またバーズが
やらかしているゾ

冨士大石寺とは関係のない顕正会員バーズが、ブログでさも関係あるかの主張をアップして、世人を混乱させています。

◎歴代の法主と何も関係ないのに、日蓮正宗の歴代法主を引用
◎日蓮正宗からの借り物法義(五義教判)で得意満面
◎しかも富士大石寺といいながらツノ無し冨士で表示する姑息さ
◎在家向け教学で富士門流教学だと、大威張り



◎当宗の初心・初学信者向けの在家教学ではなく
富士本来の本格的・対他法門を垣間見る。

「もちろん、大聖人の深い御本仏の御境界においては、『周書異記』に示されている仏滅に関する説が必ずしも真実ではないということは深く御承知であったと思います。

 また、この仏滅年代という問題は五綱教判の時綱に当たり、薬王品の後五百歳ということも、大集経の五箇の五百歳ということも、その時の法門が経典に示されて説かれておるわけです。しかし、大聖人の化導の中心は三大秘法を建立あそばすというところにあるわけですから、教・機・時・国・教法流布の先後等の五綱教判は、その建立のための足場のようなものです。

ですから建物が出来れば足場は外してしまうのと同様に、三大秘法が建立されたならば、そのあとも五綱に執われてしまっていては駄目なのです。(日顕上人・講義:大日蓮第548号)

これは日顕上人が、大石寺から分派した異流儀の玉井某が、末法の始まりに関して擬難を述べてきた折に、指導会において講義され、それを文書化されたものです。

まず、鎌倉期の立宗に於いて、宗祖は大聖人様が用いられた仏滅年代は、伝教大師の『末法灯明記』に仏滅年代を算定するために示されている二説の内の一説である、『周書異記』に記されている「周の穆王(ぼくおう)の五十三年」という説でありますが、それから算定すると、仏滅はBC九四九年ということになります。

これは近代の仏教学者が指摘する仏滅年代の一つで、宗祖は御書に「仏滅後今に二千二百二十二年なり」(波木井三郎殿御返事|文永十年八月)、建治二年の『報恩抄』に、「仏滅後二千二百二十五年が間一人も唱えず」ともあり、『妙法比丘尼御返事』に、「而るに仏御入滅ありては既に二千二百二十七年なり」と云う文が確認されますので、ここから逆算すると『周書異記(BC九四九年)』説に該当するわけで宗祖に限らずこの時代は、日本の仏教界全体の算定方法だった事が確認出来ます。

それに対して玉井某は「科学的な方法によって仏滅年代を計算すると大体、五百年のずれがある」と仏教学の算定方式を採用し、「御本尊様の讃文の仏滅後二千二百二十数年をそのまま拝すると、仏滅とは五百年のずれがある」と主張するわけです。それに対し日顕上人は以下のように話されています。

◎説によっては多少の前後はありますが、実際の仏滅は、BC九四九年から五百年を引いたBC四四九年頃ということになります。 このBC四四九年から算定すると、大聖人の御出現は正法千年、像法千年、その二千年よりも内になってしまうわけです。つまり仏滅が五百年、あとへずれることによって、末法に入る年も五百年あとになるわけですから、大聖人様が御出現の時はまだ像法の内であるということであります。(日顕上人・講義:大日蓮第548号)

といったんは玉井某・及び一般仏教学の説を取り入れられて解釈され、さらにこのように見解を相伝の上から講義されています。

◎補修したりするときには足場も必要になりますから、全く要らなくなるわけではないし、色々と参考になる意味もあるでしょう。その意味で五綱はこれまた必要ですが、末法の衆生の即身成仏の要道は三秘にあるのです。とにかく、三秘が出来上がって弘宣されたならば、あとは五綱の一つひとつに執われる必要は全くないという意味があるのです。(日顕上人・講義:大日蓮第548号)

そして歴代の寛尊の「弘安元年已後、究竟の極説なり。」(日寛上人御書文段)との解釈の捌きを、「日寛上人がこの意義(仏滅年代)をはっきりと仰せになっていないのは、後世の末弟子が時に応じた上から、その深義を拝するようにということ」と暗にそうした事も含めて御相伝が有ることを示唆されています。

言うまでもなく寛尊(1665年〜1726年)の時代には富永仲基の(1715年〜1746年)「出定後語」は出版されていませんでしたが、龍樹の時代以降早くから大乗経典への疑義はあり、また日本へもその論書は伝わっており、無着の「大乗荘厳経論」などは上座部から向けられた非仏説にたいする反論書であります。

博覧強記の寛尊がそうした論書に目を通さないわけがなく、内々にその対応も残されていたと思えます。宗祖の御書にも法華取要抄(文永十一年五月二十四日、真筆完存)の一節に南都六宗からの非仏説論に「我が門弟委細に之を尋討せよ」とその備えを残されています。

日達上人の大乗非仏説についての御指南を拝する

さて六十七代の発言は確認しましたが、次は六十六世日達上人の発言にこうした御指南を求めました。

最近、大乗非仏説だから法華経の予証など釈尊と関係ない等と、自分で考えていたかのような如き事をいったり、或いは天台の五時八教だとか一念三千の法門は、天台の勝手の説だとか、或いは法華経を読んでも少しも有難いところがない、法華経には、今法を説くぞ、説くぞというだけで真実に法を説いてはいない等という人があります。

大乗非仏説だなどと、いう事は今始まった事ではない。こんな言葉に動揺されている人は大聖人の弟子でもなければ信者でもない。

方便品にも罪根深重の五千人は増上慢のゆえに法華経の法座から退座しております。このような不信の者や、今日の大乗非仏説者等の、法華誹謗の者を本未有善の者というのであって、大聖人の仏法、南無妙法蓮華経をもって成仏せしめなければならないのです。

大聖人は大乗非仏説などはご承知の上で法を説かれているのであります。
例えば、華厳経は釈尊の説にあらず、法慧、功徳林、金剛憧、金剛蔵等の四菩薩の説であると明らかに仰せになっています。小乗教にしろ、大乗経にしろ、仏教経典は釈尊が直接説かれたもので無いことは明らかであります。

今日の仏教経典の一言一句まで釈尊の説であると考えられないことは当然であります。(中略)法華経の経文全部一字も、もれなく仏の説でないというのは当然である。(大日蓮・第三百二号)

ここでも顕師と同じ論調の「大聖人は大乗非仏説などはご承知の上で法を説かれているのであります。」というお言葉を見つけることが出来ました。

次は碩学で有名な堀日亨上人の御指南講義。

仏道修行の頭の進んだ者は観念仏教となってしまって実行できなくなってしまった。器用な者は信仰仏教となった。
大乗非仏説は実際であったろうが、宗祖は旧仏教を壊さずして新しく仏教を興すために本因仏教を唱えられたのである。(堀日亨・昭和二十二年十月四日から六日・品川妙光寺の講話から)

ここでも同義の発言をされています、思えば明治以降に西洋の客観学が流入して、宗門も信仰の世界だけでなく、科学的な目を養わざるを得なくなりました。

どこからの非難にも対応できる宗義の確立に堀上人や歴代に連なる方が、苦慮されたのも十分考えられます。堀上人の富士宗学全集はそうした流れの中で、客観的にも持ちこたえる体制づくりの一環の事業でした。

稀代の平僧と謂われた福重昭平師もそんな時代を生きたお方でした。師の著作である「日蓮本仏論」(昭和6年発行)にも同義の言葉があります。

「聖祖も天台も羅什訳法華経を唯一無二のものと頼まるるは外用の化他の辺にある」

とあり、法華経ですら聖人から見れば「外用の化他の辺にある」シロモノなのです。 という流れで顕正会の書物を再度眺めてみましょう。

五綱判とは、宗教を取捨選択し成仏の教法を決定するための、五つの大綱(たいこう)原理である。聖愚問答抄(しょうぐもんどうしょう)に

「抑(そもそも)、仏法を弘通し群生(ぐんじょう)を利益せんには、先ず教(きょう)・機(き)・時(じ)・国(こく)・教法流布(きょうほうるふ)の前後を弁(わきま)ふべきものなり」

と御指南のごとく、この五義を深く考察しなければ、一切衆生を救う正法を確定することはできない。
この五義を一言で云えば、「教」とは、あらゆる教法の勝劣浅深を知ること。「機」とは、教化を受ける民衆の機根を知ること。「時」とは、時代によって流布すべき仏法に差異あるを知ること。「国」とは、国によって適する仏法に差異あるを知ること。「教法流布の前後」とは、それ以前に流布していた教法の順序次第を知ることである。

(中略)所詮、教・機・時・国・教法流布の前後を正しく見究(みきわ)めることは、仏智に依らねば為し得ぬところである。ここに日蓮大聖人は末法下種の御本仏として、透徹の御見識を以てこの五義を三証に検して御考察され、ついに全人類成仏の大法たる三大秘法を確立し給うたのである。

まことに五綱判こそ、世界に類例を見ぬ宗教批判の大原理であり、ひとたびこの五綱の明鏡に照らす時、あらゆる宗教、思想、哲学の位置は明白となり、その邪義は粉砕され、ことごとく三大秘法に帰せざるを得ないのでる。

彼らの云うところは、当宗の初心者向けの教学でストップしているのである。他門からあるいは他宗から信心を始めた人にはそれでいいだろう、しかし上の文言に

「ひとたびこの五綱の明鏡に照らす時、あらゆる宗教、思想、哲学の位置は明白となり」とあるが、三大秘法の名目だけを書いておけば全て宗祖の御意に叶うというのは、いまだ下種家の肝心を知らぬ輩、未だ方便権教の臭みが抜けないのである。

宗祖が事の法体としてお建てされた三大秘法の究境・戒壇大御本尊を直に拝さねば、例え宗祖の文言を借りても観念の遊戯であり、迹門が、日蓮宗がと立て分けた所で、同じ穴の狢である。

顕師が言うがごとく宗祖の五義と言えど天台の法義を借りた方便である「建立のための足場のようなものです」と仰せのごとく、これに執われてしまっては足場に未練が有る職人に終わる。

顕正会は宗祖の文言は同じでも、足場に執らわれた迷妄の他門徒と同じである。微微細々の教説に足場を取られて、バーズのごとく五時八教は仏の教判などと述べているようでは当宗の深義は会得できません。 バーズがいわく

マニアの皆さんは、昔の中国で翻訳された仏教よりも、現代の学者がサンスクリット語から翻訳した仏教のほうが正しいように言いますが、本当にそうでしょうか?
釈尊の教えを正しく翻訳し、後の人々に伝えることができるのは、釈尊を「信仰」する人ではありませんか。
現代人の、信仰心が無い学者が翻訳すれば、文字の表面だけを正確に翻訳することはできても、内容を比較すれば、中国の翻訳に負けるでしょう。(バーズ コメント欄・2014年8月6日|水)


ただの足場にこんな解釈しているようでは、顕正会でお茶濁しして今世を終わるのだろう。ご苦労なことです。当宗は大乗非仏説などは織り込み済みなのである。それすら対処できず歴代の二人は用いません、などとはエベレストを笑う砂山のようなものである。バーズよ寝言は寝て言うものであるゾ。

顕正会は冨士大石寺と詐称する顕正会員バーズ


以前にバーズは、バーズ博士と名乗っていた頃に富士の教義に対して浅井会長譲りの根拠もない擬難を書き込んでいたので、我々が星界の道HP上にて、反論不能に追い込み、完全破折した記録がこのHPでも残っています。

顕正会員・バーズは我々の追求に(バーズ博士〜ブリトー石橋〜デレク石橋〜ジェファーソン石橋そしてバーズ博士、バーズ)とブログサイト、そしてタイトルを変えて、再度の反論もせずに法門と関係しない自己満足のブログをやっていたようです。

自称・社会正義派趣味のブログ発言まで我々は干渉しないつもりでしたが、今回、自ブログ・コメント欄に日蓮正宗・大石寺に所属が有るかのような間違った認識と発言を発表し、看過するには今後問題も多いと判断し、このページにて彼のその根拠と発言を破するべく作成しました。

まずは、そのバーズの問題発言です。


私が「素人のサイト」と断じた理由は、日蓮大聖人や立正安国論の批判・否定を書いておきながら、富士門流の伝統教義には触れていないからです。

バーズ自ブログ:2014年7月10日(木)発言


さて、上記の文章で富士門流とバーズは書いていますが、どこの富士門なのでしょう。浅井氏始め一党は既に宗派属性を無くして新興宗教を立ち上げたの負い目からか、さも伝統宗派のような装いを文章でしています。

顕正会こと妙信講は宗内のお寺を転々として最終所属は墨田区の正栄山・妙縁寺の信徒でしたが、日蓮正宗から昭和49年8月12日に講中解散処分、同年11月4日に幹部と男子部員ら33名が信徒除名処分を受けています。

つまり実質破門なわけです、破門以降の会員は浅井会長がどのように言い繕おうと、全く当宗とは属性も関係もない団体員です。


顕正会の名称は、本当は「冨士大石寺顕正会」というのですよ。
顕正会は解散処分にされたからといって、日蓮大聖人の信仰をやめたわけではありません。
当然、日蓮大聖人の弟子である二祖日興上人の流れをくむ富士門流をずっと信仰し続けているのです。

バーズ自ブログ:2014年7月11日(金)発言


ツノ無し富士で世間の人を騙しているつもりでしょうが、そういうのを詐称といいます。「西海岸のロックバンド|ザ・イークルズ」で客を募ればサギなんですよ。バーズの発言はそれに等しい、ウソ・誇大・紛らわしい、そういう発言なのです。当宗は正式名・日蓮正宗・大日蓮華山・富士大石寺です。もちろんツノあり富士の方です。

さらに「二祖日興上人の流れをくむ富士門流」と言ってますが、日蓮正宗にも信徒籍のない顕正会は、一体どこの富士門流なのでしょうか?

興門派は現状確認されているだけで、八本山です。このどれにも属性のない団体は、新興宗教といいます。よほどそれが恥ずかしいのでしょう。

これもまた詐称に等しい、自己申告の富士門流ではないですか。顕正会の属性は平成8年・宗教法人顕正寺の名称改定で宗教法人の認証を取得した「宗教法人顕正会」という立派な新興宗教です。これもまた自称・富士門流ですね。


ゆえに日寛上人に限らず、大石寺の歴代御法主の御指南を信じ、勉強させていただいております。
ただし、創価学会に迎合して日蓮大聖人の教えに背いた二人の法主だけは用いません。

バーズ自ブログ:2014年7月11日(金)発言


これもまた、自己申告で勝手に大石寺の歴代法主を崇めて、勝手に二人の法主を用いないとしているだけで、一体何の効力が有るんでしょう?他所の団体の管長・貫首の好き嫌いを言われても、痛痒も何ら有りません。

何よりも僧侶のいない在家中心の新興宗教でありながら、他所の僧侶を尊ぶという奇特なことをしています。 コレだけでも自前で完結できない教義体系とどこかにパラサイトしないとやっていけない依存症の教団であることが分かります。


この発言に至るバーズのブログ経過を見る。


この発言の経由をざっと述べますと、これは自ブログに「折伏理論解説書 日蓮大聖人の仏法」をアップした彼のブログにまず、ガドルオットという人が・コメント欄に書きこみ、その際に「どないしますねん」というサイト紹介リンクをされました。

それを見たバーズが、「①のサイトは素人が作ったとしか思えません。知ったかぶりの集大成です」と論評し、今度はそのサイト製作者の人がパーズ先生(バーズにパー先生と呼ばれて斯様にハンドルネームを変更したようです。以降パー先生に統一)と名乗ってコメント欄に投稿がありました。

このパー先生は大乗非仏説と初期根本仏教を信奉しているようで、大乗仏教でも特にカルト系日蓮宗を的にして批判したホームページを主宰しているようです。(参考サイト:どないしますねん)

バーズの「奥様は総班長」のコメント欄に投稿されたパー先生の五時八教と中国撰述・疑経論に対する擬難に過剰に反応したバーズは、やめればいいのに、大乗非仏説論者に五網教判と三証で反論するという暴挙に出ました。

その反論のためにバーズは浅井昭衛の「折伏理論解説書」を引用し、自説も乗っけてアップしたのが下記の文章です。


「三、時を知る」の冒頭に・・・
時代が移り変われば大衆の機根も変わり、したがってその時代に流布(るふ)・得益(とくやく)すべき仏法も変遷(へんせん)する

――と書かれています。

「時代が移り変われば」とは「鎌倉時代と現代は違う」なんていう表面上の小さなレベルではありません。
「時代が変わる」は「大衆の機根が変わる」を指します。
鎌倉時代も末法、現代も末法。どちらの時代も末法ですから機根も同じです。ゆえに鎌倉時代も現代も日蓮大聖人の仏法で人々が救われるのです。

「その話は顕正会が勝手に作ったのではありませんか?」という人も当然いるでしょう。

ここで重要なのは、五箇の五百歳の“時代相”の予言に間違いがないことは、その後の歴史が証明している、というところです。 分かりやすい例をひとつ挙げれば、末法の始(はじめ)・第五の五百歳「闘諍堅固」には、大蒙古国が東洋の一角に現れ、前代未聞の大闘諍(侵略戦争)を巻き起こしています。

「五、教法流布の前後を知る」においても
「正法・像法・末法と時代が下るにつれて、人々の機根も下劣になる。これにつれて仏法も、浅い教えから深い教えへと、流布すべき順序次第がきちんと定まっている。もしこの順序を誤って、深い教えの次に浅い教えを弘めるならば、衆生を利益することは全くできない」と書かれているように
“教え”には、弘める順番が決まっているのです。

「仏教は皆同じ、何を信じようがどの教えを弘めようが俺の自由だ」なんて思っていると、利益されません。

今回は、かなり難しいことを書きました。
「折伏理論解説書」を持っている人は、ぜひ「五綱判」を全部読んでみてください。

こうして、相も変わらず相手の論をよく読みもしないでハチャメチャになっていくバーズ節が展開・応酬されているようです

しかし当方はそこには立ち入らず、バーズの上げた間の抜けた顕正会の教義である五網教判と大乗非仏説について、その浅さを指摘しましょう。

まず浅井氏は、かつて日蓮正宗に居ながら歴代法主の甚深の説法を聞き漏らしております。それに連なるバーズを始めとする顕正会員には憐れみを覚えますが、彼らが説くピントのズレた教義と本来の富士・伝統教義の捌きの差異を歴代法主の御指南を拝して、みてみます。

それでは、順序として日蓮正宗の在家信者向け機関紙・大白法に掲載された五網についての解説をご覧頂きましょう。

◎宗教の五綱(しゅうきょうのごこう)

「宗教の五綱」とは、大聖人独自(どくじ)の教相判釈(きょうそうはんじゃく)で、教(きょう)・機(き)・時(じ)・国(こく)・教法(きょうほう)流布(るふ)の先後(せんご)の五つをいいます。

これは、あらゆる宗教を、教え・機(き)根(こん)・時(とき)・国土(こくど)・教法流布の次第の上から批判(ひはん)選択(せんたく)し、最も勝(すぐ)れた宗旨(しゅうし)の何たるかを決定(けつじょう)する大道理(だいどおり)、大綱(たいこう)であることから、五綱教判・宗教の五箇(ごか)・五義等ともいいます。

したがって、日蓮大聖人は『教機時国抄』に、「此(こ)の五義を知りて仏法を弘(ひろ)めば日本国の国師とも成(な)るべきか」 (御書 二七一) と、宗教の五綱をよくわきまえて仏法を弘めるならば国の師ともなろう、と仰せです。

これだけでは顕正会の「折伏理論解説書」の五網判と何ら変わりません。何故かならば、向こうがコチラをパクっているからですね。これは御書がそうなっているからといいますが、日蓮宗にも五網の教判はありますが、向こうは「教・機・時・国・序のいずれにおいても法華経が至高であるとする五綱の教判」という分け方です。

最後の教法流布の先後が日蓮宗では「序(順序)は最後に流布するのは法華経本門の教え」という解釈です。五番目が全く違うんですね、これは富士独特の教判の考え方です。

さてそこで顕正会ではこの教判を「折伏理論解説書」297ページで

「まことに五綱判こそ、世界に類例を見ぬ宗教批判の大原理であり、ひとたびこの五綱の明鏡に照らす時、あらゆる宗教、思想、哲学の位置は明白となり、その邪義は粉砕され、ことごとく三大秘法に帰せざるを得ないのでる。」

と高説をブッているが、これが日蓮正宗に在籍はしながら、結局表面しか覚えなかった人の限界であります。

顕正会でも五網教判は最終的に三大秘法を確立、三大秘法に帰すと言いながら、なんらその意味と関係を考慮せず、それだけ言ってれば当たらずとも遠からずという浅薄な考えですね。

顕正会が夢にも知らぬ日蓮正宗の深義では、これすらもまだ方便の階梯とするのです。五義と言っても所詮は迹門の天台宗の五時教判に借りた仏教経典勝劣の目安。

ここにはいまだ迹門の臭味が漂う、これを窓口とする初信者ならいざしらず、信仰歴何十年とする浅井親子は、次から述べるようなことが聞けなかったのであろう。

まずは顕正会員バーズよ、右のご歴代の法義の捌きを刮目して見よ。




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