壊したのです。信徒の真心の供養はどこへ消えていくのやら。
だいたい時の猊下が訓諭で『正本堂』は『広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂』と定めた以上は、最低でも広宣流布の暁までは壊してはいけないと思います。


デレク君、こんなときだけ訓諭使って、目的以外の時はシカトなんですね。「たるべき大殿堂」とは御戒壇御本尊在す故である、なにも建物に意味があるわけではない。当宗はキミ達のように建物信仰ではないのですよ。

しかも学会に依れば、正本堂は万年にわたって不滅であると豪語していました。しかし、建築僅か14年後の昭和六十一年四月七日に開催された大石寺開創七百年慶祝総合会議の席上、池田氏は、『正本堂には「本格的な補修整備」が必要である』事を発表します。以後、数年にわたって正本堂には大々的な補修工事が加えられていた事実があります。つまり完成当初から建物的に問題が多い建造物だったのであります。

デレク石橋の反論:次に2についてですが、カビで汚らしいということは、湿度の管理ができていなかった上にキチンと掃除をしていなかったということですね。ヒビができるということは、これも湿度の管理ができていなかったことが原因かもしれませんね。そんなにヒビが目立ったのなら、補修すればよかったでしょうに。
ようするに、正本堂は空調の管理が全くできておらず、掃除もせず、ヒビの補修もしようとしなかったということですね。
正本堂は学会が建て、時の猊下に寄進したのですから、維持管理の責任は宗門側にあるはずです。つまり、正本堂をカビだらけ、ヒビだらけにしたのは宗門の責任者ということになります。


はい、ご高説ありがとうございます。もともと正本堂の保全修理は、学会が代行して管理する事になっておりまして、当時の記録によると建築主:正本堂建設委員会(委員長・法華講総講頭池田大作 副委員長・宗門総監早瀬他 創価学会・理事長和泉覚 副会長辻武寿 副会長北条浩他・法華講連合会佐藤悦三郎等)がそのまま管理保全となっておりました。まぁ、御寄進後も、メンテナンス補修管理まで学会が受けて御宗門から御供養の還流を考えていたのでありました。

つまり、ブリトー石橋さんのご意見はそのまま創価学会に申し立てお願い致します。御宗門も平成九年までイロイロ事態の打開を探っておられましたが、平成2年の学会問題以後は、学会側の管理補修は一切行われて無く、御宗門で保全をされていました、あれだけの建物の冷暖房や電気代含めて年間十億と言う金額がかかり、これが大きな負担になるということで、今後を鑑み現在の建物へとなったわけであります。創価学会へのクレーム、こちらへも是非ご報告をお願い致します。

デレク石橋の反論:3についてですが、これは個人の感想です。私はあなたの感想は聞いてません。
私は、正本堂の建設が始まる以前の古い大白蓮華に掲載された、“正本堂の模型”の写真を見たことがあります。そういう模型が存在したということは、当然時の猊下も御覧になり、納得された上で建設されたと思われます。その猊下も納得されたデザインに、一信徒の立場で不満を言うのなら、あなたは不忠の弟子ということになりますね。


そうですね、御宗門は建物を御寄進という形でお受けされただけでございます。お受けする側がデザインに対し口は挟めませんね。何処かの団体と違って、御供養は要らないと言ってるのに、受けてくれといって粘着されて、受けた途端にクレームの嵐という品のない団体ではありませんから。

そもそも建築委員会がなさった事ですので、猊下が納得されたかどうか?ソレは不明ですが、デザインから建築資材・建設会社の指定まで学会が腕をふるわれた結果の事でございます。「一信徒の立場で不満を言うのなら、あなたは不忠の弟子」結果として残されたデザインに感想を持つ事まで顕正会では禁止されているのですか、不自由でイロイロ規制が多いんですね。それは困ったモンですね。法華講はそう言うところは自由でございますね。完成したときには一部、伝統法華講や代々檀家の方々もブーイングされたと聞きました。まぁそれも法義に難癖付けている訳では有りませんので、自由ですね。

最後にデレク君云わく「ちなみに正本堂が壊れた(を壊した)件についての反論は無いね。つまり異論は無いということだね」であるならば、デレク君が放置しているコチラの宿題は全て、異論がないと云う事になりますね。なんだかあっけない終了ですね、幕引きはご自分でなさったんですね。かかか。(三月九日:デレク石橋への反論文)

一連の結論はこうです:「反論は無いね。つまり異論は無いということだ」とのデレクの自論を以てコチラが返すならば、デレク氏に対する当方の反論一連に、彼は異論は無いと云う事である。




◎「反論は無いね。つまり異論は無いということだ」デレク石橋・三月八日:談
元ブリトー石橋・現デレク石橋君の過去発言録(資料編)

★国立戒壇について(一月二十二日、反論分)

◎ブリトー君の疑難:「国立戒壇」の名称をお使いになった本宗の歴代先師上人、云々
国立戒壇なる個別名称は、柱師を含む以前に溯る御歴代にも言葉は見あたりません。国立戒壇の往古に於ける文証提示を当方から請求されるも、沈黙中。

◎ブリトー君の疑難:国立戒壇を模倣したものの、「戒壇の大御本尊」はない。そこで「佐渡始顕の本尊」なる偽本尊を立てたのである。

他人のことをいいながら、自団体のことを言っていることに気がつかない自虐的ジョークを披瀝して、現在沈黙中。

◎ブリトー君の疑難:また日淳上人も仰せられる。・このように、日淳上人がハッキリと、の二箇条

事相戒壇・事の戒壇が当宗古来の三大秘法の法義を提示。国立戒壇名称が宗祖開山の証拠を求めるも、解答せず、沈黙中

◎ブリトー君の疑難:戸田氏、池田氏が言い出した「国立戒壇」とは

浅井氏のいう国立戒壇義というか思想はほぼ、田中智学氏の言うところと同じを証明するも、無回答、沈黙中

◎ブリトー君の疑難:浅井先生が指導くださった(中略)国立戒壇の区別ができないようです。

六千万人のボーダーの根拠は仏典なのか、思いつきなのか、証拠を求めるも現在、沈黙中

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(二月一日、反論分)
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◎ブリトー君の疑難:1番目の、「委員会が開かれるにあたって…」という文章は、昭和四十年二月十六日の第一回正本堂建設委員会における、細井日達の説法です。

こちらの証明の前にブリトー石橋氏、沈黙。

◎ブリトー君の疑難:2番目の、「昭和四十四年十二月二十二日(於妙縁寺)において『猊下は一度も正本堂を御遺命の事の戒壇と……』(妙信講と宗務員が面談:阿部教学部長・発言)」という文章は、出典が不明です。

コチラの証明の前に、逆ギレしてダンマリ。

◎ブリトー君の疑難:3番目の、「正本堂は最終の戒壇ではありません。・・だから“須弥檀(しゅみだん)は蔵の形にする”と説法した」という文章

これも、客観性のない自己申告を指摘され、当方の達師の類似発言を元に証明されて沈黙中。

◎ブリトー君の疑難:4番目は、昭和四十五年四月六日の御虫払法要

前後の時間軸を立証して、浅井の諌めによって「この”正論”は言えなかったでしょう。」というブリトー石橋氏のこの論拠、成立せず。

◎ブリトー君の疑難:5番目には、「達師が『正本堂は未だ御遺命の戒壇ではない。……どうか学会は訂正してください』」と云々

当方の四番目と同じ証明方法で成立せずを証明。沈黙中

◎ブリトー君の疑難:6番目には有名な「訓諭」が登場します。

当方の達師の未来形の言辞にかかる証明と、待ちきれずに建ててしまったと言う疑難は、逆にブリトーにブーメランで自滅

◎ブリトー君の疑難:7番目の、「管長猊下は一言も正本堂を御遺命の『事の戒壇』などとは云われず

浅井の過去の言辞を以て証明され、達師が云われてなかった事が明白に、現在沈黙中

◎ブリトー君の疑難:後半一番目、「正本堂について『須弥檀の形にする』」と述べた、例の曖昧な説法のことです。

自分が達師の文章縮めして、大恥。沈黙中

◎ブリトー君の疑難:後半2番目も、やっぱり富士140号から引用した文章

自身が理解していない会通を披瀝して大恥、沈黙中

◎ブリトー君の疑難:後半3番目、「正本堂に就き池田会長に糺し訴う」の一部分です。

所性と所住の意味を理解せずこちらを指弾して、大恥。以下の文言すべてに渡って意味が通らず、現在沈黙中

◎ブリトー君の疑難:いずれの先師上人も・・・。

貴殿が上げた真逆の先師上人の御指南、会通と解答をお持ちしてます。

◎ブリトー君への当方からの質問:君の脳みそがどういう構造なのか一度中身を見せてくれ。

にお答えして一部脳みそを開示、種々疑難に対する関連質問するも、沈黙中。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
二月十一日、反論分
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◎ブリトー君の疑難:依義判文抄を騙る浅井氏の妄想論を引用して戒壇本尊当処が義の戒壇と論難。

詳細を以て戒壇の大御本尊当処=事の戒壇、日蓮が肉団の胸中、本尊所住の処=義の戒壇。を証明するも、あまりに高度で理解できないのか、沈黙中。

◎ブリトー君の疑難:当山は本門戒壇の霊地(法華取要抄文段)、依義判文抄一連、相師聞き書きの時代設定の難癖。

自身の無知をさらけ出して、浅井の論と共に沈没。

◎ブリトー君の疑難:開師御法蔵説法への難癖

これまた、顕師と八木師の浅井氏の知らない裏話を出されて、沈黙。

◎ブリトー君の所感:私を回答不能扱いにしても「ガツン」が切り文だらけのインチキ破折資料である事実は覆らないのです。

ブリトー君の「ガツンがインチキ資料」という疑難に当方が反論して、それを反証できない=証明できないブリトー君が、それでもインチキだと、自爆理論を披露。反証できなくてもインチキはインチキだと云う根拠を求めるも、その後もインチキだと絶叫し続ける。反論不能と云うより、理解不能の思考である。

◎ブリトー君の所感:推測、証明を求める、所住と所性の間違いを指摘されて、なお粘着

あとは難癖に近い感情論ばかりで、意味不明。国語理解能力が不足しているようである。

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二月十七日の反論分
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◎ブリトー君の反論:事の戒壇に二重の義があれば、三大秘法が七大秘法?

教学の初歩的間違いに同ずるような難癖を指摘して、終了。

◎ブリトー君の反論:他門の六巻抄の事と義の戒壇解釈に難癖

コチラの意図も他門の理解が浅井と同じであった事も理解できず、大恥。おまけに事の戒壇と偽った正本堂に浅井氏が謗施していた事になる、と指摘され更に大恥。

◎ブリトー君の反論:今までの既出論を蒸し返し、ネタ切れ明確

◎二十六代以前の御歴代文書に事と義の戒壇を論じた文書を提示して下さい

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二月二十二日・三月八日の反論分
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ブリトー君からデレク君になっても、こちらの反論をチャンと読まずに、浅井氏の丸写し依義判文抄を再掲、その補完とした引証も素人法門・デタラメぶりを遺憾なく発揮。事の戒壇義や先師の御指南は的外れも良いところ、いつもより増して恥の上塗りをしただけで、なんら目新しい論はなかった。ネタ切れに更に拍車がかかるブリトー君。




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