ガツンと破す、を破す。それを破す(^◇^):その2




今回も残念ながら、ブリトー君からは、反論という程のものは見られなかった。むしろコチラの反論文章を引いて批判するものの、コチラの論の意を理解することなく、浅井氏の論を引用して堂々巡りしているようである。ご丁寧に寛尊の文底秘沈抄や当流行事抄を引証として頑張っているが、先師の御指南の大意も理解せず、文証の引き方がデタラメである。よくこれで当方を切り文だ、と批判できるものと感心する。いよいよネタ切れなのであろう。(二月二十二日・08:55)



ブリトー石橋氏の反論: “2:事と義の戒壇論” の最後の項目、 “◎それでも、まだ事と義の戒壇に屁理屈述べる会員には” をクリックしてください。すると、赤い大きな文字で――「六巻抄において、本門戒壇の大御本尊の在所が、理の戒壇、義の戒壇と明確におっしゃってる所があるのなら、探して見せなさい。紙の裏まで探してもそんなモノはない」と書いてあります。私が以前、「笑えるところがある」と言ったのは、実はこの項目だったのです。
まずいきなり結論を申しますと、六巻抄において、「本門戒壇の大御本尊の在所が義の戒壇」と仰せられているところはバッチリございます。紙の裏まで探すなんていう器用なマネしなくても見つかります。

と大上段で書いているが、殆どコチラの反論に域にも届いていない。コレについてはトチロー氏も二月二十三日のブログにて所感を書かれているので、ソチラも合わせて参考にしていただければ、幸いです。

ブリトー氏よ、反論とネタに困って難癖を書くのはいいが、浅井氏は自論の「義の戒壇」の引証とした依義判文抄の「南条抄二十二に云く云々」を以て戒壇大御本尊の当処が義の戒壇であると結論しているのである。私はそのインチキ論理を数カ所指摘して寛尊の義に非ずを証明した。キミが批判するのなら此の反論の間違いを指摘するべきで、浅井氏の主張をなぞるのであれば、それは浅井理論の再掲示だけであり、反論にはなっていない。今までと同じ、つまり反証できずにギブアップに等しい行為だ。

ブリトー石橋氏の反論:重ねて先生の“二番目の結論”――●また「斯かる不思議なる法華経の行者の住処」をまた「義の戒壇」とされている。「法華経の行者」とは即日蓮大聖人、そして日蓮大聖人の御当体は即本門戒壇の大御本尊、その「住処」をまた「義の戒壇」と仰せられているではないか。

寛尊の「義の戒壇」説示の箇所を以て「事の戒壇」部分の御指南を端折り、この浅井理論を正当化するために、キミはこう言う姑息をやる。(赤文字はブリトー君の発言)

「文底秘沈抄」も「六巻抄」の書目のひとつですね。 ← コレ注目ですよ

◎『教主釈尊の一大事の秘法』とは、結要付嘱(けっちょうふぞく)の正体・蓮祖出世の本懐・三大秘法の随一・本門の本尊の御事なり」を引っ張り、

◎「然るに三大秘法随一の本門戒壇の本尊は今富士山の下に在り」を引っ張り

◎『教主釈尊の一大事の秘法』=『蓮祖出世の本懐・三大秘法随一』=『本門戒壇の大御本尊』と結論づける。

これを依義判文抄に持ち込んで証明する。しかしキミ、これなら浅井のやった詐欺と変わらんではないか。依義判文抄との大意と文底秘沈抄は同じ大意で書かれたものかね。ソコ二加えて更にコチラの口を塞ごうと青年僧侶邪義破折班の文章を引っ張って上乗せする。

◎『本門の大本尊、其の体何物ぞや。謂わく、蓮祖大聖人是れなり』(六巻抄 二〇〇)と、本門戒壇の大御本尊こそ、即大聖人の御当体であると御教示である。その御法体を蔑ろにして、どうして大聖人の末弟と言えようか。」(邪義破折班:正信会の箇所)

師匠がセコければ、弟子もセコいね。涙ぐましいばかりの努力だが、この文章キミの言う通りなのか、この箇所を掲示する。

この筋道を知らない正信会は、我ら日蓮正宗僧俗について、
「戒壇本尊の唯物的信仰」(前出の継命紙)と誹謗するが、これこそ的外れな狂論である。日寛上人は、
「本門の大本尊、其の体何物ぞや。謂わく、蓮祖大聖人是れなり」(六巻抄 二〇〇)
と、本門戒壇の大御本尊こそ、即大聖人の御当体であると御教示である。その御法体を蔑ろにして、どうして大聖人の末弟と言えようか。
また、日応上人は、
「唯授一人嫡々血脈相承にも別付惣付の二箇あり(中略)而して別付の法体とは則ち吾山に秘蔵する本門戒壇の大御本尊是れなり」(弁惑観心抄二一一)
と、唯授一人の血脈相承の中心は、本門戒壇の大御本尊にましますことを示されている。そして、この血脈付法の御歴代上人の御内証には、本門戒壇の大御本尊と二而不二の御法体がましますことも当然である。
今、戒壇の大御本尊は、御法主日顕上人猊下が厳護されている。この歴然たる事実は、日顕上人猊下こそが、血脈付法の御法主上人であられることの動かぬ証拠ではないか。
その分別も弁えず、
「猊座を簒奪して以来、二十六年間にわたってこれだけ疑惑を指摘されながら、阿部師は一つとして証明することができない」(前出の継命紙)
と、邪教創価学会と同じ世迷い言で茶を濁す正信会の頑迷さは、もはや救いがたい。
恐れ多くも宗旨の根幹にかかわる大事に対して「簒奪」なる語を用いること自体、その広大無辺な御仏智を拝信していない証左である。この姿こそ、自称正信会が「富士の本流」から離れ、悩乱している現証と言うべきである。


君ら何時から正信会と心を同じくするようになったんですか。この文章は正信会の「戒壇本尊の唯物的信仰」と「猊座を簒奪」を破す為に書かれた文書です。コレを浅井氏の義の戒壇論証明に引っ張ってくるとは、錯乱しているとしかいいようがない。キミの目玉とアタマは、相手をやり込めるために都合の良い文章があれば何でも文証になるのですか?

文証の引き方も知らずに、反論とは恐れ入りました。寛尊の御指南もキミの引いてくるところは大意の違うところである。依義判文抄は題名通り六義に三大秘法を分別された法義を興尊、宗祖の文意を以て御指南されている文書であります。文底秘沈抄は題名通り宗祖の御妙判、法華取要抄の元意を釈され、当流行事抄は当宗に於ける正助の法華経読誦の元意、修行の大事を御指南されている物である。それぞれに其の大意に即した文抄が駆使されて、説かれているものであります。その大意も元意も筋目も知らず、自身の思惑に適当な文章があれば引くというのは、法門素人以前としか云いようがない。既出でありますが、以下に再掲します。

◎寛尊は「義の戒壇を示すに亦二」と御指南ですから、戒壇勧奨の段は二つに分けられます。要約すればこういうことです。

◎一つ目は本門の題目修行の処、
◎二つ目は若経巻の下は本門の本尊所住の処=共に義の本門の戒壇に当たる。


これを浅井氏やキミは悪用して己義を構えているのであります。依義判文抄の各項目は其の抄の大意を分科されて、その道筋に従って説かれているもので、これは何方の論文もそういう構造になっているものであります。それを別の抄から大意も弁えず引証とするとは、呆れたものであります。宗祖御妙判に於かれても、その大意を誤ると釈尊立像が正意にもなってしまうので、佛教には師範が必要なのであります。

とりあえず、浅井氏の義の戒壇証明の詐欺的手法、コレについては二月十一日に既に述べているし、キミの反論もどきはコチラの論旨にも該当していないので、今回もお茶濁しにもならない、ブリトー石橋氏でありました





二月十七日にブリトー石橋氏が反論のような物をアップしたが、クレームというか極めて個人的な事に終始して法義の反論は浅井氏の過去の記事をコピペしただけであった。しかも、こちらの二月十三日の反論を読んでいれば、おおよそアップできるような代物ではなかった。多分読んでいないのだろう。だとすれば、また自己満足のただの流しブログ記事の一連であるかも知れない。その内容も有り体でネタが尽きた事も見え見えである。



以下、法義に関する文章だけ反論しておきます

ブリトー石橋氏の反論:“2:事と義の戒壇論” の4番目の “それでも、まだしつこく云う会員には” をクリックしてください。ゴチャゴチャ書いてありますが、下のほうにある<総括>から先に読んでしまいましょう。そこには――「……事の戒壇にも二重の意義(根源における事の戒壇と、広布事相上に建つ事の戒壇)がある……」という、細井日達の不思議な説が書いてあります。これでは三大秘法を開くと“七大秘法”になってしまうではありませんか。誰が見てもウソだとわかりますね。

ごちゃごちゃ、とかって。触れたくないところはそういう感じなんですね。はいはい、しかも七大秘法とかって、まるでチンピラの言いぐさですね。それではこういうお話をしてあげましょう。

「戒壇とは、王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて、 有徳王・覚徳比丘の其の乃往(むかし)を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是なり。三国並びに一閻浮提の人懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等の来下して踏み給ふべき戒壇なり。此の戒法立ちて後、延暦寺の戒壇は迹門の理戒なれば益あるまじき処に」(三大秘法抄:御書P1595)

この御妙判で「此の戒法立ちて後、延暦寺の戒壇は迹門の理戒なれば益あるまじき処に」とあります。ココでの戒法とは勿論三大秘法建立ですが、浅井氏の云う事の戒壇つまり、事相の戒壇が建立されなければ、延暦寺の迹門戒壇はまだ有効ということになりますね。いいんですか、本門戒壇大御本尊御安置の当処が義の戒壇に過ぎないのなら、事の戒壇は、どこにも存在しない。つまり戒壇義は義のみで五大秘法になり、そういうことになりますよね?

ブリトー石橋よ、こんな子供だましを言いかけてくる物でない。恥を知れ。六巻抄をマトモに拝した事もない輩の言いぐさは、不毛な論議を繰り返すのみである。ココに於いてもブリトー石橋の浅井氏を借りた論は破綻している。コレも既に論じてある事が彼には理解できないようである。

ブリトー石橋氏の反論:その不思議な説を前提に、「他宗の僧侶が顕正会と同じようなことを言っている」と面白がっているのがこの項目の趣旨のようです。「ガツン」の編集者は、どうしても“本門戒壇の大御本尊まします所は常に事の戒壇”と言いたいようですが、そもそもこれは、正本堂を無理矢理“事の戒壇”と偽るために始まった説です。一体いつまで引きずってるつもりでしょうか?

「他宗の僧侶が顕正会と同じようなことを言っている」とブリトーさん、あなた意味理解してないね。他門の僧侶が六巻抄ご覧になって、事と義の戒壇論をああいう風に理解したんですね。
ナンの相伝もない人達が、文章追って理解した内容と、浅井の云う内容が同じと言うことは、浅井の理解度が相伝のない他門並みって事ですよ。また自爆、墓穴ですね。いいですか浅井より少し前の時代を生きていた信徒の論にこんなのがあります。

◎「この本尊は久遠元初自受用報身如来の御当体で十界本有常住事の一念三千人法一箇の大本尊即ち「而実不滅度常住止説法」で主題の妙法の日蓮御判が人で人法一箇であり、御本尊のまします処が義の戒壇(事の戒壇たるべきも論議上、今は義と唱えるものである)である。斯かる尊貴のご本体であるから、由緒も正しいものでなければならぬ。(昭和五年発行・弘安二年 大曼荼羅と日興師:松本佐蔵こと道本)

この文章の「事の戒壇たるべきも論議上、今は義と唱えるものである」を見て下さい、仮に「今は義と唱えるもの」と仰せです。論議上で仮にいまは義と云う事は、普通に論ずれば、事の戒壇と云う事ですね。この信者さんは松本佐一郎氏のお爺さんです。その御方もこう仰せである、と云う事はつまり、浅井サンが習い損ないなんですよ。

◎「いたましいかな、この間廣宣流布の架設に会せずいえども、本門戒壇御本尊奉安の霊場は寂光浄土である。ひとたび此の聖境に登り此の霊風に浸たらば、無始の罪障忽ちに消滅して三業の悪、転じて三徳を成し妙法当体の蓮華仏と成らんこと疑いなし(日蓮正宗教義一班・松本諦雄・大正十五年十二月)

ブリトーさん、理解できます?「本門戒壇御本尊奉安の霊場は寂光浄土である」ですよ。寂光土なんですよ。事の戒壇に決まっているじゃないですか。この松本諦雄師は妙縁寺の戦後の住職で、その後日仁能化に昇進されました。ま、浅井氏の当宗最後の寺の住職ですら、大正期にはこういってるんですから、これらが普通の感覚だったんですよ。後はいわずもがなですね。さて、正本堂ですけど。

宗門は最初からこう宣言しているのに、分かっていて講中に御供養観募を煽ったのは誰なんでしょうね。

★「戒壇の大御本尊様が、いよいよ、奉安殿よりお出ましになって、正本堂に御安置されることを、正式におおせくだされたのであります。かねてより、正本堂建立は、実質的な戒壇建立であり、広宣流布の達成であるとうけたまわっていたことが、ここに明らかになったのであります。」(御供養趣意書:大日蓮・昭和四十年五月号一四頁)

しかも宗門はこの講中からの御供養は即刻、返却したのに、妙信講は何度も何度も受け取ってくれって押しつけたらしいですよ。おかしいですねぇ。

◎「顕正会のこの供養参加に対し、池田の傀儡となっていた法華講連合会が、「妙信講にはさせない」と騒ぎ出し、本山をも動かした。 かくて顕正会の赤誠の供養は、無残にも本山から突き返されたのである。(最後に申すべき事:(三)顕正会も正本堂に賛同したの嘘:平成十七年八月二十七日)」

◎「法主の意」として供養金を突き返し、その衝撃で顕正会を窒息死させようとしたのである。(最後に申すべき事:(三)顕正会も正本堂に賛同したの嘘:平成十七年八月二十七日)

◎「ひとり正本堂を事の戒壇といわぬ顕正会の存在が目障りに映ったに違いない。(最後に申すべき事:平成十七年八月二十七日)」


「正本堂を無理矢理“事の戒壇”と偽る」とか言ってるけど、その無理矢理に、昭和四十年から四十四年その当時に何度も申請出してやっと受け取って貰ったんでしょ。御宗門だって妙信講が可愛そうだから受け取ったんであって、本来はいらないって返したんですよ。ホント、後からクレームって迷惑だね。

それにキミの言う「正本堂を無理矢理“事の戒壇”と偽る」なんて、正本堂が無理矢理事の戒壇って、仮にホントだったら、その誑惑物や邪義にオレらの御供養、受け取ってくれって何度も何度も何度も懇願するの、おかしいと思いませんか?しかもこーいうモノへの供養って、浅井がよく言う、

謗施にアタるンじゃないの。ブリトーさん、ね、謗施だよね?。

ブリトー石橋氏の反論:この破折は、私の勝手な言葉ではなく、「正本堂の誑惑を破し懺悔精算を求む」178~187ページから引用します。
事(じ)の戒壇とは、広布の暁に建てられる御遺命の戒壇である。しかるに池田大作はこの事の戒壇を「正本堂である」と偽った。そこで顕正会は「正本堂は事の戒壇ではない」と第一回諫暁書で破折した。すると細井管長(当時)と阿部教学部長(当時)は「戒壇の御本尊のまします所は、いつでもどこでも事の戒壇である」と定義を変更して、だから「正本堂は事の戒壇といえる」と云い出した。いかにも見えすいたたばかりであるが、破折しておく。


またそうやって誤魔化す、その時に達師の言葉使って池田氏を諌めたんでしょう。ウソついてはいけませんね。それにブリトーさん、あんた文句言うところ間違ってますよ「池田大作はこの事の戒壇を「正本堂である」と偽った。」なら、クレームは創価学会じゃない。宗門は別法人ですよ。コレも既に論じてある事が彼には理解できないようである。

ブリトー石橋氏の反論:この定義変更の欺瞞(ぎまん)は二つある。
その一つは、“正本堂が御遺命の戒壇か否(いな)か”ということと、“戒壇の大御本尊のまします所が広布以前にも事の戒壇といえるか否か”ということとは、全く無関係・別次元の問題なのである。しかるに「事の戒壇」という名称を共通せしむることにより、顕正会の破折を紛(まぎ)らわせ、池田の誑惑があたかも通用するかのように錯覚(さっかく)せしめているのが、欺瞞の第一である。


浅井氏云わく同文書、五番目の「事の戒壇」の定義について:「申すまでもなく、猊下がたまたま仰せになられた「事の戒壇」とは、宗門古来の定義とは全く別な意味であられる。促来宗門に於ては、一天広布の暁に事相に立てられる国立戒壇を「事の戒壇」とし、その実現こそ宗門のいのちをかけた悲願であった。だが、諸々の法相は所対によって異ると、さればいま猊下の仰せ給う「事の戒壇」とは、この広布の時の「事相」に約し給うものでなく、所住の法体の「事」に約し給うたものである。即ち、戒壇の大御本尊おわします所は何処・何方にても直に「事の戒壇」と定義せられたのである。(正本堂に就き池田会長に糺し訴う)」

定義変更って、簡単に言ってるけど、この箇所に達師の御説法引いて諫言しているの浅井サンでしょ、それに毎度云うけど、猊下の御指南を引くって事は傍証と云って、自分の立てる論の証明のために引くのであって、そもそもこの文章は誰にナンのために書いたの?タイトルにあるとおり池田氏を諫言するためだったんでしょ。「結果、学会側は二度と「正本堂を御遺命の戒壇とは云わない」旨の誓いを為した。」と書いてあるから、目的は達したのに、なぜいまさら「即ち、戒壇の大御本尊おわします所は何処・何方にても直に「事の戒壇」と定義せられたのである。」が誑惑が通用するなんて難癖云うかな?しかも、ずっと後からですからね。コレも既に論じてある事が彼には理解できないようである。

ブリトー石橋氏の反論:第二は、本宗の伝統法義の上からは、広布以前に戒壇の大御本尊まします所を「事の戒壇」とは絶対に云えないのである。まず本宗伝統の法義を示そう。本門戒壇における事(じ)と義(ぎ)とは、事とは事相(じそう)(事実の姿)の意、義とは義理・道理の意である。すなわち、三大秘法抄に定められた条件が整った時に事実の姿として建立される戒壇を「事の戒壇」といい、それ以前に本門戒壇の大御本尊のまします所を「義の戒壇」と申し上げるのである。

またここでもウソばかりですね。本宗伝統ってどこの本宗?しかも「本宗の伝統法義の上から」と云いながら寛尊の義上の戒壇論の1遍だけを高々と挙証しているが、歴代上人には寛尊を含め、以下の様に別の御指南も存在する。そちらはシカトですか?しかも興尊にお仕えされた上古の三位日順師の説には触れても居ないね。なぜ?どうして?ブリトー石橋クン、反論に都合悪いから・・?それとも意味分からないから?再掲ね。

◎寛尊:「本尊の人法と者、人即久遠元初の自受用身法即事の一念三千曼陀羅也。戒壇の事理と者、事即富山の戒壇、理即一閻浮堤の末寺・末山、及び諸檀の仏壇、惣じて書写の本尊安置の在処は皆是道理の戒壇也。経に云く当に知るべし是場即是れ道場、天台云く、佛此の中に住す即是れ塔の義云々。(寛尊:抜書雑雑集)

◎但し亦重有り、本門の本尊、本門戒壇に与也、経題の流布は仏駄の嘱累・所図の本尊は聖人の己証なり、貴賤上下悉く本尊を礼し利鈍男女同じく経題を唱へ、無始の罪障消滅して即身成仏決定するなり。(三位日順:本門心底抄)

◎一、此の三大秘法は何者ぞや、本門の本尊とは、当寺の戒壇の板本尊に非ずや、其の戒壇の本尊の座す地は広布の至る迄は此の地、戒壇に非ずや。日興正伝の題目は本門の題目に非ずや。(第二十二世日俊上人・寿量品説法)

◎即座開悟は因果同時なる、故に自受用身体三身の自報身也。其の所住の処は寂光土也。当体義抄に季き也。即戒壇也。是は現事に約す故に勝地を選ぶに於いては秘法抄なり。(第二十四世日永上人・寿量品説法)

◎又、当に来世に於いて必ず作仏を得るは毎自作是念の悲願なり、疑い奉る事なかれ、持つ処は本門大戒壇也。無始の罪障消滅、戒壇の本尊を代々上人之を写し我等に授け給うは我等が己心の本尊を眼前に顕し給う(第二十五世日宥上人・観心本尊抄記)

◎当山は本門戒壇の霊地なり。またまた当に知るべし。広宣流布の時至れば、一閻浮提の山寺等、皆嫡々書写の本尊を安置す。その処は皆これ義理の戒壇なり。然りと雖も仍これ枝流にして、これ根源に非ず。正に本門戒壇の本尊所住の処、即ちこれ根源なり。(第二十六世日寛上人:取要抄文段)

◎第四十四世・日宣上人「大聖人の御魂たる本門戒壇の御本尊在します所が即ち是れ道場にして常寂光浄土なり。然れば即ち今は此の多宝富士大日蓮華山大石寺、広布流布の時は本門寺と号す(第四十四世・日宣上人:文政五年の御説法)

◎未だ広布の時至らず事相の戒壇建立なしといえども、此の道場即ち是れ事の戒壇、真の霊山、事の寂光土にして(三大秘法談:五十二世日霑上人)

◎戒壇の御本尊様を御安置するところの道場があるんだから、道場の中に堂々たる事檀をこしらえて、そして大勢一緒にやらんで、ひとりづつ檀の上に登ってやったらいいと思う(第五十九世・堀日亨上人:三大秘法と戒壇の歴史・大白蓮華59号・昭和31年2月25日談)

◎「その戒壇堂に安置し奉る大御本尊今現前に当山に在す事なれば、此の処即ち是れ本門事の戒壇、真の霊山事の寂光土」(第六十世・日開上人・御法蔵説法)

◎「御遺状の如く、事の広宣流布の時、勅宣・御教書を賜わり、本門戒壇建立の勝地は当地富士山なること疑いなし。また、その本堂に安置し奉る大御本尊は今、眼前にましますことなれば、この所すなわちこれ本門事の戒壇、真の霊山、事の寂光土にして、もしこの霊場に詣でん輩は無始の罪障、速やかに消滅し云々」(第六十世開師・御法蔵説法)

◎「本門の本尊と本門の題目と本門の戒壇となり、斯くの如く名は三つありといへども、其のご本体は只一箇の大御本尊なり、是を本門の本尊と称し、本尊の住し給う所を当知是処即是道場と説かせ給いて、本門戒壇の霊地、真の霊山、事の寂光土なり(妙光寺第二代住職・有元廣賀(日仁能化)師・大日蓮第1巻第四号)」

◎「いたましいかな、この間廣宣流布の架設に会せずいえども、本門戒壇御本尊奉安の霊場は寂光浄土である。ひとたび此の聖境に登り此の霊風に浸たらば、無始の罪障忽ちに消滅して三業の悪、転じて三徳を成し妙法当体の蓮華仏と成らんこと疑いなし(日蓮正宗教義一班・松本諦雄・大正十五年十二月)

◎「戒壇と本尊の関係でありますが、此につきましても他門では題目を唱えるところ即ち戒壇と説いておりますが、それは本円戒でありまして戒壇ではないのであります。で戒壇とは御本尊の在すところを申し上げるのでございます(中略)それ故御本尊に於いても此の戒壇と云うことを以て拝さなければ大聖人様の一代の御化導を正しく拝し奉ることは出来ないのであります(淳師:昭和三十一年・法道院にて説法)」

◎「御義口伝に”此の本尊の依文とは如来秘密神通之力の文なり、戒定慧の三学は寿量品の事の三大秘法是れなり、日蓮慥に霊山に於て面授口決せしなり、本尊とは法華経の行者の一身の当体なり云云。”と仰せられてをりますが、是れは此の如来に於ては本門の本尊がましまして、而して此の本尊のところに即本門の戒壇、本門の題目が具し玉うからであります(淳師・三大秘法抄拝読)」


各師ともキミの言う主張とぜんぜん、真反対の事仰せですけど。コレも既に論じてある事が彼には理解できないようである。会通よろしくね。

ブリトー石橋氏の反論:その文証を引く。日寛上人は法華取要抄文段に、まず義の戒壇を説明されて… 「義理の戒壇とは、本門の本尊所住の処(ところ)、即ちこれ義理・事の戒壇に当るなり……故に当山は本門戒壇の霊地なり。またまた当(まさ)に知るべし、広宣流布の時至れば、一閻浮提(いちえんぶだい)の山寺(やまでら)等、皆嫡(ちゃく)々書写の本尊を安置す。その処は皆これ義理の戒壇なり」と。次に事の戒壇を釈されて 「正(まさ)しく事の戒壇とは、秘法抄に云く『王法仏法に冥じ……』等云々」と御指南されている。

ここの浅井氏の妄論については、既に二月十三日にこのページで破してあります。詳細はソチラをご覧下さい。 ところで「第二は、本宗の伝統法義の上から」と書いていますが、伝統と云うからには御宗門の歴代上人に事と義の戒壇論が無ければなりません、しかし当方不勉強か、二十六代以前にその文証を見つける事はできませんね。コレも既に論じてある事が彼には理解できないようである。

ブリトー石橋さん、二十六代以前に事と義の戒壇を論じた文書を掲示して下さい。よろしくです。

ブリトー石橋氏の反論:細井管長も曽ては正しい定義を用いていた… 「事の戒壇とは、富士山に戒壇の本尊を安置する本門寺の戒壇を建立することでございます。勿論(もちろん)この戒壇は広宣流布の時の国立であります」(大日蓮36年5月号)「広宣流布を待ってはじめて本門寺を建立、戒壇の大御本尊を安置し奉って事の戒壇建立ということになるのでございます」(大日蓮34年9月号)と。 しかるに昭和四十五年の顕正会の諫暁以降、突如としてこの定義が変更される。すなわち細井管長は 「この(戒壇の)御本尊在(ましま)すところは事の戒壇でございます。だからその御本尊が、たとえ御宝蔵にあっても、あるいは唯今奉安殿に安置し奉ってあっても、あるいは今正に出来んとする正本堂に安置し奉っても、その御本尊在すところは何処(いずこ)・何方(いずかた)でも、そのところは即ち事の戒壇であります」(45・4・27・教師補任式)と。

前言との『自語相違』はどうなる。

浅井氏、かつて云わく:五、「事の戒壇」の定義について/ 次に「事の戒壇」の定義について確認をしておかねばならない。その故は、昨年五月の学会総会に於て、猊下が「正本堂は事の戒壇である」と仰せられたことに就き、"猊下も既に御認承"と、かえって誇称するを屡々聞く故である。総会に先立って森田副会長に念を押した憂いの一つはこれであった。申すまでもなく、猊下がたまたま仰せになられた「事の戒壇」とは、宗門古来の定義とは全く別な意味であられる。
促来宗門に於ては、一天広布の暁に事相に立てられる国立戒壇を「事の戒壇」とし、その実現こそ宗門のいのちをかけた悲願であった。だが、諸々の法相は所対によって異ると、さればいま猊下の仰せ給う「事の戒壇」とは、この広布の時の「事相」に約し給うものでなく、所住の法体の「事」に約し給うたものである。即ち、戒壇の大御本尊おわします所は何処・何方にても直に「事の戒壇」と定義せられたのである。
従って、曾っての御宝蔵も、また現在の奉安殿も「事の戒壇」であり、将来正本堂にお遷り遊ばせば同じく「事の戒壇」であるとの御意であられる。

此のことは、昨年四月二十七日の大客殿に於ける御説法に明かである。
即ち「この御本尊在すところは事の戒壇で、この御本尊が事の御本尊である。事の御本尊である故に、この御本尊在すところは事の戒壇でございます。だからその御本尊が、たとえ御宝蔵にあっても、あるいは唯今奉安殿に安置し奉ってあっても、あるいは今正に出来んとする正本堂に安置し奉っても、その御本尊在すところは何処・何方でも、そのところは即ち事の戒壇であります」と。猊下の御意は以て明かである。


以下は浅井の論の箇所の抜粋

◎猊下がたまたま仰せになられた「事の戒壇」とは、宗門古来の定義とは全く別な意味であられる。促来宗門に於ては、一天広布の暁に事相に立てられる国立戒壇を「事の戒壇」とし、その実現こそ宗門のいのちをかけた悲願であった。だが、諸々の法相は所対によって異ると、さればいま猊下の仰せ給う「事の戒壇」とは、
◎との御意であられる。
◎従って、曾っての御宝蔵も、また現在の奉安殿も「事の戒壇」であり、将来正本堂にお遷り遊ばせば同じく「事の戒壇」であるとの御意であられる。
◎と。猊下の御意は以て明かである。


浅井の「宗門古来の定義云々」は置くとして、こうして抜き書きすれば、明白じゃないですか、猊下の御意に賛同すればこそ、こうして諫言の箇所に引いてきたんでしょ。つまり猊下の権威を以て猊下の御指南の前に池田を平伏せさせようとしたわけで、その手段の用否はともかく、猊下の御指南を持って諫言の論の背景としたことは明らかですね。それ以外のことは学会に言って下さい。お門違いです。

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つまり、こーいうことだ。

最初から浅井始め、キミ達が「ニセ戒壇正本堂を「事の戒壇」と宣伝するために、宗門七百年の伝統教義を歪曲したのである。」と分かっていたら、理解していたらなぜ、浅井はこの御指南を外さなかったのか。正本堂の御供養観募しかり、昭和四十年から四十四年当時に何度も申請出してやっと受け取って貰った御供養しかり、今の正本堂の意義しかり、全て以て、後出しジャンケン、後生の理屈なんだよ。以下の文章はその四十六年当時の浅井の心境であり言葉であろう

◎六、重ねて猊下の御本意を拝し奉る
されば、紛わしき「事」と「義」の会通よりも、猊下御自身の御本意を確と拝し奉る事こそ所詮の大事である。猊下の御意濫りに窺い奉るは誠に恐れ多いが、時に当ってすべてを決する鍵ここに在せぱ敢えて拝し奉る。(昭和四十六年十一月十五日:富士140号)


浅井自身の論の箇所である六番目の「紛わしき「事」と「義」の会通よりも、猊下御自身の御本意を確と拝し奉る事こそ所詮の大事である」これは浅井自身の言葉ではないか。大事をわすれたのは池田大作ばかりではあるまい

◎二、改めて仏法違背の文証を挙ぐ
だが不思議なるかな、猊下のその時の御説法を拝見するに、一言もそのような御言葉はない。よくよく拝せば否定すらしておられる。いや仮りに万々が一有ったとしても、三大秘法抄の御金言はすでに明々白々、誰かこれと紛れる者があろう。況や猊下の仰せには全く一言も有られないのである。その前の言葉に「すべては四十年二月十六日の第一回正本堂建設委員会に於ける猊下の甚深なる御説法によるものと宣伝されている。」


その第一回正本堂建設委員会の言葉とは、以下の言葉である。

☆「委員会が開かれるにあたって、初めて私の考えを申し上げておきたい・・・大御本尊のおわします堂が、そのまま戒壇であります(昭和四十年二月十六日・第一回正本堂建設委員会)」

それに対して浅井は「不思議なるかな、猊下のその時の御説法を拝見するに、一言もそのような御言葉はない。よくよく拝せば否定すらしておられる。(中略)況や猊下の仰せには全く一言も有られないのである。」これも浅井の言葉箇所であります。ひと言もないのに、後から騒ぐとは、どーいうことですかね。コレも既に論じてある事が彼には理解できないようである。

ブリトー石橋氏の反論:阿部教学部長も云う…「戒壇の本尊のおわします所、直(ただ)ちに事の戒壇である」(悪書Ⅱ・「本門事の戒壇の本義」)と。だが日寛上人は…「未だ時至らざる故に、直ちに事の戒壇これ無し」(寿量品談義)と御指南下さる。まるで正反対ではないか。これまさに、細井管長・阿部教学部長が池田の誑惑を扶(たす)けるため、勝手に日蓮正宗の、伝統法義を改変して「義」を「事」と偽ったものだ。これを「己義を構える」というのである。

この『寿量品談義』からの文は明らかに、六大秘法中の「事の戒壇」=「本門戒壇大御本尊御安置の処」を、さらに広布達成の前後によって「事相」と「義理」の二相に立て分けた文である。広布後の国立戒壇=事相の戒壇・事の戒壇と、それ以外の御本尊所住の処すべて=義の戒壇をごちゃ混ぜにして論ずる、という浅井会長の説を何ら証明するものではない。コレも既に論じてある事が彼には理解できないようである。

ブリトー石橋氏の反論:細井管長・阿部教学部長が定義改変を正当化するために挙げた文証はただ二つである。一つは日開上人の御宝蔵説法本。これを細井管長はわざと日開上人の御名を隠したうえで「御相伝(ごそうでん)」と称し、次のように引用する。 「其の本堂(原本は戒壇堂)に安置し奉る大御本尊いま眼前に当山に在(ましま)すことなれば、此の所即ち是れ本門事の戒壇、真の霊山(りょうぜん)・事の寂光土(じゃっこうど)」(大日蓮50年9月号)と。 原本の「戒壇堂」を「本堂」と改ざんするのも無慚(むざん)であるが、許されないのは文意の歪曲である。 日開上人は、戒壇の大御本尊まします所を直ちに「事の戒壇」と仰せられたのではない。第一章ですでに述べたように、この前文には 「事(じ)の広宣流布の時、勅宣・御教書を賜わり本門戒壇建立の勝地は当国富士山なる事疑いなし」 とある。すなわち“広宣流布の暁に国立の事(じ)の戒壇が建てられること”を大前提とし、その事の戒壇に安置し奉るべき戒壇の大御本尊いま眼前にましますゆえに、たとえ未だ事の戒壇は建てられていなくとも、その功徳においては事の戒壇に詣(もう)でるのと全く同じであるということを「此の所即ち是れ本門事の戒壇」と仰せられたのである。これが「義理・事の戒壇」すなわち義の戒壇の意である。

これも文章使った浅井氏のトリックです。コレ簡単ですよ。

開師説法:「戒壇堂に安置し奉る大御本尊今眼前に当山に在す事なれば、此の処即ち是れ本門の戒壇・真の霊山・事の寂光土」

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開師の説法趣旨は、戒壇御本尊の住処=事の戒壇となっているので、浅井はこれを以下のように意味をずらしていく。

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たとえ未だ事の戒壇は建てられていなくとも、参詣する者の功徳は全く事の戒壇に詣でるのと同じであることを、「此の所即ち是れ本門事の戒壇」と仰せられたのである。

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すなわち、”義理において事の戒壇”の意である” ← ここでもう論理飛躍がある、開師は義理と仰せでない

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これを本宗では「義理の戒壇」あるいは「義の戒壇」← 本来の当宗の定義のように言っているが、浅井の勝手解釈である

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開師は「又其の戒壇堂に安置し奉る大御本尊今眼前に当山に在す事なれば、此の処即ち是れ本門の戒壇・真の霊山・事の寂光土」と仰せであり、御指南もそのままである。

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それを自らの主張との辻褄合わせために屁理屈をつける「すなわち、「”義理において事の戒壇”の意」と言うのである。開師は事実において「戒壇堂に安置し奉る大御本尊今眼前に当山に在す事なれば」と仰せである。義理などとは浅井の勝手な解釈である。この恣意的解釈を次の「本宗では義理の戒壇」と、寛師の文章を引き出してお得意の主張に結びつけるのであるから、呆れた三段論法である。

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ゆえに日寛上人は「義理の戒壇とは、本門の本尊所住の処、即ちこれ義理・事の戒壇に当たるなり。(法華取要抄文段)

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寛師は別御指南で「広宣流布の時至れば一閻浮提の山寺等、皆嫡々書写の本尊を安置す。其の処は皆是れ義理の戒壇なり。然りと雖も仍是れ枝流にして、是れ根源に非ず。正に本門戒壇の本尊所住の処、即ち是れ根源なり」(御書文段五四三頁)と仰せである。本門事の一念三千の当体、御戒壇本尊を或いは義理に擬し、また事に例え、義理になったり、事になったり変化するのかな?根源とは動かすことのできない中心である。浅井氏の文章トリックは他でも指摘していますので、もう見え見えですけど、しかしこういうセコイ欺しテクは、まぁ彼の常套手段なんですけどね。

ブリトー石橋氏の反論:この御意は、三十七世日ぽう(にっぽう)上人の御宝蔵説法の 「未だ時至らざれば、直(ただ)ちに事の戒壇はなけれども、此の戒壇の御本尊ましますことなれば、此の処即ち本門戒壇の霊場にして、真の霊山(りょうぜん)・事(じ)の寂光土(じゃっこうど)と云うものなり」と同一轍(どういってつ)である。しかるに細井管長は、日開上人の御宝蔵説法の前文をわざと隠す、すなわち御遺命の戒壇を無視した上で、戒壇の大御本尊所住の処を直ちに「事の戒壇」といった。これ明らかに文意の歪曲である。

まぁ、上のトリック解明で、ここの文章空々しい物になってます。浅井氏は文意の歪曲って言ってますが、コレ自分の事??自虐ギャグ好きねぇ。コレも既に論じてある事が彼には理解できないようである。

ブリトー石橋氏の反論:もう一つの文証は、「最近出てきた」という日相(にっそう)上人の文書である。 この文書について細井管長は…「日寛上人の御説法を日相上人がお書きになった。これは間違いないんです」という。また阿部教学部長も、この日相上人文書が日寛上人の「密意」を伝えるものであるとして…「日相上人の聞書(ききがき)、大弐阿闍梨(だいにあじゃり)(日寛上人大学頭時代の呼び名)講(こう)の三秘六秘中の戒壇の文にも書かれている」(悪書Ⅱ・「本門事の戒壇の本義」)と云っている。
これではまるで、日相上人が日寛上人の御説法の場に在って書いたように取れるではないか。「聞書(ききがき)」とは聞きながら書く速記録である。日相上人は第四十三世の貫首にして、その御出家は日寛上人の滅後四十四年である。その日相上人が、どうして日寛上人の御説法を聴聞できよう。たばかりもいいかげんにせよ。 また阿部教学部長は、この文書が日寛上人の「密意」を伝えるごとくいうが、あの用意周到の日寛上人が、どうしてこのような形で大事の御法門を後世にお伝えになるであろうか。寛尊の精美を極めた大事の御法門は、六巻抄および重要御書の文段に尽き、それ以外には絶対にない。ことに畢生(ひっせい)の大著といわれる六巻抄に至っては、御遷化(ごせんげ)の前年に再治を加えられ、その中で「敢(あ)えて未治の本を留むることなかれ」とまで念記されている。その上人が、このような頼りないメモでどうして大事の法義を密伝されようか。またもしそれほど重大な文書なら、なぜ今まで誰もその存在を知らず、“昭和五十年になって始めて発見された”のであろうか。

浅井氏、研究教学書って知らなかったんだ。元は富士宗学全集って言ってましたけど、堀上人が苦労して編纂された物の全集版です。要集はそれを要点だけ編集した物。正宗にいたのに、ここでも物知らずですね。聞き書き云々については、二月十三日の破折分で詳細尽くしてます。其れを知りながら、ブリトー君、また恥さらしだね。それでは寛尊の別御指南と相師聞書を並べて検証してみましょう。

◎本尊の人法と者、人即久遠元初の自受用身法即事の一念三千曼陀羅也。戒壇の事理と者、事即富山の戒壇、理即一閻浮堤の末寺・末山、及び諸檀の仏壇、惣じて書写の本尊安置の在処は皆是道理の戒壇也。経に云く当に知るべし是場即是れ道場、天台云く、佛此の中に住す即是れ塔の義云々。(寛尊:抜書雑雑集)

「本門戒壇
在々処々本尊安置之処ハ理ノ戒壇也
富士山戒壇ノ御本尊御在所ハ事ノ戒也」(日相上人聞書)


此処にお示しのように「戒壇の事理と者、事即富山の戒壇、理即一閻浮堤の末寺・末山、及び諸檀の仏壇、惣じて書写の本尊安置の在処は皆是道理の戒壇也。」この文中に事即富山の戒壇とあり、末寺・末山、及び諸檀の仏壇と弁別されてます。つまり日相上人聞書とピッタリでしょ。

これは寛尊の別の御指南「一大秘法とは即ち本門の本尊なり。此の本尊所住の処を名づけて本門の戒壇と為し」(依義判文抄)と示されている御意とも同じく致しますね。整理しましょう。寛尊の講義聞き書きとされた文書は

◎在々処々本尊安置之処ハ理ノ戒壇也 ←ここでは理の戒壇と謂い
◎富士山戒壇ノ御本尊御在所ハ事ノ戒壇也 ←ここでは事の戒壇と仰せである。

上は寺院を初めとする各自の奉安する仏間でもある、下は戒壇御本尊を格護する倉(当時は御法蔵)ここでは事の戒壇と仰せですね。ほらね、寛尊の御意と相師とピッタリでしょ。浅井氏が下で云うところの「日相上人の文意は、この報恩抄文段と同一轍(どういってつ)である。」なんてバカな事は牽強付会という己義法門です。

さらに戒壇の事と義、浅井氏は「広布達成後に約した場合の定義を記したもの」などと言い訳していますが、どこにあるんでしょうね。広宣流布の達成を問わず、御本尊所住の処=義の戒壇であり、本門戒壇の大御本尊御安置の場=事の戒壇と、定義するのが戒壇の事義に関する、古来からの富士門流の基本的な法門定義なのです。コレも既に論じてある事が彼には理解できないようである。

ブリトー石橋氏の反論:この文書がもし日相上人の直筆だとしても、恐らく日相上人が日寛上人の大学頭時代の御説法本を拝見し、その要旨をメモされたものに過ぎないであろう。「密意」などとたばかってはいけない。

なんだ、知っているじゃない。浅井氏先回りして伏線はっている訳ね。

ブリトー石橋氏の反論:さて、鬼の首でも取ったように披露した日相上人文書であるが、その内容を見れば、日寛上人が諸々に示し給うた御意と何ら矛盾するものではない。すなわち嫡(ちゃく)々書写の本尊安置の処を「義の戒壇」とし、広布の暁・富士山に建てられる戒壇の大御本尊御在所の戒壇を「事の戒壇」と示されただけのことである。このように、嫡々書写の本尊の所住と国立戒壇とを直ちに相対して理と事に立て分ける捌(さば)きは、日寛上人の報恩抄文段にも見られる。すなわち「本門の戒壇に事あり理あり。理は謂(いわ)く道理なり、また義の戒壇と名づく。謂く、戒壇の本尊を書写してこれを掛け奉る処の山々・寺々・家々は皆これ道理の戒壇なり。次に事の戒壇とは、即ち富士山天生原に戒壇堂を建立するなり」と。日相上人の文意は、この報恩抄文段と同一轍(どういってつ)である。故意に文意を歪曲されては日相上人こそ迷惑なさろう。だいいち、このメモの初めにも「三大秘法とは開すれば六、合すれば三なり」とある。もし戒壇の御本尊の所住が広布以前にも事の戒壇であるとするならば、三大秘法抄・御付嘱状の御遺命は不要となり、日寛上人の御法門の枢要(すうよう)たる三秘六秘も成立しなくなるではないか。

以上、その要点を破してきたので、ココの文章もただ一言、浅井氏の単なる曲会私情の感想文ですね。富士の法門の習い損ないは、言うまでもありません、再度上げてきた浅井氏の論を使った反論であるが、ガツンにもあるし、既にこのページの1と2で論じ証明してある事が、彼には理解できないようである。いや彼は恐ろしくて読まないのであろう。以後、この手の反論には既論として、目新しいものが無い限り、重複を追うのみのため、応じない事とする。

ブリトー石橋氏の反論:それにしても、せっかく事の戒壇の定義を変更して建てた「広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂」の正本堂は、なぜ破壊されたのでしょうか?ナゾですね。ぜひ納得できる説明をお願いしたい。

事の戒壇義、変更していないし、それに建て物に固執するキミの感覚が理解できないし。キミ何時かは建物って壊れるんだよ。正本堂の場合カビやらヒビやらで、汚らしいし、それに私の感覚として建物としては周りの景観にそぐわないヘンなデザインでしたね。今の奉安堂の方が佛教伽藍として普通に見れます。周りの景観にマッチしているしね。それよりも不思議の還御で、御遺命守護完結って奉告法要、浅井氏モーニング着て大袈裟にやっていたのに、完結はいつもの通り先送りですか?

浅井氏って色んな事、幾度も完結って云って終わらせてますけど、ナニが終わって、ナニが終わってないのか、簡潔にご説明、お願いします。(二月十七日反論記事)




二月十一日に、ブリトー石橋氏のブログ掲載文について、彼の論述態度への反論指摘を行ったが、返答は今のところ(二月十三日現在)無い。既に何回か指摘してきたように、ブリトー石橋氏のこの手の論は結論ありき、なのです。だから如何様な証明をコチラが施したところで、彼は理解もできず、また理解せずに、返答するとも放棄ともつかない言辞を述べるのみです。と云うわけで、こちらとしては、今後ああいう特殊的脳内論理は取り合わない事にします。

しかし、オーディエンスも増えていますので、法義に関わるところのみ、破してまいります。

ブリトー石橋氏の反論:赤い文字で「と、自分の頭では完璧……思い違いをバッサリ」と書いてありますので、その下の文章を見てください。そこには、「浅井先生は、戒壇の事・義と、法体の事・理をごっちゃ混ぜにしている。迷っている。」というようなことが書かれています。しかし浅井先生は、決してごっちゃ混ぜにしていませんし、迷ってもいません。実は「ガツン」の編集者は、この項目でも切り文(一部分を隠す)を使って、教義がイマイチ理解できていない顕正会員を騙(だま)そうとしているのです。これも戦略ですか?(笑)

ブリトー石橋が述べるココからのくだりについての破折は、トチローさんのブログで詳述されていますので、重複を避けるために、ソチラをご覧なって下さい。それと君は戦略と戦術の意味をはき違えている。仮に当方に顕正会会員を欺す意図があるとするならば、それは戦術的展開であって戦略的意図を最大効果を目的として技術的に用いた物である、戦略はもっと大きなフレームである。また、物知らずを露呈したね。

ブリトー石橋氏の反論:では次に、“中略”となって削られている「依義判文抄」とその解説を見てみましょう。「南条抄に云く『教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山(りょうじゅせん)にして相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘し隠し持てり、……斯(か)かる不思議なる法華経の行者の住処なれば、争(いかで)か霊山浄土に劣るべき……』云々。応(まさ)に知るべし、『教主釈尊の一大事の秘法』とは、即ち是れ本門の本尊なり。『日蓮が肉団(にくだん)の胸中』とは、即ち本尊所住の処これ義の戒壇なり。……『斯かる不思議なる法華経の行者の住処』等とは、所修は即ち本門の題目なり、住処と云うとは題目修行の処、即ち義の戒壇なり」

コレには理由がある。その事はこの破折の後の方でゆっくりと説明をしてあげるよ。

ブリトー石橋氏の反論:次にその解説――「教主釈尊の一大事の秘法」とは、本門戒壇の大御本尊の御事(おんこと)である。ゆえに文底秘沈抄には、「『教主釈尊の一大事の秘法』とは、結要付嘱(けっちょうふぞく)の正体・蓮祖出世の本懐・三大秘法の随一・本門の本尊の御事なり。是れ則(すなわ)ち釈尊塵点劫(じんでんごう)来心中深秘の大法の故に『一大事』と云うなり。然るに三大秘法随一の本門戒壇の本尊は今富士山の下(もと)に在り」と。されば「日蓮が肉団の胸中」とは本門戒壇の大御本尊所住の処である。日寛上人はこの処を「これ義の戒壇なり」と明確に仰せられているではないか。また、「斯かる不思議なる法華経の行者の住処」をまた「義の戒壇」とされている。「法華経の行者」とは即日蓮大聖人、そして日蓮大聖人の御当体は即本門戒壇の大御本尊、その「住処」をまた「義の戒壇」と仰せられているではないか。

ククククク、ブリトー君、君って可愛そうなヤツだな。義という字が戒壇の前に付いておれば、我が意を得たりと喜んでいるわけですな。君に解説を述べる謂われは無いし、また述べても恐らく理解できないであろうが、コレは浅井の文章のコピーである。これも行きがかり上ですから、少々開示しましょう。

ブリトー氏が上げた文は、ハッキリ言って浅井の受け売りであります。また、これは日顕上人が六巻抄に戒壇御本尊の当処が義に当たるという文があるなら出してみなさいと云う、指摘を受けた浅井の返答です。それは彼も文中述べている。

ブリトー石橋氏の反論:「依義判文抄」は、阿部日顕が猛々しく言った「本門戒壇の本尊所住の処が、理の戒壇とか義の戒壇とおっしゃってる所は一ヶ所もないと思うんです」の発言に対する、とてもわかりやすい破折ですね。

さて、キミが言うほどそして、浅井氏の思惑ほど、これは当を得た解答でしょうかね。そしてわかりやすい破折なのでしょうかね。トチローさんが掲示されているブログの内容とは又違ったアプローチで、示してみましょう。とりあえず、六巻抄の南条抄、この箇所の全文は以下です。

「南条抄二十二に云わく、教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり、されば日蓮が胸の間は諸仏入定の処なり、舌の 上は転法輪の処、喉は誕生の処、口中は正覚の砌なるべし、斯かる不思議なる法華経の行者の住処なれば争でか霊山浄土に劣るべき、法妙なるが故に人尊し、人 尊き故に処貴しと申すは是れなり云云。応に知るべし、教主釈尊の一大事の秘法とは即ち是れ本門の本尊なり、日蓮が肉団の胸中とは即ち本尊所住の処、是れ義の戒壇なり、されば日蓮が胸の間等とは 即ち今文に同じ、斯かる不思議なる法華経の行者の住処等とは、所修は即ち是れ本門の題目なり、住処と言うは題目修行の処即ち義の戒壇なり、法妙なるが故に 人尊し等とは即ち上の義を証するなり。」

さて、この文章中に義の戒壇と寛尊が御指南ある箇所は「日蓮が肉団の胸中とは即ち本尊所住の処、是れ義の戒壇なり」「住処と言うは題目修行の処即ち義の戒壇なり、法妙なるが故に人尊し等とは即ち上の義を証するなり。」と二箇所有ります。コレを浅井は以下に文章を挙げて、得意満面なわけです。

◎浅井氏の戒壇御本尊当処が義の戒壇と云う論拠(正本堂の誑惑を破し懺悔精算を求む)

◎日蓮が肉団の胸中」とは本門戒壇の大御本尊所住の処である。
 日寛上人はこの処を「これ義の戒壇なり」と明確に仰せられているではないか。
◎「斯かる不思議なる法華経の行者の住処」をまた「義の戒壇」とされている。
◎「法華経の行者」とは即日蓮大聖人、そして日蓮大聖人の御当体は即本門戒壇の大御本尊、その「住処」をまた「義の戒壇」と仰せられているではないか。


★それでは、この文が上げられた寛尊の六巻抄:依義判文抄の項目を見て下さい「第七に神力品の爾時仏告上行等の文」とあります。その下の神力品の概要部分に「如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来 の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事、皆此の経に於いて宣示顕説す」と有名な四箇の要法、結要付嘱の事が書いてあります。コレは法華経神力品の霊鷲山に於ける上行菩薩と釈尊の付属段を書かれた項目です。何でここから始めるかと云いますと、浅井氏とその眷属ほどセコイ切り文者は居ないからです。しかも文章大意を無視で疑難してきますからです。大事の処はまず以下の文章です。

「神力品に云わく「爾(そ)の時に仏、上行等の菩薩大衆に告げたまわく、諸仏の神力は是(か)の如く無量無辺不可思議なり。若し我、是(こ)の神力を以て、無量無辺百千万億阿僧祇劫に於て嘱累の為の故に、此の経の功徳を説かんに、猶尽くすこと能(あた)わじ。要を以て之を言わば、如来の一切の所用(しょゆう)の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事、皆此の経に於て宣示顕説す。是の故に汝等、如来の滅後に於て、応当(まさ)に一心に受持し、読誦し、解説し、書写し、説の如く修行すること有らん。若しは経巻所住の処、若しは園中(おんちゅう)に於ても、若しは林中に於ても、若しは樹下(じゅげ)に於ても、若しは僧房に於ても、若しは白衣の舎(いえ)にても、若しは殿堂に在っても、若しは山谷曠野(こうや)にても、是の中に皆、応(まさ)に塔を起てて供養すべし。所以は何ん。当に知るべし、是の処は即ち是れ道場なり。諸仏此に於て阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を得、諸仏此に於て、法輪を転じ、諸仏此に於て、般涅槃(はつねはん)したもう」(開結513)

★上の文章、寛尊は「今謹んで案じて曰わく、爾時仏告上行より下は是れ結要付嘱の文、四と為す」とありまして、以下に結要付嘱の文を四つに分け御指南です。しかしコレ、メッチャ難解です。ちょっと困りますね。要略しましょう。

◎称歎付嘱=付嘱の法体である本尊の功徳を讃歎を説示
◎本尊付嘱=天台の四義の釈を示して、地涌千界に本尊付嘱を教示される
◎題目勧奨=末法における信行具足の本門の題目を説示
◎所在国土の下は戒壇勧奨亦三と為す=義を先に明かし、次に事の戒壇、そして釈の三つ


この四分類は相互に絡み合った処なんですが、煩雑を避けるために、四番目の戒壇勧奨の処にだけにスポット当てて先に進めましょう、でも要点を強調するので、実は相互に関係した文章箇所です。

★神力品の戒壇勧奨:「初めに義の戒壇を示すに亦二と為す。初めに本門の題目修行の処を示し、次ぎに若経巻の下は本門の本尊所住の処を明かす。故に知んぬ、本門の題目修行の処、 本門の本尊所住の処並びに義の本門の戒壇に当たるなり。」

◎寛尊は「義の戒壇を示すに亦二」と御指南ですから、戒壇勧奨の段は二つに分けられます。要約すればこういうことです。

◎一つ目は本門の題目修行の処、
◎二つ目は若経巻の下は本門の本尊所住の処=共に義の本門の戒壇に当たる。

義の戒壇を明かされるところには、一つ目が題目修行の処です。これは理解できます。即是道場ですね。
そして次に「若経巻」という本門の本尊所住の処、何でしょうか?神力品の爾時仏告上行等の文の所の文章にこういう文があります。「若しは経巻所住の処」以下「若しは園中に於いても、若しは林中に於いても、若しは樹下に於いても、若しは僧坊に於いても、若しは白衣の舎、若しは殿堂に在りても、若しは山谷曠野にても」と続きます。

この文章部分の結語をご覧下さい「当に知るべし、是の処は即ち是れ道場なり」とあります。つまり、寛尊が四に所在国土の下は即ち戒壇勧奨なりと書かれた「本門の本尊所住の処」とは、在在所々の本門の本尊安置の所、つまり末寺の事です。下は即ち戒壇勧奨の前に置かれた、所在国土の文字がその証拠です。そして「若経巻の下は本門の本尊所住の処を明かす」とは御説示の通り、在在所々の末寺の本門の御本尊の在る所は義の戒壇に当たる、と御指南です。つまり所在国土の末寺は義の戒壇だと、仰せなんですね。この処、非常にポイントです。

では何故、そう言いきれるか、それは次にこういう文章が来ます。

◎次ぎに是中皆応の下は正しく事の戒壇を勧(すす)むるなり。

これ以降、事の戒壇の事に進みますよ、と云うわけです。前段は義の戒壇について、そして今は事の戒壇の事を述べられる行です。ここを寛尊は義の戒壇を述べた後に、わざわざ、事の戒壇を分立して述べられているわけです。

そして、まず三大秘法抄を引かれて、「国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立すべきなり云々」と事の戒法を説示されています。そして次の文章に戒壇の言葉が見えます「戒壇は文の如く全く神力品結要付嘱の文に同じ云云。秘すべし、秘すべし云云。」とあります

この「神力品結要付嘱の文に同じ」とは神力品のどの文でしょう、該当文は「若しは経巻所住の処、若しは園中~」からは先ほどの義分に当たる戒壇箇所でした。その結文に「是の中に皆応(まさ)に塔を起てて供養すべし」とあります。これが事の戒壇に当たる文に同じと云われるところです。何故かならば依義判文抄の此の項目の前段「第二に法師品の在々処々等の文」にて寛尊は以下に説示であります。

◎応に知るべし、若説若読等は本門の題目なり、若経巻は即ち本門の本尊なり、所住之処皆応起塔は本門の戒壇なり、中に於いて所住之処は義の戒壇なり、皆応起塔は事の戒壇なり。(第二に法師品の在々処々等の文)

ちゃんと既に定義されております。それではこの「是の中に皆応(まさ)に塔を起てて供養すべし」とは如何様な事でしょうか。

◎阿含に云わく、仏の出世は唯四処に塔を起つ、生処、得道、転法輪、入涅槃なり云云。

法華文句には阿含経を引いて、「仏が出世され、踏まれた主要な地には塔が起てられた。生処・得道・転法輪(てんぽうりん)・入涅槃の四ケ所である」とあります。それは以下の文章です。

◎仏の出世は唯四処に塔を起つ、生処、得道、転法輪、入涅槃なり云云。

◎また「仏には八相作仏と言って、下天・託胎・出胎・出家・降魔・成道・転法輪・入涅槃という八種の相を示されるが、とりわけ生処(生まれた処)・得道(成道の場所)・転法輪(説法の場所)・入涅槃(入滅の処)を四処として重んじ塔を起てるのである。まして五種法師(所在の国土に、若しは受持・読・誦・解説・書写し、説の如く修行すること有らん)の振る舞う処、及び法華経の在所は法身の四処であり、何れも応に塔を起てるべきである」

「化身の八相すら此の四相の処に尚お応に塔を起つべし、況んや復五師(所在の国土に、若しは受持・読・誦・解説・書写し、説の如く修行すること有らん)及び此の経の所在は即ち是れ法身の四処なり、皆応に塔を起つべきなり云云」

実際に釈迦も阿含経や涅槃教などに、入滅された折に八箇所に分骨し宝塔を建てて、舎利を安んじるという事例があります。ブッダガヤには今でも此の塔が残っています。さて寛尊はこの宝塔を事の戒壇だと云われているわけです。「是の中に皆応(まさ)に塔を起てて供養すべし=事の戒壇」と御指南ですね。
末法に於いてとは宗祖がそのご誕生から御入滅まで、法華経身読されてお遺しされた弘安二年の本門戒壇の大御本尊の御事ですね。
さて、此の塔とここから以降、法身の出処等(生処、得道、転法輪、入涅槃)の話が出てきますけど、なんの関連があるのでしょうか?

◎此の経は是れ法身の生処等云云

という文章が此の塔の箇所アタマにありました。いままでを整理しますと、

◎法身=四処(生処、得道、転法輪、入涅槃)=此の経の所在=皆応に塔を起つべき=事の戒壇、と仰せなわけです。

すこし難しいですが、もうちょっとです。そして続きます「文中法身等とは即ち是れ久遠元初の自受用身なり、今生身に対する故に法身と云う、理智並びに是れ法身なるが故なり」という難しい文章ですね。要するにこの文中で言うところのの法身とは久遠元初の自受用身と云われるのです。「生身(リアルな肉身、応身)に対する故に法身」ですから無常の身に対する永遠の身(自受用身)であって、インド応誕の釈迦ではなく、無常の身を超えた世尊。宗祖、釈尊共にお説きになる法も教えも久遠以来の法身からの説法であると、つまりこの本尊・題目・戒壇付属に於いて久遠劫来より違う事無いと、仰せなわけです。

ここからやっと、南条抄に入るわけです。しかし、ここに入る前にココまでを整理しましょう。

1番目:第七に神力品の爾時仏告上行等の文を開示
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2番目:最初に三大秘法の依文として四つに分類、称歎付嘱・本尊付嘱・題目勧奨・戒壇勧奨
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3番目:義の戒壇を示すに亦二と為すとして、本門題目修行と本門の本尊所住の処(義の戒壇)
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4番目:そして、別段として事の戒壇の説明にすすんで、神力品結要付嘱の文に同じを明かされます
 (法身=四処=此の経の在所=皆応に塔を起つべき=事の戒壇)

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5番目:南条殿御返事で、いままで論じてきた法身の四処(生処、得道、転法輪、入涅槃)を証明
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「教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり、
されば日蓮が胸の間は諸仏入定の処なり」の文を四処に配当し、明かされる、その四処とは


◎生処=喉は誕生の処
◎得道=口中は正覚の砌なるべし
◎転法輪=舌の上は転法輪の処
◎入涅槃=胸の間は諸仏入定の処

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南条抄のポイントは四処に塔を立てる、宗祖の神力付属の証明が文意なわけです。

◎所修は即ち是れ本門の題目なり=本門の題目修行の処を示し(戒壇勧奨の義の戒壇説明箇所です)
◎住処と言うは題目修行の処即ち義の戒壇なり=所住之処は義の戒壇なり(第二に法師品の在々処々等の文)


つまり、事の戒壇=宗祖の四処で成就された塔(神力品の皆応起塔=宝塔)
義の戒壇=本門の題目修行の処、本門の本尊所住の処
(神力品の「若しは経巻所住の処~若しは山谷曠野にても」の該当依文)。

はい、やっと終わりました。これで浅井氏のトリック解明ができます。
彼が得意満面でアピールした、寛尊の戒壇本尊当処=義の戒壇と云う文証の箇所は、

◎「日蓮が肉団の胸中とは即ち本尊所住の処、是れ義の戒壇なり」
◎「住処と言うは題目修行の処即ち義の戒壇なり」でした
両方共に、に進む前のの箇所の義分の戒壇の御指南に該当する文章だったのですね。再度上げます。

3番目:「初めに義の戒壇を示すに亦二と為す。初めに本門の題目修行の処を示し、次ぎに若経巻の下は本門の本尊所住の処を明かす。故に知んぬ、本門の題目修行の処、 本門の本尊所住の処並びに義の本門の戒壇に当たるなり。」

「この本門の題目修行の処、本門の本尊所住の処は、義の本門の戒壇に当たるなり」と仰せですね。
先ほど確認したように、コレは「経巻所住の処=在在所々の末寺の本門の御本尊の在る所は義の戒壇に当たる」箇所です。ここポイントです。では浅井氏の文章を見ましょう

「日蓮が肉団の胸中」とは本門戒壇の大御本尊所住の処である。日寛上人はこの処を「これ義の戒壇なり」と明確に仰せられているではないか。また、「斯かる不思議なる法華経の行者の住処」をまた「義の戒壇」とされている。「法華経の行者」とは即日蓮大聖人、そして日蓮大聖人の御当体は即本門戒壇の大御本尊、その「住処」をまた「義の戒壇」と仰せられているではないか。

もう、これを見たら、嘘っぱちばかりですね。しかも文字縮めや付け加えまでして恣意的説明を施しています。以下に順を追って詐欺手法を説明します。

◎「日蓮が肉団の胸中」とは本門戒壇の大御本尊所住の処である。
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もうウソですね。此の文章は「日蓮が肉団の胸中とは即ち本尊所住の処」が此の項目の文章で、本門戒壇の大御本尊所住の「本門戒壇の大」の文字を付け加えて、こういう操作を行っています。正しくは「日蓮が肉団の胸中とは即ち本尊所住の処」で、ここは即ち本尊所住の処=経巻所住の処=所在国土=末寺の本尊=義の戒壇、でなければなりません。「本門戒壇の大」を冠する事は反則です。本門の本尊は末寺や自宅の本尊も本門本尊です

◎日寛上人はこの処を「これ義の戒壇なり」と明確に仰せられているではないか。
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はい、上で説明したとおり、こういう主張にもっていくために、日蓮が肉団の胸中=本門戒壇の大御本尊所住の処と一番に書いたんですね。しかもこの箇所は三番目の「初めに本門の題目修行の処を示し」の処の義の戒壇説示部分ですね。事の戒壇まで進んでません。これトリックです。

◎「斯かる不思議なる法華経の行者の住処」をまた「義の戒壇」
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これは、3に当たる文章中の言葉です。しかし、ここで虚実を混ぜ込むイントロです。

◎「法華経の行者」とは即日蓮大聖人 ←コレ、文章トリックの第一弾
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この神力品の戒壇段と何の関係も無い文章です、しかし実はコレが次に橋渡しするための布石、第一弾です

◎「日蓮大聖人の御当体は即本門戒壇の大御本尊」←コレ、文章トリックの第二弾
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そんな文書今回にはありません。ココが三段論法の第二弾です。
こういう富士門宗祖本仏論の基本、伝統常套句、大前提、条件項目を利用して次の結論に導こうとします。

◎『その「住処」をまた「義の戒壇」』と仰せられているではないか。
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はい、浅井サン見事に結論に結びつけました。間に二つも此の戒壇論と関係ない文章挟んで、義の戒壇に無理矢理結びつけ、しかも周到に文章と寛尊の三番目の説示を使用して目くらましをダブルでやってます。ホント狡猾ですね。

目くらましの一つは、間に富士門の常套句を挟み込む事、これで肉身の大聖人=義の戒壇、と南条抄「日蓮が肉団の胸中とは即ち本尊所住の処、是れ義の戒壇なり」にある文章に巧妙に結びつけました。これトリックの一番目です。

二番目は『その「住処」をまた「義の戒壇」』コレは寛尊の「南条抄云々」の箇所で一緒に論すべき文書ではないですね。なぜならで言うところの義の戒壇とは「若経巻の下は本門の本尊所住の処を明かす」ということで、私がポイントです、と書いた「所在国土の末寺は義の戒壇」を説示した箇所であるからです。決して戒壇大御本尊の御事を指した義の戒壇箇所ではありません。浅井氏は読む者をしてに進ませずに、の戒壇義を使って、本門戒壇の大御本尊の在所を義の戒壇とすり替えたんですね。しかも二つもトリックを使って、此の戒壇論と関係ない文章挟んで、更に三番目の本門の本尊と本門戒壇の大御本尊を誤解するようにわざと交差使用して、狡知ここに極まれり、ですね。

英邁なる寛尊、と表面では立てながら寛尊の御指南を使って、彼は卑怯にも自説のスリカエをやったわけです。トリックは以上でバレました。彼は手段のためなら何でも使う、そういう思考です。ここまでご覧になった方はお気づきでしょう。そうです、浅井氏は事の戒壇=本門戒壇大御本尊の当処、を理解しています。そうでなければ、こんなトリックは発想できません。理解しているからこそ、ここまで操作する訳です。自身はもう信徒復帰する事がない、だから正法に縁する人の邪魔をしているわけですね。

しかし、これでよくブリトー石橋は「というわけで、この項目も切り文と判定して差し支えないでしょう。」などと言えるモンですね。浅井氏は邪宗経営のためにこういう事をしたとしても、君がこういう論を支持すると言うことは君も同罪だね。君は下の方でこう言う事を云っている。

「彼らは、歴代上人の御文を切り文にするいう、普通の神経では考えられない行為を平気でやってのけるのです。(二月十一日、貴ブログ発言)」

これは自らにツバしている言葉である、しかもまた君は、コチラへの攻撃のつもりが、ブーメランして自爆している。もう君には富士門を名乗る資格はない、恥を知れ!ブリトー石橋。こんな詐欺手法をアップしながら、大きな顔して、当方のサイトの破折文を切り文と悪罵するとは、呆れた厚顔だ。

ここで、我々がなぜ、一番上でこの箇所の・・(中略)・・には理由がある。としたか説明しましょう。この詐欺手法の説明だけでコレだけかかるのである。しかもそれぞれに意味が深い、それよりも浅井氏のインチキを優先しただけのことです。サイト公開すれば、まぁ、後々こうした疑難を振りかざして来る人が必ず居るので、それを対処した時に事例として残そう、その方が問題解決のケースになる。と云う結論に至ったのであります。コレこそが「ガツンと破す」の戦略的意図ですね。つまり静的に掲示するだけでなく、動的に問題解決を反映するコンテンツを増やしてくサイトアイデアなんです。というわけでブリトー君、あのサイトの思惑通りのエサになってくれて、ありがとう。でも、君のやった罪は消えないけどね。




ここからは、同じく二月十一日に上がっていた、つまらない疑難です

ブリトー石橋氏の反論:では切り文を探してみましょう――上から6番目、「法華取要抄文段」。文章がいきなり「当山は本門戒壇の霊地なり」から始まってます。これではこの御文の正しい意味がわかりません。

これは何度も御宗門からも、邪義破折班からも浅井氏に突きつけられている寛尊の言葉である。ブリトー石橋氏よ、浅井氏同様、反論不能だな。

ブリトー石橋氏の反論:10番目、「依義判文抄」。これは“三大秘法開合の相”を解説されている部分で、後の方に「又本尊に人有り法有り、戒壇に義有り事有り、題目に信有り行有り、故に開して六義を成ず。」という文章が出てきます。決して本門の本尊所住の処をイコール事の戒壇と仰せられているわけではありません。

これもそう言うだけでなんら、証明文がない。つまり、否定したいだけの気分の言葉ですね。

ブリトー石橋氏の反論:11番目、「日相上人聞書(ききがき)」。これは切り文ではありませんが、インチキなので採り上げます。
「正本堂の誑惑を破し懺悔精算を求む」185~187ページに破折が書いてあるので引用します。

「これではまるで、日相上人が日寛上人の御説法の場に在って書いたように取れるではないか。『聞書(ききがき)』とは聞きながら書く速記録である。日相上人は第四十三世の貫首にして、その御出家は日寛上人の滅後四十四年である。その日相上人が、どうして日寛上人の御説法を聴聞できよう。たばかりもいいかげんにせよ。……」と。

まず、ブリトー石橋君は、聞き書きの意味を世間の感覚で取り違えてます。大きな間違いである。「聞書き」とは、「聞きながら書く速記録」ではありません。ソコに加えて『日相上人は第四十三世の貫首上人であり、日寛上人の滅後、四十四年も後にお出になられた上人であれば、どうして、日寛上人の「聞書き」を筆記することができたのであろうか。』などと大凡仏教を学する門徒とは思えない発言でありますね。あ、門外漢か。そうだったね、じゃ、しょうがない。

この聞書きとは、寛尊の門下に施された講義が日相上人の時代までお書き物として相伝され、それを受け継がれた日相上人が寛師の聞書を後世に残す為に文書に移したと言う意味なんですね。しかし浅井氏共々ブリトー石橋くんも、富士の宗学にはまったく暗い様相がハッキリでありますな。才能無いね。

キミの言うとおり「日寛上人の滅後、四十四年も後にお出になられた上人」なる相師が書かれた「聞書き」が通用しないなら、三十一世の因師が書かれた「有師物語聴聞抄佳跡」や通称「雑々聞書」と云われる「有師談諸聞書」はどうなるんだ?確か浅井サンや克衛くん、いつだったか、有師聞書きから宗門批判文、引っ張っていたなぁ。

ちなみに因師は1687年~1769年の生涯で、有師は1402年~1482年。205年の時間を溯って講義を聞いたことになる。そんなことがあるわけがない。どういうことか?

つまり、こういうことだ。大石寺には御歴代の文書が多く御法蔵に残っている。とりわけ筆記物の多かった寛尊の講義録を、相師がご覧になった。寛尊の御在位時代の学林での御説法本を拝見し、その要旨をご自身で筆記された、爾来、宗門に限らず仏教家ではこういう事を「聞き書き」と云い、延暦寺の天台宗でも目の当たりに幾代も前の座主の講義の真意を拝見するが如く、筆記することを、聞き書きと云うんですね。浅井氏も君も、かなり物知らずだね。

因師が書き留めた有師雑雑聞書末尾には以下に肝要が書されてあります。

◎此の聞書は当家の秘密他見無用なり信心落居の仁は拝見有るへき者なり

こういう基本的なことも分からないなんて、信心落居の仁、つまりブリトー石橋君には寛尊は理解不能だよ。

ブリトー石橋氏の反論:14番目、日開上人の「御宝蔵説法」これは紛れも無い立派な切り文! この御文は、かつて細井日達が、正本堂の誑惑を正当化し、「戒壇の大御本尊まします所はいつでもどこでも事の戒壇」と偽るために、日開上人の御名を隠し「御相伝」と称した御文です。よくもまあヌケヌケとこの御文を出してこれましたね。

これもまた、大笑いだね。浅井氏が達師との大奥での対面で見せられた御法蔵説法は、開師の物ではない。
しかも相伝書などと云っているが、浅井氏は法道院所属の時代に、御法蔵説法なるものの存在は知っていた。しかし実物は見た事がなかった。達師が浅井氏に見せた物は応師の御法蔵説法であった。

御存知の通り、法道院が法道会と云っていた時代の応師在位時代は、帝都折伏を先兵とした法道会の進展もあって急激に信徒が増え、御内拝を望む人も月ごとに増え大石寺へ登山参詣する人が多かった。そうした折に応師が御法蔵で説法された内容を御弟子がお写しになったお書き物が残っていた、と云うわけです。

日顕上人談:この奉安堂においても、日達上人の時と同じように御戒壇説法があります。これはもちろん二大法要(※御大会、御霊宝虫払会)の時にだけ行う例になっておりますから、今日も行わなかったし、普段は行いません。しかし、昔はそうではなかったのです。このことを知る人も、ここにはないだろうけれども、昔、まだ私が小僧から所化のころ、御宝蔵で御開扉をお受けしました。だいたい日開上人から日恭上人のころで戦前の話だが、そのころはしょっちゅう御戒壇説法があったのです。(中略)新登山者が1人でも2人でもある時には必ず、御法主が御戒壇説法をされたわけです。(平成16年8月26日:於総本山大講堂)

浅井氏が後日手に入れたとされる開師の御法蔵説法も、奥法道師が御法蔵で説法された折に筆記されたものを、当時浅井氏と昵懇だった八木直道師が別の人から手に入れた開師の説法を入手したと思われます。
彼の云う御法蔵説法は、法道院の御主管さんであった観妙院様(日慈上人)も手書きで残しておられ、開師の御弟子でもあった、奥法道師や他にも何人か御尊師方の書き物が有ることを確認されてます。浅井氏はそれらの中の写本の一つを、当時、仲が良かった八木直道師から見せられて、それが、その時のものと誤解したんですね。それだけです。ちなみに何故手で隠したか、それは応師の法門的な事が書き入れてあっただけであり、エチケットとして故人の手記に近い物を、他人に見せるわけ無いです。以下はこの件に関して御先代が説法されていますので、それを上げましょう。

日顕上人談:その時の御戒壇説法は、私もだいたい伺っておったのですが、そのなかには「この所すなわちこれ本門事の戒壇」という御文はありませんでした。ところが、先程話したように私と観妙院日慈上人が宗務院の役員として日達上人に伺った時には、日達上人が御先師の説法本をお示しになり、そこには「この所すなわちこれ本門事の戒壇」というお言葉があったのです。

それから、もう亡くなったけれども、日開上人の弟子で私の法類に奥法道という人がいまして、この人が非常に書き物が好きな人で、ありとあらゆるものを書き写していました。その奥法道師の写本のなかに、日開上人の御戒壇説法というものがあったのです。今でもどこかに残っていると思いますが、そのなかには、ちゃんとその文があるのであります。
もう一つは、日達上人が我々にお示しくださった御先師の御説法本のなかに、それがあるということです。よって、先程の意味から言っても、また日達上人のあらゆる点からの御指南から言っても、本門戒壇の大御本尊のおわします所が事の戒壇という御指南は、たしかにそのとおりだと思います。(平成16年8月26日:於総本山大講堂)

むしろ、ヌケヌケと御相伝などと、大袈裟に言う方がおかしい。だいたい浅井親子になぜ、達師が相伝書を見せなければ、事の戒壇を証明できない何てことがあるわけがない。仮に見せても、この我執・妄執がはれるわけ無いでしょ。ちなみに浅井氏が手に入れた写しは八木師の所蔵していた物ではなく、縁故の御僧侶の物であった。その方は今でもご活躍で、この事を笑い話として語っておられる。浅井氏の言うことは千に三つなんだから、君も短絡だね。




二月十一日にまた、彼のブログで反論のような物が上がったが、残念ながらちょっと論の体を為していない。可愛そうだが無理クリ書いている様な状態であります。 もともとに、無理のある彼の論だったから、まぁ仕方がないのだが。一番の錯誤は我々が浅井氏の本の矛盾を突いているのは真実の解明が目的であって、彼は浅井サンが云っていないとか、ここに書いているのは、こうだ。と発言しているが、元々に浅井氏は著作本ごとに訂正・再編集するひとであります。そんな第何版の訂正加筆文字面追っても真実は見えてこないのであります。ゆえに当時の関係各書を引用して、その事を証明しているのであります。彼にはそれが分からないので質問の理解もできず、ダッチロール状態なのです。

ブリトー石橋氏の所論:1: 私が冗談で書いた「顕正会・特命係Aチーム」を、実在の組織と思っている人がいるようです。そのような組織は存在しません。このブログは私ひとりでやっております。

そんなことはコチラも百も承知で云ってますよ、とすれば「冨士大石寺顕正会は絶対に正しい!」という屋号も冗談なんでしょう。

ブリトー石橋氏の所論:それから理由としてもうひとつ。 仮に、私が時間と労力を費やして、全力で質問に答えたとします。 しかし、必ずその答えに難癖つけて、また新たな質問を返してくるでしょう。どんだけキッチリ答えても絶対に難癖つけてきますよね。答えては質問、また答えては質問…おそらくこの繰り返しになって、将棋でいう「千日手」のような状態になるのは目に見えてます。これは時間の無駄。

だったら、辞めたら。よく分からん人ですね、この人。

ブリトー石橋氏の所感:こんな馬鹿げたことに時間を浪費するぐらなら、いっそ開き直って「ブリトーは解答不能に陥った」と言ってもらったほうが楽なのです。そうすれば余計な時間を使わずに済みます。
それに、私を解答不能扱いしても、“「ガツン」が切り文だらけのインチキ破折資料である”という事実は覆(くつがえ)らないのです。質問の内容をざっと見ましたが、解答できなかったところで切り文の否定につながるものは一つもありません。

おばさんの井戸端会議ではないのですね、君はまずこの更新の初手から大間違いしている。思い込みからくる論理破綻文章、その一つ一つを指摘しましょう。

ブリトー石橋氏:「私を解答不能扱いしても、“「ガツン」が切り文だらけのインチキ破折資料である”という事実は覆(くつがえ)らないのです」

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この文章、当方の「切り文疑惑に対する反論」に答えずに、「インチキ破折資料である”という事実は覆らない」は文章としても、論理としてもかなり破綻していますよ。君は三歩歩けば、歩いた前の記憶が消える鳥のアタマみたいな脳なんですね。

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いままでの経緯から云うと、君がまずこの「ガツンと破す」は、切り文でインチキだと、一月二十二日にコチラにボールを投げた、それに対しインチキではないと、こちらが二月一日分も含めて、貴殿の矛盾を突いて二月七日に反証した。
その反論に君が回答不能と言うことは、投げかけた主張に対して答えられない、つまり反証(この場合は切り文疑惑)できなかった事になる。=証明できない物が何故にインチキだと再証明されるのか?

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この君の主張する思考の循環ループを解決する答えは、君は自分のココロ内で「私は間違っていない」という固くて強い思い込みがあるだけである。以下の発言を見たまえ、これらは一連の君の意味不明の文章だ。

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◎私は浅井先生の著書だけを頼りに破折を書いています。質問の答えは自分で探してください(笑)(二月六日の発言)
◎もっとも質問されたからといって、必ず答えるとはかぎりませんよ。私は山門入り口君のように暇人ではありません。顕正会の活動もあるし、家庭もあるし、うさぎのお世話もあるし。(二月六日の発言)
◎書き終えて時間的ゆとりができたら答えるかもしれませんし、面倒くさくなったら無視するかもしれません。あしからず。(二月六日の発言)
◎現時点で答えようとしない理由はすでに述べたとおり、時間的ゆとりがないこと。(二月十一日の発言)
◎余計な時間を使わない上に「ガツン」の破折に影響しないのなら、私は積極的に“解答不能扱い”される方を選択します。(二月十一日の発言)


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対話を拒否しながら、自分の信念を固持し続けるなら、会員制のSNSででも発表しなさい。ネットは公に開かれた空間である。それを利用して、君は富士大石寺は絶対に正しいと主張しているわけである。でありながら、こっそりと反論もどきを忍ばせている。姑息なテクだね。またまた以下を見たまえ、あっちへこっちへダッチロール状態の文章である。

◎例えば、“「ガツンと破す」をガツンと破す”を書く時、前置きとして、「私も万能というワケではありませんので、100パーセント破折とはいかないかもしれません」と先回りして逃げ道を作ってますから。(二月七日の発言)
◎全部書き終えた段階で、私の書いたことが正しいのか、法華講側の主張が正しいのか、これは読者の判断に任せたいと思います。(二月六日の発言)
◎次の簡単な二つの質問には答えましょう。(二月十一日の発言)
◎「おいおい、ここで終わったら物足りないではないか!」と不満を述べる方もいるかもしれませんが、
区切りがいいので3回目の破折はこれで終了。(二月十一日の発言)


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最大矛盾は、君は自分は間違っていないと主張しながら、対話を拒否している、と云う事。

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普通はだったら、止めたら。に帰着する。

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しかし、彼はできないのである。なぜかは不明である。それの最たる部分が、下の文章である。君の支離滅裂な病み方と強度の思い込みが伺える文章であります。

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ブリトー石橋氏:余計な時間を使わない上に「ガツン」の破折に影響しないのなら、私は積極的に“解答不能扱い”される方を選択します。(二月十一日の発言)

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つまり、他人に犯されない(犯されたくない)空間で、自分は主張しながら、自分に返された反証は拒否して、閉じこもっているのである。=普通はコレを病んでいる、といいます。内側の世界の自己充実感に浸って、外側の世界のルールや正常な言語交流を遮断している訳ですから、尋常ではないですね。下の文章は好例であります。

ブリトー石橋氏の所感:答える前に、日本語の勉強――
私はノータリンのバカ野郎なので、「所住」のような難しい仏法用語はよくわかりません。しかし日常使う日本語程度ならわかります。
「所住」の意味もわからないようなノータリンに「ガツン」をいじられ右往左往する人のことは、いったい何と形容するのがふさわしいのでしょうか。
おっと、日本語の勉強でしたね。
「証明を求める」という「証明」の使い方は、ここではあまり適切ではないと思います。
こういう使い方が無いとは言いませんが、それは、主に役所とか法律関係の現場に限られて使われます。例えば「身分証明を求める」「印鑑証明を求める」などです。

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キミが”思い込み間違い”をしている文章である。しかも強度に。それは「主に役所とか法律関係の現場に限られて使われます。」なら普通の日本語なんですよ。役所が通常生活で使用しない語を使って告知しますか?それじゃ一般市民に伝わらんでしょ。
こう言う事は少し、考えたら分かるはずなんですが、自分を批判されたくない気持ちが先なんですね。それに君は「役所と限られて」と、使用範囲を決め込みましたが、以下の見本文はその範囲から外れる文章です。

◎人は何の根拠もなしに何かを信じることはしない。
どちらかというと臆病で、疑り深く、常に「理由」、「証明」、「証拠」を求めている。
(知のWEBマガジン:小島寛之のパート)

◎全ての職歴について証明を求める場合(人事課の心得)


一つはウェブで使用されている「証明を求める」という言葉使いです、もう一つは履歴審査などをする一般企業の人事課の話です。どうですか、君の狭い認識世界を自覚できますか?君はまず、思い込み、断定ありきなんですよ、だからこんな恥ずかしい間違いをするのです。

ブリトー石橋氏の所感:「証明」というのは“名詞”であり、後には「スル」が続きます。つまり「証明スル」という使い方をします。入り口君が言いたいのは「証明してください」、または「証拠(根拠)を示してください」なのでしょう。 なぜこのような、おかしな日本語の質問を書いたのか?私が察するところ、その時の入り口君は平常心を失って、焦りとイラ立ちで頭が混乱状態だったのでしょう。 もっとも、他の質問でも間違った「証明」の使い方がありましたから、根本的に、入り口君は国語が苦手なようです。 難しい仏法用語をアタマに詰め込む前に、正しい日本語をまず学んでください。ついでに富士山の「日の出」の位置もね。

上の彼の文章一連は、ごく普通に疑問に対して答えるという相互の言語交流を拒否しながら、国語が苦手とか、イロイロ書いてますが、所住と所性で指摘された事が、よほど痛かったんでしょう。 しかもそうした一連の証明を拒否する人が何とか一矢報いたい、という怨念だけで書いた文章でしょうね。反論できないもどかしさをこの様な歪んだ思考で書ける君は矢張り病んでいますね。とりあえず、先に進みます。

ブリトー石橋氏の所感:では質問の答えに入ります――
「言えなかったでしょう」も「言ったかもしれません」も、あくまでも私の推測です。
「推測」という言葉の意味は理解できますよね?大丈夫ですよね?
「推測」が理解できましたら、以下の文章を頭の中でよく整理しながら読んでください。
なぜこのように推測したかと申しますと、私は「正本堂の誑惑を破し懺悔精算を求む」の現物を持っていますから、「ガツン」で引用された文章の、“前後の文章”を知っています。ですから、「ガツン」で引用された文章と、その“前後の文章”をつなげて、“文章全体を通して読んで得られた根拠”に基づいて、そのように推測したわけです。

ご覧下さい、上ではコチラには解答しないといいながら、ココでは質問の答えに入りますと、ぬけぬけと仰せですから、はい、それでは君の言葉を使って、君を破します。君はバーズ博士と名乗っていた頃、2011年12月06日に、こんな記事を書いてますね。

◎バーズ博士の判定:「おかしい」という言葉を辞書で引きますと「変だ」「妙だ」「怪しい」という意味で、つまり単なる推量でしかありません。推量は明確な理由には成り得ませんので、この「丑寅勤行について~」は却下します。(2011年12月06日:冨士大石寺顕正会は絶対に正しい!)

推量も推測も名詞形は違いますが、推し量る・推し測るという意味では、文章表現形が違うだけで、どちらも同じ意図です。さて、今回は推測を是とし、去年では推量を非としています。
この判定基準は何なんでしょうか。・・・・、これを見ると、結局ナニもないんですね。否定したい気持ちだけですね。
普通はここで客観性という軸で証明を試みるのですが、君は閉じた世界にいる人ですから、外の理屈なんて理解しようとしません。つまり、外の世界の理屈を使っては、反論できない訳です。

わかりましたか?
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この言葉に込められた思いは重いですね。要は自分の世界に他人を引き込みたいだけなんですね。つまり君は君の内側世界に籠もっている人です。そんな自己中の世界に飛び込むようなバカな事をする人は外側には、殆どいません。居るとすれば、君と同じ内側思考の人は引っかかるでしょう。つまり顕正会のようなカルト思考の人です。社会と隔絶した自分たちだけに通じる法則世界を非常に望む人達ですね。

ブリトー石橋氏の所感:この質問、私が答えようと答えまいと、“「ガツン」が切り文だらけのインチキ破折資料である”という事実には全く影響しません。逆に答えたことで、さらに切り文の「証明」に念を押してしまった感じです。

残念ながら、これは自分に言い聞かせている言葉で、こちらに向かって語っている言葉ではありませんね。しかも、この文章にも大きな矛盾がありますが、彼は自己矛盾に気がついていません、気がつけばこんな文章上げませんからね。証明しましょう。

◎ブリトー石橋氏:私が答えようと答えまいと ←ここで彼はもう逃げ道です。既に指摘してきたやり方です。

◎ブリトー石橋氏:“「ガツン」が切り文だらけのインチキ破折資料である”という事実には
全く影響しません
 ← なぜインチキなのかは証明せずに、なぜか断定していますね。

◎ブリトー石橋氏:逆に答えたことで、さらに切り文の「証明」に念を押してしまった感じです。 ← ご自分はコチラの反証に答えずに、なぜインチキだと、証明できるのでしょうか。

◎ここで一連、整理します。まずブリトーさんは、自分が答えようと答えまいと、ガツンはインチキ資料なのである。(既にガツンは、自分が答える前にインチキだと断定されている)→こちらが反証したから、余計に切り文(インチキ)だと証明されたんだ。と結論しています。

なぜ、ブリトー氏が与えた疑難に、コチラが答える事で再証明されるのでしょうか。またなぜコチラの質問の前に、彼が不答であっても、コチラの掲示物が切り文だと成立するのでしょうか?破綻してますね。これでは、我々が論を立ち上げる前から、我々の破折文は、切り文が既に成立しています。解答不要、対話不要という理由も彼の理屈では、そこにあるんでしょう。いままでのブリトー石橋君の文章は大きく二つの異なった主張をしています。

★コチラには答えないというブリトー石橋の主張文。

◎私は浅井先生の著書だけを頼りに破折を書いています。質問の答えは自分で探してください(笑)(二月六日の発言)
◎もっとも質問されたからといって、必ず答えるとはかぎりませんよ。私は山門入り口君のように暇人ではありません。顕正会の活動もあるし、家庭もあるし、うさぎのお世話もあるし。(二月六日の発言)
◎書き終えて時間的ゆとりができたら答えるかもしれませんし、面倒くさくなったら無視するかもしれません。あしからず。(二月六日の発言)
◎余計な時間を使わない上に「ガツン」の破折に影響しないのなら、私は積極的に“解答不能扱い”される方を選択します。(二月十一日の発言)
◎現時点で答えようとしない理由はすでに述べたとおり、時間的ゆとりがないこと。(二月十一日の発言)
◎余計な時間を使わない上に「ガツン」の破折に影響しないのなら、私は積極的に“解答不能扱い”される方を選択します。(二月十一日の発言)


★答えるかどうか、分からないけど答えるというブリトー石橋君の文章。

◎例えば、“「ガツンと破す」をガツンと破す”を書く時、前置きとして、「私も万能というワケではありませんので、100パーセント破折とはいかないかもしれません」と先回りして逃げ道を作ってますから。(二月七日の発言)
◎全部書き終えた段階で、私の書いたことが正しいのか、法華講側の主張が正しいのか、これは読者の判断に任せたいと思います。(二月六日の発言)
◎次の簡単な二つの質問には答えましょう。(二月十一日の発言)
◎「おいおい、ここで終わったら物足りないではないか!」と不満を述べる方もいるかもしれませんが、
区切りがいいので3回目の破折はこれで終了。(二月十一日の発言)


これらの現証を仏教では頭破作七分といいます、結局彼は自分の頭の中でもナニを云いたいのか不明だと思います。仏教では禅定といって心を澄まして思惟を調えると、物事の間違った考えを排除していく智慧が自然と出てくるのですが、彼は道理とか因果には無関心のようです。可愛そうな人ですね。彼の狂った所感に答えるだけで、こんなにかかりました。




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