フェイク 第877号 2007年(平成19年)12月6日(木)
「本門寺改称」騒動は浅井の自作自演
顕正会のDVD「正本堂 崩壊す」を斬る

戦前・戦中の甚兵衛は夜逃げ・行方不明、戦争賛美


 顕正会製作のDVD「誑惑の正本堂 崩壊す」の中で、浅井昭衛は「本門寺」改称が強行されれば、そのとき御本仏の御遺命は完全に破壊される――私はこの陰謀粉砕に敢然と立ち上がったと、偉そうなことを言っているが、本門寺改称は浅井の妄想の産物なのである。

 浅井に妄想のヒントを与えたのは正信会であった。

 平成二年三月、正信会の代表が大石寺へ抗議登山した際、攻撃材料がないため「本門寺改称の邪計」云々と根も葉もない言い掛かりをつけ、それを報じた正信会機関紙「継命」紙の記事に浅井が飛びついた。

 浅井の話のネタは、常に他団体の機関紙や週刊誌、或いは本紙などの情報紙で、独自の情報は皆無である。

 先日の十一月度総幹部会でも浅井は「週刊新潮」のデタラメな誤報を己が得た情報のような表現で、学会の池田名誉会長の関西指導について非難中傷していたが、内容は嘘の羅列だった。たとえば、往復に使った乗り物は特別製の車ではなく、ごく普通の新幹線だった。

 さて『継命』紙の記事を読んだ浅井は妄想を膨らませるうちに大石寺が本当に「本門寺」と改称するものと思い込むようになり、各種の印刷物、日顕に宛てた諫暁書と称する駄文にも本門寺改称について書いていた。加えて、総会を開き、また大石寺にデモ登山を仕掛けると脅すなど、宗門に圧力をかけ続けていた。

 浅井は正本堂の意義について学会が宗門に圧力をかけた等と主張をしているが、横槍を入れ、圧力を加えるのは常に浅井邪教団である。

 浅井がバカ騒ぎするから、日顕は大石寺開創七百年の慶讃大法要の際、その「慶讃文」の中で「コノ深意ヲ拝考スルニ仏意ノ明鑑ニ基ク名実共ナル大本門寺ノ寺号公称ハ事ノ戒法ノ本義更ニ未来ニ於テ一天四海ニ光被セラルベキ妙法流布ノ力作因縁ニ依ルベシ」と述べ、浅井の妄想をキッパリと否定したのである。

 滑稽なのが「大御本尊が正本堂から奉安殿へ不思議の還御をなさった」と狂喜して、会員らが泣く場面だ。

 皆が黒い服装だったので、浅井の通夜かと勘違いするシーンだが、正本堂破壊も奉安堂への遷座も、浅井の戯言とは一切関係ない。日顕が狂乱した結果なのだ。

 更に、一時間半にわたり嘘八百を並べたDVDの制作を「五十周年記念」と謳っているが、これもウソ。かつて浅井が「妙信講の創立は太平洋戦争たけなわの昭和十七年」と述べていたので「六十五周年」の筈だが、これも浅井の欺瞞。昭和十六年八月が発足だ。

 だが、同年暮の開戦の際、時の法主・日恭が戦争肯定の「訓諭」を出したが、これに妙信講も同調した事実を隠すため「戦争たけなわの昭和十七年」の創立と偽っていたのである。

 妙信講には学会の「神札拒否」「法主への諫言」のような誉れの歴史がない。だから昭和三十二年の「再出発」を起点にして「五十周年」にしてしまった。浅井が消し去りたい十六年間に何があったか――それは昭衛の父・甚兵衛が事業に失敗して夜逃げを繰り返し、法華講員としても横暴なために嫌われて妙光寺、妙光院、法道院、妙縁寺と転々とさせられた。この顕正会の汚れた足跡は、改めて詳述する。(一旦 終わり)
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